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第三十八話 飛影、被写体となる

 クリスマスが終わった世間がそれでもなんだかんだと慌ただしい中、俺達も年末年始に向けての準備で大忙しだった。  年末の雰囲気に浮かれた肝試し志願者達がかなりやって来てはゴミを落としていくし、落書きもされた。  それを毎朝……たまには昼前に掃除するのが当たり前になっていく。それでも柚葉(ゆずは)は機嫌が良かった。俺も、飛影(ひかげ)翳狼(かげろう)も。  柚葉の仕掛けた術が大成功だったのだ。  俺も楽しみなんだといたずらっぽく笑っていたけど、この結果をどれくらい予想していたのかは謎だ。 「すごい……今朝もこんなに……!」  門扉から館に向けて投げ込まれたお札や小銭に思わず口が開いてしまう。 「大量だな! キラリ百円! うはっ! こちらは五百円玉だ!」  光物が大好きな飛影はご機嫌で地面に落ちた小銭を集めて、鼻歌まで歌う始末だ。 「術が強すぎるんじゃない?」 「そうだなぁ……ちょっと掃除代にしてはもらい過ぎかな?」  柚葉の掛けた術は、肝試しに来て敷地内にゴミを捨てたり落書きした者は財布やポケットに入っているお金を置いて行かないと呪われるというものだった。  もちろん本当に呪われるワケじゃない。ただそうしなければならない、と強く思い込み本当にお金を置いて行ってしまうのだ。 「持ち金の半分……にしておこうか? なんだか、こう多いとさすがに罪悪感が湧く」  デッキブラシに体重をかけて落書きされた壁を見つめて溜め息混じりに俺に語りかける柚葉に飛影が落胆の声を上げた。 「何を言うのだ、主人(あるじ)! ゴミのポイ捨てはいけません、と子供の頃には習うのだぞ? なのに大騒ぎした挙句にこんなに散らかして帰るのだ! このくらい……このくらいいただかねば、温泉がどんどん遠退いてしまう!」 「そうは言ってもなぁ……肝試しに来るヤツらはまだ若くて未熟だ。ハメを外したくなる事もあるだろう?」 「……なんかごめん」  飛影の言う通りだ。  ゴミはゴミ箱へ。なんてそれこそ幼稚園で習う事だ。  どうして幼い頃は素直にできた当たり前の事が大きくなるとできなくなるのだろう?  ちょっと悪い自分を見せたい。  良い子してるって周りから思われたくない。  みんながやっているから自分もやらないと仲間外れにされるんじゃないかという恐怖心。  解らなくはない。  解らなくはないけど、きっと“ちょっと悪い事をした自分”を思い出したら、なかった事にしたい日が来るんじゃないかと思う。 「紫苑(しおん)が謝る事じゃないよ?」 「う、ん……でもね、やっぱり最近まで人間だったからさ」  人は脆く流されやすいから……心の奥底では悪い事だと自覚しつつも、ついやってしまう事はある。  俺もそういう周りを気にするタイプだったから、悪い事とは知りつつもついやってしまう気持ちも解るから。 「よし、持ち金の半分だな! あとで術を掛け直そう」  紫苑の胸を痛めてまで金をかき集めたくはない、と柚葉が宣言すると飛影も頷いて 「うむ、笑っている紫苑と温泉に行きたいのだ。少々遠退くのは我慢する!」  と同意して、枯れ草の中から五十円玉を見つけて瓶の中に落とした。  元々が収集癖のあるカラスの飛影のたってのお願いで準備した大きなガラス瓶は二つ。  輝く五百円玉、百円玉、五十円玉を入れる為の物と、飛影曰く少し寂しい色の十円玉、五円玉、一円玉を入れる為の物の二つだ。 「もうないぞ! 紫苑、今日の収穫は終わりだ。蓋を閉めてくれないか?」 「はーい。うわ、ずいぶん貯まったねぇ!」 「当然! 私は輝く物は見逃さぬぞ!」  むふふと胸を張る飛影にしっかりと蓋を閉めた瓶を差し出すと左右の脚に一つずつを掴んで館へ飛び立った。 「紫苑? そっちが終わったら落書きを落とすのを手伝ってくれ」 「了解!」  早く終わらせてお茶にしよう。  柚葉からデッキブラシを受け取って謎の動物を消していく。  相合傘の落書きにくすりと笑って、胸の内で幸せにねと呟いて壁から擦り落とした。 「お茶の後はどうする?」 「絵の続き! ダメ?」 「いや? 俺が傍にいても良いのならいくらでも」  絶対に離れないくせに、と唇を尖らせれば押し戻すように温かな柚葉のそれが重なる。 「……コーヒーにするなら、チョコレートのクッキーにする?」 「うん! お茶して、絵を描いて、ご飯食べて、買い出し!」 「大忙しだな?」  喋れば上唇が擦れる程の距離で微笑む柚葉の目は冴えた冬の空気の中で、陽の光を浴びてとても綺麗に輝く。  どんなに色を探して、重ね塗りしてもやっぱり本物には敵わないなぁと思ってしまう。俺は未だに柚葉の眼の色が再現できていない。  いつかこの深く輝く緑を再現するのが俺の夢だ。 「……俺が大忙しって事は、柚葉も大忙しって事なんだよ?」  解ってるの? と冷えた手で柚葉の頰を包むと、すっと目を細めた柚葉が俺の頰を同じく冷えた手で包み返す。 「解ってるよ? 早く道具を片付けて部屋に戻ろうか?」  同意を求めるようにコツンと合わさった額、そのまま唇に降りてくる唇。  そんな俺達の頭上を円を描いて飛ぶ飛影は、早くと急かす事もなかった。  今日のコーヒーはモカだった。ゆっくりと丁寧に豆を挽く柚葉の立ち姿や真剣な眼差しが好きで、俺は鬼火でお湯を沸かしながらいつも見惚れる。  キッチンに充満した芳醇な香りにクンと鼻を鳴らすと、楽し気な柚葉と目が合って、鬼火をしっかり固定すると俺は柚葉の腰に腕を回してミルを覗き込んだ。 「お湯は?」 「もう少し……鬼火増やす?」 「いや、沸く間にクッキーの準備をしよう。それで? 今日は何を買い足したいの?」 「うん、あのね。飛影には台湾でお土産買ったでしょう? でもあの男が現れたりして時間がなくてさ。翳狼に何も形のある物を贈れてないから……もし柚葉が許してくれるなら、俺からじゃなくて柚葉と俺からって事で何かあげたいなってずっと思ってて……その、ダメかな?」  使い魔へ形ある物を贈るのは主人のみ。  翳狼は俺にも尽くしてくれるけど、柚葉の使い魔である事に変わりはない。  ちゃんとした主人でもない俺がこんな事を言うのは失礼に当たるんじゃないかと内心ビクビクだった。 「飛影には、やっぱり温泉はもう少し我慢してもらうか……」  ニッと笑って俺を抱き寄せた柚葉は 「翳狼にはどんな物が似合うだろうな?」  と弾んだ声で俺に問いかけ、ピーッと鳴り始めたケトルに一瞬視線を投げると挽きたてのコーヒー豆をフィルターにセットし始めた。 「俺が口出す事じゃなかった?」 「とんでもない。紫苑も翳狼の主人なんだぞ? きっと翳狼も大喜びだ。俺も嬉しい……紫苑が飛影だけじゃなく翳狼の事も気にかけてくれているっていうのは、本当に嬉しい」 「渡すまで翳狼には……」 「解ってる。ナイショ、な?」 「飛影にもだよ。話しちゃうと困る。台無し!」  思わず吹き出して、飛影は? と声を抑えて聞くと柚葉はお湯を注ぐ手を止めて小さく溜め息をついた。 「アレはもう紫苑のアトリエで準備万端だ」  約束通りに使っていなかった一部屋を片付けて、ちょうど良い高さの机や座り心地の良い椅子、大容量の収納棚を揃えてくれた柚葉はその部屋を“紫苑のアトリエ” と呼ぶ。  それが俺は面映(おもはゆ)くて嬉しい。 「あんまり待たせるとまた髪の毛毟られちゃう!」  部屋の扉を開けると、仮眠と休憩用に部屋の隅に置いたソファに飛影がちょこんと座っていた。 「お待たせ。飛影もクッキー食べる?」 「うむ。モデルさんというのはなかなか体力を使うからな! 糖分はしっかりいただこう!」  ぐんっと首を伸ばした飛影を膝に乗せると、隣に座った柚葉がソーサーにクッキーを小さく砕いてくれている。 「ポロポロ零すなよ?」 「承知した」  目を細めて食べやすい大きさのクッキーを器用に啄む飛影は、柚葉の次に俺が飛影を描きたいと言った事がとても嬉しいようで、完成が早く見たいとせっつかれる時もあればもっとゆっくり丁寧に描けと怒られる時もある。 「主人よ」 「なんだ?」 「紫苑の絵が完成したら、その、あの……」  いつもズバズバと物を言う飛影が言い淀む時は何か恥ずかしい時だと最近になって気付いた。 「どしたの?」  小さな丸い頭を人差し指でつるんと撫でると、クゥと喉を鳴らして首を回した飛影と目が合う。 「私のも、壁に飾って欲しいのだ!」  できれば主人の近くに、と小声でつけ足した飛影は答えを待たずにまたクッキーを食べ始めた。  隣の部屋の壁には、初めて描き上げた柚葉の似顔絵はもったいないくらい立派な額縁に入れて飾ってある。  あまりに恥ずかしいのでやめてくれと訴えたのに柚葉は俺の頭を撫でて 「紫苑の処女作だからな。大事な記念だ」  と言って断固譲らなかった。  飛影はその部屋に自分の姿絵も飾って欲しいと言う。  しかも、もじもじと照れて珍しく小さな声で……できれば近くに、なんて。  飛影はお調子者で口が達者でたまに柚葉でさえ(ケム)に巻いてしまうけど、本当に柚葉の事が大好きでたまらないんだと思うと飛影が可愛いくて仕方がなくなった。 「勇ましく描いてもらえるようにちゃんとモデルしろよ?」 「もちろん! さぁ紫苑、早くコーヒーを飲んで私を描くのだ!」  急かされるままコーヒーとクッキーを流し込み、丸テーブルの上で既に胸を張って翼を広げ、左脚を斜め前に突き出してポーズを決めた飛影の前に笑いをこらえながら座った。 「飛影、もうちょっと左脚を前に……そうそう!」 「カッコ良く描いて欲しいのだ! 私の内面から滲み出る品性というか……」 「ないだろ? そんなもんは」  途端に始まった柚葉と飛影の掛け合いは何度聞いても笑える。 「飛影、カッコ良いよ! がんばってね?」  そのポーズはツラいと思うんだけど、どうしても 「私の力強さと翼の美しさが際立つ、この姿が良いのだ!」  って言って聞かなかったんだから、がんばってもらわなくちゃならない。  ソファに腰掛けてコーヒーを飲む柚葉の気配は穏やかに俺を包む。  いつの間にか雑談も忘れ、俺は目の前の飛影の姿を画用紙に描き写す事に夢中になっていた。 「……ぅぐぐぐぐ……」 「ん? 飛影? 右の羽が下がってる」 「む、う……紫苑、休憩……」 「待って! もうちょっと! もうちょっとで羽が終わるんだ」 「紫苑? 休憩したら? ご飯食べよ?」  ポンと肩に置かれた手と声が柚葉のものじゃなかった。  慌てて顔を画用紙から外すと笑顔の朱殷(しゅあん)と顎を撫でながら画用紙を覗き込む白群(びゃくぐん)が立っていた。 「ぅえ!? いつ来たの? 柚葉は?」 「ああ! 朱殷殿に白群殿! 助かった! 紫苑の集中力がすごくてな、私はこのまま石になってしまうかと思っていたところだ! 身体中の筋肉という筋肉がバキバキでプルプルなのだ!」  紫苑……と若干情けない声で飛影に名を呼ばれて、俺は鉛筆を置いた。 「休憩しよ! え? ご飯って言った!?」 「ん。今、(おさ)が軽い物で良いだろうって言ってなんか作ってくれよるん」  お昼という事は、俺は約三時間もの長い間、休憩なしで飛影にあの酷なポーズを取らせていた事になる。 「ごめん、飛影! 夢中で気付かなかった!」 「良いのだ、紫苑。紫苑は主人がそうっと部屋を抜け出た事にも気付いていない様子だったのでな、私もモデルさんなのだからがんばらねばならぬと思ったのだ」  ギクシャクと羽を動かし、その場で足踏みをする飛影は画用紙から目を離さない白群に声をかけた。 「どうだ、白群殿! 私はカッコ良いであろう?」 「カッコ良いっていうか……」 「む?」 「紫苑、すごいな! 本当に絵が上手い! 朱殷も描いて欲しくなったんじゃないのか?」 「そりゃ描いて欲しいん! 決まっとるじゃろ!」 「私はどのように描かれているのだーっ!?」  覗き込もうとした飛影を咄嗟に手で阻むと画用紙の上に覆い被さった。  俺だけかも知れないし、俺だけじゃないかも知れない。  ただ、未完成の絵を見られるのがとてもイヤなんだ。しかもモデルにしている本人に見られるのは本当にイヤなんだ!  しょぼんと尾を垂らし、丸い目をウルウルさせている飛影に慌てて駆け寄って抱き上げた。 「飛影には完成形を見て欲しいの! 色塗りだってまだまだなのに、飛影にはちゃんと完成したのを見て欲しいの!」 「本当か? 完成……させてくれるのだな?」 「そうだよ。でなきゃ描かせて? なんて言わないよ! きちんと完成させて、綺麗な額縁を柚葉に買ってもらって、それを見て欲しいんだ」  ちゃんと完成させて、ちゃんと飾るよ。  あんなに誇らし気に左脚を誇張して、さも主人からの贈り物を描いてくれと言わんばかりのポーズを勝手に決めた飛影の気持ちを考えたら途中で投げ出すなんて絶対にできない。 「ほら飛影! 紫苑も約束してくれたんやし、見るのは完成してからね?」  俺から飛影を奪い取った朱殷に飛影は半泣きで 「う、嬉しい……お二人も聞いたな? 紫苑が完成させると約束してくれたのだ!」  聞いてたって! と呆れる白群の言葉に大げさな程オイオイと声を上げ、飛影は小さな頭をいつものように朱殷の胸の谷間に埋めた。  ……相変わらず、こういうところはちゃっかりしてる…… 「紫苑? 早く片付けて長のところへ行こう。留守は俺達が守るから安心しろ」 「へ?」 「うん? なんだ、聞いていないのか? かなり遠くへ出かけるから空を飛べる天翔(てんしょう)を貸してくれと言われたんだが…」  俺が翳狼を驚かせたいなんて言ったからだとそう深く考えなくても解った。 「翳狼は?」 「おう、翳狼にはな、年越し準備の為の大荷物を運んでもらう事になっててな。本当に驚く程の大荷物だからな、天翔だけじゃ少々可哀想なんだ」 「そうなん! お酒じゃろ? 乾物じゃろ? 当日には乾物以外の料理もあるしな? 一気に全部運ぶなんて絶対ムリじゃもん。私らどっちか乗せた上にあの大荷物を運ぶなんて、天翔からしたら最悪の大晦日になってしまうん。じゃから翳狼の力も借りたかったんよ! 長からの申し出は私らにとっても渡りに舟なんよ」  お酒じゃろ? と言って指を一気に三本折った朱殷の姿が少し怖い……。  三本指の意味するのは、一升瓶三本だろうか。それとも……。  深く考えるのはやめよう。とバレないようにゆっくりと息を吐き出した時、ドアが開いて柚葉が覗いた。 「できたぞ。サンドウィッチで良いだろ?」 「そんだけ!?」  不満そうな朱殷は、なんかあるじゃろ? と小声で呟き柚葉を見上げる。  柚葉はそんな朱殷にチラリと視線を投げると俺に向かって手を伸ばした。 「紫苑はコーンポタージュが好きだったな?」 「長! それって!」  ぴょんと飛び跳ねた朱殷は喜びのあまり抱いていた飛影を放り投げてしまい、咄嗟に手を伸ばして(ツタ)で絡め取った。 「大丈夫?」 「ありがとう、紫苑。棘が出ていないからチクチクしなくて嬉しい」 「良かった。さ、飛影もご飯に行こう?」 「紫苑、ちょっとだけ、ちょっとだけマヨネーズが欲しいのだが……」  モデルをがんばったご褒美をと言いたい飛影に柚葉がのんびりと声をかける。 「たまごサンドも作ったからな。あれはゆで卵とマヨネーズだったな。ハムサンドはハムにレタスにマヨネーズだったかな。食うか?」 「いただく!」  飛影と朱殷のおねだりをあっさり解決した柚葉は変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま二人を見て 「うるさいから早く来い。翳狼と天翔を待たせているんだぞ」  と俺の手を引いて部屋を後にした。 「私の扱いがどうも雑な気がするのだ……」  蔦に絡め取られたまま、白群に抱えられて運ばれる飛影の小言には聞こえないフリをした。

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