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第四十話 想定外の出会い

 帰り道は荷物の多さから、実際の空を飛ばずに鬼道を進んだ。  あの急上昇と急降下に両手いっぱいの紙袋が耐えられるはずもない。 「天翔(てんしょう)は楽しかったか?」 「はい、(おさ)。人の世は目まぐるしく変化する……建物も人の装いも。なんとも楽しゅうございました」  本心から楽し気な天翔の声に安心していたら、一転不思議そうな声が聞こえた。 「あの、紫苑(しおん)様? 人間の女子(おなご)は寒くはないのでしょうか?」 「へ!? そりゃ寒いと思うよ? なんで?」 「あんなに薄着で脚を晒して寒くはないのかと」 「お前、覗いたのか!? 犯罪だぞ?」 「そんなっ! ワザとではありませぬ! 仕方がないではありまぬせか? 目を開ければ、その、そういう景色なのです……私だって目のやり場に困りました! それに! 見えたのは太腿まで! 安心してちゃんと両の目を開けられたのはお二人がどこぞお店に入られた時のみ!」  憤慨する天翔の声を聞きつつ、確かにそれは仕方がない事かも……と我が身に置き換えて納得する。  見てやろうと企んで、卑劣な覗きや痴漢行為に及んだワケではないし、それで天翔を覗き魔呼ばわりするのも少し気の毒な気がする。 「俺のクラスの女の子が言ってたけど、寒さよりオシャレが勝つんだって!」 「ほう! なんと美意識の高い!」  乙女心は昔も今も変わりませんね、と天翔は朱殷(しゅあん)を引き合いに出して笑った。 「朱殷様も……他の地の管理者にこっそりお願いして、雑誌? というんですか? 最近の流行りの装いや小物などが紹介されている本をたまに買って来てもらっては、それはそれは楽し気に眺めていらっしゃいます」 「朱殷が? 可愛いね」 「はい。白群(びゃくぐん)様があまり興味を示されない時はぷっくりと頬を膨らませて……お可愛らしいんですよ」  くすりと笑う天翔につられて俺も容易く想像がつくその光景を思い描いて笑った。  女の子の大好きな物は男には理解できない部分も多いのは事実だし、白群は朱殷を丸ごと愛しているから身に着ける物やなんやかんやには無頓着そうだ。以前朱殷にあげたレディグレイの缶も 「何に使うんだろう?」  と真剣に首を捻っていたのだ。  ただ手元にあるだけで嬉しいとか、使わなくてもインテリアとして飾るとか、そういう発想はないようだった。  そんな白群に朱殷が雑誌の一ページを指差して 「辰臣(シンシン)、見て! なんで? 見てよ! 可愛いやん!? 見てってーっ!」  と何度も繰り返し白群を呼ぶ様子は想像だけでも充分に微笑ましい。 「さあ、そろそろ館の裏庭に着きますよ」 「ありがとう」 「いいえ、きっと翳狼(かげろう)殿も飛影(ひかげ)殿も大喜びなさるでしょう……そのお手伝いができたならば私も嬉しゅうございますよ?」  薄ぼんやりとした鬼道の終わりが見えると、天翔は微妙に翼の角度や羽ばたく強さを変えて速度の調節をして、俺と柚葉が可能な限り快適な着地を味わえるようにと苦心してくれた。 「……うわぁ」 「何事だ……」  天翔へのお礼も労いの言葉もすっ飛ばして、俺達は裏庭を忙しなく動き回る鬼神の多さに度肝を抜かれた。 「あっ! お帰りなさいませ」 「お帰りなさいませ。長、伴侶様」 「お久しゅうございます。この度の伴侶様のご活躍、我ら皆誇らしく思っております」  口々に柚葉と俺に言葉を投げかけては、手に持った荷物を置き、冷たい地面に膝をつき頭を下げる鬼神達。軽く数十人はいる。  伴侶様……というからにはもしかしなくても俺の事で、どうしたら良いのかと柚葉の服の裾を引いた。 「皆頭を上げて立て。服が汚れるし寒いだろう」 「ありがたいお言葉……まだ中にご挨拶のまだの者共がおります故、長と伴侶様のお時間が許すようであれば、一目そのお顔を見せてやってくださいませ。皆喜びましょう」 「では我らは作業に戻らせていただきます」  一斉に立ち上がり、荷物を抱えて歩き出した背中に思わず、あ、と声が出た。  その小さな声にも、耳ざとい鬼神達はザッと歩みを止めて、何かと振り返る。  俺、まだ、してない。 「あの、初めまして! 紫苑といいます……えと、よ、よろしくお願いしますっ!」  深く腰を折ると頭の上から溜め息が聞こえた。  そして目の前には再び地面に膝をつき頭を下げる鬼神達の姿が視界に入った。 「――え?」 「紫苑、頭を上げてやれ。お前が頭を下げたままだとこいつらも頭を上げられん」  簡単に頭を下げるなよ! との柚葉の小言を聞きながらもついこの間まで人間だった俺からしたら自己紹介で一礼するなんて当たり前の事で……これも序列の関係だとは思うけど、戸惑ってしまう。 「でも俺、新入りだから……」  申し訳なくて呟くと、俺の正面で顔を伏せていた鬼神がゆっくりと顔を上げて俺を見た。  彼の目は優しく、敵意は感じられなかった。 「畏れながら申し上げます。確かに貴方様は鬼神となられた日の浅さでいえば新入りかも知れません。が、我らが長が心底惚れ込み、また長の隣に相応しい力を示された。そんな貴方様に、我らは異議も異論もございません。お仕えするのみ」  彼の言葉にその場にいた全員が何度も頷き、俺はとりあえず立って欲しいと必死に伝えた。 「貴方様はお話に聞く通り……」 「うぉーい! お前ら何サボってんだよ……って! 長、紫苑、お帰りなさい! 天翔もお疲れ!」 「白群……そのカッコ……」  威勢良く現れた白群は額に捩り鉢巻きをして、手には軍手、足元は地下足袋に下駄という出で立ち。 「早く資材を三階に持ってってやってくれ! でないと年内に終わんねぇぞ!?」  首からかけたタオルで口元を拭いつつ檄を飛ばす白群の勢いに押されて、伏せたままだった鬼神達は皆立ち上がると、会釈をして館の方へと消えていった。 「年内にって、何してんの?」 「ん? だから三階と四階を使えるようにしてんだよ? 長、見ての通りの大荷物故、勝手にココに鬼道を開けさせていただきました」  きちんと背筋を伸ばして柚葉に一礼して俺の肩を叩くと、良いのはあったか? と声を一段低くして囁いた。 「うん。気に入ってくれると良いなって思ってる」 「そうか。楽しみだな? でも今、翳狼は朱殷(しゅあん)にこき使われて鬼国へ荷物を取りに行ってるから、戻るまでもう暫くかかるぞ」 「そうなんだ……夕食が終わった時にでも渡すよ。で? 飛影は?」  あー。飛影なぁ……と若干棒読み気味に呟いた白群は柚葉に視線を渡し、くすりと笑った。 「ちゃんと手伝ってくれていますよ! ご安心を。今は……さっきのヤツらと一緒に三階にいます。覗いてみたら……ぷっ……良いですよ。俺も戻らなきゃ」  とにかくすごいから、と必死に笑をいをこらえる白群に言われれば何がそんなにすごいのか当然気になる。 「三階だな? 行こう。紫苑、掴まって」  荷物ごと俺を抱きしめた柚葉の力を借りて一瞬であの日以来立ち入らなかった三階の床に爪先を着けた。  あの日見た壁紙の剥がれ落ちた、いかにも廃墟という空間はそこにはなかった。  綺麗に貼り直された壁紙。  試しに近場の部屋を開けてみれば、粉々に朽ちた家具の代わりに新しく立派な家具が置いてあった。  床も貼り直したようで、黒く染み込んでいた血の汚れを一つとして見つけられない。  匂いも、家具や床に使われた木の良い香りがする。 「変われば変わるものだな」  ほう、と感心して溜め息を零した柚葉の意見に頷いていると、少し離れた部屋から歓声が上がるのが聞こえた。  聞き耳を立てなくても少々の音なら拾ってしまう聴力は声の主を簡単に割り出した。  飛影だ。  飛影と部屋の改装を行ってくれている鬼神達だ。 「ほう! 早速紫苑に会ったのだな! 紫苑は素晴らしいだろう!」 「ああ、誠に素晴らしい好青年。自分は新入りだからと我らに深々と頭を下げてくださった! なんと謙虚で礼儀正しいお方かとびっくりした」 「頭を下げた? 本当か?」 「本当だ。あの場にいた者全員が見ておる! 長の伴侶である事を鼻にかけもしないお心の美しい方と見たぞ」 「そうなのだ! 紫苑は誰にでも分け隔てなく謙虚で礼儀正しく、またものすごく優しい。あの異国の無礼者が散り逝く間際、慈悲の心をもって抱きしめたのだぞ! 私はあの光景を忘れぬ! 紫苑はただ強いだけではない。真の強さを持っておる私の自慢の主人(あるじ)なのだ!」 「俺達も会いたいな!」 「飛影殿、どうか長に口添えしてはくださらんか? 長にも久しくお会いしていないのだ。ご挨拶したく思うは当然だろう?」 「むふふ、会いたいだろう? 紫苑は強く優しく美しい……むふふ」  ああ、どうしよう。  飛影のせいでものすごくハードルを上げられた気がする。  俺は気が弱いだけで優しくはないし、初対面なのに横柄な態度に出れる程肝が太くないだけだ。  鬼化(きか)だって最近覚えたばかりだし、覚えたからってできれば積極的には戦いたくない臆病者だし、だから……。 「ゆ、柚葉! 早く飛影止めて! 恥ずかしくて死んじゃう!」  あわあわと柚葉の手を握って揺さぶれば、きょとんとした柚葉と目が合う。 「何故? 飛影は嘘は言っていない。紫苑は本当に素晴らしい俺の連れ合いだが……? 止める必要がどこに?」  ……主従関係が長いと、変な所が似るんだろうか?  こうしている間にも飛影のお喋りは止まらないし、まだ会ってもいない鬼神達の中で勝手にものすごい“俺”が作り上げられてしまう。  焦った俺は、以前飛影からもらった羽根を慌てて取り出して、黒く艶やかなそれに唇をつけて飛影の名を呼んだ。 「むむむっ!」 「どうされた? 飛影殿?」 「呼ばれた……紫苑に呼ばれたのだ! むふふ、私は行かねばならぬ! 皆の衆、また会おう! 今行くぞ、しおーんっ! って、あれ? そこにおるではないか!」 「なんと!」 「そこに!?」 「お会いできるぞ!」  部屋から飛び出して来た飛影の余計な一言で、部屋の中から鬼神達が我先にと廊下へ雪崩出て来てしまった。  その結果、あっという間に廊下がひれ伏す鬼神達でいっぱいになった。 「長、伴侶様、ご無事のご帰還なによりでございます」 「ああ。お前達も年の瀬の忙しい中、こんな雑用をよく頼まれてくれた。感謝する」  微塵も動揺を見せない柚葉はいつものように柔らかい声音で語りかけ、いつものように俺の肩を抱く。  顔を上げない彼らからは直接見えないだろうけど、動いた事は気配で解るだろう。 「いいえ、長と伴侶様の為ならば」 「あの、皆さん……お疲れ様です……」  何か言わなければと思ったのに気の利いた事は出てこない。  ハキハキとした鬼神達の声とは真逆の上擦った自分の声が情けない。  俺はまた柚葉に恥をかかせてしまうかも知れない……そう思った途端に柚葉が声をかけて全員の頭を上げさせた。 「飛影から散々聞いているだろうが、これが俺の紫苑だ。よろしく頼むな」  柚葉を見上げる鬼神達の目は皆揃って畏怖と尊敬の色に染まっていた。  そんな彼らからは俺のまだ知らない柚葉がいるんだと感じる。  それをいつか俺も知れるだろうか? 「もちろん。紫苑に隠す事は一つもないからな」  目尻に落ちる柚葉の言葉と唇が嬉しかった。 「次に鬼国に渡る際は紫苑と共に渡る。今日ここへ来ていない者達にも周知してくれ……良いな? 白群」 「もちろん。すぐにでも」 「あとは任せた。俺達は上で少し休ませてもらう。行こう? 紫苑」  ぐぃっと肩を抱く腕が方向を変えようとするのに抗って、目の前に並ぶ鬼神達へ俺はもう一度頭を下げた。  また柚葉に怒られるかも知れないけど、俺が体現できるのはこんな事くらいだ。 「紫苑です。よろしくお願いします。あと、皆さん、疲れたら上に休憩しに来てください。お茶を淹れます……良かったら一緒に飲みま……」 「お前達! 休憩する順番で揉めるなよ?」  低く響いた柚葉の声に言葉尻を切られ、恐る恐る腰は曲げたまま首だけで柚葉を見上げると……。  呆れたような苦笑いを浮かべた柚葉がゆっくりと手を伸ばして俺の頭を掴んだ。 「いだいっ」 「頭を上げろ」  むんずと掴まれた髪を引かれて頭皮が悲鳴を上げた。 「長、早く上で紫苑と寛いでください。休憩の順番は俺が仕切るんで安心してください」  涙目で柚葉を睨む俺と呆れ顔の柚葉に明るく声をかけて場を収めてくれた白群に背中を押されていつもの五階へと戻った。 「柚葉も飛影もそっくりだ!」  むぅ、と尖った唇をツンと突く柚葉は苦笑いを浮かべたままだ。 「そっくりってヒドイな」 「ヒドイのは柚葉の方だよ。あんなに良い事ばっかり大げさに言われる俺の身にもなってよ! 初対面の人達なのにさ、お辞儀しちゃうのはしょうがないじゃん……」  ソファに座らせた俺の頭をヨシヨシと撫でて、伸びた頭皮を労わる柚葉は何度もごめんと繰り返して、その度に尖ったままの唇にキスをする。 「飛影が言った事は真実だし、紫苑が頭を下げたままだとあいつらも動くに動けんだろう? 作業の手も止まれば休憩もできまい。それに……」 「うん?」 「休憩という名目でここでお茶を飲むなら、紫苑のお披露目は充分過ぎると思ってな。あいつら見過ぎだ。俺のなのに……ったく、阿呆みたいに口を開けて見惚れおって……シメるか」  口を開けていた人なんていなかったと思うけど……。  俺の事となると、途端に独占欲の塊になる柚葉の事は嫌いじゃない。っていうかむしろ可愛いし、嬉しい。 「紫苑? 誘ったのはお前なんだから、お茶を淹れるのは紫苑な?」 「もちろん!」  への字口の柚葉が何を考えているのかなんて簡単に解る。  お茶を淹れにキッチンに立っている間、俺と鬼神達だけにするのが嫌なんだ。  それは俺に危害を加えられるかも知れないっていう不穏なモノじゃなくて、純粋にやきもち。  当然ながら俺も他の鬼神達の前で柚葉にお茶を淹れさせるつもりなんてない。 「頭領はどーんと座ってて?」  柚葉の腕を引いて隣に座らせて、頰に唇を寄せるといきなり膝の上に乗せられた。 「ふぇ?」 「紫苑は本当に……愛くるしい、な」 「……なっ!? ん、ぅ……」  濡れた舌で唇を舐められてアッサリと口を開いた俺は咥内を我が物顔で蹂躙する柚葉の舌に自分のを絡ませようとして喉を鳴らした。 「……ん、ぁ、人が来る……!」 「うん、来る、な……うるさいのが」  俺の顔を見せるのはもったいないから、とキスを中断して柚葉は俺の首元に顔を埋めて甘えている。 「帰っとんて!? ありゃ、お邪魔?」  勢い良くドアを開けて飛び込んで来た朱殷は俺と背後の柚葉にいたずらっぽく笑った。 「いや、来るのは気で解ったからな……問題はそこじゃない」 「何よ?」 「ノックくらいしろ」 「じゃって……ちゅうしとるん見たかったん」 「見せるか、阿呆」  トントンと自分の唇を人差し指で叩く朱殷は柚葉に怒られてもめげずに、ひょこっと肩を竦めただけだった。 「三階(した)が休憩の話で盛り上がっとったん。 お茶の準備も大変じゃろうなぁと思うてお手伝いに来たんよ? 紫苑、遠出から帰ったばっかりで大丈夫なん? 疲れてないん?」 「ん、大丈夫。すごく楽しかったし。じゃあお湯沸かさなきゃね」  膝から降りようとする俺を柚葉が阻止して、朱殷に向かって顎をしゃくった。 「そこの紺色の紙袋に菓子が入っている。出してやってくれ」 「やった! お土産! んーでも、足りんかも」 「……何人連れて来た?」 「とりあえず大工仕事の得意な男衆(おとこし)を……三十人くらい?」  十人一組で来てもらったとして、三回。  ヤカン一つじゃ絶対に足りないし、急須も湯呑みも休みナシだな。 「行ってくるね」  首だけ回して柚葉の喉に、待っててねとキスを一つ。 「紫苑のお茶が楽しみだ」  お返しのキスは唇に、だった。  見えてないとは思うけど……柚葉がワザとちゅっと音を立てたから、背後で興奮した朱殷が、ふぅむむぅと荒ぶる鼻息をどうにか殺そうとする音が聞こえた……結果あまり消えていなかったけど……。  お湯が沸く前に最初の休憩組がやって来て、お茶汲みの手伝いに来てくれた白群と三人で、こっそりお菓子を食べたのは、みんなにはナイショのお話。

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