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第五十一話 艮の檻

「なんとも美しく荘厳な式だったのだ! 我らが主人(あるじ)にまっこと相応しい素晴らしい式だった!」 「忘られぬ思い出がまた一つ増えました」 「私は一足先に皆の元へ戻って儀式は滞りなく終了した事を伝えて参る!」 ばさり、と羽ばたいて空高く舞い上がった飛影(ひかげ)は祝福のつもりか上空を何度か旋回してから一直線に飛び去った。 「飛影、ご機嫌やねぇ」 「翳狼(かげろう)も相当だぞ?」 白群(びゃくぐん)の言葉通り、翳狼は冷えてしまった俺と柚葉(ゆずは)をどうにか一気に暖めようと大きな身体で包めないかと試行錯誤中だ。 「寒さは足先指先からと申しますので、まずは足元を……ああ! 天翔(てんしょう)! 貴方の方が身体も大きいし、何より羽毛! 主人お二人を暖めるお手伝いをお願いします!」 天翔をと言い切った翳狼に白群は吹き出して、天翔も気を悪くした風もなく大きな翼を広げて俺達を冬の風から守ってくれた。 「落ち着かれませ、翳狼殿。長が紫苑(しおん)様を凍えさせたまま放置されるわけがございますまい?」 「それは解っています。それでも風は冷たい。それに紫苑様は初の鬼国。何かあってからでは遅いのです」 からかうような、それでいて優しい天翔の言葉にピシリと言い返した翳狼はどうも俺に対して柚葉並に過保護だ。その過保護っぷりにはさすがに俺の涙も止まった。 守れなかった、と悔やんでいたから未だにそれを引きずっているのかも知れない。俺はそんな事思ってもいないのに……。 「大丈夫! 充分あったかいよ?」 「しかし紫苑様、濡れた着物はさぞかし冷とうございましょう? 白群殿! 早く温かいお茶を!」 大丈夫だって、となだめると翳狼は困ったような切なそうな表情(カオ)をして、いつもはキリッとした切れ長の目尻を見た事もない程に下げて俺を見上げた。 「安心しろ、紫苑も俺もすぐに乾く」 「長の過保護が感染(うつ)ったんじゃな」 カラカラと笑う朱殷(しゅあん)の声が、滝が流れ込む音のみが響く森に木霊した。 「紫苑の茶にはほんの一滴、酒を入れてある。だから、すぐに身体の芯からあったまるぜ」 「ま、俺が温めるから問題ない」 すぅっと柚葉の指が頭上に四角を描くと、すとんと降りてきた結界の中に閉じ込められた。 柚葉と二人。 柚葉は微笑んで 「さぁ、暖まろうか?」 といたずらっぽく言い、ふたたび俺を抱き込んだ。 「え、え? あ、あったかい」 足元の枯れ落ち葉がクルクルと旋回して、適温の風が柔らかく吹き上がる。 まるで……。 「乾燥機の中にいるみたい」 「これなら着物も早く乾くしな。問題ないだろう?」 大きく頷いて、結界の外でちょこんとお座りして俺達を見ている翳狼に 「すっごくあったかいよ! これなら着物もすぐに乾くよ!」 と手を振ると、翳狼は安心したのか、辺りの砂や枯葉を撒き散らす勢いで尾を振って喜んでくれた。 朱殷と白群は翳狼の頭を一撫でしてから、茣蓙(ゴザ)や卓を片付け始め、先に戻ると言い残して、わざわざ少し離れた場所から天翔を使って飛び立った。 「お前も入るか? 乾くまでまだ時間がかかる」 「滅相もない! それに私は今、冬の寒さに耐えられるよう冬毛となっておりますゆえ、ここでお二人の準備が整うのをお待ちいたします」 「冬毛……そう言われれば……確かにもふもふが更にもふもふ……」 思わず笑ってしまった俺に翳狼は耳をぺたんと寝かせて、かっこ悪いですか? と真剣に聞いてくる。 「ううん。かっこ良いし、背中もあったかかったし、最高だよ!」 「安心しろ。お前はいつも気高く美しい。さて、翳狼よ。俺達の装束が乾いたら、東西南北の結界を張り直しに行く。あと、(うしとら)の檻へ。頼むな」 「畏まりました。どこへでもお連れいたしましょう」 「ね、東西南北の結界っていうのは解るけど、艮の檻って何? 名前からして穏やかじゃないけど……」 怖いというよりは、いざその艮の檻というものの前に立った時に変に取り乱して柚葉に恥をかかせたくないっていうのが本音だ。 柚葉は俺の頭を撫でると、そうだなぁ、と呟いて 「鬼国に入った時、何か感じたか?」 と問うた。 鬼国に入った時は、ずらりと並ぶ鬼神達の多さに驚いたのと……。 「あ。どこかから、何だか嫌な感じがした。それの事?」 「そうだよ。この一年に人間界で死んだもの達が集められているんだ。そこには元人間もいれば元動物もいる。等しいのは皆、恨みつらみを抱えているって事だけだ。まぁ、だからこそ死んで後、鬼国入りしたんだがな」 「動物も恨むの?」 そう言ってから、俺を襲った妖魔が人間に虐げられて殺された動物の集合体だった事を思い出した。 「人間の魂と人間に恨みを持つ動物の魂が一つの場所にいるの?」 「死ねば人間(ヒト)も動物もない。ただの魂……しかも今は怨念渦巻くただのヘドロだ。俺はそいつらに規則というやつを教えてやらなきゃいけない。もう死んだんだって基本から、力と分別をつけなきゃ人間界には出られない、とか。生きた人間を襲わない、とか。そんな事をしたら管理者に魂ごと消されるぞ、とか……まあ、簡単な事だ」 「そう、なの?」 ルールを教えるってなかなか大変だと思うんだけど。 俺だってまだまだ鬼国や鬼神のルールが解っていないのに、恨みでいっぱいの魂はそれを理解する余裕があるんだろうか。 「簡単だよ、俺にはね」 そう呟いた柚葉の顔がつらそうで、何も言われていないのに俺は柚葉の着物の袖を掴んで 「絶対傍にいるからね!」 と自分でも驚く程はっきりと宣言した。柚葉は一瞬目を見張って、くしゃりとまだ少し濡れた俺の髪を優しく掴むと 「頼もしいな、俺の伴侶は」 と言って、頰にキスを一つくれた。その唇が頰を滑って俺のと重なって、柚葉の気が流れ込む。 「さて、少し温風を強めようか。あまりのんびりしているワケにもいかない」 「宴会ですよ、紫苑様! お正月ですし、お二人の婚儀が滞りなく行われたお祝いを皆が準備してお戻りを待っておられる事でしょう」 「宴会!」 「俺としては宴会はどうでも良いな。紫苑を無遠慮に舐め回すように見られるのは不愉快だ」 ……そこまで露骨な鬼神(ヒト)、いないと思うけど…… 「宴会よりも(はなだ)の酒蔵や、水車小屋や、今の人間界にはなかなかないものを見せてやりたい……って冬だからな、殺風景だが」 いきなり大勢の鬼神達に囲まれての宴会よりも、のんびりと酒蔵を覗いたり、水車小屋を観察して歩く方が気が楽なのは確かだ。 きっと柚葉の事だから、上座に座るんだろうし、その隣は俺なワケだし。 「見たい! 水車小屋、見たいよ!」 「よし。じゃあ、ささっと宴会抜けて散歩に出ような」 逃げ癖を発揮した俺の頭をよしよし、と撫でてくれる柚葉の優しさに頷いて、果たして頭領が宴会を抜け出して良いのかと悩んだ。 俺のせいで柚葉の築き上げてきた大切なものが崩れてしまったらどうしよう? 気の揺らぎは簡単に伝わってしまう。 「気にするな。年始の挨拶さえしてしまえば、あいつらは勝手に飲み食いして騒ぐだけだ……さ、乾いたな? 出ようか?」 うん、と俺が頷く前に翳狼が柚葉を見上げて 「本当ですか? お二人共、髪の根元もしっかり乾いておられますか? 襦袢は? 帯は? 幾重にも巻かれたのでしょう?」 とまるで詰問だ。お二人共、というわりには視線は俺から外れないし、クエスチョンマークをつける時だけ柚葉の顔を伺う。 「翳狼も過保護だなあ」 と自分の事は棚に上げた柚葉は翳狼を手招きして呼ぶと結界の中へと招き入れた。 「ほら、お前の立派な鼻で確認してくれ。どこか水気の臭いが残っているか?」 くふん、と鼻を鳴らした翳狼はクンクンと俺と柚葉を嗅ぎまわり 「まるで春先の太陽のような匂いがいたします。合格です!」 と柚葉に答えて俺達を笑わせてくれた。 翳狼のお墨付きをもらった俺達はまずは東の結界へと向かった。 柚葉が簡単だと言った通り、スッと手を掲げ今まであった古い結界をゆっくりなぞると、まるで塗り直された白壁のようにキラキラとした結界が古い結界の上を覆った。隙間は、ない。猫の子どころか、蟻の子一匹すら通れそうにない。 「な? 簡単だろう? これを残り三ヶ所だ」 「そんな事……こんなに隙間のない綺麗な結界を一瞬で作っちゃうなんて、やっぱり柚葉はすごいよ!」 俺もそこそこ結界を作るのは得意……だけど、こんなに完璧な結界を作ろうと思ったら柚葉の何倍もの時間がかかるのは目に見えている。 「いつの日か、手伝ってくれよ? 紫苑」 「へっ!? が、がんばる、けど、こんなにはできないよ」 「紫苑ならできるよ。丁寧な仕事をするだろうな」 「あ、でも俺、頭領じゃないから」 「問題ない。便宜上、ヤツらは紫苑を伴侶様、と呼ぶだろう。だが、だからといって俺より格下というわけではない。俺達は全くの同格なんだよ、紫苑? さ、次は西の結界へ行こう」 西の結界、南の結界、北の結界の全てを柚葉は一瞬で真新しく強い結界に張り直し、俺を手招きした。 「次は最後の艮の檻に行く。いつも俺は朱殷に怒られるからな、先にちゃんと言っておかないとな。さっきも言ったとおり、そこはとても醜悪だ。見た目だけじゃなく、渦巻く想いも臭いも全てが醜悪だ。できれば俺は紫苑にあんな汚いモノは見せたくない」 「イヤだ。一緒に行く。言ったでしょ? 絶対に一緒に行くってば!」 柚葉が見せたくないというものは見なくちゃいけない。見て、何が柚葉の心を傷めるのか、それを柚葉がどう処理し続けてきたのか、ちゃんと知ってちゃんと一緒に背負いたい……なんていうのはおこがましいのは充分承知だけど。 「俺も、解りたい」 「……忘れていたよ、俺の紫苑はとても強いんだった」 眉を下げて微笑む柚葉は嬉しそうでもあり、まだ少し迷っているようでもあった。 「ご安心を、主人殿。紫苑様に害をなそうという輩は全て私が排除いたします。参りましょう?」 早く片付けて宴会場へ顔を出さねば、と翳狼は柚葉の着物の裾をツンと咥えて引いて、俺を早く背に乗せるようにとせっついた。 北の結界と東の結界の中間辺りの森の奥の奥にそれはあった。 天然の洞窟を利用して作られた艮の檻は真っ黒の扉の奥には更に鉄格子。 柚葉が教えてくれたように嫌な臭いが鼻につく。そして、この感覚は鬼国入りした時に感じたアレだ。 柚葉が一歩中へ入ると、床や壁に張り付いて蠢いていたモノ達が一斉に檻の奥まで下がった。 強大な気を持った者への恐怖と、隙あらば襲いかかろうという身の程知らずな本能。 うぞり、と動いた液状の物体に視線を落とした柚葉は静かな声で、既に死んでいる事や鬼国のルールを語り聞かせた。 それはやはり残酷なルールだ。 形を持てる程に強くなれ、ということはそれだけこの檻の中で喰らい合え、という事だ。 「再び檻の扉が開くその時に、また改めてこの国の規則を話してやる。今の状態で理解できているか怪しいしな」 憎しみだけを抱えたモノだけが半年も閉じ込められる。強くなれば外に出られる……それを理解するだけの頭を持ち合わせた愚かなモノが、この中で一番強い者を喰らおうと醜い叫び声を上げて柚葉と俺に飛びかかって来たのを、柚葉は一歩も動かず手をかざしただけで弾き消した。 びしゃっとイヤな音を立てて、壁に散ったソレはもう動く事はなかった。 「まだ理解できんか?」 そう問いかける柚葉の声音はひどく哀しそうだった。思わずきゅっと手を握りしめた俺に柚葉は微笑んでくれる。 「な? 俺には簡単だろう?」 と。 死ぬ間際に残った怨念だけで存在しているモノを消す事なんて、柚葉には簡単過ぎる。 でも簡単だからってつらくないとは思えない。 だからそんな哀しそうな顔で微笑むんだ……。 「これも俺の務めだからな。さぁ、行こうか。もうここには用はない」 俺の肩を抱いて踵を返した柚葉の背中に、懲りないヘドロがまた一つ飛んで来るのが頭の中に浮かんだ。 「紫苑!?」 「柚葉にだけ、させないから。もう、一人でさせないから」 肩越しに出した掌から伸びた(ツタ)は空中でヘドロの真ん中をぶち抜いていた。 ベタベタ、ボタボタと魂の形が崩れていく音が冷たい檻の中に響く。 「……俺はまた紫苑の先見に救われたな」 「柚葉を攻撃するのは許せない」 俺が手出ししなくても、柚葉ならきっと気の力だけで弾き消した。それでも俺は頭に浮かんだ映像の先を柚葉にさせたくなかった。 俺のエゴ。 「紫苑様、すごい! 真に貴方様はお強い!」 私ごときがお守りしようなどとは出すぎた考えでしたね、と耳を寝かせた翳狼の首元を撫でて 「そんな事ない。俺が失敗しても翳狼が反応してくれるって信じてるから」 と言うと寝た耳が少しだけ立ち上がった。 「俺が何か失敗しても絶対にフォロー……援護? してくれるでしょ? だからね、俺は失敗覚悟でできるの!」 ホントだよ? と伝えると、洞窟から抜けた瞬間に翳狼に飛びつかれた。 もふもふの冬毛はあったかくて気持ち良かったけど、ただでさえ大きな身体と勢いのついたそれを受け止めるのは、心構えができていなかったせいで少々よろめいてしまった。 そんな俺を支えたのはもちろん柚葉。 「紫苑様、貴方様が主人で私は本当に本当に幸せでございます!」 「子供返りか?」 からかう柚葉に翳狼は小さく鼻を鳴らして 「こればかりは、その、嬉しい時の……本能でございます」 とポソッっと答えて俺から離れると、恥ずかしかったのか早く背に乗れ、と急かした。 「さ。陰鬱な仕事は終わりだ。もう宴の準備も整っただろうし、戻るか。やっと正月らしい正月になるかな」 くすっと笑う柚葉からはなんの気負いもなくて、それが俺にはつらかった。 淡々とこなす軽作業のように、あんな事を何年も何十年も何百年も……ひょっとしたらもっと長い間、たった一人で……。 絶対に一人で、なんてさせないぞ! と俺は心の中で二回目の新年の誓いを立てたのだった。

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