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第五十三話 わがまま
静寂の後は拍手喝采だった。
天照 自らが舞う舞はその場にいた全ての者の心を揺さぶったに違いない。少なくとも俺は揺さぶられた。その証拠に、初めて見る舞に、初めて聴く雅楽に涙が止まらない。
舞が終わると楽師達は深く天照と柚葉 と俺に一礼して煙のように消えた。
「……気に入ってもらえたかの?」
「ありがとう、ございます……すごく素敵で、すごく嬉しくて……」
「ならば伴侶殿、早う涙を拭いて、ご褒美に一献注いでおくれ。久方ぶりに舞うと喉が渇くな!」
零さないように、と緊張しつつ天照の輝く細い指に支えられた盃にお酒を満たすと、横からずいっともう一つ盃が突き出された。
「な? 俺にも!」
「お前は本当に遠慮を知らんな」
呆れた柚葉の声に槐 は溜め息をつくと
「油揚げとお稲荷さんを要求していないだけ、まだ慎んでいると思うぞ」
と悪びれる風もなく答え、だよな? と朱殷 の顔を見る。
「なんだ、それは。催促か?」
「うんにゃ。単に事実を伝えてんの。ねっ?」
話を振られた朱殷は思案顔で頷くと
「確かに催促はされとらんのん。今のが催促ならお出しした方が良いじゃろうか?」
と柚葉に問う。突然の珍客でも柚葉の友人であり、お祝いに来てくれたワケだし、お正月におもてなし一つしないのはどうだろう? と悩んでいるようだ。
「要らぬよ、姫。こやつの軽口なぞ無視しておけばよろし」
「はぁ……天照様がそう仰られるならば」
それにしても、と天照が宴会場を見渡して首を傾げた。
「おかしいの。他の者の使い魔は揃って主人 の傍に控えて共に宴会を楽しんでおるようだが?」
「それは……」
料理を取り分けていた朱殷の手がぴくりと微かに震えた。
「使いに出ておるわけではあるまい? 頭領、副頭領の使い魔が働いて格下が遊んでおるわけはないわなぁ? どこに隠した?」
「……お前が煩いからだ」
苦虫を噛み潰したような柚葉と、ちらりと見れば冷や汗ダラダラの白群 と……俺の影からは、見えやしないのに大きな身体をどうにか小さくしようとする翳狼 の気の流れを感じ、袖の中に隠れた飛影 は完璧に死んだフリ。
「今年もダメか」
「当たり前だろう。というか、いい加減諦めろ」
「そう言われてもな、そう簡単に諦めのつくものではない」
ツン、と唇を尖らせた天照は深い溜め息をついて
「会いたいのぅ。押しかけたとはいえ、鬼国まで来たというのに一目会わせてももらえぬとは、新年早々悲しいのぅ」
と長い睫毛に縁取られた目蓋を伏せた。
「なぁ、伴侶殿?」
「はい?」
上目遣いに俺を見る天照の目がキラリと光る。その光に何故か気圧されて俺はこくりと喉を鳴らした。
「常闇の使い魔の飛影と翳狼……美しかろう?」
「え? はい。綺麗だし、賢いし、強いし。いつも俺を助けてくれて、勇気付けてくれて、すごく頼りになります」
「誇らしいかえ?」
「もちろんです!」
この話の終着点はどこだろう? と悩む俺に天照はにっこりと微笑むと、たった一言
「会わせておくれ?」
と言った。
会わせてって飛影と翳狼に? それをなんで俺に言うのだろう?
今度は俺が首を傾げる番だ。
「欲しがるからダメだ」
「へ? 欲し、がる? 飛影や翳狼を?」
「ん〜、天翔 も欲しいのぅ! 私には大変相応しい使い魔だと思うのだが、常闇も、姫も首を縦に振ってくれんのだ」
「は?」
「だからな、伴侶殿よ。私は誰ぞ?」
「天照……様」
「ん。他に?」
「他に? えっと天照皇大神、様?」
なぞなぞのような問答に、天照はそうだ! と膝を掌でぺちんと打った。
「てんしょうこうだいじん、あまてらすおおみかみ。大きい神と書く……大きい神……おおかみ……狼……翳狼じゃろ? てんしょうは言わずとも解るな?」
「は、はぁ……」
「そして私の使いは八咫烏 。脚こそ足りぬが、それはどうとでもなる。飛影の美しい漆黒の翼、聡明な頭脳。翳狼の輝くばかりの銀色の肢体に勇猛果敢な魂……大空をも支配する天翔の逞しさ……どれを取っても私に似合うと思わぬか? 思うであろう? なのに二人ともくれんのだ」
口をへの字に曲げて駄々をこねる天照は期待を込めた目でまだ俺を見ている。
「……ダメです。飛影も翳狼も天翔も。モノじゃないから、欲しいとかくれとか言われても、はいそうですね、ぴったりお似合いだからどうぞ……なんて言わないですよ。さっき天照様は俺に聞いたじゃないですか? 道端の草は神かどうか。その質問をした貴女が言うセリフじゃないです。そんな風に思ってるなら、絶対にダメです。一目たりとも会わせません!」
槐の感嘆の声に我に返って、シンと静まり返った宴会場と驚いた天照のまん丸の瞳と、影の中から伝わってくる翳狼の安堵の感情に自分がとんでもない事をやらかした、とやっと気付いた。
「おい、常闇の。私は初対面で説教されたぞ!」
「すみま」
「当たり前だ。今の紫苑 の言葉に返す言葉があるなら聞いてやろう。ないだろう? あってたまるか。飛影も翳狼も天翔も、俺達に欠ける事は許されん大切な存在だ」
俺の謝罪を遮った柚葉は隣に座った俺をぐっと抱き寄せると、いつになく険しい目で天照を見た。
血腥いお正月は嫌だと言っておきながら、自分の感情に任せた発言のせいでそうなりそうな現状に俺は白群並みに冷や汗をかき始めた。
「あ、脚なんか増えても嬉しくないのだ! 主人の、紫苑の側が良いのだ!」
袖の中で死んだフリを決め込んでいた飛影が勇気を振り絞って飛び出すと俺の肩の上にちょこんと停まって、威嚇のつもりか胸を張り、身体中の毛を膨らませている。
「紫苑様っ!」
「うっわ!」
ずしりと背中に翳狼が乗って、尻尾を振り回しているのが振動で解る。
一生懸命に頰を俺の頭や肩にゴシゴシ擦り付けるものだから、俺と一緒に柚葉も飛影も揺れている。
「むう。さすがは常闇が惚れ抜いただけの事はあるな。この天照に説教とは。うん……気に入った。気に入ったぞ、伴侶殿!」
「へ、え?」
「飛影に翳狼……それに姿は見えぬが天翔。今まで長い間、つまらぬワガママを言ってすまなんだ。もちろん常闇にも、姫にも謝ろう」
「ほう。もう二度と欲しがるなよ」
「つい、な。羨ましかったのよ」
俺達とは違って“天照”を祀る社 は日本中にたくさんあって、それぞれに解りやすくいえば分身のようなものが存在していて、その分身全てが八咫烏を従えているのだそうで、俺達のような密な関係ではない気がするのだという。
そこで、出雲の社にいる天照だけがその名に相応しい天翔と狼である翳狼、そして賢い烏の飛影を従えられたならば……とワガママと解っていてもつい駄々をこね続けてしまったのだと俯いた天照に柚葉はお酒を注ぎながら
「なんとも贅沢というか阿呆な考えだな。そのどれもがお前で、使い魔も隔てなくお前に付き従っているのだろう? お前が間違えてどうする?」
さっきの険しい目付きとは真逆の優しい声音で語りかけた。
「う、む。伴侶殿に説教されて目が覚めたというか。私だって八咫を愛しているのにな……私は愚かで皆に嫌な思いをさせていたのだな、と反省しておる。伴侶殿には感謝しておるし、飛影の勇気と翳狼の伴侶殿に対する深い愛には胸を打たれたわ」
「天照様は欲しがり、だからな。昔は俺の尻尾も欲しがったんだぜ」
「……だから、ないの?」
天照と並ぶ槐は耳をピクピクと動かしてさらりと恐ろしい事を言った。思わず柚葉に問いかけると、柚葉は俺の髪をくしゃくしゃにして甘やかすと、槐を軽く睨んだ。
「あー、違うって。俺は長く生き過ぎて“空狐”ってのに格が上がっちまって尾が消えただけ! 強奪されたわけじゃねぇよ? 空狐になる前は、聞いた事ないか? 九尾の狐って。それだったんだぜ」
ふふっと得意そうに笑う槐は紫苑に見せたかったなぁ! と今はもうない尾のあった辺りをパパッと左手で払って見せた。
「襟巻きにちょうど良さそうでな。なんせ九本もあるんだから一本くらい献上してくれても良さそうなものだが、こやつ、ケチでな」
「ケチって次元かですか!? 呼びつけといて、寒いし、見栄えが良いから一本くれ! はひどくないですかい?」
「そんな事、言ったかの?」
しれっと答えた天照だったけど、バツの悪そうなその表情は槐の言った事は本当だとしっかりと物語っていた。
神は嘘をつかない、と柚葉は言ったけど天照は嘘をつかないんじゃなくて、つけないんじゃないかと思うと少しだけ彼女のワガママも可愛いものだと思えた。
……困った神様だとは思うけど……
「天照、お前、これ以上阿呆なワガママで周りを振り回すなよ?」
柚葉のお説教に天照は眉を寄せて、うーん、と唸ると盃越しに柚葉と俺を見て、クイッと盃を傾けた。
「ワガママになるかのぅ……なるやも知れん。尾頭付きの鯛ではないし、ううん……」
「天照様、連れて来ちまったもんは仕方ねぇ。ここは一つ実際に見てもらって」
「なんの話だ?」
お祝いだよ、とピョンと飛び上がった槐は、自分が隠れていた縁の下に潜り込むと、これまた美しい結界で編まれた大きな籠を引きずり出して戻ってきた。
雷が鳴って天照が襖を開けるまでの短時間によくぞ仕込んだものだと感心する俺と、何故か俺の肩の上で再び威嚇し始める飛影。
「なんぞ祝いの品はないかと思うてな。探した結果が」
「この鳥、か?」
静かに羽をたたんで、じっと籠の中から俺を見る真っ黒な目はどこか悲しそうだ。
「あの、この鳥は天照様の使い魔だったんですか?」
「いや、この子は誰にも仕えた事はない。そうじゃな?」
「……いかにも」
籠の中から溢れてくるのは妖や妖魔とは少し違う気で、飛影が耳元で小さく
「ううむ、精霊か」
と唸った。
「今は精霊。妖魔としての使い魔をお望みならば妖を何体か喰らえば妖魔となれるでしょう」
籠の中の鳥――孔雀は天照が贈り物を探していると聞いた槐が理由を話して連れて来たのだという。
「お前、名は?」
「ございません」
「俺達は鬼だぞ? 鬼の側にいるのは、精霊ならばつらいだろう?」
「……草木が神だと言い切る方の側ならそれ程つらくはございませんし、何より本物の鬼は人間でございましょう?」
柚葉と孔雀の会話の合間に、精霊というのは負の感情に弱いのだと飛影が耳打ちしてくれた。
俺達はその精霊には毒ともいえる負の感情の権化のようなものだ。いくら天照からの贈り物でも受け取るのは酷な気がした。
「鬼といえども貴方達は神。お望みならば先程申し上げたように妖を喰らいましょう。私が必要ないと思われるならば、お返しになれば良い」
「返すって、槐さんに?」
「そうですね。ご覧の通り、私は普通の孔雀。ただ長生きして精霊となっただけ。私を欲する神様などおられませんから、空狐様が元の場所へと帰してくださいましょう」
頭頂部から首にかけての濃い紺色が寂し気に光る。
胸の奥がざわついて、俺は飛影を肩に乗せたままなのを忘れて籠に触れていた。
「何故? こんなに綺麗なのに……」
「綺麗? 普通の孔雀ですよ? 天照様のお側には純白のモノしか許されない……八咫烏を除いては。それに倣って、他の神様もお側には真白の精霊を置かれます。ご存知なかったのですか? ふふ、本当に貴方は何も知らぬのですね。私はただの孔雀。出来損ないの精霊です」
「な……」
こんなに美しく、話し方も丁寧で知性と気品すら感じられるのに、なんで出来損ないなんて言うの?
白くないから?
青や、緑、黒、玉虫色に輝く羽があるから?
返せば良いって言うけど、どんな思いで俺達への祝いの品になる事を承知したのだろう。
本当は天照からの、神様からの迎えだと嬉しかったんじゃないの? 天照の願いだから頷いたんじゃないの?
独りぼっちの世界にまた帰るの……?
「貴方、何故泣いているんです?」
「か、籠から、出てみない?」
「はあ。そちらの烏様がお嫌でなければ」
飛影はすり、と俺に頬擦りをすると柚葉の方へと飛んで行った。
籠から姿を現した孔雀は長い首を伸ばしてキョロキョロと辺りを見回すと、二度程瞬きをして
「私なぞを側に置いては、鬼神の頭領の名折れになるやも知れませんよ? こんな雑多な色をまとったできそこな」
「そんな事、誰が言ったの? 誰が決めたの? 俺もね、言われてた。誰かが決めた枠から外れたらそんな風に言われるなんておかしいって、今の俺なら思えるよ。こんなにたくさんの美しい色を持っていて、俺はすごく綺麗だって本当にそう思うよ。ね、羽を広げて見せて?」
こうですか? とおずおずと翼を広げた孔雀はやはり美しかった。天照からの光を受けて、青や緑が銀味を帯びて輝いている。柳のように下がる飾り羽も赤っぽい金色を放ち、あまりの美しさに俺は自分が鬼だという事を忘れて孔雀に抱きついていた。
「キミは、どう、したい? 長く親しんだ場所へ帰りたい?」
「それは私の決める事では……」
「決める事だよ。キミの意志を尊重したい」
もうこれ以上振り回しちゃいけない、と強く思った。名もなき孔雀の願いを叶えてあげる事が俺にできる最大限だ。
「孔雀よ。俺達はほとんどの時間を人間界で過ごす。もちろん結界は張ってあるが、夜には阿呆な人間が肝試しに来る。それが嫌なら屋敷の裏に庭があるぞ」
柚葉のゆったりとした声に飛影が続く。
「うむ。とても広くて、主人の結界で守られていて、肝試し連中は入れぬし、すこぶる快適だぞ! それに、私達の元へ来れば主人がぴったりの名を付けて呼んでくれる。もう独りではないぞ! 私も翳狼もいる。森には愉快な仲間がたくさんいて、きっと人気者になれると思うのだ!」
「名前? 仲間? 烏様は私がお嫌いなのではないのですか?」
静々と羽をたたんだ孔雀は困惑の気をまといながら俺や背後の柚葉達を見る。
「さっきは霊気にびっくりしただけだ。それに孔雀の精霊など初めて見たのだ。何より紫苑が……」
「紫苑、様?」
成獣の孔雀の声が耳元で聞こえて、慌てて離れた。
「ごめん。抱きついちゃって……痛かった? 苦しい? 大丈夫?」
俺のせいで精霊を穢してしまったらどうしようと狼狽える俺の前に、孔雀はへたりと首を床につけて身体を伏せた。
閉じた目から真珠のような水晶のような雫が見える。
「貴方は本当に鬼ですか? 貴方の腕の中は信じられない程に温かく心地良かった。貴方は私を許してくれるのですね。こんなに汚い私を許してくれるのですね」
「綺麗だよ!」
「おい、孔雀よ。俺達の装束は何色だ? 黒だろう? 一色に思うか? この世の全ての色が混じり合えば、黒になるんだそうだ……聞きかじりだけどな」
柚葉の言葉に孔雀が小さく息を飲み、潤んだ目で俺を見上げて
「お側に……ご迷惑でなければ、お側におりとうございます」
と細い声で、まるで秘密を打ち明けるかのように囁いた。
背後で柚葉が立ち上がる衣擦れの音がした。
スッと隣に座った柚葉は人差し指で孔雀の頰を一撫ですると、痛いか? と聞く。
孔雀がピクリと一瞬目を細めつつも、左右に首を振るのを確認した柚葉は末席まで聞こえるように声に妖力を込めて
「この美しい孔雀の精霊は俺の紫苑の使い魔となった」
と高らかに宣言したのだった。
鬼神達の拍手に包まれた孔雀と俺は顔を見合わせて、妙な照れくささに俺は頭を掻いて、孔雀は首回りの毛を少し膨らませた。
「孔雀よ。この国の空気は苦しいか?」
「ほんの少しばかり……」
「紫苑、結界を張ってやってくれ。大きいヤツな。なぁ、孔雀。この国に住まう者はお前を美しいと思いこそすれ、醜いと思う者なぞおらぬよ。紫苑が結界を張り終わったら、無理でなければ空を舞って見せてくれ」
「御意」
「え、待って! 飛べる程って相当だよ?」
「そうだなあ。もう庭ごと包んでくれないか?」
「ひぇえ……」
「あの、私もご一緒したいので、特別大きいのをお願いいたします……」
「天翔!」
白群の影からぬるりと顔を突き出した天翔に天照は顔を輝かせた。
「聞いておったろう? 常闇の伴侶殿に怒られた。嫌な思いをさせ続けてすまなかったな」
「いえ。天照様に欲していただけるのは身にあまる光栄でございますが、私には忠誠を誓った主人がおりますので、それをお解りいただけて嬉しゅうございます」
「そうか。私は今日天翔の顔も見れて嬉しいぞ」
天翔の巨体に驚き、後ずさった孔雀の脚に飛影が擦り寄って、驚く事はないぞ、と天翔を紹介し始めた。
「天翔は副頭領の使い魔でな、身体は大きくて力持ち。しかし、とっても優しいので、こうして……ぴょんと頭に乗っても怒られんのだぞ!」
「私には、名がない、ので……」
「それは心配無用でしょう。紫苑様が名付けてくださる。楽しみですね。それまでは孔雀殿、と呼ばせていただきましょう。どうぞ私の事は天翔とお呼びください」
「私は飛べぬが。これからよろしくお願いしますね。翳狼と申します。森の案内ならばお任せを」
打ち解けつつある使い魔達の会話を聞きながら、俺は頭をフル回転させていた。
庭ごと全部って相当広いぞ……柚葉に手伝ってもらおうか、と空を見上げて唾を飲み込んだ俺の着物の袖を孔雀がツンと引いた。
「飛ぶくらい大丈夫です。ただ……戻りましたら、また先程のように抱きしめてくださいますか?」
「大丈夫なのだ! 紫苑は絶対に抱きしめてくれるのだ。私も抱っこして欲しいのだが、良いか?」
その良いか? は俺に対してじゃなく、孔雀に対しての飛影の気遣いのようだ。
「さぁ、孔雀、孔雀。一緒に飛ぼう?」
言うが早いか飛影は空高く舞い上がり、孔雀は俺を振り返ると大きな翼を広げ、巨体を空へと引き上げた。最後まで地面に擦れていた尾の毛色すらキラキラとして色褪せていない。
「見事だな」
「綺麗……綺麗だよね? ね? 柚葉」
「ああ、とても。描きたくなったんじゃないのか? 紫苑?」
「描きたい!」
空を舞う孔雀と飛影に俺達は地上から惜しみない感嘆の声を上げていた。孔雀の長い尾を追いかけて遊ぶ飛影、スルリとかわして逆に飛影を追いかける孔雀。本当に空という無限の舞台で踊っているようだ。
天翔の巻き起こす風に煽られた飛影を上手く受け止めた孔雀は地上で空を見上げて尾を振っていた翳狼の側ギリギリまで一気に高度を下げて、翳狼も誘っているようだ。
翳狼は豪快なジャンプを繰り返して、鼻先を孔雀の尾につけようと躍起になっている。
「と、跳べるじゃありませんかっ!」
「翼がないから、これが限界ですよ! えいっ!」
「うはは! 翳狼、がんばるのだ! 孔雀も! やはり一番すばしっこいのは私だな!」
頭上から楽し気な声と気が降ってくる。太陽の光の直接浴びて身を翻す孔雀は様々な色を俺に見せてくれて、初めて孔雀が飛ぶ姿を見た俺は密かに興奮していた。
「私は、その、また酷な事をしたのであろうか?」
縁側で脚を崩して座った天照は、盃を片手に空を見上げて楽しそうに舞う影を見つめている。
「わざとあの孔雀を選んだ……酷な事をしたのは俺」
「それはどういう?」
「天照様にピッタリの真白な精霊も、それなりに妖力のある妖魔も俺は知ってた。それでも俺はアレを選んだ……」
視線を酒の入っていない盃に落とした槐は溜め息を混ぜて、無理に笑うと再び空を見上げて眩しそうに目を瞬いた。
「精霊ってなぁ、まぁ、長生きして霊力を持った生き物で……特に孔雀みたいな珍しい。色が抜けて真っ白になっていくもんだが、あいつは姿変わらず、でな。そのせいか、あいつは精霊からも妖魔からも距離を置いて、いつも独りだった。いつしか周りからあまり良くない呼ばれ方をして、頑なに心を閉ざしてしまっていた。人間 も妖魔も神も大して変わらんよな。奇異なモノには手厳しい……でも俺は常闇から紫苑が色が大好きだって聞いていたから、ひょっとしたら気に入ってくれるんじゃねぇかなぁって思ってな……いや、違うな。紫苑なら助けてやってくれるんじゃねぇかなぁって」
悪りぃな、とうな垂れた槐の頭にゲンコツをお見舞いした柚葉は顎で空を指した。
「楽しそうだ」
「うん。名前はどうしようね? すごく素敵な名前が良いなぁ。あ、あとね」
「贈り物か? 気が早いな」
「うー、でも早くあげたいよ。金色が良いと思う。首回りに掛けたら、きっとあの深い青が映えるよ! どう思う?」
「確かに似合うが、もう色はうんざりだー! なんてなったらどうする?」
「うう、その時は……水晶とか! アクセサリー見に行こうねっ……と! お疲れさま」
バサバサと胸に飛び込んできたのは孔雀。荒い呼吸をして、息を鎮めつつ、長く飛ぶのには不向きなのだと教えてくれた。
「お水、飲む? それとも何か食べる? 今日はお正月だから、ご馳走がたくさんだよ!」
「紫苑、これを孔雀殿に」
「あ、縹 !ありがとう」
「儂 のお墨付きの穢れのない水じゃからな、孔雀殿も飲めようて」
縹はにこりと笑うと、孔雀に向き直ると触りたそうに伸ばした指をぴたりと止めた。
「鬼に触られると痛むだろう? 本当は触りたくてたまらないのだが……」
後半はこしょこしょと孔雀に耳打ちして、サッと着物を翻して奥へと消えてしまった。
「なんて?」
「あの、長 から私に痛みを与えた者は消す、と皆様言い渡されている、と。でもその禁を破ってでも触ろうとする阿呆がいるかも知れないから、紫苑様のお側を離れるな、と」
「ホント柚葉、物騒……でも、触りたくなっちゃうよね。綺麗だもん」
孔雀は縹が目利きしてくれた水で喉を潤すと、ほう、と溜め息をついて
「綺麗だと、褒めそやされるのは慣れぬので気恥ずかしいです。でもやはり貴方の腕の中は心地良い……痛みもない。不思議です」
「紫苑、私も抱っこ!」
いつもの調子を取り戻した飛影は孔雀に延々とあれやこれやを話して聞かせて、最初は飛影の勢いに戸惑っていた孔雀も慣れたのか笑ったり相槌を打ったりし始めた。
「孔雀、食べられない物はあるか? 私がいっぱいおねだりして、いただいてくるぞ? 遠慮は要らん、私はおねだりは大得意なのだ!」
むふふ、と胸を張る飛影と、おずおずと
「野菜なら、食べられます」
と答える孔雀。待っていろ! と兄貴風を吹かせて、小さなお尻を振り振り柚葉の元へ行く飛影を首をひねって見送った。
「幸せになってくれよ?」
そっと孔雀の頭を撫でる槐の手に、孔雀はクゥと鳴くと俺の腕の中で静かに頷いた。
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