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第5話
(ケンカしたあとぎくしゃくしてそのままとか? それで遼太郎さんが意地になって、当てつけにあの坂下さんってひととつきあっている? とか……?)
「ありえる……。いったいどんなケンカして別れることになったんだろう?」
盗み見た感じでは篠山と遼太郎のセックスの相性はよかったようだが、と唇を咬む。やはり篠山の男癖の悪さに遼太郎が怒ったのだろうか。篠山が浮気したとか、浮気しないまでも遼太郎のまえで他の男とお気軽にチュッチュとキスでもしたのだろうか。それとも仕事で上司と部下という関係が、恋人であるうえではネックだったのか。
いくつか考えたあと、昨夜の篠山の酷い云いようと所業を脳裡に蘇らせた神野は、瞳を翳らせると顎をつんとあげて低い声で呟いた。
「デリカシーないからな、あのひと。それが原因でもめたんだよ、きっと」
いま壁の向こう側では、遼太郎が連れてきた推定彼氏といちゃいちゃしているのだろう。うらやましい。
昨夜 篠山とケンカをしてマンションを飛びだして来さえしなければ、自分だって今朝は篠山とそんな甘い時間を過ごせていたのだ。いまさらだが、愉しみ損ねた恋人とのモーニングキスが惜しくなってしまい、神野はしかめっ面になった。
ここのところ金曜といえば会社帰りに車を返したあと、そのまま篠山のところにお泊りしていた神野だった。しかし昨夜に限っては暴風で荒れていたアパートの掃除が気になってしまって、夕飯のあと春臣といっしょに帰宅しようとしたのだ。
春臣は土曜の朝に帰ってきて手伝ってくれたらいいと云ってくれたが、そう云いつつも彼は絶対に自分の帰宅を待たずして、さっさとひとりでなにもかもやってしまう性格だ。裏切られるとわかっていた神野は、春臣にマンションにおいていかれそうになって、断固、「今夜はいっしょに帰ります」と云い張った。
「祐樹が帰ってくるの待っててあげるから、せっかくの週末なんだし匡彦さんと過ごしなよ」
「いいえ、そんなこと云って、絶対に春臣くんはさきにひとりで掃除をはじめちゃうんです」
「よし。祐樹が帰ってくるの待つって約束するから。だから今夜はここでゆっくりしてきな?」
「信用できません。そんなことを云っておいて朝私が帰ったときには掃除は終わっているんです。それで春臣くんは『あれ? 祐樹帰ってきたの?』とか云うんです」
「じゃあ、もういいよ。明日は俺、ひとりで掃除するから。だから祐樹は泊まって行け」
「いいえ。明日の掃除はきっと大変です。そんなときにお手伝いしないだなんてありえません。そうじゃなかったら、私はいつ春臣くんの役にたつんですか?」
「仕事でやつれはてた匡彦さんの面倒を見てあげるだけで、充分助かります。俺だって匡彦さんには世話になってるからね。だから匡彦さんが喜ぶようにしてやりたいの。そういうの、祐樹にはわかんない?」
「……えっと……」
「……わかんないんだね」
返す言葉に詰まって鼻の頭に皺を寄せた自分に、片方の口角だけあげた春臣が、「鈍感」と云って笑った。
そのあとに祐樹の頑固者、男心のわからんおたんちん、と続けられてむっとなり、ますます神野がゴネはじめたところにリビングにやってきたのが、仕事を終えた遼太郎だった。
「遼太郎くんおつかれー。ほら、祐樹、俺帰るから遼太郎くんにご飯よそってあげて」
「はい」
やいのやいのとやっていたが、春臣に頼まれるとあげていた握り拳をすんなりとおろして、キッチンに足を向ける。
「祐樹、ちがう。メシはあとで自分でやる。メシよりも俺、さきに風呂にはいりたいから。それよりもお前ちょっと事務所来い。電卓くらいたたけるだろ?」
訊かれて神野はぱぁっと顔を輝かせた。
「お手伝いですか?」
だとしたら願ったり叶ったりだ。
大きな恩があるのは、なにも春臣にだけではない。神野は篠山にも遼太郎にもいつでも自分のできることがあったらさせてもらいたい、彼らの役に立ちたいという気持ちでいる。
仕事の手伝いに声をかけられたのははじめてなので少々驚きはしたが、神野はすぐに「やります」と返事した。
顎をしゃくってついて来いと示した遼太郎に自分が頷くのを見届けた春臣が、さっさとジャンバーを羽織る。
「じゃあ祐樹、俺帰るからね」
「はい。気をつけて帰ってくださいね」
さっきまでの不満なんて露と消え、笑顔で春臣に手を振った。
「うん、おやすみぃ」
手をあげてそう返した春臣が苦笑していたことは云うまでもない。
「俺もう今月残業しすぎてんの。風呂入ってメシ食ったら帰るから、お前これ明日俺が出勤してくるまでにチェックしておいて」
事務所にしている部屋に入ると、パソコンに向かっていた篠山がちらっとこちらを見たので、こそばゆい気持ちで遼太郎が引いてくれた椅子に腰掛けた。
遼太郎はいくつかのノートとファイルを神野の目のまえに積み上げると、領収書の整理と書類のチェックをしかたをレクチャーをしてくれる。
「いいか? きっちり貼って、しっかり数字の確認しろよ?」
「わかりました」
ずいと顔を寄せてきた遼太郎にきつめの語気で云われ、神野は真摯に頷いた。
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