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第13話
(お前の場合? お前の場合ってなに? じゃあ誰の場合はどうなんだ?)
「だからっ! 遼太郎さんと比べないでくださいっ! 篠山さんデリカシーなさすぎますっ!」
「えっ⁉ そんなつもりは――」
「もう退 いてっ!」
ドン!と、篠山の胸をつきとばし服を掴んで寝室を飛びでた。荒々しく玄関に向かう途中、落ちているスウェットパンツが目にはいる。
(あっ、パンツッ!)
ついでにベッドに放りっぱなしの下着のことも思いだしてしまったのだが――。
(あぁもうっ、あぁもうっ、バカッ、知らないっ!)
汚れものをほっぱらかして帰るのもすごく嫌だったのだが、今回だけは目を瞑ることにした。彼が追ってくるまえにと、玄関で急いで衣服を身につけ靴を履く。
しかし間に合わず、寒いなか下着一枚の恰好で玄関まで出てきた篠山が、玄関に備えつけのクロゼットを開けて、そこからコートとマフラーを取りだして、肩にかけてくれた。
「ほら、これ着て帰れ。そのままじゃ寒いぞ」
柔らかいカシミアでできたそれらは、彼のものだ。着せてくれたコートはすこし大きくて、巻いてくれたマフラーからは微かにタバコの香りがした。
「……ありがとうございます」
マフラーに首を埋めて礼を云う。
チュッと額にキスされ性凝りもせず胸がきゅんと鳴ったが、それを悟られたくなくて顔を背けた。
「明日も来てくれよな」
「知りませんっ!」
「気をつけて帰れよ、赤信号ちゃんと止まるんだぞ」
叫んで外へ飛びだした神野は、それでも律儀に「わかりましたっ」と返して、あとは一目散に春臣のまつアパートに走りだした。
そして怒りに任せてずんずん足早に歩き、アパートにたどり着いたら着いたらで、とても寒く暗い外 で春臣がひとりで掃除をしていて、約束が違うとまたムカッとしたのだ。
「いや、いまちょうど飲みに行った帰りで。このあたりだけ枝とか転がっていてちょっと危ないかなーって……。怪我するひといたら困るし。ね? で、今夜のうちにちょっとだけ片付けておこうかなーっと……。あはははは……」
神野をひと目みるなりやや顔を引き攣らせて云った春臣は、「ほんとに今帰ってきたばかりだから、怒んないで、ね?」と続けた。
そのあとは彼を手伝って、周辺を軽く掃除した。掃除は怒りに滾っていた神野の頭を冷やすのにちょうどよかった。怒りのパワーが適度に作用し、作業はさくさくはかどったのだ。
いま思い返すと風呂にはいりなおしてベッドに潜りこんだときには、心も身体も幾分すっきりしていてたような気がする。日中は会社でよく働いて、篠山のところではたっぷりセックスしてきて、それから外を掃除して。いつも以上にぐっすり眠ったような……。
「せっかくの週末なのに、もったいないことしたな……」
ひっそりと呟いて、下唇を咬んだ。
たとえぐっすり眠れたとしても、篠山と情を交わしたあとに、家に帰って独り寝だなんて、不満が残る。
彼とベッドを共にした翌朝には、いつもかならずキスをしているのだ。差しこむ朝陽に目が覚めたとき、隣りに眠っている篠山が一番に視界に飛びこんでくることに、なんともいえないぐらい幸せな気持ちになれるのだ。
(なんであんなことで、あそこまで腹が立ったんだろう?)
自分が癇癪を起こさなければよかったのだと、昨夜の失態を省みて滅入った神野は、それともいまになってあんなことと思えることのほうを不思議に思うべきなのかとも考えた。
昨夜はまるで帰宅を見計らったようなタイミングで篠山からの電話があり、無事に帰れたかと確認されて、彼が自分を気にかけてくれていることにうれしくなった。
甘い情事のあとなのだ。多少理不尽なことを云ってしまっても、我儘になってしまっても、篠山にはぜんぶ許してもらって、ぜんぶ受け止めてもらいたい。
自分が幼稚な要求をしていることは頭の隅っこではわかっていた。でもずぶずぶに甘やかして欲しいと、心のどこかで求めていて。
そして彼は、実際にそれを叶えてくれていた。ちゃんと自分のことをわかってくれているのだ。
篠山は無神経なことをしたが、そのあとのことはきっとわざとなのだろう。彼の云い訳も失礼に思えた態度もすべて、自分の言葉を引きだすためのもの。遼太郎にたいする嫉妬や、篠山に甘えたい気持ちを自分が抑制しないように、彼はわざと自分を煽って晒すようにしむけた。
そして本当に箍 が外れて泣いて喚きはじめた自分を、彼は見限らずちゃんと抱きしめてくれた。かわいいと云いながら背中をぽんぽん叩いてあやしてもらうと、まるで「それでいいんだよ」と後押しされたようで、そうしたら余計に涙と怒気が溢れてきたのだ。
やさしい篠山が大好きだった。あれだけ彼に文句を云って、暴力をふるいながらも、その瞬間すら彼のことを好きだと思う気持ちでいっぱいだった。
篠山のことが大好きだ。彼にずっと自分のそばにいてもらいたい。
「あぁ、もう。はやく遼太郎さんがいまの彼氏とうまくいってるところ突きとめて、安心したいよ」
そしてしょうもない嫉妬心からは卒業だ。ゆとりをもって篠山に対峙できたら、きっと自分は彼のあのデリカシーの足りない言動にも動じずにすむはずだ。たぶん。きっと。
おそらく、そう。
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