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第14話
「……遼太郎さんは、篠山さんのあの無神経なところ、どう思ってるんだろう?」
つきあっていたときは我慢していたのだろうか。遼太郎は常日ごろ言動に気をつけているつもりでいる自分にたいしてでさえ「デリカシーがない」と云い放った。そんな彼があの篠山の無神経さを許してきたとは思えない。
(やっぱり、それが原因でケンカ別れしたのかな?)
んー、んー、と暫く逡巡し、「いや、絶対そうに決まっている!」と、いつになく荒っぽく言葉を吐いたのだが――。
「あれ?」
ふと隣の部屋に気配を感じて、神野は凭れていた壁から身体を離した。
(なんかいま物音がした?)
正座姿に戻ると、壁に耳を当てあたりを探って一番音漏れのする箇所をさがしだす。
(あっ! 聞こえる)
ここの壁はアパートのわりには防音がしっかりしているそうだ。それでも大きな声だと漏れてしまうと以前遼太郎に教えてもらっていた。正確には叱られて、いたのだが。
いまどうやら隣室のふたりは云い争っているらしく、するどい語気が壁を通してこちらに伝わってきていた。
(ケンカ? とっくみあっているとか?)
壁の向こうは遼太郎の寝室だ。きつい言葉を吐いているのはどうやら遼太郎のようで、たいして坂下はただテンションが高いだけらしい。
滅多に声を張ることのない遼太郎を興奮させるとは、男はいったい遼太郎になにをしでかしたのだろうか。
そうこうしているうちに、どちらかの身体がぶつかったらしくドン! と壁が鈍く振動した。
となりでなにが起きているのだろうか。ふざけているだけならいいのだが、もしケンカをしているのなら止めに入らなければならないし……。
それよりもなによりも、ふたりが親密であるのであればその属性が知りたいし、とりあえずはセックスしているのかどうかは知っておきたい。
(よし、かくなるうえは――)
神野はそっとベッドから下りると、キッチンへ急いだ。
「祐樹、はやくなんか食べときなよ? ドーナツあるけど、これ食べる?」
冷蔵庫をのぞいていた春臣が、顔をあげドーナツの入った紙袋を振って見せてくれたが、神野は忙 しげに首を横に振ると、戸棚から一番シンプルなガラスのコップを選んで取りだした。
「私はいいです。春臣くんの出かける準備ができたら、声かけてくださいね」
部屋に戻ってベッドのうえにちょこんと正座する。壁のさっきと同じ位置にグラスの飲み口をあてがい、これでよく聞こえるはずだとグラス底の部分にぴたりと耳をあてた。
(ど、どきどきしてきた……)
きゅっと口をきつく閉じ、口内で唇を舐める。
隣では時間がどうの部屋がどうのと云って行為を渋る遼太郎と、朝から行為に耽 りたい男との攻防が行われている。遼太郎とさっき初めて顔を知ったばかりの男との淫らなその光景がぽんと頭に浮かんでしまった神野は、かき消すようにして慌てて首を振った。
(遼太郎さん、ごめんなさいっ)
そう心の中で唱えつつも、しっかり彼らの声を拾い、ふたりの様子をまざまざと脳裡で展開させていく。しかしだ、成熟が遅かったうえに初心な神野には情事についての見聞がない。その妄想はやはり篠山の踏む手順で進行されていき……。
(うわぁっ)
ついつい自分の衣服にかかる篠山の手や彼の息遣いを思いだしてしまって、ぶるるっと腰を震わせてしまった神野は、自分のはしたなさに恥じいった。
(ばかっ、俺なんでっ――⁉)
自分の身体から篠山の記憶を打ち払おうとすれば、彼らの声に引き摺られて、今度は遼太郎に覆いかぶさっている相手が篠山に変換されてしまい、胸が締めつけられる。
(やだ!)
きりきり痛むシャツの胸もとをぎゅうっと皺になるほど握りしめた。
(そうじゃない。遼太郎さんの相手はあのひとだ)
自分に云い聞かせて、耳を澄ませて壁の向こうに意識を集中する。
遼太郎に甘い言葉を囁いているのも、彼のベッドを軋ませているのも、あの――坂下という男だ。
(ほら声、ぜんぜん違う。篠山さんじゃない……)
「……祐樹。やめときなよ」
「――っ⁉」
突然声をかけられて飛びあがるほど驚いた。顔をあげると、春臣が開けっ放しにしていた戸口に凭れて腕をくんでいる。彼の指にはひと口齧ったドーナツが摘ままれていた。
「あっ。こ、これは……」
春臣の呆れた表情 と、自分が手にしていたグラスを交互に見た神野は、そっとグラスを膝のうえに乗せると、それを両手で包んで隠した。
「つ、つい。……す、すみません」
羞恥で顔が火照ってくる。
「その、悪意があってでは……、ないんです。ほんとにさっきの方が遼太郎さんの恋人かどうか確かめたかっただけで……、その……」
「で? どうだったの? 納得できたの?」
神野は春臣の質問にすこし反芻する時間をあけると、生真面目な表情をしてこくっと大きく頷いた。
「はい」
うっすらとしか聞こえてこなかったが、壁の向こうではちゃんと恋人同士の行為 が行われていた。
「本物の恋人でした」
すこし安心できた。これで遼太郎の存在に怯えることもなくなるのかもしれない。神野は晴れやかな気分で春臣に報告したのだが、しかしその微笑も束の間だった。
「でしょう? 祐樹、マジ鈍感。見りゃ一発でしょうが」
「うっ」
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