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【第1部 朝露を散らす者】13.囲む輪と守る輪

 父の葬儀は村をあげて盛大に行われた。早馬が知らせを運び、近隣の村や商業ギルドからも弔問客が訪れた。父の店――もうライリーの店になるわけだが――も母の家も、みかけこそ静かだが、中は祭りの準備に似た忙しさだ。  僕はそのなかでひとり、することもなくぼんやりしていた。やったことといえば息子が商用で不在という村人に喪服を借りにいったくらいだ。クルトは治療師のローブに喪章を留めただけで十分葬儀に間にあったし、サイモンは縁者でもないので平服のままだった。  父の財産のうち、事業に関わる資産のほとんどはライリーとネッタが受け継ぎ、残りは母が相続した。ライリーは父の事業だけでなく父が持っていたコネクションも受け継いだから、村が急に困ることはないだろう。ライリーは商売人としてはそこそこ抜け目なさそうで、すこし話した印象では僕よりも父の息子らしかった。  装束や化粧で整えられ、棺にいれられた父の顔はゆったりとして穏やかだった。クルトの精霊魔術が功を奏したのか、亡くなる直前はここ数か月なかったほど心地よさそうな、落ちついた様子だったと母が何度もくりかえしつぶやいていて、僕はすこしほっとした。クルトを伴って帰ってきたのはまったくの無意味ではなかったらしい。  そしてクルトは僕が知らないうちに遠隔の念話を王都に向けて発していたらしい。学院のアダマール師から早馬でお悔やみの手紙が届いていた。村外の弔問客にはハスケル家と関係のある者もいて、クルトは治療師というだけでなく注目を集めていた。葬儀の前後も彼と話そうとする人々がぽつぽつ現れ、透明な存在になったようにひとりでいる僕とは正反対だ。  葬列は長く、ゆっくりと進む。僕は母やネッタから離れ、僕の知らない人々に話しかけられているクルトの背中をみつめながらのろのろと歩いていた。ひどく空っぽな感じがしていたし、混乱していた。いったい僕は何を感じるべきなのだろう? 十数年というものいっさい連絡をとらなかった父の最期に間に合ったことを感謝すべきなのか? 久しぶりに再会したにもかかわらず、昔と同じように何ひとつ通じ合えなかったことを悔やむべきなのか?  黒髪がほとんどを占めるなか、僕の髪色は目立つのだろう。年長者や同世代のひとびとは僕を覚えていたが、若者はそうではなく、僕はひそひそと「あれは誰だ」とたずねる声をいくつか聞いた。僕は長老格の数人と儀礼的な挨拶をしたものの、会話はほとんど続かなかったし、僕の噂を多少知っていそうな者は遠巻きにして近づかなかった。物思いにふけるにはもってこいで、僕は足元すらろくに見ていなかった。 「ソール」  肘を軽く触られて顔をあげる。クルトが僕をみている。 「どうした?」 「大丈夫?」 「僕は大丈夫だ。なぜ?」 「いや……」  クルトは何かいいたそうな口ぶりだったが、前を歩く列に顎を向けた。 「ずいぶんたくさんの人だな。お父上の人望がしのばれる」 「そうだろうね」  僕はうわのそらで相槌をうったが、クルトはちらちらと後ろをふりむいている。 「クルト、何かあるのか?」 「いや。単に人出が多いからだと思う」 「何か感じるのか? 葬儀ともなるとひとはいろいろなことを考えるからな」  クルトは首をふった。「気のせいだろう」  僕は子供のころを思い出す。葬儀や祭りのような機会は大の苦手だった。たくさん人が集まる上にダラダラと感情を垂れ流すからだ。だが父はこういった機会でつねに重要な役どころにあったから、息子の僕にも役割を振ろうとした。それを彼がやめたのは僕が何歳のときだっただろう? たぶん父は努力したし、僕も期待に応えようとしたのだが。 「ソール、ネッタに明日発つと話したらしいな。いいのか?」 「ああ。どうして?」  僕は聞き返す。葬儀が終われば用事もない。クルトもおかしなことを聞くものだ。 「ひさしぶりに話す相手とか、見ておきたい場所とかはないのか? 王都に戻ったら――そのあともまた当分、来れないんだし、俺やサイモンに気をつかっているなら……」 「べつに。話す相手もいないし行く場所もない」  僕の返事は素っ気なさすぎたかもしれなかった。弁解したい気分になってつけくわえる言葉をさがしたが、みつからない。 「ソール」  クルトの指が僕の肘にかかり、さがって手の甲に触れた。僕はすこし緊張した。この地方では同性でつきあう者は少ないし、少なくとも表立ってそう見せはしない。公式の場所ではとくにそうだ。手を引っ込めようとしたが、クルトは知らぬ顔で指をからめてくる。 「手が冷たいな」 「クルト、ここじゃ……」 「いいから」  墓地は目前だった。棺が土におろされるまでまでクルトは僕の手を握っていた。  その日の午後遅く、母のもとに役人がやってきて、親族がならぶなか儀式めいた相続の手続きが行われた。  僕はいる必要のない人間なのだが、母とネッタに立ち会うよう頼まれると断れなかった。クルトも王国の魔術師としてその場にいた。内容はライリーに聞いたとおりだ。すべてがつつがなく終了したのち、遅い午後のお茶をかねた親族だけの食事会となった。  一連の行事が終わり、場にはほっとした空気が漂っていた。死に際の父が短い時間とはいえ安らかに過ごしたせいもあるのだろうか。母やネッタが何度もその話をくりかえし、親族たちも同意する。酒が入ったのもあって、長老は父の子供時代のことまで持ち出し、思い出話に花が咲いた。  僕は長いテーブルの隅で黙って話を聞くだけだった。横にはクルトが座り、角をはさんで母とネッタ、前にはライリー。僕は相変わらずぼんやりして、聞くだけといいつつほとんどの言葉は耳を素通りしていた。母が自分も遺言を書かなければと口に出したのは聞こえていたが、それに続くやりとりには意識が回らなかった。我に返ったのはネッタが「ソール、ほんとうにもう発つの?」とたずねたときだ。  不意打ちだったので僕はとまどった。 「ああ。王都の店もあるし、クルトの都合もある」 「川の家だが、あのままでいいのか?」  唐突にライリーがいった。 「今はネッタが管理しているが、また当分帰ってこないなら費用や手間だけがかさむことになる」 「ライリー、今はいいでしょ。その話」 「あれは……母に譲ってもいいと思っていたんですが」  内心困ったと思いながら僕はぼそぼそという。 「僕には運用の予定もありませんし、なんならこれまでの管理費で相殺ということで、ネッタに売却という手も」 「ソール、だめよ」ネッタが鋭くいった。「そんなことをしたら――」 「でもライリーときみのほうがあの家も土地も何かに使えるんじゃないか? 共有地が近いからたいしたことはできないだろうが」 「だけどそのうちソールにも子供ができるかもしれない。そしたら時々あの家に帰ってきたらいいじゃない」  子供。また不意をうたれた気分だ。 「――僕に子供ができるとは……思えないけどね」 「どうして?」 「だって――」  何と答えればいいか迷っていると、ライリーがさりげない口調で口をはさんだ。 「ソールはクルト君と一緒に暮らしているんだとか?」 「ええ」  僕の隣でクルトが返事をする。 「貴族のハスケル家の一員なら、ご家族は結婚について何かといってくるだろう? どういういきさつで同居しているのか知らないが、ソールが迷惑をかけていないかね?」  ネッタがやめなさいよ、と小声でささやいたが、ライリーは意に介さなかったようだ。クルトは食器を静かに戻すと「俺は問題ありません」といった。 「そうか? ハスケル家の若君が私たちのような平民と同居なんておかしな話だと思ったんだ。ソールはきみに仕えているわけでもないのだろう? 昔は王都で問題も起こしたこともあるから、何かあってハスケル家の迷惑にならなければいいと……」 「学院の火事については俺も知っています。あれはただの事故ですし、他の噂はみな誤解ですよ」  クルトは爽やかな声で続けた。 「ついでにお話しますと、俺とソールはつきあっています。ハスケルの当主も了解していますよ。ソールが公にしたがらないので触れまわったりはしませんが」 「――クルト」  僕は思わずクルトの袖を引いたが、彼はどこ吹く風だった。平然とワインのグラスに継ぎ足し、ライリーにおかわりを勧める。彼は毒気を抜かれたような顔でクルトがワインを注ぐのをみつめていた。ネッタの眼が丸くなり、僕とクルトをみくらべている。母は静かな表情のままだった。 「――そうか。王都では……そういうことはあると聞くが、でも――」  ライリーはまだ言葉に迷っている。 「もちろん子供は簡単にはできませんね。俺とソールが原因でハスケル家からこちらの事業に横やりが入るなんてことはありませんから、ご心配なく」  クルトは冷静に話したが僕はいたたまれなくなっていた。両親にも話すつもりはなかった――父が生きていたらそれこそ大事になったはずだ――し、ネッタやライリーは特にそうだ。クルトの堂々とした態度が嫌なわけではない。だが王都とここでは色々なことがちがう。何よりも僕の気持ちがちがう。 「そうか。それなら逆にハスケル家と協力することもできるだろうか?」  ライリーがいった。みると冷静な商売人の表情になっている。クルトは眉をあげた。 「さあ。俺はいま父の事業ともほとんど関係がありませんから。もちろん父からこちらについて問い合わせがあれば、保証くらいはできますよ」 「実は船の通行許可証について――」  僕は立ち上がった。静かに動いたつもりなのに重い木の椅子は大きな音を立て、ネッタがはっとしたようにこちらをみる。 「今日はどうも。ゆっくり休んでください。僕はこれで」 「ソール」  あわてて立とうとするクルトを僕は制した。 「きみは話の途中だろう。申し訳ないが、先に戻るよ」  ライリーが訳知り顔で「そうだな。明日発つんなら準備もあるだろうし」とうなずく。ネッタと母が口をひらくまえに僕はきびすをかえした。部屋を出て板張りの廊下を歩き、屋外に出る。道を覆う石畳を歩きながらふりかえった。出てきたばかりの建物の窓から人の声がもれている。  話を打ち切ったのは自分なのに、空虚でさびしい気分だった。身勝手なものだ。僕は祖父の家へと川ぞいを歩いて行った。今日の川は水嵩も減り、なかば暗くなった空を映しながらなめらかに流れている。  歩きながら、やはりネッタに家も土地も売るべきだろうと考えた。思いついて土手にのぼり、川面に魚が呼吸する小さな輪がうかぶのをみる。そういえば僕はあの夜、クルトに川を見たいと駄々をこねた。馬鹿なことをいったものだった。  水を眺めるうちに連想がさまざまに動きだす。ライリーは僕のせいでハスケル家に悪影響が、ひいては父の――いまや自分の――事業に悪影響がないかを心配していた。クルトはあっさり否定したが、ライリーの心配はわからないでもなかった。ハスケル家のような中堅貴族が地方の事業主を目の敵にするようなことになったら、眼もあてられないというものだ。  クルトはライリーの真意をもっと深くまで読み取っているかもしれない。何しろ彼は精霊魔術師で、僕にとっては思い出でしかない力を使えるのだ。  ふいに心の奥底にみにくい嫉妬の感情が芽生えた。それを無視しようと僕は小石を拾い、川になげた。小さな水音とともに水面にさざなみがひろがっていく。ひとつの出来事はべつの出来事につながっている。直接つながっていないことですら、波のように影響して、ひろがっていき……  王都に戻ってきてからというもの――いや、夏に訪れた島での一件以来だろうか、クルトが僕を守ったりかばったりするたびに、僕の中に暗い影がさすのだった。僕のつまらないプライドがその下にあるのはわかっている。さらにその下にあるのはあの不安だ。 「ソールさん?」  知らない声がうしろから呼んだ。僕は生返事をしてふりむきかけた。その時だった。  急に背後から押し倒されて眼の前が暗くなった。耳から頭に痛みが走り、ついで息がとまりそうになる。背中をうたれたのだ。僕は声をあげようとし、実際声は出たものの、情けないうなりにしかならなかった。  いきなり僕を襲った何者かは僕の顔を地面におしつける。外套をはぎとろうとするのに僕は抵抗した。腰につけた手回り品の袋を奪おうとしているにちがいない。僕は足をばたつかせ、はずみでズボンの裾がめくりあがった。  バシッと火花が散った。 「う、うわああっ」  大声と共にのしかかる重みが消え、空気に金臭い匂いが立ちのぼる。腰をさすりながら僕は起き上がった。襲撃者は川の方へ吹っ飛んでいた。堤をななめにころがり落ち、水に落ちる手前で止まっている。  僕はゆっくり、気をつけながら堤を下った。水辺の草にひっかかるような姿勢で倒れているのはありふれた街着の男だった。顔が見える方向に回ると男は僕をみあげ、ヒッと短く声をあげた。村人でないのに僕は安堵した。 「物取りか? こんな手ぶらを襲うなんて、何を考えているんだ」 「あ、あ――あんた……」 「悪かったな。友人の魔術でね、自動的に反撃するんだ。僕は何も持っていないし、追いはぎの意味なんかない。出来心ならさっさと行ってくれ。面倒は嫌いだ」 「でも――」男の首が回り、僕をみた。執拗な目線が僕をねめつける。 「あんた……持ってるんだろう?」  僕はめんくらった。「何を?」 「何をって――きまってる。宝だよ、本だ」  驚きのあまり僕は口をぽかんとあけていた。こんなところでこんな言葉を聞くとは思っていなかった。 「本?」 「あんたが昔盗んだという本だよ! いつも持ち歩いているんだろ?」 「ソール!」  土手の上からクルトの声が響いた。草が擦れる音が鳴る。 「ソール、大丈夫か?」  クルトの声を聞いたとたん襲撃者はよろめきながら立ち上がった。中腰であとずさりながら僕をみつめ、さらにクルトの方をみる。茶色の短髪で、ずれたフードが首のまわりに垂れている。右頬から顎にかけて細い傷が走っていた。男は川べりへ下がっていくと、突然身をひるがえして川のなかへ飛びこんだ。 「おい!」  クルトが叫んだ。僕の横をかすめ、水辺ぎりぎりまで走ってつんのめるように止まる。男はすでに川の中ほどを下流に向けて泳いでいた。高い葦のあいだの流れに乗り、草陰に隠れてたちまち見えなくなってしまう。  クルトが僕の方へ歩いてくる。 「ソール――遅くなってごめん……」 「足環が知らせた?」 「ああ。走ったんだが――ソール、顔に血が……」 「すりむいただけだ。きみの足環が守った」  風が吹いて草を揺らした。寒気で体がぶるっと震える。外套をまきつけなおし、僕は痛む背中をさすった。脳裏を男の言葉がこだましていた。  。そうあの男はいった。  いったいどんな誤解がまわりまわってこんな話になったのだろう。  僕にはさっぱりわからなかった。だがこのとき僕はひとつのことを確信していた。僕を囲むように何らかの出来事が進行しているのは明らかだ。囲む輪の目的はきっと、〈本〉にある。

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