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【第1部 朝露を散らす者】16.静寂の影

『いろいろあったようだが、治療師の役割は十分すぎる以上に果たしたと聞いた。私にとっても誇らしい』  ダーラムが念話でそんなことをいった。  クルトがいるのは王立魔術団の回廊の奥、以前もダーラムと面談した部屋である。白いローブを着た魔術師は肘掛け椅子にゆったりと腰をおろし、その思念はいささか尊大な調子を帯びていた。王立魔術団の最高位のひとりなのだから当然かもしれないが、クルトは多少の違和感も抱いた。  クルトはダーラムとかねてから知己だったわけではない。王国の魔術師のなかでも、施療院を拠点として活動する治療師は、上位の者であってもダーラムのような王宮の魔術師と親しくはないのだ。なのにどうしてこの男は自分の庇護者のように接してくるのだろう。  とはいえ褒められて否定する理由もない。クルトはあたりさわりのない礼を送った。 『ありがとうございます。ただ俺にできたのは苦痛を緩和することだけです。義務でもありますし』  ところがダーラムの言葉はクルトにとって予想外の方向へと流れた。 『メイヤー・プラテックは南方の流通では存在感があった。ハスケル家の領地はあの地の入口にあたるから、水上通行権の管理に商業ギルドを介して関わっているだろう。きみが活躍したことはお父上にとっても良い結果になる』  いや、予想外という以上だ。自分の家名を出されるなど、クルトにとっては異議を唱えたいところでもある。しかし不快感をあからさまに念で示すのも大人げない。クルトは慎重に魔力を調整する。  クルトの魔力とそれを操る技術は数年のうちに大幅に向上していた。念話と同時に伝わる心の色を覆うのはもとより、念で嘘をつくことすらそれほど難しくはないのだ。 『俺はハスケルのために動いたわけではありません。魔力を私欲に使うのは治療師の倫理に反します』 『もちろん。それにプラテックはソール・カリーの血縁だ』  ダーラムは何もかも承知のうえだといいたいのだろう。クルトは性急な反応を意志の力で抑えて答える。 『それでダーラム師、今日の御用は? もう試験は済んだのでしょうか』  今日のクルトは朝から王宮にいるが、早く城下に戻りたかった。実は今朝カリーの店を出るときに、ソールと軽い口論のようになってしまったのだ。ソールは店を開けたいといったのだが、昨夜はあまり眠れなかったらしく、顔色はまださえなかった。クルトには本調子だとはとうてい思えなかった。  ところが休んだほうがいいと助言したクルトにソールはずいぶん素っ気ない身振りをして、冷たい口調でクルトは余計なことをいう、自分は働くほうがましだというものだから、クルトもむきになってしまった。つい勝手にしろといいはなち、助言をきかないソールに腹を立てたまま早足で歩くうち、だんだん頭が冷えて今はすでに後悔している、というわけだ。  そしてやってきた王立魔術団では、とくに仕事があるわけでもなかった。午前中は案内役の魔術師とともに回廊内の部屋をめぐり、出会う精霊魔術師たちに紹介されて終わった。昼には学生時代の懐かしい顔ぶれとも話をしたが、意外な再会はひとりだけだった。庭園で学友のニコラに出会ったのだ。彼女はあずまやに座っていて、ローブの上から以前よりふくよかになった肢体と丸い腹が見て取れた。 「クルト! ひさしぶりね」 「あれ、ニコラ……」 「そう。もうすぐ生まれるの」  学院を卒業してからの彼女は、王立魔術団が管理する飼育舎で精霊動物を育てているという。 「サールには会った?」とつれあいの名をいった。ニコラとサールは在学中から夫婦も同然のつきあいをしていた。たずねもしないのにクルトにひとしきり近況を教え、さらに自分の腹を撫でる。 「年がら年中動物たちをあつかってきたけど、今度は自分の子供を育てることになるわ」 「元気そうだし、よかったな。名前は決めた?」  クルトは反射的にニコラの腹の中を視ていた。男の子だ。 「まだよ。クルト、今でしょ」  クルトは赤くなった。「――ごめん。つい……」  ニコラはいたずらっぽい笑みをうかべた。 「いいわよ。からかっただけ。名前は生まれてから決めることにしているの。クルトはどう? 彼は一緒?」  ソールのことだとすぐにわかった。そういえばニコラはクルトが進路を変更したとき、条件抜きで賛成した唯一の友人だった。 「ああ」 「うまくやってる?」 「ああ。たぶん」 「あなたすごくいい顔になったわよ、クルト」 「それは嬉しいな」  ニコラはふいに念話に切り替えた。 『あなたの選択は正しかった。私は信じてる』  というわけで、本日のクルトにとっての収穫はせいぜいニコラと話ができたくらいのもので、午後になってダーラムに呼び出されたときは、もう出し惜しみはや先延ばしはごめんこうむりたい気分だったのである。  ダーラムもクルトのその気分は承知の上だったのだろう。 『ああ。待たせてすまなかったね』と、平静な思念がクルトに投げられる。 『きみが不在の間に最終的な合意がとれた。召喚の目的を伝えよう。私たちはきみを白の位階に再任命するつもりだ』  クルトはうなずいた。マンセルの「盗み聞き」はまちがっていなかったわけだ。 『我々は位階の変更はめったなことで行わない。だがきみの位階は能力に応じたものとはいえなかった。そしていまの我々には能力のある者が必要だ。座らないかね?』  ダーラムは椅子を指さしたが、クルトは立ったままだった。顎を軽くひき、続きをうながす。ダーラムは腕を組みなおした。 『近いうち王宮内に新しい審議部をつくる計画がある。メストリン王子肝いりの部局だ』  クルトは無表情のままもう一度うなずく。メストリンは第二王子で、継承位は王太子のアピアンにつぐ。現在の王陛下は存命のうちにアピアンに譲位するのではないかともっぱらの噂だった。しかしアピアンは四十歳になるのにいまだ未婚だ。理由はいくつかささやかれているが、公にはされていない。  対して五歳下のメストリンは若くして貴族の息女と恋愛結婚をし、すでに二児の父だった。だからアピアンは王となったら弟を王太子にするつもりだと、これまたもっぱらの噂である。メストリン王子もなかばそれを既成事実のようにふるまっていて、政治的な動きも活発だという。  これらの情報をクルトは父から得ていた。いまの宮廷にはあからさまな派閥はないが、先を読むのが好きなハスケル家の当主はメストリン王子をひいきにしていた。  ダーラムは言葉をついだ。 『わが国は豊かで地の利があるが、他国にくらべればはるかに小さい。我々を豊かに保っているのは産業に交易、そして魔術だ。しかし小国ゆえに脅威はつねにある。隣国や大陸、北方、そして簡単に見えない脅威が我々の内部にもある。新設部ではまず国の脅威に対抗する手段をより迅速に、直接的に使えるように、現在分散して保管されている機密情報を集約する。魔術に関する事柄も、これまで内密にレムニスケート家や王立学院、審判の塔で管理されているものも含め、あらためて内容を吟味する。この百年野放しになっている回路魔術師団の塔も。大仕事だが、メストリン王子は次の時代を見ている』  長い演説だった。クルトが思っていたよりずっと大きな話でもあった。これが事実なら、メストリン王子には王宮の政治地図を変える意志があるのだろう。何しろレムニスケート家と王家の結びつきは古く深いにもかかわらず、それと無縁な――そして明らかに強大な権力を握る部門を作る、というのだから。  いったいこれはどこまで本当の話だろうか?  はっきり予想できることがひとつあった。クルトの父はこれに乗るだろう。 『この部に来てもらいたい。承知していると思うが、今の話はまだ機密事項で、この打診も内々のものだ。受けるなら我々から施療院に交渉する。彼らはきみを手放すのを嫌がるだろう。だが昇階と同時であれば強くは出れない』  クルトは眼を閉じ、心に響くダーラムの言葉をほんの一瞬しめだした。ふたたびみつめたダーラムは上位者の余裕でゆったりと座っている。彼を正面からみつめ、落ちついて言葉をつむぐ。 『ありがたいお誘いです。ただ、今の俺は自分が治療師であることに意味を見出しているんですが』  この返事をダーラムがどう受け取るか。クルトは政治的な野心の持ち主と昔から親しく接していた。何よりも父がそうであり、自分もある時期まではそうだった。同時に学んだこともある。野心家にまっすぐな拒絶を与えるのは危険だ。彼らは敵と味方を峻別する。  ダーラムはクルトの返事を予想していたのかもしれない。余裕の微笑が口元にうかぶ。 『この場で決める必要はない。これだけは伝えておこう。きみが加わることで、ハスケル家の歴史にとっても非常に大きな一歩となる』  早く帰ってソールに伝えなければならなかった。王城を出たクルトは足早に城下をぬける。思い出して食料は手に入れたものの、ほとんど小走りにカリーの店の前まで来たとき、扉の向こうによく知った気配を感じた。  若葉のように明るく軽い調子の、これはマンセルの気配だとクルトは一瞬で判別する。得意げで高慢なのは嬉しいことでもあったのか。古本だと馬鹿にしていたカリーの店にわざわざ来るのは、教師に書物を指定されたのかもしれない。思えば自分がはじめてこの店の扉を開けたときもそうだった。  クルトは扉をそっと押し開ける。ソールのかすれた声が聞こえた。 「それは初学年の範囲を超えている。間違いはないか?」 「ここは書店なんだろう。黙って僕がほしいものを出せばいい。僕は進度が速いんだ。先生も驚かせるくらいにね」  やれやれ。クルトは内心ため息をついた。マンセルはまだすこしも学んでいないらしい。するとソールが助言する声が聞こえた。 「『精緻』を買うなら『慰め』も必要じゃないか。教師は同時に勧めるはずだ」  クルトにはすぐ合点がいった。『精緻』も『慰め』も魔力の集中と解放を学ぶための文献である。正式にはもっと長い題名なのだが、王立学院の学生は必ず接する書物でもあり、縮めた愛称で呼ばれている書物だ。『精緻』の方が魔力のコントロールについて魅力的な書き出しをもっていて、だから最初はみなそちらに興味を惹かれる。しかし教師は『慰め』をまず読めというのが常だった。結局『精緻』からはじめようとした者も『慰め』に戻るのだが。  何にせよ、学生がそろってこの二冊を買い求める時期なら新しい版も他の場所に出回るのだが、今はカリーの店以外にはないのだろう。魔術の教本を扱う店は限られている。しかしマンセルは居丈高に――といっても少年の高い声では迫力もないが――いいはなった。 「『精緻』だけでいい。さっさと包んでくれ」  たまらずクルトは割って入った。 「マンセル。言葉遣いをあらためろ」 「――クルト兄さん!」  声を聞いたとたんマンセルはふりむき、花ひらくような笑顔をうかべる。 「ごめんなさい、ちっとも気づきませんでした」  気づかないようにしていたのだから当然だ。それにしてもあまりにも素直なマンセルの反応に、直前まできつく叱るつもりでいたクルトの気分はそらされてしまった。 「マンセル。ものを頼むときにそんないいかたはだめだ」 「でもクルト兄さん、僕は買い物に来ていて」 「んだよ。おまえの地位にふさわしい態度が何なのか、よく考えろ。――ソール、すまない」  ソールは口元をゆがめるようにして笑った。 「では『精緻』だけ?」 「いや――」クルトはためらった。「『慰め』もだ。俺が払う」 「兄さん、でも……」  マンセルが釈然としない様子で口をはさんだが、クルトはかまわなかった。 「どうせ必要になるんだ。買ってやるよ」  何がどう効いたのか。マンセルからぱっと明るい感情が漏れた。ソールから書物を受け取るとクルトの袖を引いて店の外に出ようとする。 「クルト兄さん、せっかく会えたから――」  クルトは苦笑した。 「俺はいま帰ってきたんだぞ。ソールは具合がよくないし」 「あの人ならふつうにお店をやってますよ」 「」  クルトの口調にようやくマンセルは悟ったらしい。本の包みを小脇に抱えて礼をいい、やっと路地を去っていった。やれやれとクルトは思った。弟分としては可愛いものだが、どうにかならないものだろうか。階級が本質的な意味を持たない場所や相手がいるのだとマンセルに教えるにはどうしたらいいものだろう。  カリーの店に戻ると、ソールは机に向かってペンを走らせている。 「ソール、ごめん」  ソールはクルトの声に顔をあげ「何が」といった。 「マンセルだ。教育がなってなくて」 「べつに」ソールは淡々といった。 「あの年で学院に入るんだ。生意気なのは仕方ない。修得進度が速いならなおさらだ。魔力量が多くて才能もあって領地もちの貴族とそろえば、だいたいあんなものだ」  クルトは赤面しそうになった。かつての自分を思い出したから――とは認めたくない。ソールの口調にもいくらか刺が感じられて、何年も前にこの店を最初に訪れたときの彼を思い出させた。そういえばあのときのソールは今思うとずいぶん愛想が悪かった。ソールはクルトをちらりとみてペンを置いた。 「今日はまともな客がぜんぜん来なかったからな。あの子が買ってくれただけましだよ」 「『慰め』の代金だが……」 「そこに置いてくれ。そうだ、クルト。午前中にヴェイユが来た」 「ヴェイユ師?」 「カルソンを捕まえたという話で……」ソールはふとあたりを見回す。 「きみも戻ったし、今日は閉店するか」  クルトは戸口に置きっぱなしにした食料の包みを思い出した。 「ソール。夕食にしよう。話を聞かせてくれ」  朝よりはましかもしれないが、クルトの眼にソールの体調はまだ完全とはいいがたい。いつもと同じように向かいあって食事をしても、言葉の調子が平坦で覇気がないように感じられるのだ。とはいえ、カルソンが捕まったことや、カルソンの証言で図書室の窃盗に関連する者もわかったと聞くと、クルトはひとまず安心した。 「図書室の窃盗計画に関して僕が依頼されていた調査――ヴェイユに頼まれていた件だが、あれもこのさきは彼の手から離れるそうだ。騎士団や審判の塔がちゃんとした形で動くらしい」 「それならよかった」 「予想通りだが、組織的なものらしいな。カルソンが僕を狙ったのも誰かの入れ知恵という話で、引き続き調べるそうだ。借金のかたに稀覯本を盗むなんて迷惑な話だよ。ともあれ僕は用無しになった」  ということはソールの仕事は減ったのか。彼の負担を減らしたいクルトにとっては良い話だった。しかしソールは堅い表情のまま店の方を向いて「せっかく店を開けたはいいが、ろくに人はこなかったな」とうしろ向きのことをいう。 「ヴェイユ師がきて、マンセルが来て、ほかは?」とクルトはたずねた。 「ああ、レナードが来た」ソールの表情が明るくなった。「いつも気が利くというか――親切なひとだな、レナードは。父の訃報と僕の見舞いと……サイモンから話を聞いたらしい。そうそう、夏に発掘した遺物なんだが」  ソールはレナードに頼まれていた標本の年代について話しはじめ、すると急に活力を取り戻したようだった。クルトにとって初めてのことでもなかった。新しい知識や新しい観点を考察するのがソールにとっては何よりの薬、元気のもとなのである。  恋人が元気になるのはもちろん嬉しい。なのにクルトの胸の中には面白くない気分がわきあがる。理由はもちろんわかっている。ソールが生き生きと話す声は耳に心地よいが、そのきっかけが自分ではなく、レナードなのが癪に障るのだ。 「以前ヴェイユが、古代語や古代文字の文献が古すぎるし自分も忙しいから本も書けないという話をしていたが、レナードはこの方面にも手を貸すつもりがあるらしい。そこまで理解のある貴族はめったにいないから彼にはいつも感心……」  ソールはふと言葉をとめた。「――悪い。ひとりで喋って」 「まさか」クルトは笑った。「元気になった?」 「ああ――まあ」 「キスしていい?」  返事を待たずに立ち上がり、テーブルを回って座ったままの恋人の肩を抱く。  まだ体調が戻らないなら口づけだけにしておこう、そう思っていたにもかかわらず、いったん唇を重ねるとクルトの若い体は素直に反応をはじめてしまった。 「……したい」  たまらずクルトは耳元でささやいた。ソールは首を小さく振る。 「だめだ、クルト。まだ店のしまつが――」 「あとでいいだろう?」 「あとって、でも」 「俺も手伝うから」  クルトが強く押せば、あまり望んでいなくてもソールは抵抗しない――あるいはできない。だからあえてソールの望まないことはしない。そういつものクルトなら思うところだ。なのに今日は抑制がきかなかった。深く噛みつくような口づけでまたもソールの唇をふさぐ。背中から腰へ手慣れた愛撫をはじめると、知りつくした体はたちまちクルトの指に応えた。肘がテーブルに当たって食器が鳴った。  ソールはびくっと震えたが、クルトは意に介さなかった。ひきずるように床へ押し倒し、覆いかぶさってまた口づける。自分の怒張を押しつけながらゆるんだ服の下の肌を手のひらでさぐり、中心を暴いて撫であげる。クルトの舌に口腔を犯されながらもソールは背中をびくりと震わせ、おかげで欲情がさらに煽られる。  今朝のちょっとした口論のせいだろうか。それともマンセルが帰った後の刺のある様子のためか。ソールの素直な表情――もっとはっきりいえば、欲望に啼く様子をみたかった。俺はつまらない嫉妬をしているわけじゃない――とクルトは思う。  いったんそう思いこむと欲望は止まらなかった。おたがいの唾液をひきながら舌でソールの耳を弄り、彼のシャツの前を性急にひらく。クルトのまなざしのもとで薄紅色をした乳首がたちあがる。唇に含んで歯を立てると、すでにかすかな喘ぎがもれていたソールの口から悲鳴のような音が放たれた。 「痛っ――あ、あ……」  床の上に砂色の髪が煽情的に広がった。ソールはぎゅっと眼を閉じているが、下穿きはすでに濡れているし、声は甘い色をおびている。クルトは唾液で湿らせた指でさらに奥をひらいた。快楽の中心をていねいに擦るとソールの腰がびくんと震え、たちあがった先端にしずくがたまる。 「クルト、ああ――あ、ああ」  クルトの愛撫に慣れた体はもう彼を待ち構えているようだ。クルトはソールの足をひらかせ、膝を曲げて腰を抱き、後口へ猛ったおのれを突き立てる。ソールは苦しそうに眉をよせるが、それもわずかのことだった。唇から甘い声があふれ、快楽に頬を染めると、うるんだ眸がクルトをみつめ、そらされる。 「あ……ソール」  クルトはつぶやく。困ったことに今日の自分はまったく抑制がきかないらしい。何度か腰を打ちつけただけで達してしまいそうだ。  と、追いつめられたようにソールが高い声をあげた。内側がうねるように動き、しめつけられたとたんに暴発してしまう。  ソールもほぼ同時に達したようだ。しずくがよせあった肌のあいだを垂れた。温もりを感じながらクルトは砂色の髪を撫でる。ソールが長い息をついた。 「クルト……疲れた」 「――ごめん」 「店――」 「俺がやる。わかる範囲で。抱いていくから、もう寝て」 「……いいよ」  そういわれても今度ばかりは――いや、今度もというべきか――引き下がるわけにはいかなかった。クルトは乱れた服を拾い、ソールを助けて寝台に連れて行き、横たわる彼の体を拭った。 「ソール」 「ん?」  疲れたといった通り、ソールはもう眠そうだった。 「好きだよ」  クルトはささやく。今まで何十回同じことを告げただろう。それでもいわなければならないという気がした。 「ああ……」  ソールの眸がひらき、うすい唇が微笑む。 「クルト、思ったんだが……やはり寝台を新しいのに変えよう」 「なぜ?」 「狭いだろう? きみが一緒だと。まだ王都にいるのなら……」  言葉は途中で切れてしまった。ソールは本当に眠ってしまったらしい。  クルトは寝息を乱さないようにそっと毛布をかけると階下に降りた。きしむ床板を踏んだとき、急に話し忘れていたことを思い出した。ダーラムからの打診について、ソールに知らせるのをすっかり忘れていたのだった。

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