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【第1部 朝露を散らす者】24.歌う泉

「ハスケル。乗れるか?」 「もちろん」  クルトはラジアンから手綱を奪うように受け取った。ローブをまくってひらりと警備隊の馬に飛び乗る。ラジアンが意外そうな眼でみる。 「慣れているな」 「動物とは気が合う」  嘘でもはったりでもなかった。子供のころから犬や猫、鳥、馬など、ハスケルの領地の動物たちはクルトの味方だ。クルトの魔力は地上の生き物と相性がいい。ラジアンも馬にまたがり、腰の剣が鳴った。 「行くぞ」  そのまま王城の門を抜け、カリーの店目指して蹄を鳴らして街路を駆け抜ける。騎士の馬とみた通行人や馬車が自然に道をあけた。  王都の城下を早馬で駆けられるのは騎士と部下の警備隊員に限られる。例外は使者だけだ。だからクルトは足環の異変を感知してすぐにラジアンを探したのだった。幸いにも大柄な騎士は話をすぐに話を飲みこんだ。城下の警備隊へ王城から伝令を走らせ、クルトにも馬を貸したのである。  ふたりがカリーの店の前へ到着した時にはすでに見覚えのある警備隊員が待っていた。ラジアンを見るなり「開きません!」と大声で叫ぶ。「鍵がかかってます」  正面扉は内側から施錠されているように見え、クルトは素早く裏口に回った。裏口の錠は回路魔術を使うもので、魔力で作動する。クルトが今朝出たときのままで、異変は感じられない。 「ソール!」  入ってすぐに大声で呼ばわるが、店内に足環が――つまりソールがいないのはわかっていた。明かりも消えて薄暗いが、台所も今朝クルトが食事をとったテーブルもきちんと片付けられている。しかしその向こう、ソールがいつも仕事をする机の上は乱れていた。椅子が横倒しになり、皺のよった紙が散乱している。ラジアンがブーツを鳴らして書棚の前を通り抜ける。 「おい、内鍵はかかっていないぞ。なぜ開かない」  そうか。クルトは舌打ちし、その場で魔力の網を広げた。この店を覆うように巡らした回路魔術が生み出す〈力のみち〉の中に、調和しない色がひとつある。クルトは眼を細め、敷居に挟まれた薄い板を引っ張り出した。バタンと音を立てて扉がひらく。クルトは銀線で描かれた模様をちらりとみて、床に落とすとかかとで踏みつけた。一時施錠に使うありふれた回路魔術だった。 「警報は鳴りませんでした」警備隊のひとりがいった。 「少なくともソールは鳴らす必要を感じなかったわけだ。外から忍びこんだり押し入ったりもしていないし、ご丁寧に鍵をかけている。ハスケル、ソールがつけているあれを感じるか?」 「今探してる」  すでにクルトの感覚はカリーの店を起点に拡張していた。集中するためにうつむいて両手を組み合わせる。意識にうかぶ像は青と金が縞になり、蛇のようにのたくりながら街路の先へのびている。魔力の網を王都の境界まで一気に拡張した瞬間、ひたいに泡立つようなちりちりした感触をおぼえた。 「もう王都にはいない。痕跡はわかる」  クルトは顔をあげた。悔しさで腹の中が煮えたぎる。 「あの馬、貸してくれ。追わないと」  ラジアンが顔をしかめた。 「どこへ向かった? 俺が部下と向かう方が速い」  クルトは眼をむいた。 「相手は魔術師だ。それに足環のゆくえがわかるのは俺だけだ」 「それでもおまえひとりは駄目だ」ラジアンはにべもなくいった。 「一度王城に戻るぞ」  馬で王城に駆け戻ると、騎士団の厩舎でレナードが待ち構えていた。彼らしくない緊張と動揺が放射され、馬たちが落ちつかない様子だ。レナードはラジアンに何事かささやいているが、クルトには聞こえなかった。クルトはヴェイユへ念話を投げかけた。ソールが危険だと伝えたのに、どういうわけか返答がない。  ラジアンの部下の騎士がふたりあらわれ、ずんぐりした方がクルトにべつの馬を選べといった。クルトは厩舎をみまわした。隅から二番目の囲いから顔をつきだしている鹿毛と眼があった。 「彼にする」 「あいつは気性が荒いぞ」  クルトはかまわず「あの子の名前は?」とたずねた。 「キーンだ。こいつを持っていけ」騎士は鞍袋をもちあげる。 「装備は最小限だ。剣は?」 「俺はいらない」  騎士はクルトとあまり変わらない年頃にみえた。肩をすくめて「俺はタイラーだ。あいつはヘンリー」ともうひとりをさす。 「クルト・ハスケルだ」 「ハスケルね」  思わせぶりな口調は家名に反応したのだろうが、クルトは些細なことにかまっていられなかった。キーンはクルトに静かについてきた。気性が荒いとは思えなかった。馬の穏やかな想念にみずからの心の一端をのばし、これから追っていく青と金の縞をみせてやる。キーンの好奇心が動いたのがわかった。賢い子だ。 「気をつけて」とレナードがいったとき、ヴェイユの声がクルトの心に響いた。 『ソールに何があった?』 『連れ去られました。これから追います』 『誰の仕業か見当がつくか?』  クルトはサージュの浅黒い顔を思い浮かべた。 『俺の予想は最近カリーの店に来ていたサージュという男です。港湾都市の書店で会った男です。ソールは友人だといっていましたが』 『調べる。こちらはいま取り込み中だ。あとで連絡してくれ』  ラジアンが先に立ち、一行は列になって北西の門へ向かった。クルトの気は急いていた。ラジアンは馬上から門のかたわらに立つ警備隊に手をあげた。そのときだった。肩をいからせた禿頭の男が門の脇からあらわれ、立ちはだかった。 「どこへ行くのかね?」  命令に慣れた声色だった。男は濃い灰色の上着をまとっていたが、ラジアンは苛立ちを隠さなかった。 「騎士団の任務だ。審判の塔の者か? 緊急だ。どけ」 「許可書は? カリーの者の案件だろう」 「おいおい」  ラジアンはあきれ顔で首をふった。 「耳が早すぎるぞ。緊急だといっただろう。一刻を争うんだ」  男は両手を腰にあてた。馬上のラジアンを睨みつける。 「こちらに一報もなく動くのは越権行為だ。この点についてはこれまでさんざん話をしたはずだが? カリーの者になにがあった?」 「ふざけるな。邪魔したいのか?」ラジアンは吠えるような声を発した。 「連れ戻しに向かうだけだ。審判の塔(おまえたち)の意向でもある」  禿頭の男はひるまない。 「何の権限でそんな口を聞いている。私を誰だと?」 「知るか」  ラジアンは吐き捨てた。クルトのうしろにいる部下の騎士からも薄く怒りの放射がのびる。クルトも苛立っていたが、一方で妙な違和感を感じてもいた。立ちはだかる男から発散される矛盾した感情のためだった。クルトは男の顔を注視する。抑圧的なふたつの義務が男のなかで争っている。はっと気づいて見つめなおす。自分はこの男を知っている。  といっても、審判の塔の中で会ったわけではない。王立魔術団が課した「試験」のために王城へ通っていたとき、数回この禿頭を回廊で目撃したのだ。審判の塔の濃灰の上着を王立魔術団で見ること自体はおかしなことではない。だがこの男は、いつもダーラムのいる部屋へ向かっていなかったか。 「本件の裁量は騎士団、いや俺にある」ラジアンがまた吠えた。 「これは王宮とレムニスケート家の委任事項だ。カリーに何かあれば泣くのはそちらだ。通るぞ」  それを合図だと受け取ってクルトは先に飛び出した。キーンの足取りはたしかだった。馬の勢いに押されたように禿頭の男が門の脇に退き、ラジアンとふたりの騎士がクルトのあとに続いた。 「ソールは川を越えたんだな? おまえが先に行け」  ラジアンが叫んだ。クルトはうなずいた。城下の街並みからそれ、王都の境界となる川の方向へ疾走する。そうしながらも魔力の網をさらに拡げ、拡げながら自身の力のみなもとへ意識を集中した。クルトの力の根源は山中に湧く泉に似て、深いところですべてつながっている。脈打ちながらクルトの奥底から力をくみ出し、臨界に達した輝きが世界へと解き放たれる。  唐突にみえない枷が外れたのがわかった。自由になった魔力がクルトの身のうちからあふれてくる。これまで知らなかった力の門がまたひとつ開いたようだった。足のあいだに感じる馬の脈動が楽音となってクルトの心に響き渡った。キーンの駆けるリズムに合わせて新しい歌が生まれてくる。達したことのなかった深い場所から新しい泉が湧きだしたようだ。  泉から流れるせせらぎに合わせてクルトの心は歌いだした。足環の魔力の痕跡は旋律となってクルトを導く。ソールはこの先にいる。

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