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【第2部 星々の網目にて】6.散乱星

「まったく、騎士団幹部と守護魔術師が追ったにもかかわらず、このていたらくか」  濃い灰色の上着の男が椅子を引きながら嫌味な口調で吐き捨てた。禿頭に灰色の眉毛が目立つ。ソールを探しに出発しようとした時、ひきとめてきた審判の塔の男だ。ラジアンがムッとした声をあげた。 「一刻を争うときに邪魔をしたくせに何をいってる。間に合わなかったのはそっちのせいかもしれない」  禿頭は騎士の苦情を聞いているのかいないのか、テーブルの端に座るセッキに視線を流して「回路魔術師の足環も破壊されては役立たずだ」とつぶやく。ラジアンがさらに口をひらきかけたそのとき、太い声が止めた。 「ラジアン、今はやめなさい」  クルトはテーブルではなく部屋の隅の椅子に座っていた。ラジアンを止めたのはレムニスケート家のセルダンである。ラジアンと同じくらい大柄で騎士のような体格をして、身につけているものも騎士服に似ているが、襟に徽章はない。  レムニスケートは代々騎士団長を輩出する家柄で、同時に師団の塔との関係も強かった。高齢の当主はめったに王宮に現れないが、嗣子のセルダンは王太子のアピアン殿下と懇意で、事実上レムニスケート当主代理と周囲にみなされている。他に部屋にいるのはアダマール師とヴェイユ、それに王立魔術団のダーラムだ。 「カタン殿も落ちついてください。対策を話し合うためにここに来てもらったのだ。足環で敵を撃退はできなかったが、跡を追う役には立った」  カタンは大審判長の下にいる四人の審判長のひとりだった。審判長となったのは比較的最近のことらしい。クルトの感覚に満足げな感情が伝わってくる。嫌味を口に出しはしても、実はカタン自身はそれほど苛立ってもいないようだ。ソールを失った焦りでいっぱいなのはラジアンの方で、カタンはそんな彼をつついて楽しんでいるのだった。嫌な男だ、とクルトは思う。 『ハスケル、自分はここにいないものと思え。黙っていなさい』  テーブルのヴェイユから念話が飛んできた。クルトは表情を動かさずに了解の応答をする。この秘密の会合でクルトはもっとも若く、ここに呼ぶのは一種の証人の役割を果たしてもらうためだとヴェイユはあらかじめ釘をさした。どうやら彼はクルトがこの場にいることに反対の者がいるのを遠回しなやり方で押し切ったらしい。クルトが学生だった頃この教師はソールの事情からクルトを遠ざけようとしていたが、今はむしろ逆である。 「対策もですが、まずは現在の情報を確認するのが先だ。ここはアダマール師にお願いできますかな」  ダーラムがアダマール師に視線をやった。長いテーブルの奥の端でアダマール師はうなずいたが、口を開いたのは隣の角に座ったヴェイユだった。 「誰がソールを連れ去ったか、学院は把握している」  部屋はしんと静かになった。 「ソール・カリーを書店から連れ出したのはサージュという男だ。隣国でランディという男が経営する書店を拠点にしている書籍業者だが、学院の図書室で保管する書物を狙った窃盗団の一員か、あるいは彼らの指示でソールを拉致した。窃盗団は『朝露を散らす者』だとわかっている。わが国だけでなく、各所で稀覯本を集中的に狙う窃盗団だ。『朝露を散らす者』という名前そのものは古い記録に稀にみられ」 「ヴェイユ師」セルダンが手をあげてさえぎった。「申し訳ないが、今はソール・カリーの拉致とその後の進展についてだけでいい。細かいことが必要な場合は後でうかがう」  ヴェイユは無表情でうなずくと先をつづけた。「ソール・カリーは船で連れ去られた。新型の快速船だ。行き先は北方連合に所属する島――」  続けて口に出されたヴェイユの言葉はクルトには発音不能なものだった。その場にいた者のほとんども同じだっただろう。 「訳すと『古き天空の知恵』といったものになる。北方の古語で、現地でもこの名で呼ばれることは少ない。通称は『果ての塔』――島の領主で学者のバトモア・レイコフが建てた観測塔の名で呼ばれている。この塔からは天の果てまで観ることができるという噂があるらしい。北方連合は女王のもとに三つの民族が束ねられている国家だが、レイコフは先代の女王からこの島を領とする永劫の権利を与えられている」 「どこからそのことを知った?」すかさず審判の塔のカタンがが横やりをいれた。「捕虜の尋問を我々の立ち合い抜きでやったのか?」  ヴェイユはクルトの方を見やった。 「ハスケルがサージュを治療するあいだにわかったことだ」  クルトは黙っていた。この会合は王立学院の奥で開かれていた。機密の会合が王宮ではなく学院で行われるのは異例に思える。しかしソールは〈本〉をめぐる事件以来、宮廷の権力をめぐる複雑な網に結びついている。そこにはレムニスケート家と騎士団、回路魔術師団の塔という繋がりがあるほか、王立魔術団や審判の塔も個別の結びつきをもっているのだ。  一方学院はこの国で長年、政治の中枢にかかわる精霊魔術師を輩出してきた。中立の立場でつねに網の中間にあり、だからこそ今回の会合場所に選ばれた――というのが表向きの理由だ。  実態として、学院もまた宮廷権力を構成する網目のひとつをなしているのだと今のクルトは悟っていた。今回学院で会合がもてたのは、いまのところアダマール師が事態の主導権を握っているからだ。  カタンはまだ何かいいたげだったが、ヴェイユは無視して口を開いた。 「で、『果ての塔』のレイコフだが、彼は古代魔術を復活させようとしている。古代に失われた『呪文』を使う魔術だ。サージュによると、レイコフは我々の精霊魔術や回路魔術とはまったく異なる方法で『力のみち』を操る。古代魔術はレイコフにとっては古代のものではない」  テーブルは静かだったが、魔術師以外の面々からは張りつめた糸のような緊張が伝わってきた。クルトがダーラムに眼をとめたのはただの偶然だったのか。ダーラムの表情も硬かったが、クルトにはなぜかこの魔術師が退屈しているように感じたのだ。まるでヴェイユがわかりきったことを話しているとでもいうように。 「しかし古代魔術の完全な復活には足りないものがあり、レイコフは女王の庇護のもと金にあかせてこれを探させていたようだ。ソール・カリーによって最後の鍵が手に入ると知り、彼を拉致した。カリーの店と禁書に関する機密情報もどこからか漏れたようだ」 「つまりそのレイコフとやらは魔術師でもあるということだな」  回路魔術師のセッキが突然口をはさんだ。 「彼が古代魔術を復活させようとするのはなぜだ? 面白いからか?」 「まさか。そんなことで女王の庇護をうけられるものか」  馬鹿にしたようにカタンがいった。セッキが返事をするより早くヴェイユが答えた。 「サージュはレイコフの野心までは知らない」  テーブルの外で議論をみつめながら、クルトはサージュを〈探査〉した時を思い起こしていた。たしかにサージュはレイコフの野心について正確なところは知らなかったが、北方連合の現在の状況は明確に理解していた。彼らは南方に興味があるのだ。この国の頭越しに資源と大陸への港をもつ隣国が欲しいのだった。この王国自体は北方連合からすれば通り道にすぎなかったが、だからこそこの国をぐるりと防備する回路魔術は彼らには大きな障害となる。  レイコフはこの防備を破る手段を手に入れるという餌を連合の権力者にぶら下げ、資金をかき集めていたのだった。同時に影から彼らを操ってもいる。  ひとの心の中は、記憶にとどめられた出来事の像がモザイクのようにならび、連なっていく迷宮だ。〈探査〉はこれらの出来事を取り出して解釈する。クルトの魔力の侵入を止められないと悟ったサージュは、しまいにはやさぐれた口調でこう話した。 「北方連合が隣国を攻めるのなら、この国の選択肢はふたつだな。ちがうか? 隣国に協力して共に戦うか、隣国を売るかだ。今でこそお隣とは王家も縁戚になっているが、敵だった時代も長い。それにこの国は戦いを厭う。回路魔術の防備に剣を向けつつ、一方の手で金をぶらさげて買収するなんてありふれた駆け引きだ。金と権力を眼の前にしたら売り物を探す輩はどの国にもいる。王家への忠誠心の見直し時だな」  クルトはテーブルにつく人々をひとりひとりみつめた。アダマール師、ダーラム、ヴェイユ、セッキ、カタン、セルダン。レナード・ニールスがこの場にいないのはクルトが王都に戻った時点で王宮の命で隣国へ向かっていたためだ。 (金と権力を眼の前にしたら)  ここにいるような面々がそんなことをするとは考えたくはない。ないが…… 「そのレイコフはソール・カリーの問題、例の〈本〉の封印を解くつもりなのか?」  そうたずねたセルダンのあとでカタンが皮肉な声をはなつ。 「王立学院は十年以上それを調べてきて、結局何もわかっていないと聞くがね」 「私が知りたいのはそんなことではない」  セルダンは穏やかに、だが断固としていった。 「ソール・カリーは〈本〉の内容を思い出せない。〈本〉の持つ魔力や知識に関して彼の記憶は封じられているわけだ。仮にレイコフがその解放に成功したら何が起きるんだ?」  はじめてアダマール師が口を開いた。 「我々はソール・カリーと〈本〉について何の推測もしなかったわけではない。そして実は最近、彼の状態について我々はひとつ結論を出した。これはクルト・ハスケルの守護と長年にわたるソールの協力の賜物でな」  クルトの背筋がぞくりと粟立った。自分に言及されたのは意外だったが、それ以上に師の声の響きに、ぞくりとクルトの背筋が震える。 「我々はソール・カリーの事故が起きた状況を綿密に調べてきた。はっきりしているのは、あの〈本〉はこれまでも魔術師を――あれをまともに読んで理解しようとした者を破壊したということだ。カリーの店が引き取った時、すでに呪われた本だといわれていた。あれを先代のカリーに預けたのは私だ」  驚きにクルトは眼を見開いた。アダマール師は淡々と語った。 「あれはとある屋敷に放置され、魔術師を喰うモノとして噂の温床になっていた。魔力が強い者にのみ反応することはその時点でわかっていたから、そのまま学院へ持ち込めなかった。カリーの店はああいった書物の扱いに慣れているから、一時的に預けるのは通常の手順でもあった。しかしそこでソールがあれをみてしまったのは私の不注意による。だからソール・カリーの事件のそもそもの責任は私にある」  アダマール師の薄い白髪が揺れた。クルトは彼から視線をはずし、ふとダーラムの口元に一瞬だけかすかな薄笑いをみたように思った。彼の方へ魔力の網を広げかけて、さすがにこの場でそれはないと思う。だが刺のように心をひっかくものは消えない。  アダマール師はさらに話を続けている。 「魔力に反応する魔術書はときどきある。からくり箱のようなものだ。所有者を認めるもの、他の巻本に反応して秘密の付記がひらくもの、不用意な取り扱いを避けるよう警告を発するもの。だがソール・カリーが読んだ〈本〉は、そういった魔術書とは異なる。あれは伝説で『力の書』と呼ばれるものだ」  ふいにヴェイユが手をあげた。「師よ、私に先を」  アダマール師はうなずいた。ヴェイユは静かに言葉をつないだ。 「『力の書』はこの世界の――より上の次元にある力の源の通路となっているがゆえに『力の書』なのだ。十全な魔力を持った者が読むことで力への扉がひらかれる。しかし通常それは最後まで成し遂げられない。なぜなら〈本〉が繋ぐ力は、ひとりの人間の心では支えられないほど巨大だからだ。〈本〉をひらいた魔術師の方が先に燃えつきてしまう」 「だから燃えたんだな」  ラジアンがつぶやいた。ひとりごとのようだった。 「しかしあのとき、あの場にはふたりの人間がいた。ソール・カリーとランダウ・ダヴィーチ。ソールはあのときランダウに魔力を注いで〈本〉の力に負けかけた彼を護ろうとした。自分の魔力の源にランダウをまるごと写し取り、一種の像を作るという方法を使って」 「それは|形代《かたしろ》の魔術だろうが。禁術ではないのか?」  カタンがいった。ヴェイユは応答しなかった。 「結果的にこれが幸いした。ソールが構成したランダウの像が『力の書』に対してある種の操縦桿の役割を果たしたからだ。そうでなければランダウを飲みこんだあと、『力の書』はソールもすぐに飲みこんでしまっただろう。いまだに『彼』――ランダウはソールの中で〈本〉の力を受け止めている。ソールはあの状況で無意識にこれを成し遂げた。彼の生来の能力あってのことだ」 「だがソールはランダウのことを覚えていない。魔力もなく……」  そういったのはラジアンだった。ヴェイユはうなずいた。 「ソールの魔力は自分が無意識につくったこれらの繋がり――ランダウの像と〈本〉の繋がりを維持することに向けられている。これが外部からの魔力を阻む防壁にもなっていると、最近私は考えている。魔力はソールをぎりぎりのところで生かしているだけでまったく表に出てこないから、彼は一見魔力欠如者にみえるが、実はそうではない。防壁はソールの意識を超えていて、しかもランダウの像をまるごとソールから覆い隠している。おそらく防壁がなくなればソールはランダウを認識できるようになり……きっとそのむこうにある〈本〉にも繋がるだろう」 「ではソール・カリーの防壁を取り去ることで〈本〉の封印を解くことができる? そうなると何が起こる?」 「それは……」  問いを投げたセルダンを見返すヴェイユのまなざしに珍しく迷いの色が浮かんだ。眉間にしわをよせ、何かを懸念するように語尾を濁す。 「ソールが――あるいは彼の中のランダウの像が……封印を解くだろう……」  その時アダマール師のきっぱりした声が響いた。 「待ちなさい。王立学院はソールの防壁を取り去ることに賛成しない」 「なぜだ?」セルダンが問いかける。 「なぜ?」アダマール師はオウム返しにいい、四方をぐるりとみた。「ソールが自分の中に作り上げた『ランダウ』に吸収されてしまう可能性があるからだ」  クルトは眉をよせてアダマール師をみつめる。その先の言葉が怖かったが、聞かないわけにはいかない。師はそんな自分に気づいているだろうか。 「ソールが『力の書』の炎の中で作り上げた『ランダウ』は写し絵、人形のようなものにすぎないが、〈本〉の力と直接つながっている危険な存在でもある。ランダウ――『彼』は固有の意思をもたない。だからこそ防壁があるのだと我々は考えている。もしソールが『ランダウ』に吸収されれば、ソールもまた人形となってしまうかもしれない」 「なるほど。わかった」セルダンが腕を組んだ。 「整理しよう。つまりこういうことだ――ソール・カリーの防壁がなくなり〈本〉の封印が解かれれば、彼は意思を失って暴走し、あるいは意思を失った彼を手中にした者に武器として使われる可能性がある。レイコフはどうやってか、ソール・カリーの情報を入手した。彼はカリーの防壁を破壊する手段を持っているか、少なくとも見当がついている可能性が高い。そこでカリーを拉致した。つまりレイコフは『力の書』が自分の魔術を完成させる鍵だと思っているのかもしれんな。ソール・カリーの中にある〈本〉が間違いなく『力の書』なら、北方連合は手段を手に入れることになる……わが国の防備を破り、隣国に攻め入るほどの手段だ」  クルトはごくりと唾を飲んだ。カタンが咳払いした。 「やはり――ソール・カリーを騎士団や学院にまかせたのが間違いだったのだ。そもそものはじめから我々が」 「審判の塔に何ができたというのかね」  鋭い声でアダマール師がいう。カタンは眼をむいた。 「彼を王都から――いや、王城から出さないでいることはできたはずだ。手をこまねいているうちにその封印が解かれたらどうなるか、わかったものじゃない」  いや、その前にソールを連れ帰ればいい。  たまらずクルトが口をひらきかけたまさにそのとき、ラジアンが先を越した。 「我々騎士団はそれより前にソール・カリーを取り戻す。至急『果ての塔』の場所を特定し、侵入すればいい」 「取り戻してどうする。王城へ幽閉するのかね」  口をはさんだのはしばらく沈黙していたダーラムだった。その声は奇妙なほど艶やかな響きを帯びていた。 「もし遅かったら? 古代都市をほろぼした力を他の国に渡すわけにはいかない。もともと〈本〉は王国のものだ。我々がソール・カリーの処遇を決めるのが正しい。万が一の場合、彼の命を奪うことも含めて」

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