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【第2部 星々の網目にて】16.窓の星
「おい、そこのふたり。止まれ」
王城の門を抜けようとした、まさにその瞬間だった。王城警備隊の声にクルトは足をとめた。連れの手を握ったまま振り向き、笑顔をつくる。
「どうしました?」
「クルト・ハスケル。そうだな?」
クルトと同じくらいの年齢の騎士が顔をしかめていた。
「王立魔術団がおまえを探している。王城から出すなということだ。こっちへ来い。おまえもだ」
クルトはフードをかぶった連れをふりむき、また騎士に向き直った。
「こっちは訳ありなんだよ」
「そうだろうな。いいからこっちで待て」
おとなしく連れの手を引いたまま詰所に入ると、中にいた警備隊の面々が珍しそうにクルトをみている。実際珍しいのだろう。王立魔術団が警備隊に連絡をよこすことなどめったにないし、両者の連携は緊密とはいえない。念話が届いたのはそのときだった。
『クルト。何をしたんだ』
相手は学院時代の旧友で精霊魔術師のサールだった。そういえば彼はダーラムの元で働いていた。
『ダーラム師からおまえが暴走していると連絡が来たぞ。今どこにいる』
『東門だ。騎士団の詰所』
クルトは簡潔に念話を返した。『出ようとしたら止められた』
『伝令を出したんだ。もう向かってる』
サールとの念話に要した時間はわずかだった。詰所の騎士はじろじろとクルトと連れをみつめている。
「そいつの顔をみせろ」とひとりがいった。
クルトはため息をついた。
「やっぱり顔を見せないとだめか?」
「当たり前だ。訳ありかもしれんが確認がいる」
クルトはまたため息をつく。
「問題がないとわかれば忘れてもらえるか? 繊細な話なんだ」
「いいから、フードをあげろ」
「仕方ないな」
クルトがフードをあげるのと、息を切らしたサールが詰所へ足を踏み入れたのが同時だった。王立魔術団の回廊から走ってきたらしい。フードの下の顔に周囲があっ――と息をのんだ。薄暗い詰所の中でも金髪がきらめく。
「マンセルは去年の秋から王都に来てる。俺の親戚だ。王立学院の初学年だが、ちょっと問題を起こしててさ」
クルトはぽかんと口をあけたままの若い騎士に気さくな口調でいった。クルトにとっては見慣れた美貌だが、マンセルの顔はとても印象的らしい。
「まずいことに放校されるかされないかの境目なんだ。ひとまず父の屋敷へ預かることになっていた。見ての通り、目立つだろう? 噂になるとまずいから顔を隠していたんだ」
「ああ……そうだな。たしかに」
騎士はごほんとわざとらしい咳ばらいをした。
「サール、ダーラム師がなんだって?」
クルトは騎士と同様に詰所の入口に立っている旧友に声をかける。
「二コラはどう? 子供は?」
「ああ――元気だ」サールはひどくきまり悪そうな表情だった。
「その、呼び出しがあって……」
「それは構わない。ただその前に父の屋敷から従者を呼びたい。マンセルを連れて帰らせる」
「なんなら警備隊が送るぞ」
騎士が口を出した。その視線はマンセルの美貌から離れては戻り、離れては戻りの繰り返しだ。クルトは首を振った。
「だめだ。申し訳ないが、放校になりそうな理由が理由だから、家内の者にしか任せられない。従者を呼んでいいか?」
騎士もため息をついた。「わかった」
たまたまだとはいえ、マンセルの従者がハスケルの屋敷にいたことはありがたかった。前に会った時と同様、柔らかな物腰の青年にクルトは紙を渡した。
「すこし問題があるんだ。父にばれるとまずい。とりあえずここへ行ってくれ」
「問題? マンセル様に?」
「今回の件ではマンセルも参ってるから、ふだんと少し様子がちがうかもしれない。でも大丈夫だ。着いたら家令のハミルトンを呼んでこれを渡してくれ」
クルトは封をした書付を渡した。
「こっちの用が片付いたら俺もすぐに行く。父にはいうなよ。まずいことになる。ちゃんと連れて行ってくれ。逃げないように」
「マンセル様をつかまえるのは慣れていますが……」
従者は眉をひそめたが、クルトの横で大人しく視線を落とすマンセルにかける言葉はみつからなかったらしい。周囲に会釈して少年をうながし、並んで門を抜けていく。
王城警備隊はそれですんだが、王立魔術団はそうはいかなかった。なにしろ、サールと並んで王立魔術団の回廊についたとたん、クルトは四方から白いローブに囲まれてしまったのである。
「クルト・ハスケル。牢破りとは大胆だ。何がきみに起きたか聞かせてもらいたい」
「牢破り? 何のことですか」
クルトは眼の前に立ちはだかった精霊魔術師に向かってしらばっくれた。回廊の奥でばたんと扉がひらいた。白いローブをひるがえしてダーラムが立っている。その背後に覚えのある気配がひとつ。メストリン王子だ。
「ハスケル。きみの事情は考慮したつもりだが、機密を知る重罪人を逃がすとはいただけないな」
「俺がいつ?」
クルトはまたもしらばっくれ、ダーラムを無視してその背後にいる人物の前で膝を折った。
「メストリン王子。以前もこちらでお見かけいたしました。クルト・ハスケルです。本日は二度も王族にお目にかかることができ、光栄の至りです」
「二度?」
メストリンは不意打ちをくらったような声をあげた。クルトはうつむいたまま、しかしはっきりと告げる。
「ええ。アピアン殿下に拝謁したばかりです」
「アピアンに? なぜ?」
「ハスケル、うかつなことを人前で話すものではないぞ」
ダーラムが鋭い声で割って入った。
「いくら才能があっても、謙虚さを失っては――」
「いやいや、クルトからはつい先ほど報告を受けたばかりでね」
白いローブがさっと割れた。クルトは顔をあげ、回廊を堂々と歩いてくる王太子の姿を認めた。斜め後ろにセルダンの武人らしいまっすぐな姿が続いている。アピアンはメストリンの前までくると気さくな所作でクルトに立てと指図した。
「ダーラム、誤解があったようだな。実をいうとクルトは私の指示で動いていたんだ」
ほんの一瞬ダーラムは言葉につまったようだった。
「殿下。しかしハスケルは――では……」
「なにしろ彼は腕のいい治療師だ」
アピアンは朗らかな笑顔をつくった。
「民衆にも親しいし、隣国で暮らした経験もある。おまけにやたらと目立つ白い服も着ていないから、私が知りたいことを調べてくれるのに好都合だった。で、彼の報告を受けて聞きたいことがあるのだが」
王太子は視線をダーラムに固定したまま、斜め後ろからセルダンが差し出した茶色の革筒を手に取る。
「ここにあなたの名前があるのはなぜか、説明を求めたい」
回廊一帯に声にならない驚きが響き渡った。精霊魔術師たちの疑念と念話で見えない大騒動がはじまったのである。ダーラムはその中心で立ち尽くしている。もう誰一人としてクルトを見ていない。
アピアンが目くばせをくれたのがわかった。クルトはそっと後ろに下がった。いつのまに回廊に配備されたのか、警備隊の兵士がクルトを追い越してダーラムの両脇につく。
ふいに頭の中でアダマール師の渋い声が響いた。
『クルト。無茶なことを……』
アダマール師の姿は見当たらない。念話だけが飛んできているようだ。
『ひょっとして師がアピアン殿下に?』
『そなたの焦りについては伝えた。クルト、力が強くなったからといって先走るな。そなたは』
『俺は王国の魔術師で、ソールの守護者です』
クルトはそう答えると回廊を離れた。
レナード・ニールスの屋敷の玄関は南方風の開放的なたたずまいだ。一歩足を踏み入れるとなじみのない香が鼻をつくが、その向こうからは王都で聞くとは予想してなかった声と気配が近づいてくる。クルトは驚いて足を止めた。しかし相手の方はクルトの驚きなどまったく気にしていないようだ。
「ああ、男前。やっと来たな」
「アルベルト師。どうしてここに?」クルトは白髪の老学者に向かって両手をあげた。「ひょっとしてレナードが?」
「彼は口がうますぎる。おかげで老体に鞭打つことになってな……」
そういいながら素早く屋敷の中へクルトを導いたアルベルトの様子は、言葉とは正反対だった。クルトは老学者のあとから広い応接室へ入ったが、とたんに今や耳によく馴染んだしわがれ声を聞いた。
「どこが老体だ」
サージュが椅子に座っている。何もかも気に入らないといいたげな顔つきだった。アルベルトはホッホと楽しそうに笑うと「学生に化けさせるとはよく考えたな。もっとも従者は心臓がとまりそうなくらい驚いていたが」といった。
「従者はまだ?」
「ああ。あちらで待っている」
「俺から後で話します」
そう、クルトは王城を出るとき、サージュをマンセルに見せかけるめくらましを使ったのだった。騎士団と警備隊を切り抜けるための思いつきだったが、王立魔術団の手回しが早かったために、レナードの屋敷まで幻影がもつかどうかは賭けだった。
どうやらクルトは賭けに勝ったらしい。屋敷の奥からレナードがあらわれると、クルトには軽く会釈しただけで、美少年だと思ったら急に姿が変わったので驚いた、などとあっさり話しはじめたからだ。
もっとも、この外交に長けた貴族の中身はスマートな見かけでは測れない。
「アルベルト師を招いたのはどうしてですか?」
レナードにたずねると「たまたま近くにいたんだよ」という。
「ソールを連れ去った犯人がアルベルト師の著作の編集者だと聞けば、師へ話を聞きに行くのは当然だろう。いろいろとお話して、最終的に来ていただくのが何かと良いということになった。そうでしたね?」
同意を求められたアルベルトの表情が複雑にうつりかわった。渋々といった様子でもないが、諸手をあげて歓迎といった様子でもない。
「弟子のサージュにソールまで絡んでいるとあってはな。捨ておけん。彼もいまや弟子のようなものだ」
「俺はちがう。とっくに返上した」
サージュがしわがれ声で反論した。クルトも内心、隣国にいたころのソールはこの老学者の弟子というよりも雇われ書記か整理係だったと思ったものの、黙っていた。そもそもこの老学者はひとづかいが荒いことで海辺の村でも有名である。
当のアルベルトはサージュの声を完璧に無視し、大きな音を立ててお茶をすする。袖で口を吹きながらさらりと「まあ、おまえも塔の件は決着をつけるころだろう、サージュ」といった。
サージュが眼をむき、喉に手をやった。
「決着? これがなければ俺は今頃……」
彼の喉には金属の輪が枷のように嵌められていた。クルトが牢のなかで嵌めたのだった。小さな輪をつなげた鎖をさらに編んで作られている。輪のひとつひとつがつけた者の魔力を制御する回路となっている。精霊魔術の〈探査〉でときおり使われる補助道具だった。今はサージュを縛る鎖の役割を果たしていた。
「そいつは外れない」クルトはサージュに向かって指をつきつけた。「俺の魔力で閉じてある。果ての塔に案内させるといっただろう」
「では本当に出発するつもりか」
そういったのはレナードだ。クルトはうなずいた。
「はい。途中まで陸路で。王城には俺に行くなとか先走るなといってくる連中ばかりですが、俺はうんざりだ。反対されても――」
「いや、ハスケル君。私は反対しない」
さえぎられてクルトは眉をあげた。
「レナード?」
「むしろ賛成だ。ただ条件がある。北の国境線を超えるまではハミルトンとアルベルト師を同行させてほしい」
アルベルト師? 意外な言葉にクルトは途惑った。
「ハミルトン――はわかりますが……アルベルト師も?」
「そうだ」
どういうわけかレナードは困ったような顔をしている。
「実は、師はとても便利な……観察道具をお持ちなんだが、貸してくれないとおっしゃるのでね……」
頻繁に旅に出るニールス家の屋敷は急な出立に慣れているようだ。一方、応接室ではサージュとアルベルトが向かいあって話をしている。かつての師弟だと聞いていたから積もる話でもあるのかと思いきや、耳に入ったのは「だからあんたの字は読めないっていってるだろうが」とサージュがののしる声だった。どうやら老学者の著書の誤植について話し合っている――いや、喧嘩しているらしい。
クルトは気にせずに自分の支度を整えることにした。マンセルの従者を父の屋敷へ送り、カリーの店に戻る。二階で旅装をまとめていると『ハスケル』と念話で呼ぶ声が聞こえた。ヴェイユの声だった。
階下へ降りるとしかめっつらの教師が裏口で待っていた。クルトからわざとらしく眼をそらす。
「私は何も聞かないし、見ていない。きみがどこへ行ったのかも知らん」
「ヴェイユ師」
反射的に口を開いたクルトを教師は手で制した。人差し指を唇にあてる。
「ハスケル、学院で古代語の講義はとったか?」
唐突にささやかれた言葉の行き先は見えなかった。
「いいえ?」
「では古い言葉の一部は『歌われる』ものだったという話を聞いたこともないだろう。それも――現代では発音されなくなった音によって歌われていたということだ。ソールの〈本〉は同じ時代の産物だ」
クルトは面食らって口をひらいた。
「ヴェイユ師、謎解きも必要ですが、俺はまずソールを」
「それだけではだめだ!」
突然ヴェイユはクルトの肩をつかんだ。厳格な教師の中にぱっと燃え上がった激情にクルトは思わず息を飲んだ。ヴェイユはクルトを凝視し、低い声でささやいた。
「ハスケル、謎について考えるんだ。ソールを〈本〉から自由にするために。歌は数少ない手がかりのひとつだ」
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