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【第2部 星々の網目にて】24.極の星

「まだ起きないのか。やりすぎたか?」 「死んじゃいない。そのうち気がつくさ」  話し声の後に鉄扉が閉まり、鍵が回る音が響いた。  クルトは意識がないふりをしたまま、自分を牢へ投げこんだ二人連れの心を探った。本当はずっと前から眼を覚ましていたし、両手両足にはめられた奇妙な枷を外される時はひそかに彼らの心を探っていたのだが、どちらも気づかなかったようだ。レイコフの手下は普通の人間で、クルトを拘束した力は彼らのものではない。つまりあれこそがソールのいう、レイコフの魔術機械の力なのか。  レイコフの魔術の可能性についてクルトは一瞬考えを巡らせたものの、今はその時ではないと、ふたたび扉の向こうにいる男たちに意識を向けた。自分が前後不覚に陥ったのは剣で薙ぎ払われたためらしいが、傷口はすでにふさがっている。クルトの体は自身の魔力で勝手に傷ついた組織を癒していた。服が血だらけなのが玉に瑕だが、これも後回しだ。  外の廊下にいる男のうち、ひとりが枷を外したときにクルトの手首に触れたのは願ったりかなったりだった。クルトはやすやすと男の意識に侵入する。男は唐突に足をとめ、くるりとふりむいた。 「どうした?」  怪訝な声をあげた同僚に拳を一発。魔力はたいしたことがなくとも、男は素手の武術には十分通じている。同僚も似たようなものだが、不意打ちが有利に働いた。頸椎に肘をいれ、動かないのをたしかめてから同僚の腰の鍵束をとりあげる。  クルトの牢の扉が開いたのは間もなくだった。 「ごくろうさん。そいつをもらう」  クルトはにやっと笑って鍵束を受け取り、男を牢の中に押しやった。廊下に出て、意識のない同僚を引きずり、茫然自失で立ち尽くす男の横にほうりこむ。扉を閉め、鍵をかけようとして、ふと自分を見下ろした。 「そいつを貸してくれ」  ぼうっと突っ立ったままの男に命令する。男は困惑しながら上着を脱ぎ――どうして自分が唯々諾々と従っているのかわからないのだ――クルトは血まみれになった自分の服を取り替えると、首をかしげている男を牢に残したまま鍵をかけた。  鍵には単純な回路魔術が使われている。レイコフの魔術機械がこの島のすべてを支配しているというわけでもないらしい。廊下の両脇に小部屋がならんでいるのは騎士団の留置場と似たような風景だったが、クルトの知覚を全方向から刺激する苦悶の声や匂いはずっとたちが悪いものだった。  クルトは鍵束を眺め、他の扉を開けるべきかどうか迷った。中にいる者はみな、ひどく弱っているようだ。たとえ解放しても、この建物から逃げ出せるくらいまで彼ら全員を癒すには、どう考えても時間がかかりすぎる。いま探し、奪還すべき者は他にいる。  廊下にも牢の中にも窓はなかった。クルトは知覚を広げた。モードたちの反乱拠点のように、この層全体が地下の岩盤に埋まっているらしい。とはいえ、モードの拠点が縦横無尽に伸びていく植物の根だとしたら、ここは無粋に地中へ打ちこまれた棍棒だ。クルトは廊下を走り抜けた。上層へつながる階段を駆けのぼろうとしたとき、なじんだ感覚がクルトに触れた。  ためらったのはほんのわずかな時間だった。ソールの顔を思い浮かべる。このまま先へ進んだら、彼はクルトをどう思うか。何というか。  クルトはふりむき、鍵束を探った。 「さすが王国一の魔術師だ。再会はできても元の木阿弥」  雑居房から連れ出されたサージュはあいかわらず減らず口を叩いていた。クルトは顔をしかめながら彼に魔力を送りこんだ。この男の体は例によってボロボロだが、多少回復するとすぐ、からかいまじりの言葉がぽんぽん飛び出す。おかげでクルトの返事も状況に見合っているのかいないのか、よくわからないものになる。 「もうこの島を出る目安はついてる。ちょいと塔主のところまで行って、ソールを取り返してくればいいだけだ」 「目安って?」 「はぐれ星という船の船長にかけあう。ソールをかくまっていた連中に聞いた」 「モードか」 「知っているのか?」  クルトは眉をひそめながら階段の上へ行けとサージュの背中を押した。廊下はひと気がなかったし、魔力の遮蔽で自分とサージュを包みこんだから、誰かが通っても気づきもしないだろう。ただし上層の方からは、こんな事態になる前にモードの拠点で聞いた、あの不穏な音と不気味な力の気配が霧のように降りてきている。 「俺のことを話したか?」 「いや。そんな時間はなかったが、知り合いなら聞けばよかった」 「やめとけ、裏切者が戻ってきたと思うだけだ。アルベルトがいなかったら、俺はあいつらに処刑されても仕方がなかった」 「アルベルト師もここに来たことが?」 「いや。爺さんはない。俺が止めた。長い話があってな」  サージュは唇の端をゆがめている。クルトを何度も苛立たせてきた表情なのに、今は奇妙な安心を感じた。旅のあいだにサージュに慣れたせいか、故郷の王国から遠く離れた敵地にいるせいか。矛盾した要素のまざりあった複雑な感情がクルトの心にちらりと触れる。  後悔、恥辱、自尊心、かすかな安堵。妙な男だ、とクルトは思う。ソールが彼を気にする理由もここにあるのか。  しかしこれも今考えるべきことではない。クルトは素早く思考を切り替えた。 「まあいい。ソールを取り戻すのが先だ。この建物の内部はわかるか?」 「視えるんだろう?」  とぼけた口調の応えが戻ってくる。 「上の方は妙な音がする。ソールがいってたレイコフの魔術が働いているようだ。目立ちたくない」  サージュは鼻を鳴らした。クルトの魔力が一時的に体調を復活させたのか、足取りは軽い。 「館の構造は単純だ。とにかく上にのぼっていけ。もっとも塔のてっぺんは天体観測室で、ただの飾りだ。その真下の部屋にの中枢がある。音を聴け。のぼっていけばわかる」  クルトは繰り返した。「」 「レイコフが再生した古代魔術だ。大がかりな機械さ。レイコフは中枢でを操ってるが、つねに魔力を供給し続けなくてはならない。中層と下層に俺のような奴隷がいる場所があってな……そこから魔力を吸い上げる。不細工な仕掛けだよ。レイコフの美学にはあわない。だから『力の書』を求めていた」 「ソールは――」 「〈本〉の持ち主である以上、ソールは奴隷にはされない」 「もっと悪いかもしれない」  サージュはクルトをふりむいたが、クルトは何もいわず先へとうながした。頭の中では思考が渦をまいている。ソールは〈本〉を破壊するといったが、封印を解く方法は聞いても破壊する方法は聞いていない。それに彼の中の『ランダウ』をどうすればいいのか。  ソールを助けるには『ランダウ』を消滅させればいいとクルトには思える。もしかしたら自分の精霊魔術によって、悪い腫瘍を取り除くような要領で『ランダウ』を取り除くことができるかもしれない。とはいえ『ランダウ』はソールの一部だ。ソールの力で作られ、維持されている。強引に排除すればソールを傷つけることにもならないか。  いや、これを考えるのも後だ。〈本〉の破壊をこの場所で行う必要はない。そこまで考えを巡らせたとき、いきなりサージュの足が止まった。階段の先に分岐する通路がみえる。 「俺はここで別れる」 「なんだって?」 「この先に必要なものがある」 「おい、ソールはおまえも助けろといったんだ。俺から離れるな。時間がない」 「ソールが?」  耳も貸さずに分岐へ進もうとしていたサージュの足が止まった。 「それはまた……優しいことだ。無事に会えたら、俺のことは忘れろといっといてくれ」 「おい、何をしにいく」 「薬を手に入れる」 「薬? 前に話した増幅薬か?」 「俺はレイコフに貸しがある」  思いがけない速さでサージュは駆けだした。クルトはまたしても迷ったものの、あとを追いはしなかった。少なくともクルトはサージュは牢から連れ出した。そのあと何をしようとも、これはサージュ自身の決断だ。  クルトは階段をさらに上へと進んだ。レイコフの魔術の唸りが自分の行く先をさし示している。

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