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【終章 果ての塔から響く歌】3.川の歌

 心と心で直接交わされる談話において、話者は嘘を伝えられない。かりにそれを試みたとしても、あとで精査されると考えればなおのこと。思念を構成するモザイクは複雑につらなり、虚偽の意思を覆い隠そうとしたところで、細部を追えば必ずどこかでほころびが出る。  ――という念話の特徴に、クルトはいまほど感謝したことはなかった。 『ついに〈本〉を破壊したのか……それではおまえたちは王国へ戻ってくるのだな』  アダマール師の思念は驚きと安堵に満ちていた。ヴェイユも同時に念話に参加していたが、彼は何も言葉を発さなかった。クルトに届いたのは純粋な喜びと感謝だ。  もっともクルトとしては、ふたりの師に問いを発さずにはいられなかった。 『戻ってくる、とは?』  ヴェイユの声が割りこむ。 『二人でどこかへ消えてしまうのを危惧していたんだ。ソールはともかく、おまえはそんなことを考えかねない』  たしかに一度はそう考えたのをクルトは思い出し、とたんに恥ずかしくなった。その感情は直接ふたりの師に伝わったのだろう。ヴェイユからはため息のような思念が、アダマール師からはなだめるような思念が戻ってきて、クルトはますます恥ずかしくなった。  とはいえ、師たちはクルトという未熟者の暴走をあえて見守ってくれたともいえる。奥底に秘められた信頼にクルトは感謝するしかなかった。 『こちらは学院も王城も動きが多い。おまえたちが戻ってきたら正式な報告を……おそらく〈探査〉も含めてやってもらうことになるだろうが、〈本〉の件はひとまずアピアン殿下へ報告しておく。ニールス家に使者を出してもらうから、途中で各地の商業ギルドに必ず寄ってくれ』  アダマール師から会話を引き継いだヴェイユは、いつもの厳格で真面目な教師の思念を投げかけてくる。先ほど伝わった素の純粋な感情との落差はおもしろいほどで、クルトは思わず微笑を浮かべた。 『アピアン殿下は王宮の棚卸しの最中だとハミルトンがいってましたが』 『棚卸しとはまた、ニールス家の家令らしい言葉だ。たしかにアピアン殿下はいろいろ動いておられる。八の燭台の再編成が決定された。他にも記録類の保管について、学院やレムニスケートにも要請を出されている。学院でもダーラムに通じた教師が図書室の盗難に関わったと判明し、その――棚卸しの最中だ。詳しいことは帰ってから話そう』  なるほど、棚卸しとはいいえて妙なのかもしれなかった。 『王国までどんなルートをとる?』  ヴェイユの問いにクルトは頭に地図を思い浮かべる。 『三角州の都市まで。そこから陸路をとるつもりです』 『では三角州の商業ギルドに使者を送ろう。騎士団にも伝えておく。陸では盗賊団に気をつけろ。それともうひとつ。〈本〉を破壊したあと、ソールの魔力はどうなった?』 『普通の生活なら、まったく支障がない程度に回復しています。それ以上は……』 『回復したのならいい』  ヴェイユはぶっきらぼうにいった。 『気をつけて帰ってきなさい。ソールによろしく』  つぎに『はぐれ星』が寄港したのは河口の三角州に面した大きな都市だった。クルトとソールはハミルトンとアルベルトを含めた四人の一行となって船を降りた。  『はぐれ星』が彼らを乗せた時、船代の高さにハミルトンは眉をあげたが船長は譲らず、その一方でアルベルトの荷物の大きさに船長は眼を剥き、老学者はこれまた飄々とした顔で譲らなかった。とはいえ、ソールを「先生」と呼ぶ船長は説明もしないうちからアルベルトを「師匠」と呼び、ハミルトンを「番頭」と呼んでいたから、クルトは内心吹き出しそうだった。ちなみにクルトが何と呼ばれていたかといえば、ただの「若いの」である。  各国にまたがった商業ギルドは、三角州の都市でも存在感を誇示する建物を構えている。使者を待てというヴェイユに従って、ハミルトンは日も高いうちからさっさと宿をとりにいった。涼しい顔で連れていかれたのは、貴族の定宿にも使われる豪華な館だった。  一行の服装や見た目はとてもこんな場所を宿にするとは見えないのに、ハミルトンは主人の袖をひいて居丈高な調子でお忍び旅行の旨をつげている。船旅でお疲れだが、明日は主人のために出入りの床屋や仕立て屋、小間物屋を呼ぶようにと命令し、無造作に金貨を積んで前金を支払った。  小腹を満たすための食事を皆さまの部屋に運ぶように。そういいつける口調も慣れたものだ。主人は立ちどころに態度を変え、クルトとソールはどっしりしたカーテンで囲まれた一室に案内された。 「こちらは鏡の間でございます。浴室は奥にございます。お手伝いが必要でしょうか?」 「いや。下がっていい」  クルトはメイドに鷹揚に手を振った。こういうときは生来の慣れた立ち居振る舞いがありがたかった。ソールはというと、扉が閉まってふたりきりになっても落ちつかない様子できょろきょろと部屋を見回している。広い室内には大きな寝台や調度類が並び、窓はカーテンに隠されているようだ。昼間だというのにいたるところで明かりが光る。  ソールはカーテンに手をかけたが、クルトはもう自分を抑えられなかった。 「ソール」  背後からソールの肩をひきよせ、自分の方へ向かせると唇をあわせる。魔力の補充などという言い訳はもうやめだ。果ての塔を脱出してから毎日彼を抱きしめ、唇を重ねていたものの、それだけだった。とうてい足りない。  恋人の足が震えるまで舌を絡め、両腕で腰をささえ、背中を撫で上げる。首筋に落ちた髪の房を払って耳朶を噛む。ソールの眼元がかすかに赤く染まる。 「クルト――せっかくいい宿だから、体を洗って……」 「待って。その前に……」  クルトはソールの背中をカーテンに押しつけながら外套を脱がせ、床に落とした。自分の外套も脱ぎ捨ててカーテンに手をついたとき、手のひらに凸凹の感触がふれた。はっと気がついて紐をひくと、布は大きく左右に分かれ、壁に備え付けられた巨大な鏡があらわれた。 「そうか――鏡の間」  ソールがつぶやいた。クルトは磨かれた銀の表面に触れ、そこに映し出された砂色の髪をなぞった。するとふいに、いたずら心のようなものがわきあがった。 「ソール、こっちを向いて」  怪訝な表情になった年上の男を鏡の方へ向かせ、クルトは襟元に手をのばした。  ボタンをひとつひとつ外していくとソールは首をふってクルトの手を払いのけようとしたが、すかさず唇で耳朶をくすぐって弱い抵抗を封じてしまう。  つのる欲情に息が荒くなるのを感じながらも、恋人が身にまとった布地をゆるめる手はとめなかった。鏡の前にソールを立たせたまま、素肌があらわれるまで、一枚一枚はぎとって床に落とす。  ソールが小さくつぶやいた。 「僕は鏡はあまり……」 「どうして? 俺が好きなものが映ってる」  たしかにカリーの店には大きな姿見はひとつもなかった。ソールは鏡から顔をそむけているが、クルトを振り払おうとはしない。その頬はうすい紅に染まっている。興奮がさらに煽られるのを感じながら、クルトはソールの前で膝をついた。恋人のベルトをはずし、下肢を覆う布を下げていく。中途半端に肌を覆う布がなまめかしく劣情を呼びよせて、おもわずへその周囲に舌を這わせた。  ソールの髪がクルトのひたいをくすぐった。ひざまずいたまま顔をあげると、恋人はうつむいて堅く眼を閉じている。クルトは立ち上がると半裸の男を背後から抱き、また鏡の正面に向かせた。 「ソール、眼をあけて」 「嫌だ」 「だめ」  そうささやいて首筋を強く吸い、うなじを噛む。 「あっ……」  小さな声がもれる。鏡の中からソールの暗色の眸がクルトと自分自身をみつめている。クルトは片手をソールの胸に這わせた。薔薇色の乳首をつまんで弄ると、恋人の唇がうすくひらく。 「クルト――」 「可愛い……立ってる。こっちも……」  鏡にうつる恋人をみつめながらささやく。ソールの下半身はなかば脱がされた状態のままだが、下肢を覆う布がゆるくもちあがっている。クルトはもう一方の手でもちあがった部分をそっとなぶった。ソールの首まで紅く染まるのをうっとりと眺めながら、自身の腰を背後から押しつける。そして鏡の中の暗色の眸にささやいた。 「これが俺の好きな人だよ」 「――馬鹿」  ソールは小さくつぶやいたが、眼は閉じなかった。鏡に映ったクルトの眼をみつめているのだ。クルトはソールの股間を覆う布をさらに下げる。薄い体毛をなぶり、鏡に映る性器を愛撫する。先端から零れた液体が指を濡らす。ソールの肩がうごめき、腰が煽情的に揺れた。 「あっ……クルト……」 「ほら、見てて……眼を閉じないで」  ソールの足がよろめき、クルトの胸に体重がかかる。その重みをうけとめながら、手のひらの愛撫を重ねる。うなじに唇をあてながら鏡をみつめ、ソールと眼をあわせる。蕩けた表情がたまらなく蠱惑的だ。 「クルト、だめ――」  ソールがうめいた。クルトは彼の腰を膝に抱えながら寝台に腰を落とした。ソールの靴を脱がせ、曲げた足先から残りの布をはぎとるが、そのあいだも鏡はすべてを映している。ソールの手がばたばたと動いてクルトの服をつかむ。鏡に映る恨めしそうな表情にクルトは思わず微笑をもらし、自分の服をゆるめたが、脱ぎはしなかった。膝のうえで熱い吐息をもらす年上の男が愛しくて、この瞬間をどこまでも引き伸ばしたいと思う。裸の腰を強く抱きよせ、両手で股間を愛撫しながら首筋を噛むと、ソールは息をのみ、クルトの膝をきつくつかんだ。 「ソール、眼を閉じないで」  ささやくと、閉じかけたまぶたが鏡のなかでゆっくりもちあがる。クルトが腕の中の熱い体を愛撫すると、同時に鏡の中の肉体も愛撫をくりかえし、腕の中の体が蠱惑的に震えると、鏡のなかの体もうごめく。  自分にそっくりの他人の前で体を重ねているような背徳感にクルトの背筋がぞくぞくする。手の動きを強めて恋人を追い上げると、ソールの腰がこらえきれないように動いた。 「あっ……ああっ」  クルトは片手に精をうけとめながら、もう片手で前かがみになった恋人を抱いた。彼の膝に手をかけて寝台に横たえ、覆いかぶさってキスをする。肌についた精の匂いがつんと漂う。  唇が離れるとソールの眸がまたも恨めし気にクルトを睨んでいる。 「何?」  クルトは微笑みながら砂色の髪をまさぐる。 「きみは……ずるい」 「どうして?」 「どうしてって、きみは服も脱がずに……」  ソールは顔をそむけた。逃れていく眸を追うようにクルトは唇をはえぎわにおとす。恋人の眼尻から耳を舌でたどり、耳穴に息を吹きかける。ソールの肌はまだ熱をおびていて、吐息にぴくりと反応する。いわくいいがたい幸福な気分に駆り立てられ、クルトはささやく。 「もちろん、まだだよ。今夜はこれからだ」

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