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【終章 果ての塔から響く歌】4.旅の歌
クルトの指が僕の顎をつかみ、顔をあげさせる。首のうしろで「眼を閉じないで」とささやく声をきき、あらがえない僕は眼をあける。眼の前の大きな鏡のなかにクルトの膝に抱えられた僕自身がいる。クルトの腕で膝を割られ、両足を広げて、彼の手による愛撫を受け入れている。
尖り気味の顎をふちどる薄い色の髪はもつれ、乱れている。股間でクルトの手が激しく動き、僕はたまらず声をあげて腰をよじらせる。鏡の中の体はそっくり同じ動きをする。口もとから唾液がこぼれて顎を垂れる。
なんて……顔だろう。あさましくて、だらしない。なのに羞恥のいりまじった快感が僕の全身をつらぬいて、クルトの手による快楽の果てをこいねがう。緑の眸が肉食獣のようにそんな僕を追っている。彼からはけっして逃げられないのだと僕は悟る。
「あっ……ああっ」
裸の僕はクルトの手のひらで達してしまったというのに、彼はようやく服を脱ぎはじめたところだ。快楽のなごりでぼうっとしている僕の上で、クルトは均整のとれた肩と胸をむきだしにする。彼の体の美しさに、最初に出会ったときから僕は憧れていたものだった。のびかけの栗色の髪は先端だけがすこし巻き、ハンサムな顔をふちどっている。魔力の光輝が淡い金色のかすみになって、クルトをぼんやり包んでいる。
僕は眼を瞬かせる。魔力が多少回復した今も、僕はこの光を数度しか見ていない。クルトは何年も前に魔力の放散を制御することを覚えたらしく、ふだんは人の眼から自分の力を隠している。今こうして力の光輝がみえるのは、彼が制御を忘れるくらい夢中だからだ。
いったい何に?
そう思ったとき、またクルトの唇が僕の唇をふさいで思考を奪う。僕は彼の背中に手を回して彼の舌を味わい、彼の歯をなぞる。クルトの怒張が股間に触れ、僕の奥がひそかにうずく。尻をなぞられ、指が奥のすぼまりを刺激すると、僕はまたみっともなく腰を揺らしてしまう。クルトが欲しかった。きつくても痛くても、彼を僕の中に感じたい。
「ソール、横をみて」
クルトがささやく。鼻先が僕の顔を犬のようにつつく。僕は顔を横に向け、また鏡に映る僕自身をみつける。白い顔がクルトの腕の下にいて、その眼は膜がかかったようにぼうっとしている。と、いきなりクルトは僕をもちあげてひっくりかえし、膝を立たせた。
「あっ……」
舌が秘所にさしこまれ、僕は首をのけぞらせる。舌はぬめぬめした熱い生き物のように僕の中に入ってきて、粘膜に触れる。じれったい快感に僕は腰をせつなく揺らすが、クルトは許してくれない。僕の尻を噛み、唾液で濡らし、指で秘所の奥を広げる。彼は僕の中を知り尽くしている。ふいに呼びおこされた狂おしい快楽に僕は背中をそらし、叫ぶ。
「ああああ!」
喉の奥から出たかすれ声を僕の耳はほとんど聞いていない。その後につづくクルトのため息を聞くだけだ。
「ああ……好きだよ…好き……」
堅い楔がゆっくり僕の中へ侵入してくる。先端が繊細な場所をえぐり、僕はかたく眼を閉じたまま、高い声をあげていた。クルトが腰を進めるたびに彼の魔力のじんわりした波が僕をつらぬき、翻弄する。細胞から細胞へと渡される力は甘い快楽に変換され、僕を翻弄し、前後のわからない白い波にほうりだす。
「ああんっクルトックルト―――」
いつ体をもちあげられたのかわからない。深く楔を埋めこまれたまま、胸を抱かれ、がくんと落ちた頭を支えられ、持ち上げられた。甘いささやきが耳をくすぐる。
「ほら……見て、ソール……俺とつながってるの……」
僕は首を振るが、クルトは許さない。眼を開けた僕は、ぼうっと光る銀の鏡のなかでからみあう肢体をみてしまう。鏡のなかでクルトの腰があやしくうごめく。感じているのもみつめているのも僕なのに、僕の中は羞恥とうしろめたさでいっぱいになる。
「ほらね……」
クルトの手が前に回り、ゆるく僕自身を愛撫した。
「可愛い……また濡れて……気持ちいい?」
「やっあ、あ、あ……」
奥がきゅっと締まるのがわかる。クルトの息が荒くなる。頭のなかで白い光が飛び、高いところから落ちるような感覚に僕の意識はふわりと浮く。
金色のぬくもりの中で僕は眼をさました。やわらかく肌を撫でる湯のなかにいて、背中から抱きしめられている。首のうしろに唇が押しつけられ、声がささやく。
「ソール」
僕を抱いている手は胸からへそのあたりを撫でおろす。くすぐったさに僕は笑い、首をねじる。緑の眸をみたとたん、幸福感に吐息がもれる。クルトは腕の力をゆるめ、安心したようにため息をついた。
「ごめん」
濡れたクルトの髪と表情が叱られた仔犬を連想させ、僕はまた笑ってしまう。今日のクルトは容赦なくて、僕は最中に何度も意識をとばしたし、浴槽では眠ってしまったのだろう。なだめるようにクルトの頭を撫でて、僕はだるい体をもちあげた。
備え付けの寝間着のボタンを止めて戻ると、クルトは乱れた寝台をいいかげんに整えていた。僕はだらしなく枕にもたれ、あくびをした。クルトは僕の隣に座ると、籠をもちあげてあいだに置く。
「どうしたんだ?」
「ハミルトンが軽食を頼んだろう。今届いた」
いわれてみると空腹だった。僕はありがたく籠の中の食べ物をかじり、水を飲んだ。蒸した野菜と肉、ぴりっとした風味のソース、軽いパンに果物。食べながら、あの大きな鏡がカーテンに隠されているのにほっとした。見たらまた――思い出してしまいそうだ。
「ソール?」
クルトが訝しげに僕をみる。僕はあわてて答えた。
「なんでもない」
ふたりで食べると籠はすぐに空っぽになった。クルトは水を飲み干した。
「ソール。〈本〉の件はアダマール師とヴェイユ師に念話で報告した。ふたりとも……喜んでいた。ソールに伝えてくれって」
「そうか」
僕は答えた。心がふわふわと柔らかで心地のいい場所をさまようのを感じた。長い夢から醒めたような気分だった。ランダウのこともあの書物のことも、それがついに消えてしまったということも、今はすべて遠い夢のようだ。
しかしアダマール師とヴェイユはこの問題に最初から関わり、僕を守ってくれたのだった。クルトが最初に彼らに伝えてくれたのが嬉しかった。だが僕も、王都に戻ったらまず彼らに話さなければならないだろう。長い長い物語を。
「王城でも学院でもいろいろ起きているようだ。図書室の魔術書盗難とすりかえの件だが、あれにもダーラム師に通じた教師が関わっているらしい。彼はずいぶん手広くやっていたみたいだ。アピアン殿下は八の燭台の再編成を指示したというし、もしかしたら王城や学院に分散した情報をご自身のもとにまとめるのかもしれない。それをやりたがっていたのはダーラム師なんだが、皮肉なことだ」
僕は黙ってクルトの言葉を聞いていた。ここにも僕がよく知らない長い長い物語があるらしい。
〈本〉に関わってしまったおかげで、僕は長いあいだ王城の監視下におかれていた。だからこそ政治は長いあいだ、僕の関わりたくない第一の事柄でもあった。
僕の人生はカリーの店にあり、そこから出るなどありえない。そう思いこもうとしてきたのだ。クルトはそこから僕を引っ張り出した。これから僕はどこへ行くのだろう?
「ソール、眠い?」
クルトがささやく。
「ああ」
「おやすみ」
毛布のしたの暗闇は柔らかく、クルトのハミングがさざなみのように響いてくる。
商業ギルドに使者が到着したのは翌日の夜だった。使者といっても、蓋をあけてみるとそれはハミルトンの主人であるレナード・ニールスだった。しかし僕らはろくに彼と話もできなかった。直接渡さなければならないといって、僕とクルトにそれぞれ封をされた書簡を渡した彼は、またすぐに旅立ってしまったからだ。僕らの故国は北方連合王国と隣国のはざまにあるが、レナードは王家の命令のもと、何らかの調整に動いているらしい。
書簡はどちらも王家の紋がついていたが、僕のものは薄い箱に入れられ、二重に封をされた正式なもので、クルトの方は簡潔な封蝋のみだ。
「ソール、開けないのか」
クルトはあっけらかんとした声でたずねたが、僕はためらった。
「中を見る勇気が出ない。どうみても正式書面だろう。何かの……最終宣告だったら――と」
「どうして?〈本〉の件は俺が念話で報告したから、真実性は保証されるはずだぞ」
そういいながらクルトは無造作に自分宛の書簡の封を破っている。透かしのある紙をすばやく広げ、ざっと眼を走らせる。
「こっちはアピアン殿下だ」
「え?」
「ダーラム師の件に父は巻きこまれなかったようだ。ハスケル家については安心しろ、という話だ」
「それから?」
クルトは首を振った。
「アピアン殿下とはお目にかかった時に少し話をしたから、その時のことだな。それよりもソール、そっち。開けないと」
僕はため息をついて手元を見下ろすと、しぶしぶ封印を破った。四つの封蝋が押されている。王宮、審判の塔、学院、そして騎士団。
薄い箱のふたを開けると、中には畳まれた書面が入っている。二つ折りにされた薄い白い書類と、三つ折りにされた分厚い用紙だ。
最初に広げた二つ折りの書類は、事務的な文言で書かれた期限のない召喚状だった。王国に戻ったら事情聴取のために出頭するようにとあるが、緊急性はない。署名は審判の塔の長とアダマール師。
召喚状の下にあった三つ折りの紙は、ふちがかすかに黄ばんだ古いものだった。広げようとする僕の手が震えだす。この書類のことを僕は覚えている。
「それは何?」
クルトがたずねた。
「誓約書だ」
僕はつぶやいた。
「僕が……勝手にどこにも行かないと約束したもの。〈本〉の事件のあと、施療院で署名した」
僕の署名は『ソール・カリー』となっている。父の姓はもう名乗れず、僕はカリーの名前をこのとき正式に書き記したのだった。だが書類の余白には無効のしるしがつけられていた。その下に審判の塔とアピアン王子の署名がならぶ。
クルトは紙を取り上げてしげしげと眺めた。僕はクルトの顔と書類を交互にみていた。自分が何を感じているのかよくわからなかった。たしかに僕はこれに署名をし、これに従っていた。クルトと暮らしていた海辺の村でさえ、僕は自分で選んだわけではなかった。
クルトは紙を畳み、箱におさめた。僕はまだぼうっとしたまま薄い箱をみつめていた。いまだに信じられない気分だった。
クルトの陽気な声が聞こえる。
「ではこれで、ソールは自由になったんだな。もうどこにでも行ける」
「ああ……そうかもしれない」
「そうかも、じゃないさ」クルトは笑っている。
「俺と一緒に好きなところへ行けるんだ。どこへ行きたい?」
どこへ?
いま僕が行くとしたら――行っておかなければならない場所があるとしたら――それはどこだろう?
僕はしばらく考えていた。クルトは黙って待っている。彼の沈黙は暖かく、静かなのに寂しくなかった。僕が答えをみつけられたのはそのせいかもしれない。
「もしきみがかまわないなら……王都に戻る前に行きたい場所がある」
クルトは僕を励ますように微笑んだ。
「じゃあ、そこへ行こう」
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