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【番外編】窓の外の君 3

 冬祭りの前はカリーの店にいつもとすこしちがう客が訪れる。そして彼らには、いつもの客とはすこしちがう種類の本が売れる。  僕の店の常連は魔術師たち、学生、それにこの分野の書物収集家(たいていは貴族かその御用きき)だが、一年のうちでいまだけは、風変わりな贈り物として書物を求める客がやってくる。暮らしに困っていないが書物にさほど親しくない人々で、彼らの半数はうつくしい挿絵で飾られた物語や詩集を買う。残りの半数は、本物の魔術師なら効力がないと知っている伝承――呪いや占いのたぐい――や言い習わしを可愛らしくまとめた小さな書物や、工芸品のようなからくり本を買う。そしてそれ以外、ごく少数の者は、夜の魔術――というとあやしげだが、いわゆる|閨房術《けいぼうじゅつ》の手引書を求めにくる。精霊魔術師のような魔力をもっていない一般人にも試せて、健康法にもなるという触れこみのものだ。  僕が名前を受け継いだ先代のカリーは、こうした書物を取り扱うことの経営的な利点をよく知っていた。今なら素直に認められるのだが、学生のころの僕はかなり偏狭で潔癖なものの見方をしていたから、こんな分野まで仕入れるのは店の品格を落とすのではないかという疑いを何年も持っていた。――もっともこんな考えは、先代のカリーが亡くなり僕ひとりで店を仕切るようになった最初の冬、あっさり覆されてしまうのだが。  共同経営者のレナードは貴族のくせに商売の才覚がある。彼はこういった本が喜ばれることをよく知っていたし、自分でもかなり好んでいた。そしてレナードの意を受けた家令のハミルトンは、僕が海辺の村にいたころ、書物を美しく並べられるワゴンを設計させ、カリーの店を入ってすぐのところへ置いたのだ。ワゴンには細かい仕切りと段差があるから、ふだんは棚の隅に追いやられている書物も手に取りやすい。  贈り物めあてに訪れる客の利便がよくなったせいか、この時期の店は以前より繁盛するようになった。クリストフひとりではさばけないほど客が来る日もあって、そんなときは僕も一日じゅう階下に詰めている。  テッドが店にやってきたのはそんな風に忙しい日だった。夕刻になって客がとぎれたのでクリストフを遅い休憩に出し、僕は店にひとりでいた。たまたま扉の近くにいたから、テッドが入ってきたときすぐにわかった。 「やあ、いらっしゃい」 「ソールさん!」顔にぱっと大きく笑みがうかぶ。「学課が終わったので来たんです。すごい――図書室みたいだ」 「ありがとう」  テッドは前に会った時よりも背が高いように感じられた。天井までびっしりと書架がならんでいるせいだろうか。彼とは先週学院の庭で話をしたとき以来だ。クルトが途中で庭にあらわれた日である。 「とくに探している本でも?」 「いえ、今は前に教えていただいた参考書を図書室で借りたので勉強はどうにかなっています。でもこれは――」テッドの眼がワゴンに飾られた派手な表紙のあいだを泳いだ。「――見せていただいてもいいですか」 「もちろん。その中の本はこの時期よく売れるんだ。贈り物にえらぶ人が多くてね」 「ああ! そうなんですね」  テッドは納得したらしい。他の棚をちらっとみてまたワゴンに視線を戻す。 「道理でその……」 「俗っぽい?」僕は笑った。 「うちの本で誰かを喜ばせてくれるのは嬉しいからね。こういう書物を求めてくれるお客さんもありがたい」  話しているあいだにクリストフが戻ってきた。彼に伝票類をまかせて僕はしばらくテッドと立ち話をする。テッドは挿絵入りの物語――王家の祖先と初代レムニスケートの歴史ものに騎士と魔術師の恋愛もの――をとり、ページの全面が飾り文字に覆われた詩集をめくり、さらに別の仕切りに手を伸ばす。 「物語は好きかい?」僕はふかい意味もなくたずねた。 「ソールさんは?」 「僕は何でも読む」 「何でも? ここにあるような本でも?」 「好きかどうかはともかく、読むだけならね。地元には贈り物をする相手が?」 「ええ?――いいえ?」  テッドはどっちつかずの答えをした。僕は彼の手元に眼をやった。『夜を満たす魔術』――人気の閨房術の手引書で、数版を重ねている。 「それは――贈り物にするには大胆かもしれないな」 「――そうですね」  顔をみあわせてなんとなく笑ったときまた店の扉があいた。もうすぐ閉店なのに賑やかなことだと思ったら、クルトだった。 「テッドじゃないか」 「クルト先生、どうも――」テッドはあわてたように持っていた本をワゴンに戻した。「今日は試しに寄っただけなので、また来ます」 「ああ。待ってるよ」  クルトをすりぬけるようにしてテッドは出て行った。扉が閉まったとたんクルトがワゴンに手をのばす。 「これか」  手の中にはさっきテッドが持っていた本があった。表紙は夜と星の色で、炎のような曲線で彩られている。 「クルト、それは一般向けの本だから――きみにはいろいろ意見があるだろうけど……」 「ソールもこれを読んでる?」 「そりゃあまあ……一応」  クルトの眼がきらっと光った。「そうなのか」 「クルト、おかしなことを考えるなよ」 「俺は何も考えていないよ?」  笑みを浮かべてクルトが僕の腰に手を回したとき、奥からクリストフがいった。 「ソールさん、そろそろ閉めましょうか」 「ああ、そうだね」  僕はクルトの手を外したが、彼は今度は僕の手を握る。そのまま奥へついてくる。 「クリス、俺も手伝おう」 「いいんですか? ありがとうございます。今日は子供が熱を出してたんで、早く帰らないと」 「だったらあとは俺とソールでやるよ」  クリストフは助かったという顔をした。クルトは貴族の生まれで、精霊魔術師で治療師という身分である。ふつうはこういった雑事に通じているはずもない。クリストフも最初は面食らったようだが、いまは不思議にも思っていないらしい。 「それならもう帰ればいい。大丈夫だから」と僕もいった。 「そうですか。じゃあ遠慮なく」  僕は扉をあけてクリストフを見送った。路地のむこうからは楽音が響いていた。三日前から辻音楽師がこのあたりでも演奏しているのだ。音楽にまじって上がり調子の声も聞こえる。風は冷たいにもかかわらず気持ちがふと暖かくなる。 「ソール」  うしろでクルトが呼んだ。僕は扉をしめ、とたんにあたりがしんとした。外の音は厚い壁とぎっしり詰まった書物に吸いとられるように消えてしまう。クルトの腕が背中からまわり、うなじに唇が触れた。 「クルト、閉店するんだから」 「その前にちょっと」 「ちょっとじゃない」 「すぐ手伝うから」 「すぐって――」  僕はそういったが、クルトの両手に抱かれるときつくいえなくなってしまう。クルトは僕の耳の裏に唇をよせる。熱い息が右耳をかする。背筋がぞくりとふるえた。 「ソールもあの本を読んでるなら……」 「クルト?」  耳穴を舐められて力が抜けたすきにクルトは僕を自分の方に向かせ、すかさず唇を重ねてくる。書物がぎっしりならぶ書架に押しつけられるようにして深い口づけをあたえられると、僕はとうていあらがえない。眼をとじてクルトに応じながらも頭の片隅には小さく、ここは店なのだと警告する声が響いていた。まだ鍵をかけていないから――  物音がしたような気はしたのだ。でもクルトは僕の口を犯すのをやめず、舌を絡めて嬲りつづけた。粘膜を通じて彼の魔力を感じ、快感に膝から力が抜けそうになる。僕はクルトの背中にしがみつく。そうしないと崩れおちそうだ。  そのときバタンと大きな音がして、僕ははっと眼をひらいた。扉のところにテッドの長身がみえた。丸くみひらいた眼にぶつかって、僕は一瞬で状況を理解した。あわててクルトから唇をもぎはなすが、体はクルトの腕に抱えこまれたままだし、彼は僕とちがって平然としている。 「どうした?」  クルトがかけた声はテッドに向かっていた。 「いえ、その――失礼しました!」  またバン、と大きな音がして扉が閉まった。クルトはふうっと息をついた。 「鍵をかけるよ、ソール」 「この――馬鹿!」 「ちょっと間が悪かったな」  頬が熱かった。僕は顔が真っ赤になっているのを自覚する。でもクルトは艶のある微笑みを浮かべただけだ。 「待って」  彼が扉に手をかざしたとたんに回路魔術が作動した。僕はふるふると首を振る。 「待たない」 「これで閉店だ」 「クルト、気配に気づいていただろう!」 「大丈夫だ。ソールは俺の影になってたからほとんど見えてない。ごめん、中断して」 「そんな問題じゃ――」  僕の声はまた口づけに飲みこまれた。さっきよりも容赦ない口づけ。しかもクルトは僕の腰に両手をそわせ、もっと下の方を掴んでくる。 「さっきのはふつうのキスだから」クルトがささやいた。 「今度は特別なキス」 「なにいって……」 「ここではじめてソールにキスした」クルトは僕の太腿を布の上からなぞった。「店の奥で、ずっと前……覚えてる?」  もちろん僕は覚えていたし、そうささやかれたとたんに頭には完璧な記憶が蘇った。その時感じた興奮や喜びや絶望、なにもかも。僕は彼に抱かれたくて、自分が消えてしまうくらい、何もわからなくなるくらいめちゃくちゃにされたかった。  クルトの舌が僕の首筋を強く吸った。 「俺も覚えてる」 「……や……」  僕はうめいたが、昂った腰をクルトのそれと重ねあわせたまま揺らしてしまう。シャツがひっぱりだされ、クルトの指が素肌に触れる。あのときとちがってクルトの手は性急ではなく、ゆっくり僕の肌をなぞった。快感に体が勝手にふるえた。あのときとちがってクルトは僕を知り尽くしている。それだけじゃない――僕にはもう障壁がないから、彼にはぜんぶわかるのだ。  自覚したとたん、緑の眸のしたで丸裸にされている恥ずかしさにまた頬が熱くなった。クルトは微笑んで僕をみつめる。眸が欲情の影をおびる。 「可愛い」 「そんなこと――」  いうなといいたかったのに無理だった。指先で胸のとがりをつままれて僕は声をあげそうになり、息をのむ。腰を両手で抱かれて、僕は書架に押しつけた背中と彼の手でくずれそうな膝を支えられている。クルトは指先で僕の尻を愛撫しながら、いつのまにか空気にさらされていた胸の尖端を強く吸った。自分は灰色のローブで全身を覆っているのに。 「クルト……家に帰ってから――」 「ほんとにそれでいい?」 「まだ作業――」 「あとでやれる」  僕の膝上に布が落ち、下着をずりさげられる。クルトの手が僕の中心に触れ、軽く握りこむ。口でああいったものの、僕の頭はとっくに彼がくれる快楽を予想していた。拒否することなんてできない。どうせクルトに抵抗などできないのだ。  でも彼の息が股間をかすったとき、周囲にならぶたくさんの書物の背表紙にみつめられているような感じがした。ここがカリーの店だと僕はもう一度意識した。ここで、僕はこうして下肢をむきだしにして…… 「あっ―――」  腰をひこうとした僕にクルトは容赦しなかった。床に膝をつき、さっき僕の口を蹂躙した唇で中心をなぶる。股のあいだで動く彼の手と口に僕はあっけなく達しそうになる。もうすこし――なのにその瞬間がきそうな直前で、先の方を指でつままれ、止められる。 「……クルト」僕は涙目になっていた。「クルト、お願い……」 「もっとしたい?」 「そんな……」 「ここで?」  意地悪なささやきに僕の頭の一部はずるいといったが、心と体の欲望にたちまち押し流された。立ち上がったクルトのローブがひらき、僕は彼に触れようともがくように手を伸ばす。ベルトが鳴り、むきだしになったクルトの怒張と僕のそれが重なりあった。荒い息を首筋に感じたとたん、腰の奥が期待にうずく。 「ソール……」  クルトの手が僕のうしろにまわる。 「ここに欲しい?」  僕は無言でうなずく。書物たちが聞き耳を立てているようなこの場所で、とてもそんなことはいえない――けれどクルトの魔力がやわらかく尻を覆ったとたん、魔力にゆるめられた僕の後口はクルトの指をあっさり飲みこんでしまう。中をまさぐられ、奥に触れられたとたん、電撃のような快感に頭が白くしびれる。 「あっ……ああ……」  砕けそうな足に一瞬だけ不安を感じた。僕はクルトのローブの上に横たわり、足に絡む服を脱ぎ捨てる。クルトが上に覆いかぶさり、僕の腰をもちあげ、中に入ってくる。何度か揺すられ、圧迫を感じたのもつかのま、ぴったりとクルトを飲みこんだのがわかった。クルトの吐息が僕の顔をかする。緑の眸がじっと僕をみている。ぐいっと奥を突かれたとたん勝手に声がこぼれた。 「ああんっ――あ……クルト……」 「ああ、いい、好き――」  僕は眼を閉じた。中にいるクルトの熱と声だけでいっぱいで、それ以上受け入れられない。クルトは僕をつかんで支え、何度も奥へ打ちつける。 「ソール……眼をあけて」 「や……無理」  ふりまわされるような感覚に、僕は小さな声でこたえるのが精いっぱいだ。 「俺をみて」  甘い声がささやく。  僕は首をふったが、結局こばめなかった。眼をひらくとクルトの顔のむこうで書物が僕を見下ろしている。僕の中に入ったまま動きをとめていたクルトが、またゆっくり、波のように腰を揺らす。  気持ちいい……とても気持ちいいけれど、今日はなぜかとても恥ずかしい。クルトにみつめられるのが怖かった。書物にみられているのも。顔を隠したいと思ったとたん腰を引かれて抱えこまれた。クルトに面と向かったまま、下から奥を突き上げられる。 「あっあっ、あ――……クルト、だめ――」 「隠さないで――ソール、ああ……可愛い……好きだよ……好き……」  だめだ、と僕のなかで声がする。クルトにはお見通しだ。こうやってつながっていたらなおさら――何も隠せやしない。

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