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【番外編】窓の外の君 4

『夜を満たす魔術』ならクルトも読んだことがあった。なにしろ一般向けの閨房術手引書として最も有名な本なのだ。学院に入ってまもないころ同級生の誰かが手に入れて、寄宿舎でクスクス笑いながら回し読みしたものである。  とはいえ精霊魔術師、つまり念話が使えるくらい魔力が多い者からみると、この手引きに書かれているような事柄(雰囲気を作るための心得から曲芸めいた体位まで)はあまり意味がない。おたがいがその気になれば相手が感じる悦楽を自分のもののように感じとれるのだから、この手の手引きには蟻が象を撫でるようなもどかしさがある。精霊魔術師の多くはセックスのパートナーを自分とおなじ精霊魔術師にかぎるようになる。その方が無難で(学生のうちはなおさら)おまけに行為による快感も増えるからだ。  しかし一度魔力をなくしたソールにとって事情はかなり異なるだろう。それにソールとつきあうようになってから、クルトのセックスについての考えもしくは好みも大幅に変わったのだった。精霊魔術師流のそれは、たがいの快感が丸見えの状況で、おたがいに増幅しあうようなものだ。一方魔力を失ったソールとのそれは、目隠しをして相手が興奮する部分を手探りで開発するような行為だった。 「クルト、全部片づけなくていい。明日早めに来るから……」  椅子の上で膝を抱えたソールがかすれた声でいう。いやいや、そんなわけにはいかないとクルトは本日の売上伝票をそろえる。自分は有言実行の男になると決意しているのだ。 「もうすぐ終わるよ」  ソールは眼を細めてクルトをみた。今は服をきちんと着ているが、髪はすこし乱れて、けだるそうにぼんやりしている。クルトは事後のソールを眺めるのも好きだ。体を重ねたあとの彼はクルト以外の人間にはけっして見せない顔をしている。ソール自身だって知らないのだ。そんなことをクルトが思ったとたん、ソールはぱっと顔をそらし、髪をかきあげた。恋人が見せる照れ隠しの仕草もクルトは好きである。まったく、どうしようもない。  果ての塔でソールの中にあった遮蔽が消えた結果、クルトにとっての「目隠し」はなくなったわけだが、いまのソールの体は以前とはちがう意味で敏感になっている。もちろんこれまでだって、ソールの痴態を見たかったクルトがあれこれ(媚薬成分が入った潤滑油や『夜を満たす魔術』に図入りで説明されているような体位まで)試さなかったとはいわない。だがソールの魔力が多少回復した今は『夜を満たす魔術』に書かれた別の方法も試せるのではないか。 「クルト?」ソールが不審そうにいった。「伝票になにか?」 「何でもない。これで最後だ」  クルトはだらしなくにやけていた口元を引き締め、日計表に数字を記入した。いつまでもこんなことを妄想しているとソールにわかれば、真剣に愛想をつかされるかもしれない。 「冬祭りはどうする?」  とソールにたずねたのは次の日の夜のことだった。ふたりは暖炉の前でくつろいでいた。ソールは薪の表面をなめる炎をぼうっとみつめている。灰のあいだで熾火が光り、小枝が燃え落ち、パチッと木の皮がはじけると、明るい橙色の火の粉が炉のなかで舞い上がる。 「僕は……とくに何も」ソールは暖炉をみつめたままいった。 「今年は街をみたい――とは思っているが……冬祭りの王都はずっと……苦手だった」 「それなら街に出よう」クルトは陽気にいった。 「そうだ、ソール。あれをつけよう」 「あれ?」 「一昨年の冬祭り――アルベルトに頼まれて村からおつかいに行ったときにあげたやつ」 「ああ」 「どこにある? 見せてよ」  暖炉に照らされたソールの頬になぜか朱がさした。首をふって立ち上がり、書き物机の引き出しをあける。重要な書状など、彼にとって大切なものが入っている場所だとクルトは知っていた。ソールは小さな箱をあけ、青い石が嵌った首飾りを取り出した。 「せっかくもらっても、使う機会も少なくて……」  申し訳なさそうな口ぶりだった。クルトは気にせずに首飾りの石に触れる。幅広の鎖に手をかけると、ソールの指から首飾りは素直にクルトの手に移った。留め金をあけて恋人の首に回す。鎖が首にぴったり沿って、昨夜クルトがつけた痕のうえを這う。素敵な眺めである。ついついそこへ唇をあてたくなる。 「クルト?」 「うん、きれいだ」 「ああ――そうだね」 「使う機会は作ればいい」 「ん?」  訝しげにひそめた眉と眉のあいだに唇を触れる。ソールの白い肌はしっとりしている。黒い眸をみつめながらそのまま鼻の頭へ、さらに下へと唇をずらす。舌先で恋人の口の輪郭を舐め、歯のあいだをつついた。 「脱がせていい?」  許可のふりをした宣言をささやく。ソールが困ったように吐息をもらす。これは了解という意味である。ソールの心を鉄壁の遮蔽が覆っていたころ、クルトはソールの体が語る言葉を慎重に学んだのだ。クルトはシャツのボタンをひとつひとつ外す。空気にさらされる肌の領域が増えるにつれてソールの息が少しずつあがる。クルトはこの作業が好きだ。恋人の欲望をかきたてるのは楽しい。  とはいえ、ソールはクルトの煽りにひそかに抵抗しようとしている。明るい場所でクルトが行為におよぶといつもそうなのである。ようするに恥ずかしがっているのだ。しかし嫌がってはいない。ところが、羞恥を感じる自分自身に奇妙な苛立ちを持ってもいる。  クルトにとってはそんなソールも可愛い。いまやソールは上半身をあらわにして、喉元では青い石が光っている。手をそのまま下へ動かしながら、すぐ目の前にある桃色の尖りを舌先で味わう。びくっとソールの体全体が震え、足元に落ちた布からもがくように足を抜く。クルトは自分のシャツを脱ぎ捨てる。  ひざまずき、ソールの脚のあいだ、淡い色の茂みに舌を這わせると、両手が自分の髪をつかむのを感じる。クルトはソールの足をささえながら舌を存分に使って愛撫する。頭の上で押し殺した息が小さな声になり、限界が近づくにつれて恋人は腰を揺すりだす。 「クルト……も……う――」  達する瞬間の無防備なソールがクルトはたまらなく愛しい。いまやふたりは暖炉のぬくもりが届く床のうえで座りこんでいる。クルトはソールの腰を膝にかかえ、昂りを押しつける。首筋で鎖が鈍く光り、ふと猫の首輪を連想する。愛撫すると喉をならし、甘えるように啼く猫。 「ソール」クルトは恋人の耳を撫でるように軽く噛んだ。「ねえ、手をついて」  ソールは一瞬だけもがくようなしぐさをする――が、クルトの言葉に従った。身に着けているのは首に光る幅広の鎖だけ。白い尻がクルトの方へむき、蕾があらわにされている。クルトは意識しないうちに唾を呑み、ソールの背に手のひらを這わせる。指で中心をたどり、割れ目に触れ、舌先をつかう。唾液が肌を伝ってこぼれおち、ソールの腰が揺れた。  甘いうめき声が漏れる。もう我慢できないとクルトは怒張を押し当てる。魔力が通じるようになったおかげで、入り口の狭い輪を緩めるのはたやすい。ソールがまたうめき、クルトはため息をもらす。うしろから突かれる方が快楽が大きいのだ。恋人がもっとも感じる場所を突いたとたん、中が大きくうねり、クルト自身を締めつけた。 「あっ、あっ、あ――」  さっき達したばかりなのにソールは長い絶頂をむかえ、クルトもつれていこうとする。その瞬間を味わいながらクルトは思わず眼を閉じる。そのままソールの背中に覆いかぶさり、汗ばんだ肌に唇をつける。つながったままソールを背中から抱きしめ、暖炉のまえに転がる。  トクトクと心臓の音がきこえる。速い流れがしだいにゆっくりになっていく。リズムにあわせてクルトはそっとハミングした。腕の中の体がしずまって、安らいでくる。鼻先でソールの首の鎖をなぞりながらクルトはささやく。 「……ソール」 「ん?」 「使う機会なんて気にしなくていい」  宝物はあまり他人に見せるものじゃない――と思ったのは口には出さない。口に出さない方がよいことだって、たくさんあるにきまっている。  二日後は学院の授業の最終日だった。このあと冬の休暇に入るのである。例年のことで、冬祭り前後で帰省する学生も多い。午後の学課を終えたあとクルトは庭園へ足を向けた。ソールも今日は学院にいるから、休憩時間にはやってくるにちがいない。  案の定砂色の髪が薔薇のしげみのあいだにみえた。今日はひとりだ。クルトは小道を歩き、隣にならぶ。ソールは足をずらしてクルトの場所をあけた。薔薇ではなく教室の窓をみていた。鉄の飾り枠がはまった大きな窓だ。その向こうはまだ授業中らしく、座った学生の影がならんでいる。  テッドが窓のすぐ近くにいるのにクルトは気づいた。短い巻き毛の頭がゆれ、こちらをちらっとみる。そんなふうに気を散らすものじゃないぜ、とクルトは内心でつぶやく。今日の課業を聞きもらすと休暇中の課題をこなすとき泡を吹くことになるのである。テッドにそれが聞こえるはずもなかったが、彼はすぐ注意を戻し、前に向き直った。 「冬の薔薇もいい」  ソールがそういいながらまた足をずらした。足元のしげみには小さな白い薔薇が星屑のように咲いている。クルトはふと思いついて、いってみた。 「うちにも庭をつくろうか。薔薇を育てるんだ」 「いや」ソールは照れたように笑った。 「僕はただ……あの窓の向こうに教室があるのが好きでね。またあの場所の近くに――こうして立っていられるのが嬉しい。それだけだ」  クルトの中にふいに理解がおちた。でも――何もいわなくてもいいのかもしれない。ソールは横で笑っているのだから。  かわりに手を伸ばしてソールの指を握った。冬の風の中で薔薇が香る。

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