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第9話
「今は本当にそういうのはいいんですよ。うまく行かないってわかりましたから」
今は一人でいたいんです、と苦笑いで答える。
離婚した後、修一とは手続きや荷物のやり取りなどで数回顔を合わせたが、そういった事務的な用件が済んで以降は会っていない。
何度か近況を訊ねる連絡を送ってみたりもしたが、最初こそ、そっけないながらも返事帰ってきたものの、徐々に返信もなくなり没交渉となっていた。
本格的に自分と縁を切りたいのかと、酒に逃げなければやっていられないほど、その事実は陽介を大きく落胆させた。
「せめて遊ぶくらいしないのかい? 本当に勿体ないないよなぁ。あーあ、俺が先生の顔してたらあちこちでひっかけまくるのによ」
そう言う園田の顔は人が悪そうに笑っている。
「そんなこと言って、奥さんに聞かれたら怒られますよ」
「まあ仮の話だって。…………嫁さんには言うなよ?」
こうは言うが、実際のところ園田はなかなかの愛妻家であり夫婦仲も良い。
一度、酔いつぶれた園田を迎えに来た園田夫人に会ったことがあるが、いい年をして酔いつぶれる園田を叱る中にも愛情を感じられたし、園田も時々、うちの嫁さん自慢をしている。
ふと思う。あのとき粘っていれば、自分たちにもこういう未来があったのではないかと。
園田夫妻に、陽介と修一の姿を重ねる。ありもしない光景を思い浮かべ、陽介は胸を痛めた。
終わったことを蒸し返しても仕方がない。今は楽しく酒を飲むことを考えるべきだ。
そういえば、と思い出したように園田が言った。
「もうひとり先生がいたな。男前の常連がいてよ、弁護士やってるって言ってたけど最近会わないな」
陽介の鼓動が跳ねた。
いや、都心で人口の多いこの辺りなら男前の弁護士なんてたくさんいるだろうと、思わず浮かんだ考えを否定する。
「その先生も確かバツイチって言ってたな。それがまた凄ぇイケメンでよ、マスターが言ってたんだけど、テレビに出たこともあるらしい。さぞかしモテるんだろうな、羨ましいよなぁ」
お前さんもその無精髭剃ればちゃんと男前なんだけどな、などと陽介をからかう。
離婚してからというもの、髭を剃るのが面倒になり、どうせ仕事中はマスクで見えないからと疎かにしている。ボサボサと伸ばしっぱなしにしている程ではないが、あまり清潔感があるとは言えない。
追加される情報は陽介に期待を抱かせる。
ーーまさか。
「名前、如月っていったかな。その先生」
その時、カランと店の出入り口のドアにかけられた、人の出入りを知らせるベルの音がした。
陽介がカウンター席で園田と横並びで会話をしている背後に、バーテンダーが「いらっしゃいませ」と声をかける。園田が振り返った。
「お、噂をすればその先生じゃないか。よう、如月さん。久しぶり」
背後から誰かが近づいてくる気配がする。
ここどうだ、と園田は右隣にいる陽介とは反対側のスツールを促したようだ。
「こんばんは。お久しぶりです、園田さん」
園田に挨拶を返す男の、やや低めの耳当たりの良い、懐かしい声が耳に入る。
陽介の心臓が早鐘を打つ。思わず俯いてしまっていた顔を上げられない。酒の入ったグラスを無意識に強く握りしめた。
男はバーテンダーに注文を伝えると、促された席に着いた。
「最近来てなかったみたいだけど仕事忙しいのか? 売れっ子の先生は大変だねぇ」
そう園田が茶化す。嫌味にも聞こえる内容だが、その口調には親しみが込められている。いつものようにカラッとした笑みと共に向けているのだろうその発言は、聞くものに不快を感じさせない。
男もそう感じているようだった。
「売れっ子なんてそんな。それどころか事務所を立ち上げたばかりでカツカツですよ」
男が謙遜する。
「そういえば最近、独立したんだって? マスターから聞いてたよ。その年で一国一城の主か、羨ましいねぇ!」
「主と言っても共同経営ですよ。俺だけの、って訳じゃないんです」
「それでも立派なもんだよ。俺なんかただのしがない雇われサラリーマンだぞ?」
「ただの雇われって、園田さんは一流企業の部長さんじゃないですか。その席に座れる人間がどれだけ少ないと思ってるんです? うちみたいな零細事務所より、よっぽど凄いですよ」
自虐する園田に、男が苦笑した様子でそう答えた。
そういえば、と男が続ける。
「お二人で話していたんじゃないですか? 割り込んでしまってすみません」
園田に話かけたのか、陽介に話しかけたのかは分からなかった。
「いや、ちょうど如月さんの話をしていたところでね。イケメンの『先生』がもう一人いるぞ、ってな」
「はは、噂されるほどイケメンの先生とは、恐縮です」
肯定も否定もすることなく、褒め言葉を受け取りユーモア混じりにサラリと返す口調は慣れた様子で、相手を不快に思わせない謙虚さだった。
おいおい、返し方も随分こなれてるじゃないかと園田が男をからかう。
「こっちの先生もなかなか男前でね。見たところ年も近そうだし、二人とも独身だしで、羨ましいわって話てたところなんだよ。なぁ?」
ポンと、自己紹介を促すかのように、俯いたまま黙っている陽介の肩を園田が叩いた。
陽介は俯いていた顔を上げる。
数年ぶりの、かつての夫の姿が目に写った。
仕立てのいいスーツに身を包む修一は相変わらず洗練されていて、最後に会った時から何も変わっていないように思える。
「修」
修一と視線が合う。思わず彼の名前が口から溢れる。
「……陽介」
修一は驚いた様子で陽介の名前を口にした。
「久しぶり、だね」
どんな表情をすればいいのか分からず、なんとか口元だけで笑みを作り、修一に再開の挨拶を投げかけた。
「なんだ、お前さんたち知り合いだったのか」
驚く園田をよそに、陽介は先程とは打って変わって修一から目が離せなかった。
「ええ、まあ」
困惑しているような様子で、歯切れ悪く修一が答えた。
正直その後は何を話したかよく覚えていない。二人の様子に、あまり良い関係ではないと察したような園田が話題を変え、場を取り持ってくれた。
そのうちに酒が進み、気分良く話す園田の話にひたすら相槌を打っていた気もするし、園田と修一が話をする内容を聞いていた気もする。
突然現れた修一と何を話せば良いのか分からず、口が重くなってしまっていたのは確かだった。
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