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第12話

 その後は、どうやって家に帰ったか覚えていない。最悪の想像が胸中を占め、他のことを考える余裕などなかった。  とにかく、今日これから修一に会うのだ。その時に聞いてみればいい。あんなに子供は不要と言っていたのだ。女性も子供も親戚か何かかもしれない。  ーーだけど、妻子だったら。  どうしてもその考えが頭から離れない。  かつて修一は子供はいらないと言っていた。あれはどういうことだったのか。自分は産みたくないと言っていたが、女に産ませるならばよかったのか?  本当は子供が欲しかったが、陽介といる限りできないので陽介と離婚してから女に産ませたのか?  たしか子供の年齢は3歳か4歳ほどではなかったか。小児は専門外で子供を見る機会などほとんどない。正確な年齢はわからないが、あの子供はそれくらいに見えた。  万が一、修一の子供であると仮定して子供の年齢から考えると女を孕ませたのは陽介と離婚した直後、もしくは女を孕ませてしまったので離婚を切り出した可能性は?  陽介の予想は坂道を転げ落ちるように悪い方へと傾いていく。  これまで週末の数時間しか会えなかったのは、家庭があるからではないのか? 自宅に招き入れなかったのは、妻子がいるからではないのか?  陽介は息抜き程度の、単なる浮気相手なのではないのか。二人の関係について言及しないのは、都合のいい状態に置いておきたいからではないのか。  ではなぜ今日、自宅に招く?  結婚していた頃は、修一は浮気はしていないと確信していた。  実際そういった兆候や事実はなかったし、スマートフォンもGPSの位置情報も陽介の希望に応じてオープンにしてくれていて、いつだって陽介の不安を減らそうと努力してくれていた。  だから、浮気をするような人間ではないと思っていたのだ。ーー少なくとも4年前までは。  修一は、妻子がいるにも関わらず浮気をするような男ではないと信じたい。妻子など存在しないのだ。  だが人は変わる。夫婦の関係も変わる。  男同士と男女のセックスは似て非なるものだ。陽介は受け入れる側の経験はないが、修一のセックス中の様子を見るに、あれは男女の交わりでは得られない快感だろう。  それが忘れられず、陽介とセックスをしている。  もしくは、産後の妻とセックスレスになるなどよく聞く話だから、その間の性欲処理としてちょうどよく現れた陽介と関係を持っている。  そんな最悪の想像が浮かんだ。  ーーとにかく、修一に聞いてみるしかない。  いや、と陽介は思い直す。  もし本当に妻子であったなら、今後この関係はどうなる。修一は関係を終わらせるのではないか? 不倫と知られた以上、関係を続けるだろうか。リスクを負ってまで陽介と寝るか? 妻にバラされるかもしれないのに?  このまま知らないふりをして体の関係だけでも続けるか、真実を問いただして関係を終わらせるか。 『お前には関係ない』『付き合ってるわけでもないのに面倒なことを言うなよ』『そういうの、鬱陶しい』『もうお前とは会わない』  かつての友人らがセックスフレンドに向けて言った言葉が思い出される。  真実を問いただした結果、修一からそんなセリフが陽介に向けられたらと思うと、絶望感で押しつぶされそうだった。  もしくは低い可能性としてそもそも妻子ではないから、正直に今日見たことを話すか?  どうしたらよいのかわからない。4年前ならばともかく、今は修一の気持ちも考えも全く掴めなかった。  4年という離れていた月日はそれほど長かったのだ。  ーーとにかく、修一に会おう  修一の家に入れば、少なくとも何かが分かるはず。  重い足取りで陽介はその夜、教えられた住所に向かった。 「よう、いらっしゃい」  陽介の心境などつゆ知らず、修一は笑顔で陽介を迎えた。  開口一番、昼間の女と子供は誰だと問いただしたかったが堪えた。 「……呼んでくれてありがとう。これ、後で飲もう」  なんとか笑顔を作り、昼間に購入した手土産の日本酒を渡す。  悪いな、と言いながら修一は陽介を部屋に入るよう促した。  部屋は単身者用のようで、15帖ほどの広めの1Kだった。 「狭くて悪い。用意するから座っててくれ」  単身者向けの小さなキッチンと冷蔵庫、2脚ある小さなダイニングテーブルとシングルベッド。部屋はあまり生活感がなく、物が少ないせいか、がらんとしていた。  到底、家族で住んでいるようには見えない。 「きれいにしてるんだね。……いつから住んでるの?」 「半年くらい経つか。引っ越してからそこそこ経つのに、実はまだ引っ越しの段ボールも開けてなくてな。お前が来るって言うから慌てて片付けたよ」 「半年……その前はどこに?」 「前は、品川だな。新しい事務所に通うのに遠くなったから、近くに引っ越してきたんだ」  用意するから座っててくれと、窓際に置かれた小さな円形のテーブルに促される。  テーブルも椅子も、まだ新しいように思える。陽介の来訪に合わせて新調したとも考えられた。  陽介を座らせキッチンへと向かった修一はこちらに背を向けて作業をしており、その表情は見えない。  部屋を見ても、不倫の可能性が否定できなかった。浮気する夫が妻に内緒で別宅を借りて、不倫相手に対し独身を装うというのもたまに聞く話だ。  当然、その家賃を補うだけの費用が発生するが弁護士として大きな収入を得ている修一ならば全く問題はないだろう。  まだここが浮気用のセカンドハウスである可能性を否定しきれない。  しかし修一がこれほど用意周到に偽装してまで不倫をするのかと、疑心暗鬼と修一を信じたい気持ちが入り混じり陽介の表情を硬くさせる。 「…………何を作ってるの?」 「んー、内緒。いいから座ってろって。先に飲んでてもいいぞ?」 「いや、待ってるよ」  修一は何やら上機嫌で作業をしている。気になってキッチンに近づこうとすると、 「こら、向こうで待ってろ」  そう叱られてしまった。  夕食をどうかと言っていたから何か作るつもりなのか。  思い返すに、修一は料理がそれほど得意ではない。焼きそばやカレーなど大味のもは作れるが、基本は大雑把なのだ。工程の多い料理などは面倒だと毛嫌いして作らない。作らないから上達もしない。  陽介は修一に料理の腕は欠片も求めていなかったので、そこは何の問題もなかった。修一が陽介の作った料理を美味しいと言い同じ食卓で食べてくれる、それだけで十分だった。  滅多になかったが、二人で料理をする時間はとても好きだった。修一に料理を覚えさせたかったわけではない。二人で一緒に何かをする時間が嬉しかったのだ。  修一が面倒に思うであろう下ごしらえや、調味料の計算などは陽介がやっていた。修一には楽しいと思うであろう工程だけをやって欲しくて、それとなく誘導していた。  その思惑を察した修一は、 『面倒なところは俺にやらせないようにしてるだろう。気持ちは嬉しいけどいつかお前に作ってやりたいんだから、ちゃんと教えてくれ』  そう陽介に言った。  いつか自分に作ってくれる、その気持ちが嬉しかった。結婚期間中、とうとう修一がその料理を作ってくれることはなかったのだが。  修一の作業を待っている間、そんな幸福なエピソードがあったことを思い出した。  思い出しているうちに作業が終わったのか、修一がキッチンから料理を運んでくる。いつの間にか辺りには肉の焼けるいい匂いが漂っている。 「待たせた」  テーブルには生ハムとアボガドのサラダ、トマトスープ、ハンバーグ、ライスなどが運ばれてくる。  どうやら修一が陽介のために作ってくれたらしい。それらがインスタントやテイクアウトでないことは陽介には一目でわかった。  なぜならば、アボカドは綺麗すぎるほどのブロック状で、明らかに食べ頃とは思えず噛んだらガリガリといい音がしそうだ。トマトスープは野菜が大きく、どろっと強いトロミが付いていてまるで赤いカレーのようである。  そしてメインのハンバーグは表面が焦げている。火は通っているだろうが肉は硬そうだった。  テーブルに並べられる料理を見て、陽介はかつての食卓を思い出す。  ーーこのメニューは。

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