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第70話◇

【side*優月】  中学、高校ともに、美術部だった。  体育もそんな必死には、やらなかった。  ――――……こんなに必死で走ったの、いつぶりだろう。  ……という位の勢いで、いつもの、クロと会うこの場所まで、逃げてきてしまった。  ……オレ、こんなに早く、走れるんだ。  という事実に驚いた。  けれど、走り慣れていない心臓は、もはやバクバクで、息がおさまらない。……ヤバい。  ……落ち着け、オレ。  ていうか……何で、玲央ってば、追いかけてくるんだろ。  いっぱいいっぱいすぎて、  超、猛ダッシュで、逃げてしまった。  玲央から、全力で逃げたくなんかなかったのに、  ……追いかけてくるから、つい……。  ベンチに座って、太ももに肘をついて、頭を抱えてしまう。  はー。辛い……。  癒しのクロは居ないし……。  息は苦しいし……。玲央から逃げちゃったし…………。  はあ、と息を整えようとした、その瞬間。 「優月」  名を呼ばれるとともに、手首を掴まれて、その拍子に、その声の人をまっすぐ見上げてしまう。 「れお……」 「――――……っ……お前、何、その全力の脱走……」  オレの手をとったまま、はあ、と息をつく玲央。 「……つか――――……お前、何で逃げンの」 「……っ」  少し眉が寄って。カッコ良すぎる視線。  強い瞳で、見つめられて。  ――――……胸がドキドキして、痛すぎる。  顔が熱くて。  でも、玲央から、視線が、逸らせない。 「優月……?」  至近距離の、その口から、優しく、名前が呼ばれて。頬に触れられる。  ……よかった。  夢じゃなかったんだ、玲央との色々な、こと……。    じっと見つめたまま、動けずにいると。  玲央は、ふ、と笑った。  「逃げたくせに――――……なんでそんな、見ンの?」 「……嫌で……逃げたんじゃ……ない、から……」 「――――……」  ぐい、と首の後ろを押さえられて、引き寄せられる。 「――――……っ……」  唇が、重なって。  自然と開いてしまった唇の間から、玲央の舌が入ってきた。  ゆっくり絡めとられる。  昨日から――――……散々キスされて……。  キスが気持ちいい事に結びついちゃってて。  ゾクゾクが、体の奥から、呼び起こされそうになる。 「……っ……っ……ふ……」  声が漏れた時。  玲央が、オレから少し、唇を離した。 「――――……何で、逃げた?」  頬に触れられて、親指で、すり、と唇をなぞられる。 「……っ……なんか恥ずかしくて……」 「んな事だろうと思ったけど……も、逃げンなよ」  ちゅ、と唇を押しつけられて、キスされる。 「――――……オレ、こんな風に人追いかけたの、初めてかも」  くす、と笑って玲央が言う。 「……ごめんね?」 「別に。謝れって言ってるんじゃない」 「あ……玲央、食事は?」 「ん? ああ……今はいい。3限が休みだから、そこで食うから」  そう言って、玲央は、オレを見下ろした。 「……優月、今日予定は?」 「4限までで、そこから絵の先生のとこに行く」 「絵?」 「うん。オレ、絵、描くの好きで」 「習ってんの?」 「うん」 「……何時まで?」 「分かんない。先生次第ていうか、キリのいいとこまで……」 「ふーん……」  それきり、玲央、黙ってる。  その時、3限の予鈴が鳴った。 「あ。……行かないと」 「ああ」 「また、ね?」 「今度会った時は逃げんなよ」  そんな言葉にぐ、と詰まると。玲央は笑って、それから、ちゅ、と、キスしてきた。  かあっと、赤くなる。 「何で、この位のキスで、また赤くなンだよ?」  玲央が苦笑い。 「なんか、別れ際にするとか……恥ずかしいなって思って」 「――――……」  別れを惜しんでるみたいだなって、そう思ったら、自然と、顔に熱が集まってしまっただけで。別に玲央は軽くしただけだと分かってるんだけど。  確かに、こんな触れただけのキスで赤くなるとか、今更って言われても仕方ない、か……と思いながら。   「……行くね」  玲央から離れて歩き出す。 「優月」 「?」 「――――……絵、終わったら、電話して」 「え。でも……遅いかも……」 「別にいい」  ――――……今日、電話していいんだ。  なんて思ったら。すごく嬉しくなってしまう。 「うん、分かった」  バイバイ、と手を振って、なんだかウキウキと3限の教室に向かった。

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