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第896話◇
「いただきます」
目の前に座った玲央のお母さんと、手を合わせて、食べ始める。
――近くで見ても、綺麗だなぁ。
ふう、と少しだけ冷ましてカレーを口に入れている。オレも、なんとなくそれに合わせて、カレーを食べた。
おいし。
こんな時だけど、カレーはおいしい。
……玲央のお母さんの口には、合うかな?
そう思いながら、ゆっくり食べ進めていると、玲央のお母さんは「おいしい」と微笑んだ。
――あ。
なんだかちょっと、優しく見えた。嬉しくなって、よかったです、と笑い返す。
またそこから、静かに食べる。めっちゃ静か。
不思議だけど、そこまで気まずくはなかった。
玲央のお母さん、指が綺麗。爪も薄い色のマニキュアが塗られている。スプーンの持ち方も食べ方も、すごく綺麗。
――玲央を思い出してしまう。
「カレーはいつも鶏肉でつくるの?」
「鶏肉……そう、ですね。鶏か豚肉が多いです」
「そうなのね」
……えっと。
あれかな。
カレーは牛肉が絶対、とか? 高級牛肉とか……? ありえるかもしれない? ……って、そんなことないか。玲央もチキンカレー好きって言ってたし。ちょっとドキドキしていると、玲央のお母さんは、くす、と少し笑った。
「この家でこんなにおいしい手作りカレーが食べられるとは思わなかったわ」
「……? どういう意味ですか……?」
「玲央は、一人では料理をしないし――たまにここに来ても、ご飯を食べたことはないから」
そう聞いて、そういえば、と思い出す。
玲央、あんまり料理しなかったって、会った頃は言ってたっけ……。
「今は、毎日、何かしら作ってますよ」
「……毎日?」
「はい。オレも手伝うんですけど、玲央、すっごく手際よくて」
そう言うと、玲央のお母さんは、ふわ、と微笑んだ。
「そうなの。料理を習わせてたんだけど、その先生が、すごくセンスがあるって、玲央のこと褒めててね。お料理の道に進むのもありだって」
嬉しそうに話し出した玲央のお母さんは、急に雰囲気が柔らかくなった気がした。
「分かります。お店、開いてほしいって、いつも思います」
「そうなの、ほんとに、おいしくて」
盛り上がりかけたその時、玲央のお母さんは不意に口元を押さえて、また、けほ、と咳払いをした。
「でも、そんなに食べる機会もないんだけど」
そう言いながら、今度はサラダを手に取った。またちょっと静かな時間。
あれ。
今、すごく可愛い感じになったような……。
黙ったままオレと目を合わせずに、サラダを食べている姿は、また普通に綺麗で、凛としてるけど。
「サラダも、おいしい。お料理、上手ね?」
「このドレッシングは、玲央に教わったんです。めちゃくちゃ簡単なんですけど……おいしいですよね」
そう言うと、また一瞬嬉しそうに、瞳が大きくなって――だけどそれから、また、ふと視線を落とす。
「そう、なのね。玲央に……」
小さく頷きながら、食事を続けている。
――なんとなく、まだ楽しく話す段階じゃない、とでも思ってるのかもしれない。そんな気がして、オレもカレーに視線を落とす。
そうだよねぇ……。
大事な息子の「彼氏」だもんね。
食べながら深い話は出来なそうなので、とりあえず早く食べてしまおうと思っていると、玲央のお母さんも黙っている。
でもたまに、ちらっと視線を流してくるので、やっぱり少し緊張。
品定め……ぽいのかな、もしかして。
玲央にふさわしいかどうか。
少しの間、二人とも無言のままで、食事を終えた。
「食後のコーヒー、飲みますか?」
そう聞くと、頷いてくれたので、オレはさっさと食器を片付けはじめた。玲央が一番好きな豆を選んで、コーヒーを淹れる。
玲央のお母さんは、椅子に置いていたバッグからスマホを取り出して、操作していた。
……玲央、帰ってくるの、何時かなあ。
すごく遅かったら、お母さんはどうやって帰るんだろう。
あ。そっか、もしかして泊まるかも? そう思って、オレがぱっと視線を向けると、玲央のお母さんも、オレを見つめる。
「もし今日玲央が遅かったら、泊っていきますか? 帰れないですよね?」
きょとん、とした顔でオレを見ている。
「もしそうだったら、オレ、コーヒーを淹れ終えたら、自分の家に帰るので」
そう言うと、玲央のお母さんは、その大きな瞳でオレをじっと見つめてくる。数秒の沈黙の跡、笑みを作って微笑んでくれた。
「今日は車で来てるから、大丈夫」
「そうなんですね。……とりあえずオレ、ちょっと一回玲央に連絡してみますね」
「――いいの。もうしてあるから」
そう言いながら、スマホを見ている。
あ、そうなんだ。そっか。じゃあとりあえずコーヒー淹れておけばいいのかな。
「お砂糖とミルクは、入れますか?」
「ええ」
スマホから顔を上げて、オレをまた見つめて、また少し微笑んだ。
笑うと、途端に柔らかい印象になる気がする。
玲央が瞳を細めるのに、すごく似てる。
そう思うと、ちょっと笑みが浮かんできてしまう。
コーヒーを置いてから、オレも自分のマグカップとともにまた玲央のお母さんの真正面に座った。
ありがとう、と微笑まれて、いえ、と微笑み返す。
「――話してもいいかしら?」
「あ、はい。もちろん」
頷くと、玲央のお母さんは、オレをまっすぐに見つめた。
「花宮くんは――玲央と、いつから付き合っているの?」
「……えと……三週間くらい前からです」
もう間違いなく、お父さんから伝わって、確かめに来ているのだろうから。少しだけ躊躇したけどすぐに頷いた。
「――玲央のことは、よく知ってるのかしら?」
「玲央のこと……たとえば、何を、ですか?」
そう聞くと、玲央のお母さんはコーヒーを口にして、その後、ほ、と息をついた。
「コーヒーもおいしいわ」
そう言ってくれた後、カップを両手で包んだまま、ゆっくりと言葉を紡ぎはじめる。
「親の私が言うのもなんなんだけど――ほんとにモテる子でね」
その言葉には、何の反論もないので、はい、とすぐ頷いた。
すると、なんだかすこし不思議そうに、オレを見つめてくる。
「知ってるの?」
「えと……そう、ですね。玲央を知ってる人は皆、玲央がモテるのは知ってると思います」
「――」
「というか、もう、一目見ただけで、モテそうって思うので」
ふ、と笑ってしまいながらそう言うと、玲央のお母さんは数秒黙ってから、苦笑を浮かべた。
(2026/2/13)
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