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第902話◇
「――なんで、居るの?」
ため息とともに玲央が言うと、香澄さんが「来ちゃダメだった?」と返す。玲央はすぐには答えず、靴を脱いで上がった。
「オレ、今日忙しいって言ったよね」
「そうね」
香澄さんは、まだ固まったままの玲央の表情にもまったく動じず、にっこりと微笑む。玲央はもう一度、今度はちょっと天を仰ぐようにして、ため息をついた。
「――優月に会いに来た?」
額に手を当てて前髪を掻き上げながら、香澄さんをチラ見して言った玲央の、呆れたような声に。
こ、これはまずいのでは、と慌てる。
「あの、玲央……あのね」
玲央を見上げてそう言うと、そのままの体勢で、ちらっと見下ろされる。
うう。ちょっとだるそうな感じの視線が。――破壊力がありすぎる。
だるそうでカッコつけてるってこれか……? と、さっきの香澄さんの話がよぎる。
……はっ、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
「あのね、玲央、香澄さんはね」
言った途端、ぱっとその手を離して、めちゃくちゃびっくりした顔で、オレをまっすぐに見つめた。
……ん??
「――香澄さん、て……」
玲央がそう呟きながらオレをめちゃくちゃ見つめている。
あ。
確かに。
急に自分のお母さんを名前呼び、してたら、
ぜったい、おかしいよね。あ……。
え。どうしたら……。
言う言葉が、ひとつも見つからず、
オレはただ、玲央と見つめ合っていた。
多分、時間的には、数秒。香澄さんも何も言わなかったけど、どんな顔をしてるのか、香澄さんの方を見る余裕はまったくなかった。
不意に玲央が、口元をその手で隠して、ふっとオレから顔を逸らした。目が合わないまま、ちょっとの沈黙。
えっと……。一瞬焦ったその時。
「――ふ……っ」
……ふ??
思わず首を傾げたオレの前で、玲央はなんだか崩れるようにオレの方に倒れてきて――ええ、なに???
「なんで、名前呼んでんの……」
もうこらえきれないと言ったように、肩を揺らして震えている。
……笑ってる?
呆然と見上げると、「もー、ほんとに優月は……」と、オレにのしかかってくる。ひええ、なになに? 倒れてくるのかと慌てて支えようとしてとっさに受け止めていると、オレの肩を抱いて支えた玲央は、はあ、と大きなため息をついた。
「オレ、ちょっとシャワー浴びてくる。すぐ出てくる」
そう言ってから、玲央はまっすぐに香澄さんに視線を向けた。
「母さんも待ってて。――ちゃんと話すから」
そう言った玲央に、香澄さんは言葉は出さずに、ゆっくりと頷いた。
「優月」
「は。はい……??」
「カレー食べたい。少し、用意しといて」
「あ……うんっ、分かった!」
食べてくれるのか、となんだか嬉しくなって頷くと。
「つか、香澄さんってさぁ……」
小さくそう言って、口元抑えてくすくす笑いながら、玲央はオレの横を通り過ぎる。
「あ、服とか用意しとくから、入っちゃっていいからね」
そう言うと、玲央は振り返って、「ん。よろしく」と微笑む。
バスルームのドアが閉まって、再び香澄さんとふたりきり。
二人、なんとなく無言のまま、じっと見つめ合う。
数秒後。
なにがおかしいのかも、自分でよく分からなかったけれど。
合わせたみたいに、同時に、ふ、と笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、オレは奥の部屋へ歩き出しながら振り返った。
「とりあえずオレ、玲央の服とか持ってきますね」
「私、カレー温めておこうかな?」
「あ、オレやります。座っててください」
頷く香澄さんを確認してから、部屋に向かう。
――なんか玲央。
ちょっとの間に、色んな表情してたなあ。
ふふふ。
可愛かったし、かっこよかったな。
うーん。玲央はやっぱり、カッコいい部屋着にしておこう。
黒のがいいかな~なんて、服を選んでバスルームに入る。シャワーを浴びてる影を見ながらすこし大きな声で。
「玲央、置いとくねー」
「ありがと。――つか、優月」
「ん?」
「……びっくりしたろ、ごめんな?」
――それを聞いて、ふ、となんだかあったかい気持ちになる。
絶対玲央の方がびっくりしたと思うのに。ごめんな、だって。
「ううん。玲央のほうがびっくりしたでしょ?」
「――した」
「だよね……」
バスルームのドア越しにくすくす笑い合う。
「すぐ行くから、待ってて」
「うん。待ってるね」
バスルームを出て、リビングに向かう足取りが、軽い。
良かった。
……なんか。たぶん。ちゃんと、話、できそう。
(2026/3/6)
3/3 優月お誕生日でした🩷🩷
また6年目もよろしくお願いいたします♡
私はたぶん、こういうのを書くのが
好きでしょうがないのだと…(^^♡
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