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第905話◇
香澄さんは静かに息をつくと、カップを手に取って、紅茶を飲んだ。
ゆっくりと飲み干すと、ごちそうさま、と言いながらカップを置いた。
「――帰るわ。遅くまでごめんね?」
玲央にというよりは、オレを見てそう言った香澄さんに、オレは首を振った。
「会えて、嬉しかったです」
香澄さんはにっこり笑って、じっとオレを見つめてから、ちら、と視線を玲央に移した。
「玲央」
「ん?」
「……優月くん、泣かせちゃだめよ?」
そう言った香澄さんに、む、と口を閉ざした玲央は、はー、とため息をついた。
「オレ、何人にそれ言われるんだろうな」
「あら、そうなの?」
「また言われたけど、どう思う?」
苦笑しながら玲央はオレを見つめてくる。
「んん……」
なんとも言えなくて首を傾げると、香澄さんが意味ありげに目を細めた。
「いろんな人に言われちゃうってことは、玲央が泣かせそうって思われてるってことよね。んー。反省した方がいいわよ?」
「――」
玲央はちょっと眉を寄せて、短いため息をついてる。
反省した方がいいなんて、玲央にこのトーンで言うのは、やっぱりお母さんしかいないよね。
玲央もお母さんには弱いんだなあと思うと、なんだか微笑ましいなと思ってしまう。
「優月と会う前のオレ、だと思うんだけど」
そう言った玲央に、オレは玲央を見て、うんうん、と頷いた。
「優月くんが頷くってことは、その前の玲央だと、優月くんを泣かせちゃいそうって、知ってるってことよね?」
「え。あ……うーんと……」
知ってる……というか。
どうなんだろう。オレの前の玲央は、会ったときから今の玲央なような。
あ、でも。会ってすぐキスされて、誘われたっけ。うーん……?
考えていたらなんだか、あの時のびっくりがこみあげてきて、ぷ、と笑ってしまった。
「なに笑ってんの」
そんな風に聞いてくる玲央も、くすくす笑い出す。
やわらかい表情を見ていたら、どうしても言いたくなって、香澄さんを見つめた。
「あの……会ったときから、オレの世界、色が変わった気がしたんです」
「――色?」
「はい。……普通に楽しく生きてたんですけど、オレ」
玲央がいないときのオレも、普通にそれまで、楽しいと思って生きてた。友達も家族も、学校とか絵とかいろいろ。夏だって免許の合宿行きたかったし。教職もとりたいし。結構毎日、いろんなことしながら生きてたはずなんだけど。
「世界が、明るく見えた、って言ったら大げさかもしれないですけど」
「――ん」
短く返して、先を待ってくれている香澄さんに、続ける。
「あの時のまま、ずっといます」
「なんか分かる。色が変わった、って――」
「玲央、分かる?」
「ん。なんとなく、分かる」
ふ、と優しく瞳を緩める玲央に、オレはすごく嬉しい気分に浸りながら。
「泣かされるとは思わないです。オレが泣くとしても、玲央に泣かされて、じゃないし。もしうまくいかないときがくるなら、それは玲央一人のせいじゃないと思うので。――二人で、なんとかできないなら、それはそれで、ふたりの責任だし」
思うまま話して、「ね」と玲央を見上げると、玲央はちょっと苦笑しながら。
「オレは優月に笑っててほしいから。言われなくてもちゃんとする」
香澄さんに言った玲央を見つめ返して――香澄さんは、小さく何度か頷いた。
「お父さんにも話しておく。ふたり、一緒に暮らしてみてもいいと思うって……と言っても、お父さんは、自分で責任をとるならって感じなんだけど」
そう言ってくれた香澄さんに、もう少しだけ言いたくて。
「あの――香澄さん」
「なあに?」
「オレ、玲央のこと、本当に、立ってるだけでもかっこいい人だなって思ってるんですけど――それって、別に見た目がいいってことだけじゃなくて……立ち方とか仕草とか、身につけてきてるものが、かっこいいなって……」
それから。さっきからずっと、ひっかかっていたこと。これだけは言っておこうと思った。
「与えすぎちゃったかもって言ってましたけど……与えてたもの、玲央はちゃんといろいろ身につけて自分のものにしてて……バンドも、やってた楽器とか、音楽とか習ってたことが全部繋がってて。いろんなことがつながって、この、すごくカッコいい人になってるので」
ついつい、隣の玲央の腕を、ぽんぽんと叩きながら、オレは香澄さんを見つめた。
「オレは、玲央の外見も好きですけど、でも、中身のほうが、すごく好き、です。なので」
「うん」
なので……なんだろう。あれ、最後がよく分からなくなってる。
えーと。
なので――?
二人が、オレの締めの言葉を待ってくれている。
あれ困ったな。なんだろう、最後……。
――あ、そうだ。
「オレも、玲央、泣かせないように頑張るので……!」
あれ。なんか違う? いやでも、これかな??
思いながら首を傾げた瞬間。
「「ん?」」
同時に二人が首を傾げて。
変な静けさの中、見つめ合って数秒。
口元を隠して、顔を背け、肩を震わせてる二人に、なんだか一気に恥ずかしくなって、耳が熱い。
「あ、なんか違ったかも……?」
しまらないなもう、なんだこれ。
「違わない。いいよ、それで」
玲央が笑いながら言って、オレの頭を撫でてくる。
香澄さんはまだ笑ってて、なんだかけほけほ咳き込みながら揺れている。
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