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幕・29 魔塔にて

× × × 人里離れた荒野の中央に、その建築物はあった。 塔だ。 場所は、荒野。 それは、間違いない。 というのに、その建築物の周囲だけ、鬱蒼と生い茂る緑に覆われている。 のみならず、形状からして、自然の摂理を完全に無視した構造の建築物だった。 見上げるほどに高いその塔は、一見、すっきりと伸びた杉の木のようでもあったが。 もし天空から塔を見下ろせば、その異様さははっきり見て取れたろう。 要所要所に突起物があり、突起物の先端が指し示す先に、巨大な岩が浮いている。 ばかりか、岩の上には広大な敷地を持つ城が建っていた。いくつもの巨大な岩と建築物に囲まれた姿は、無秩序に見えて、さながら堅牢な要塞だ。 さらには塔を真上から見た時、異様さはもっと明白になる。 塔は、できる限り肯定的に言うなら、咲き誇る花のように見えた。 不吉な例えを出すなら、真上から雷に打たれ、引き裂かれ、内部を割り開かれた樹木のようだ。 自ら異常さを強調し、わざと晒したかのようなこの建物が、オリエス帝国の魔塔。 帝国の魔法使いたちが集い、日々研究と研鑽を重ねる場所である。 この日。 そんな場所に集った、基本的に宵っ張りの魔法使いたちが、真夜中。 いきなり顔面に突風をうけた態度で、同時に顔を上げた。 全員、揃って顔面蒼白になる。 冷や汗が彼らの全身を濡らした。 にわかに荒立つ鼓動を必死で宥める。 塔でも最上階に住む者たちは、一斉に皇宮がある方の窓に張り付いた。外を覗き込む。 階下の者には、その勇気もわかなかった。 その青年は、魔塔の中ほどにいながら、上階にいた者たちと同じように行動した一人だ。 我知らず、呆然と呟く。 「なんだ…いったい…」 一瞬で消えたが、すさまじい魔力の波動を感じた。 それが、皇宮から放たれたことは間違いない。 だが、何の魔力だ。 以降、皇宮が静かなのが返って不気味だった。 束の間、頭の中が真っ白になる。 どうにか我に返り、同席していた男を振り返った。 「―――――あなたも感じたでしょうっ? 先ほどの…」 言いさした言葉を、青年は不意に飲み込んだ。 同席していた男は、完全に凍り付いていた。突如、心臓でも貫かれたかのような風情。 常に不敵な、貴族然とした、そのくせ得体の知れない男。 彼の、これほど隙だらけの姿を見たのは初めてだった。 すぐには声をかけることも躊躇われる。 彼は、世界でも滅びない以上はそんな態度を見せないはずの男だったからだ。 彼にとっては天変地異にも似たことが起きたのだとは分かった。先刻の魔力が、発端ということも。 が、気安く尋ねられる相手でもない。次の言葉に詰まった青年の前で。 「…ふ、」 男の唇が笑みの弧を描いた。刹那、 「あははははははははっ!!」 あろうことか、彼は腹を抱えて笑い出す。 まるでその瞬間は、演技を忘れたとでも言いたげに。 楽し気に、少年のような無邪気な態度で。 「卿…?」 唖然と呼びかけた青年に目を向け、男は笑いが収まらないと言いたげな表情で幾度も頷く。 「大丈夫だ、狂ってなどいない。正気だとも」 口元に拳を当て、姿勢を戻しながら、彼は目尻に浮いた涙をぬぐった。上品だが、どこか茶目っ気のある仕草。 「いや、人間の基準では狂っているのだったかな? まあ、どちらでも大差ないか」 男は窓の外に目をやる。 青年のことはもう眼中にない態度だ。独り言ちる。 「まさか、生きていたとは。それも、以前よりずっと強くなっている。…面白いな、どうやったんだ?」 男の鉄色の目が、ゆらり、面白がっている輝きを宿す。 「卿、あなたはご存知なのですか?」 思わずと言った態度で、男の顔を、青年が覗き込んだ。 「先ほどの、強烈な魔力の正体を。まさか、ハディスが寄越した悪魔の」 「しー」 男は自身の唇の前に、人差し指を立てた。 「それに関して、オリエスの魔塔は、惚け切るべきだな。ま、できるならだがね」 「…なら、アレではないのですね。では?」 「すこしは自分で考えたまえ」 彼は退屈そうに青年を見遣る。 「魔塔は以前、今と同じものを、地上で計測しているはずだが?」 記録を調べろ、と言外に告げ、男は上機嫌に微笑んだ。 青年は難しい顔になる。 「それは、あなたが、この魔塔で調査していた記録の話ですか」 そう。 この男は、ある日魔塔に突然現れ、望みを告げた。 ―――――ある記録を調べさせてほしい。 「興味があるなら調べてみなさい。わたしにはもう、意味がなくなった」 「では」 青年は眉をひそめた。 「…もうこの魔塔へは来られないのですか」 「気分次第かな」 面倒そうに青年を押しのけ、男は椅子から立ち上がった。 「…もうお帰りで?」 「用向きは終わったろう」 軽い足取りで、部屋を横切り、扉を開ける。 「―――――楽しくなってきた。なあ、そうではないかな」 椅子から立ち上がり、彼は踵を返した。 「…泣き虫悪魔」 呟いた男は、瞬く間に、その褐色の肌を周囲の闇に溶けこませ、消えた。

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