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幕・53 会いたかったか?
× × ×
宮殿の扉が開く。
その近くで仕事に従事していた、侍従侍女たちが一斉に振り向いた。
客人ならば丁重にもてなさねばならない。
主人ならば、畏敬を込めて出迎えなければ。
整然と向き直り、美しく姿勢を正した彼らは。
出迎える相手を認めるなり、いっとき、呆けた。
現れたのは、この宮殿の主人、オリエス帝国の、皇帝陛下だ。
闇色の髪に、黄金の瞳、白皙の肌。
今日も変わりなく輝かしい。高い神聖力のせいか、眩いばかりだ。
毎日見慣れた相手―――――であるにもかかわらず、決して慣れないその姿に、視線が釘付けになる。
次いで、緊張しきった全身で細心の注意を払いながら、彼らは丁重に礼をした。
次々と下げられる頭を気にすることもなく、皇帝は戦士らしい隙のない所作で私室へ向かう。
皇帝、リヒト・オリエス。
その整った容姿以上に、厳格・冷酷・残忍さで知られる彼は、帝国民にとって、尊敬すべき相手でありながらも畏怖の対象だ。
そもそも、近くを通るだけで、禁欲的な雰囲気と、持ち合わせた強力な神聖力が重厚な空気を醸し出し、物理的に、身体に重く感じる。そのくせ。
彼の存在は、決して逆らえない引力に似ていた。
外回りの下男下女から始まり、見回りの騎士、そして宮殿内においては、侍従侍女、見張りの騎士、皇宮仕えの士官etc…。
皇帝の存在に、全員が、一瞬忘我の心地になる。
否応なく視線を吸われ、震えながらも一斉に頭を下げた。
皇帝一人でもたまらないと言うのに、今日、彼は。
宮殿へ、奴隷を伴って入ってきた。
黒髪に、印象的な濃紺の瞳に、褐色の肌。
どこまでも神秘的な魅力に満ちた―――――悪魔ヒューゴ。
リヒトとヒューゴが二人揃っていると、通常の人間は、その場で膝が崩れそうになる。それだけ、異様な感覚があった。
神聖力と、魔力。
二人のうち、どちらか一方でも、図抜けているのに、それが並び立ち、危ういバランスを保ちながら共存しているのだ。普通の人間なら、卒倒する。
ただし、そこは、皇帝の宮殿に仕える者たちである。
教育が行き届いている彼らは、意地でも倒れそうになるのを堪えた。
通り過ぎるまでの我慢である。
一緒に会議などと言うのは、上級の貴族だけに与えられた特権であり、それを持っていないことに、彼らは心から感謝していた。
日常的に厳しさをまとう皇帝へ、それでも文句など言えるものは誰もいない。
なにより、連れているのは、『陛下の奴隷』ヒューゴだ。
捕まえ、引きずり出し、宮殿内へ足を踏み入れた罰として鞭打ちを与えることなど、誰もできない。
彼は、皇帝が幼い頃から、当たり前のように彼の側にいる存在。
結果、基本的に、ヒューゴはいない者のように―――――彼らは皇帝にのみ頭を下げていく。オリエス皇帝の威光に。
とはいえ、根深い階級制度に支配された世界だ。堂々と皇宮にある建物内を奴隷が歩くのは反発を買うのが必然。ゆえに。
基本的に、ヒューゴは皇宮では宮殿内を通らない。
時に近道のために通路を使用したりはする。が、できうる限り人目につかないようにしていた。その上、日常的な出入りは窓と決めている。行儀は悪いが、可能な限り反発は少なくなるよう努力した結果がソレというだけだ。
にもかかわらず、今日。
宮殿に入る際、先に行っている、と外から皇帝の執務室へ入ろうとしたヒューゴを止めたのは皇帝本人だった。
その言い分はと言えば。
「あと数日でヒューゴは騎士だ。問題ない」
あまりに堂々とした物言いに、説得されそうになるが、問題ない―――――わけがない。
「って言っても、まだ、最後の会議は通過してないだろ?」
ヒューゴに騎士位が下される決定は、内々のものだ。
肝心かなめの、貴族たちを交えた会議では、まだ可決されていない。
この会議こそが一番の難関だ。ここでせき止められる可能性は限りなく高かった。にもかかわらず。
リヒトは天気の話でもするようにさらり。
「通過させる」
(なんか怖い台詞)
力勝負の悪魔なら分かりやすいが、人間同士の緻密な策謀のぶつかり合いと言うものは、ヒューゴは今も前世もよく理解できずにいる。
ついて来い、と一言残してリヒトが先へ進むものだから、ヒューゴとしても従うほかなかった。
(でも騎士になるって言っても、反発は変わらないだろうな)
卑しい奴隷、しかも、ヒューゴは地獄生まれの地獄育ちである悪魔だ。
いくら位を授かろうと、そこは変えようもなかった。
嫌がらせが別の方法に変わるだけだろう。
それでも必要な体面もある、と言うことで、こういった運びになったわけだが。
「…けどまだ、神殿の連中、皇宮の敷地内にいるんだろ?」
しぶしぶリヒトのあとに続きながら、悪足掻きの気分で、ヒューゴ。
謁見して終わりではないと、あの会議でリュクスが言っていたはずだ。確か。
後宮に行く、とか?
探ろうと思わなくても、意識を向ければ自然と彼らの位置が把握できた。
やはり後宮にいる。今は皇后のところだ。
(聖女との拝謁は本来、人間にとってありがたいものだしな)
皇后や皇妃たちが、聖女が皇帝に謁見した機会に、と自分たちの宮殿へ招くのは当たり前だろう。
彼女たちにとって、神殿とのパイプ作りの一環であるのも間違いはない。
「俺、隅っこで待機してた方がいいんじゃないの」
この状況で、悪魔が堂々と皇帝の宮殿へ入っていいわけはない。というのに、
「問題ない」
切って捨てるように、リヒト。
やはり何か、怒っているようだ。ならば粛々と従うだけである。
それ以上は何も言わないヒューゴに何を思ったか、
「会いたかったか?」
リヒトはいきなり、そんなことを言った。ヒューゴは思わず眉根を寄せる。
「来るのは聖女サマなんだろ? 俺を嫌ってる人間に進んで会いたいわけないだろ」
かと言って、わざと会う、とかいうような嫌がらせの演出をしてやろうと思うほど、ヒューゴは聖女を嫌ってもいない。
言うならば、どうだっていい。
そう、単純に、会いたいと思う相手ではなかった。そもそも神殿の人間が悪魔に好意を抱くわけがない。
出会い頭、顔面に塩をぶっかけられて喜ぶ趣味などヒューゴにはなかった。
聖女の話かと思って答えたヒューゴに、リヒトは、
「いや、御使いにだ」
「………………………………俺、悪魔なんだけど」
どこをどうすれば、悪魔が御使いに会いたいと思うのだろうか。
悪魔であるという事実以上に、御使いと仲が悪いと言う証明はない。
「ふむ。ならば」
執務室前へさしかかれば、扉の左右に立っていた騎士が、ヒューゴをちらりと一瞥。だが何も言わない。表情にも出さない。
さすが、教育が行き届いていた。
片方が音もなく動き、扉を開ける。
「悪魔が御使いを危地から助けるわけがないな?」
「んなの当たり前だろ?」
変なこと言うなあ、という心の声をうっかり顔に出しながら、ヒューゴ。
悪魔なら、御使いの危機を指さして笑うことはあっても、助けることなどない。
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