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幕・103 縄張りを荒らされた野生動物

「話に割り込んで悪いけど」 こめかみをぐりぐりしながら、リュクス。 「召喚とは別の方法で、地獄から消えてる悪魔がいるの?」 「そうそう、そうなんだよ」 頷いたカラスは、すぐ、ムスッとなって、 「意味が分からねえだろ? 気のせいならいいんだがな…聞いた話じゃ」 カラスも、実際に見たわけではないらしい。そんな前置きをして、 「まず事前に、黒い穴が開くんだ」 「空間魔法か?」 「っぽい」 ヒューゴの問いに、確信を持てた様子もなく、混沌は曖昧に応じる。 「実際見たわけじゃないからな…ただどうも、そこに吸い込まれて悪魔が消える。昔地獄に生じた亀裂に似てるみてぇだけど違う」 黒曜が生んだ亀裂と似て非なるもの。 胸に鉛を飲んだ心地で黙り込んだヒューゴの代わりに、リュクスが言った。 「それって…もしかして、行先は中間界じゃないの?」 「ふん、どうしてそう思う、人間?」 リュクスはちらと混沌を一瞥、一旦、ぎゅっと目を閉じる。 「―――――この間、人間を悪魔の形態に変える薬物を捕虜が口にした。件の薬物の中に、悪魔の細胞が混入されていた可能性が高い。でもそれって…変だよね」 リュクスの、疲労しながらも鋭い目が、ヒューゴとカラスを見遣る。 「そりゃまた、とびきりおかしな話だな」 遊びのない声で、混沌は応じた。頷いたヒューゴも口を開く。 「俺みたいな例外はあっても、基本的に悪魔は召喚されないと中間界に来られない」 魔竜であるヒューゴは、地獄から中間界への道のりを、歩いて出てきた。 召喚されたわけではない。 つまり、ヒューゴは中間界に生身で存在する、珍しい悪魔である。おそらく、ヒューゴのような例外は、彼以外にいないだろう。 …そのはず、なのだが。 「召喚された場合、召喚者との契約が終わるか、どちらかの命が尽きるか、という形で、召喚の影響は消え、悪魔の身体は地獄へ戻る。中間界には残らない」 よって、悪魔と人間が子を成すことも不可能だ。 にもかかわらず、先日の薬物には、間違いなく、悪魔の細胞が混入されていた。 ヒューゴの感覚もそう告げている上、魔塔からの分析報告にもその結果が記されていた。 はっきり言えば、それはあり得ない話だ。 ヒューゴ以外にも、この中間界に、生身で存在する悪魔がいることになる。 ただしこのような形で薬物に使用されたとなれば、死亡している可能性が高いが。 「悪魔の細胞を薬物にねえ?」 カラスの声にこもった不穏な響きに、リュクスは反応を探るような目をして、自分の身体の前で腕を組んだ。 「悪魔に仲間意識があるなんて意外だね」 「んなもんねえよ、人間じゃねえんだぞ」 混沌は気持ち悪そうに言う。 「攫われようが戦おうが死のうが生きようがソイツの勝手だけどよ、どう頑張ったって、地獄が、…地獄だけが悪魔の故郷ってのに変わりはねえだろ」 カラスの物言いに、ヒューゴも頷いた。 「ま、要するに、悪魔だからこそ、地獄で―――――つまり、自分の領域で余所者に好き勝手されるのは気に食わないって話だよ」 「…なるほど」 リュクスが納得したように頷く。 「種族愛があるんじゃなくって、故郷が大事ってことか」 「…その言い方も気持ち悪いが、人間風に言えば、そういうことか」 カラスが落ち着かな気に身を震わせた。 「この間会った時、ソラはそんなこと言ってなかったけど、それはいつから起こっている?」 「そりゃアイツはお前の結界内にいるからな」 ふんっと混沌は鼻を鳴らす。 「あそこは滅多なことには、影響受けない。地獄が滅んでもあそこだけは残るんじゃないか? なんにしろ、最近始まった状況だよ」 魔竜の結界が今のところ無事だからと言って、安心はし切れない。 大体、地獄はヒューゴの故郷だ。なくなるのは許容し難かった。 室内を妙な沈黙が包み込む。 リュクス以外の人間は、これ以上の厄介ごとはごめんだとばかりに真剣に目の前の仕事へ没頭し始めた。 「これが地獄だけのことなのか、楽園がらみか、それとも楽園でも似たことが起きてんのか。今度御使いに会ったら情報を引き出してくれ」 細かいことを考えるのは面倒、とばかりに、ヒューゴに丸投げしてくるカラス。 勝手な奴、とヒューゴは肩を竦めた。 「また会えるかどうかわからないぞ。それに、この間会った理由だって、魔竜を警戒してって感じだったし」 「だっからお前、中間界に長くいすぎてんだよ、一旦地獄へ戻れ」 「このまま帰ったら、悪魔全滅ってならないか?」 ヒューゴは自分の身体を見下ろす。 毎日何度見たところで、神聖力の鎖は消えない。地獄にとってこれは毒だろう。 「帰ってくんな」 カラスは、素早く手の平を返す。 「だろうなあ」 特に怒りもせず、ヒューゴはのんびり。 「なんにしたって、まあ色々調べてからだな。あ、それから、大事な報告。黒曜の刃が出てきたぞ」 「は?」 いっきに、カラスが硬直した。珍しい反応だ。 「封印が解かれたらしい。いつ、誰によってかは分からないけど」 これも色々謎のままで、ヒューゴは落ち着けない。 黒曜の刃をずっと預かってはいるものの、なぜ封じられていた場所から出てきてしまったのか。 (黒曜の望みじゃなかったはずだ、こんな状況) しばらく黙り込んだのち、 「それなら、心当たりがあるぞ」 混沌の声が低くなる。完全に感情が消えた。 そのまま言葉が続く。 「『当時』を知る悪魔が何体か消えてる」 ヒューゴの濃紺の瞳が細められた。 いっきに広がる、異質な気配。 見た目は人間一人と鳥一羽。なのに、ずっともっと巨大な生き物の息遣いを感じ、文官たちは蒼白になる。 上位の悪魔が放つ、無意識であるが故に加減なしの殺気が満ちていく。 普通の人間に過ぎない文官たちは、震えあがるより先に虫の息になった。 死ぬ。 冗談抜きで、全員が灰になりかける。寸前、 「ここ、地獄じゃないんだよね!」 リュクスが大きな声を上げた。身体は逃げを打ちながらも、どうにか踏ん張っている。 「普通の人間たちがいる、ごくごく一般的な! 普通の! 執務室なんだよね!」 高位の悪魔二体の視線が、揃ってオリエス帝国の宰相を見た。 やけっぱちでリュクスは続ける。 「何を言いたいかって言うと、ぼくたちはお前らの殺気だけで死ぬ生き物だらけってことだよ! その殺気を引っ込めないなら、今すぐ出てって!」 可愛らしい童顔で叱られてもそれほど怖くはないが、なんとなく顔を見合わせる二体の悪魔。毒気が抜けた。 「…気が削がれるな」 混沌の身体が、気のせいか、いっきに萎んだ。 ちょっと大きなカラスと言った態に戻って、 「立て込んでるようだから、今は仕方ない…とか言うと思ったか!」 カアッ! 一喝、と言った鳴き声を上げ、混沌。 「黒曜の刃だって!? 今どこにあるんだ! それから、その薬物とやらの話も詳しく」

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