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幕・105 漆黒の騎士と銀の女騎士

× × × 「あ!」 元気な幼い声が聴こえ、ヒューゴは振り向いた。 「おうたのひと」 そこに立っていたのは、四歳くらいの男の子。 ディラン・オリエス。 リヒトにとっては、二番目の息子だ。一番は、グロリアの息子、セオドア皇子である。 光の下で、キラキラと眩しい銀髪、その前髪の下から、まん丸に見開かれたディランの黄金の瞳がヒューゴを映していた。 真っ青な短いケープを身にまとい、子供らしく可愛いが、皇室の人間らしく品がある。 向けられた大きな黄金の目に、咄嗟に手を振りたくなったが、ヒューゴは我慢。 にっこり微笑む。とたん、ディランはすぐそばの母親の影に隠れてしまった。びっくりさせたようだ。 ただそれは反射だったか、すぐ、自分の行動を恥ずかしがる態度でうつむきがちに姿を現す。 それも一瞬、きりっとした表情で、歩き出した。 合間に、上目遣いの視線をヒューゴに向けてくるのが、 (―――――…かぁわいいぃぃぃ…) 子供らしい好奇心に満ちた顔が、抱きしめたいくらい可愛い。かわいい。ああ、カワイイ。 ただもう、行動の愛らしさで、ヒューゴなどはすべてを許してしまう。 表情が緩まないよう、必死でこらえ、ヒューゴはやってくるディランと母親のフィオナに一礼した。 馬車の近くで談笑していた他の騎士たちが、そこでようやくヒューゴと同じ方向を見遣る。 そちらには、数人の侍女を伴い、皇子と共にやってくる皇妃殿下の姿があった。 彼女は、フィオナ・オリエス。 背中へ流せば清流の輝きを放つ銀の髪を、今日はアップにしている。 毅然とした紺碧の瞳も相まって、まるで女騎士のような風情があった。 敗戦国、ハディスが人質代わりに捧げた献上品などと言われるが、有能で凛とした女性だ。 歩く姿は、ドレス姿というのに、颯爽としている。 ただし、四歳の子供を連れているせいか、勢いはそれほどでもない。 青い日差しの下、日傘をさした彼女は、ヒューゴを見るなり、顔をしかめた。 「どういうこと」 銀髪・碧眼、一見、冷たいと見られる美貌に浮かんだ表情に険はあれど、忌避感や嫌悪はない。 純粋に、ヒューゴがここにいる理由が分からない、と言った態度。 「お久しぶりです、皇妃殿下」 ヒューゴは騎士らしく、最後彼女に対して、一礼。 周囲の騎士たちは、皇室・来賓・貴族たちといった、貴人の護衛を担当する第二騎士団から選抜された精鋭たちだが、ヒューゴだけ近衛だ。 ちなみに、自分の騎士団を持つのは、皇后と、オリエス帝国貴族であるメリッサだけだ。メリッサの騎士団は第三。 本来であれば、皇室の人間の護衛は、近衛が受け持つ。 ただ、どういう理由でか、フィオナは近衛の護衛を頑なに断るらしい。 ゆえに、苦渋の選択として、毎回第二騎士団が選ばれているそうだ。 「近衛として、本日の護衛を担当致します、ヒューゴ・グラムスです」 ヒューゴの名乗り上げに、彼の前に立ち止まったフィオナはきらめくような碧眼を瞠った。小さく嘆息、日傘をたたむ。 「…そう、剣聖さまの家門を名乗るのね」 ヒューゴの師、剣聖ギデオン・グラムスが、帝国ひいてはこの大陸から姿を消して久しい。 帝国の初代皇帝の代から続いたと言われるグラムスの家門は、ギデオンの親の代で没落しており、家門の復興を望みもしなかったギデオンは、ただ剣聖としてその名だけを帝国の歴史に残した。 ―――――グラムスならば、問題ないだろう。 最終的に、リヒトはそう結論した。 問題ない。つまりは、この帝国のどこへも影響を与えないという意味だ。 そして、剣聖とヒューゴは師弟関係。すとん、と収まりがついた。 「では、グラムス卿。本日はよろしくお願い。一緒に馬車へ乗ってくださる?」 ヒューゴはつい、濃紺の目を瞠った。 近衛の護衛として受け入れられたのは良かったが、皇室の人間の私的空間へ、一介の騎士風情が共に乗り込むのは気が引ける。 侍女たちの誰かが相応しいのでは、と思ったが、ここまで同行した彼女たちの中で、動く者はいなかった。 これは、侍女たちの職務怠慢と言えないだろうか、と彼女たちに向けるヒューゴの眼差しはつい厳しいものになってしまうが。 それを遮ったのは、フィオナだ。 「皇子殿下の話し相手もしてくださるとありがたいのだけれど」 驚いて顔を上げた息子のディランに目配せし、 「どうかしら」 フィオナはヒューゴに同意を求めた。 (これは…侍女が同行しないのは、フィオナの意思ってこと、か?) 「喜んでお供します」 フィオナをそれほど待たせることなくヒューゴは即断、頷いて見せる。 ヒューゴが差し出した手に手を添え、微笑んだフィオナは馬車に乗り込んだ。 続くディランは、馬車の段差に少しまごつく。もちろん、ほんの少しだ。気付かない者の方が多かったろう。 ディランは、オリエス皇室の子供だ、しっかりしている。とはいえ、まだ四歳。 四歳の子供が、困っている。 単純にそう感じたヒューゴは特に何も考えず、ひょいとディランを抱き上げた。 「?」 腕の中でなぜか硬直したディランを、奇妙に感じながらも、ヒューゴはフィオナに続いて馬車に乗り込んだ。 扉を閉める。 その際に、見守る侍女たちや騎士たちの目が、呆気に取られているように感じたのは、気のせいで処理。 フィオナの向かいの座席に座った。 その上で、まだ小さな子供をヒューゴは自分の膝にのせる。 こうすれば、乗り心地がいいとは言えない馬車の中でも少しは快適に過ごせるだろう。 フィオナが求めているのは、こういう面倒を見ろと言うことに違いない。 …と思っての行動だったのだが。 フィオナは呆れた目をヒューゴに向けていた。ただ、何も言わない。 その間にヒューゴは馬車の周囲の状況を確認。 騎士たちが定位置に散開した様子を見届け、御者に指示を出した。 「出してください」 動き出して、しばらくして。 「ここでは三人だけ。…さ、この場では、敬語はいらないわ。ディランも、いいわね?」 言うなり、フィオナの表情から、『皇妃殿下』の仮面が消え、少女らしい無邪気さが現れる。 死角からいきなりつつかれた猫のように、ディランの身体がびくっと跳ねた。 「はいっ、母上!」 「何、緊張しているのよ、ディラン? 大丈夫よ、ヒューゴは信用できるわ」 呆れた態度で言う母に、ディランは俯いたまま、 「で、ですが、この状況…、僕、ひ、ひとりで座れるので…っ」 「ああ、そこは」 フィオナはにっこり。 「諦めなさいな」 「そんなっ!?」

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