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幕・108 つまみ食い

「ある程度牽制できる武器は欲しいけど、過ぎたものはいらないわ」 冷え切った声で、フィオナ。そして、思い切り舌打ち。 「やっぱり、皇帝は暗殺するしか」 陛下から皇帝呼びになった。表情が皇妃から暗殺者のソレに変わる。 一瞬、ヒューゴは先日の件もあり、ディランが気になった。 が、彼は少しハラハラと母親を見守っているだけだ。あの時のような過剰反応はない。 これで完璧に、あの時の悪魔がディランの精神を攻撃していたことがはっきりした。 (ふん、消滅させたので正解だったな) まあ、あれは、リヒトの神聖力にやられて、勝手に消滅したわけだが。 「分かってると思うけど、それやったら、グロリア令嬢を喜ばせるだけだからねー?」 「そんなの絶対、いや!!」 グロリアの名を出すなり、嫌悪感にか、自分を抱きしめ、フィオナは叫んだ。 「それはそれとして、フィオナ?」 そろそろ聞いてもいいかな、とヒューゴは、彼が気になっていたことを尋ねる。 「今回の公務、ディランを連れて出たのは、どうして」 「…それは」 フィオナはらしくなく言い淀む。すぐ言葉を止め、拗ねた子供の態度で唇を尖らせた。 ヒューゴは少し待って、 「―――――残していくのが不安だったから。じゃないか?」 そっと核心を突く。 フィオナは黙り込んだ。 母親が言わない以上、ディランも何も言わない。 もちろん、言いたくなければ、言わなくて構わない。言いたければ、話せばいい。 追い詰めることはせず、ヒューゴは口を閉ざした。 フィオナが今回出かけるのは、皇妃としての公務だ。 公務に、真面目な彼女が子連れはおかしいと、ヒューゴとて思ったのだ。 (リヒトやリュクスが何とも思わないわけないよな) おそらくは、先日の悪魔の一件以外にも、何かあったのだろう。 察していたからこそ、リヒトはヒューゴを護衛につけた。 はじめに言ったように、リヒトの寵を受ける騎士が護衛に着くと言うだけで、ある程度の連中を牽制できる。 その話に、最初、リヒトは渋面になったそうだ。 皇帝の重い気配に、リュクスと、護衛業務等の最終責任者であるリカルドは察した。 ―――――あ、こりゃダメだ。 リヒトは何も言わなかったが、明らかに、反対意見なのは態度で分かる。 彼らは、ヒューゴをフィオナにつけることを諦めた。 そして、他の方法で厳重な警戒を施そうとしていたわけだが。 ぎりぎりで、思い直したリヒトが話を持ち出した。 ぎりぎりになってでも、リヒトが思い直した、ということは。 それだけ、今回のフィオナの外出には、無視できない不穏があるのだろう。 なんにしたって、急遽ヒューゴが対応することになったわけだが。 ―――――急な話だけど、ヒューゴ、頼めるかな? ―――――俺はいいよ。フィオナ殿下もディラン殿下も好きだし。久しぶりに話せるなら嬉しい。 唐突に入った仕事にも嫌な顔一つせず、けろりと笑うヒューゴは、やりやすい部下だろうとヒューゴなどは思うのだが。 とたん、リヒトの機嫌がまた一段階下がった。 その寸前に、リュクスが何か目配せしてきたのは、こういうことだったのかと思うが、後の祭りだ。 しかもヒューゴが言ったことの何がリヒトの気に食わないのか、ヒューゴには分からない。 なんにせよ、皇宮から出るフィオナの護衛となれば、ヒューゴも外へ出ることになる。 ヒューゴをそばから離すことを、リヒトは最後まで嫌がった。 ―――――それって、神聖力の鎖が感じ取れなくなるから? またこの鎖が外れるのかな、と複雑な気分で尋ねたのだが。 ―――――皇都の範囲内なら、ヒューゴを見失うことはない。 この間は魔塔までいきなり飛ばされたから、見失ったようだ。 考えてみれば、戦場においてもリヒトからかなりの距離を離れたことがある。それでも鎖は外れなかったのだ。 ヒューゴ自身に、長距離の空間転移を行うほどの魔力が残っていなかったこともあり―――――なけなしの魔力はリヒトを守るため…そして悪戯に使われている―――――やってみたことはなかったものの、思わぬ弱点があったものだ。 それがヒューゴに知られたからこそ、リヒトはヒューゴの外出に、過敏になっていると思われた。 要するに、リヒトは皇宮の外へヒューゴを出すのが不安で、そうせざるを得ない状況が不本意なのだろう。 リヒトの不安を解消させるのは簡単だ。ヒューゴが言えばいい。 ―――――絶対戻るから。 だがヒューゴの性格からして、嘘は言えなかった。 先日は自ら縛られに戻ったとはいえ、次があればどうなるかは分からない。 それにリヒトのことだ、ヒューゴが転移を企もうものなら、その時点で神聖力の鎖による拘束を強めることだろう。 痛いのは嫌だ。 ―――――ちゃんとご機嫌取りしてから出かけてね。 勝手なことを言って、リュクスはヒューゴを執務室から追い出した。リヒトと一緒に。 待機していた近衛が深く頭を下げ、二人の後ろに続く。 皇帝の執務室まで、リヒトは一度も振り向かなかった。 気まずい。ヒューゴのせいでもないのに。 執務室につけば、扉のそばで待機していた騎士が、リヒトのために扉を開ける。 ヒューゴはそれに続き、近衛騎士の二人が、足を止めた。外で待機の姿勢。 彼らが、ヒューゴがいない間のリヒトの護衛だろう。 いつだったか風呂場で会った顔ぶれの中にもいた。有能に違いない。 背後で扉を締め、ヒューゴは素知らぬ顔で鍵をかけた。 その視線の先で、執務机の方へ向かいながら、リヒトが一言。 ―――――ディランには手を出すなよ。 恐ろしく冷たく厳しい言葉だった。 面食らって、ヒューゴは目を瞬かせる。一瞬何を言われたか理解できなかったのだ。 執務机の前へ至り、ようやくリヒトが振り向いた。 ―――――僕以外の神聖力が珍しいからと言って、つまみ食いしようとしないこと。 ヒューゴはとうとう、呆気にとられる。 ―――――もしかして、俺は今、五歳にもならない子供に手を出すなって言われてる? 確かに、ディランは先日、悪魔に神聖力を食われた。 だがヒューゴは、幼い子供にそんな無体をするつもりはない。 はっきり言えば、幼い子供に性的興味は持たないし、必要がなければ食べるつもりもない。 子供には、何の不安もなく、すくすくと健やかに成長してほしいと思う。 リヒトを食べることとて、彼が大人になるまで待ったのだ。 リヒトが子供の間は、どれだけお腹がすいても、毎日、彼の血一滴で我慢した。他で腹を満たすこともしなかった。 そんなヒューゴに―――――つまみ食いするな、と。 ―――――ふぅーん? ヒューゴは察した。 リヒトの不機嫌の理由は、ヒューゴを外に出さなくてはならないこと以外にも、色々とありそうだが、メインはそこのようだ。 ヒューゴに、信頼がないだけなのか、それともリヒトの悋気が強いのか。

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