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幕・115 勝ちが決まった勝負
× × ×
目的の店舗を前に、フィオナのために道が開かれた時。
警護の壁が開いた隙間を狙う形で、その男たちは真っ直ぐフィオナに襲い掛かってきた。
突発的な出来事に、警護の第二騎士団は冷静に動いた。
ヒューゴが反応するまでもない。
正確に、抜身の短剣を受け止め、腕をねじり上げ、盾で圧し潰す。
刀を弾き飛ばしたり、相手の身体を投げ飛ばしたりと言った派手な立ち回りはない。
それでも、刃物を振り回す集団を、短時間で制圧した。
周囲に全く被害が出ない形で。
立ち回りの中、周囲の安全をきちんと配慮しているということだ。
地味ではあるが、相手を上回る実力がなければできないことだった。
話に聞いた通り、安全第一の、要人警護に特化した騎士団である。
続々と取り押さえられた五人の男たちを見ながら、ヒューゴとしては不思議でならない。
大胆にも大通りで皇族を襲ったにしては、決死の覚悟という様子はなかった。
手を抜いている態度でもないが、取り押さえられることを最初から予想して動いていたような、彼ら自身がお約束の演劇でも見ているような雰囲気がある。
そして、それでも構わないと言った様子。
身なりはと言えば。
長年洗いざらしで繰り返し着ているような服。
無精髭は生やしたまま。
酒の匂い。
食い詰めている気配がありありとしている。
(金に困っているな)
そんな人間が集団で、皇族を襲う―――――しかもこんな大通り、人目のある場所でだ。
計画性があるようで、何も考えていないようにも感じられる。
違和感にヒューゴが困惑するなり、
「敗戦国の貢ぎ物が…帝国人のような顔をしてよく居座れるものだな、恥知らずが!」
「きさまの国のせいで親兄弟を亡くした国民もいる中、よく堂々と街中に顔を出せるものだな!」
フィオナを否定する言葉が続く中、第二騎士団は慣れているように、粛々と彼らを拘束していく。
未遂だが、皇族を襲ったのだ。
死刑にならずとも、厳しい処置がなされるだろう。
特にそれらに対して、怯えた様子もない。
その男たちの中に、北方人特有の顔立ちの者が二人ほどいた。
それは、フィオナの故郷の人間かもしれないと言うことで。
彼らの顔に浮かぶ憎悪は本物だった。
国のためにフィオナはオリエス帝国へ嫁いだが、自身だけが助かるために皇帝へ媚びを売った悪女と囁く声が、ハディス王国にあることは知っている。
人は、自分が見たいものしか見ない。
貧しく厳しい生活の中、溜まり溜まった鬱憤を吐きだす対象を欲した彼らは、王女を犠牲の祭壇に上げたのだろう。
フィオナを見下ろせば、煌めく紺碧の目で男たちを映しながらも、平坦な表情だ。少しウンザリしている様子はあるが、驚愕はない。つまりは。
「…いつものことなんですか?」
小声で尋ねれば、一瞬だけフィオナの目がヒューゴに向いた。返事はない。だが、肯定だろう。その上で。
―――――ハズレね。
フィオナががっかりしているのが分かった。
逞しくも、暴言など右から左へ聞き流しているようだ。
単に今、彼女は、毒を盛った相手が罠にかからなかったことを心から残念がっていた。
足元のディランはびっくりしたようで、ヒューゴの足を掴んでいる。
その顔が、だんだんと困惑から立ち直り、怒りに似たものを浮かべ、それがすぅと冷え、平坦な表情で凍えていく。
(…怒り心頭ってヤツだね…)
幼くとも、さすが、リヒトの子。
怖い。
幼い分、コントロールしきれていない神聖力が、その怒りの波動となってバシバシ突き刺さってくる。いたた。
息子の様子が見えているのだろう、真っ直ぐ前を向いたまま、フィオナは小声で言った。
「悪いけど、それとなくディランの耳を塞いでくれる?」
皇子の耳を、騎士に塞げと?
人目がないところならともかく、こんな大通りでは無礼極まる。
なんにしろ、これで大体状況は読めた。
―――――これはフィオナへの嫌がらせだ。
皇后か、皇妃か、それとも他の誰かかは分からないが。
取り押さえられた男たちは、単なる雇われ者。
金に困って、何でもしそうな、そして見た目が屈強そうなら、誰でもよかったに違いない。
ただしその中にハディス出身者らしい相手を入れるあたりが、選別者もいい性格をしている。
嫌がらせを企んだ者は、男たちを雇い、フィオナがいる大通りで騒げば金をやると言ったのだろう。
人目の多いところで騒げば、それだけ、人々の目にとまり、噂に上ることになる。
このような事態に、普通、フィオナは同情されてしかるべきと思うが、この表な場面でも毅然とした彼女はへたをすると悪役に陥りやすい。
襲撃者の男たちが哀れを誘う様子ならなおのことだ。
皇族を襲うのは大罪だが、命が助かったなら死刑にはならない。
その上、襲撃者にどんな刑を言い渡すかは襲われた者の意志に左右される。
つまり、襲われた者が死刑を望むなら死刑になる場合もあるが、許すと判断したなら、彼らは軽い刑で済む。そして、おそらく。
フィオナは許すのだ。
よってこの嫌がらせは、常習的になり、フィオナに対する負の印象は積み重なっていく。
ようやく、フィオナが近衛の護衛を頑なに辞退する理由が見えた。
つまるところ、フィオナは耐えて、耐えて、耐え続けている。ずっと。
忍耐、我慢が普通になって。
その姿はどうしても、出会ったばかりの頃、踏みつけにされるのを普通と考えていたリヒトを彷彿とさせる。
――――――ああ、不快だな。
「うーん」
表情に困って、結果、ヒューゴは微笑んだ。
それはそれは、大半の者が見惚れずにはいられない微笑だった。
周りを見渡せば、人目が多い。
よし、ならば、この状況。
―――――逆手に取ってやろう。
「フィオナ殿下。出過ぎた真似をお許しください」
これからのヒューゴの行動はともすれば、後宮におけるフィオナの立場を微妙にするものになるかもしれないが。
なにも黙って、この場で敵意を作る必要はない。
フィオナがハッとした時。
―――――ヒューゴは一歩前へ出た。
「俺はヒューゴ・グラムス」
よく通る声で名乗り上げ、舞台の上にでもいるつもりで、ヒューゴは優雅に一礼。
「皇帝陛下直々の命により、フィオナ皇妃殿下の護衛任務を賜った騎士だ」
周りにその姿がどのように映ったかは分からないが、顔を上げればヒューゴに視線が集中していた。
気のせいか、周囲の密やかなざわめきも少し静かになったようでもある。
リュクスの話では、皇帝の寵を受ける騎士、剣聖の弟子の名はその異様な経歴と共に帝国中へ広まっているという話だ。
その名へ向かう感情が、嫌悪か好意かは分からない。
が、ヒューゴ・グラムスがオリエス皇帝直属の騎士である、この事実だけは確実に国中に浸透しただろう。
ヒューゴは勝ちが決まった勝負を目の前に、ニッと笑う。
「陛下は皇妃殿下の身の安全、心安からんことを願っている。さて、諸君は」
その刹那、ヒューゴは周囲が恐れてやまない、彼特有の威圧を放った。
居並ぶ顔にいっとき、怯えが走る。
襲撃者たちが竦み、騎士たちが反射で身構えた一瞬に滑り込むタイミングで、一言。
「帝国の太陽の意向に逆らうのかな?」
現在の皇帝陛下は、落日の最中にあった帝国を、血のにじむ思いをして、歯を食いしばって持ち直した―――――しかも数多くの戦に連戦連勝をもたらした優れた指導者にして英雄である。
民衆の支持は高い。
そんな彼が、一番身近に置く騎士を、フィオナの護衛につけた。
その意味を察しない、愚鈍な者はここにいないだろう。
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