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幕・120 ちっぽけな呪いから、世界の滅亡に至るまで

『件数は弱い悪魔が十体ほど、期間としては一ヶ月。それだけで、被害も現象もぴたりと止んだようですね』 起きたのは、それほど短い間にしか過ぎなかった。 かつ、被害者は、強者の箸にも棒にも引っかからない、弱い悪魔だ。 となれば、魔竜や混沌と言った上位の悪魔が気付くわけもない。 なのに、似た現象が、五百年後の今、再発し、今度は上位の悪魔の目にとまった。 ということは、 「今回は、強い悪魔が攫われ、それが止む様子はないということか」 『もしこれが、同じ存在の仕業なら』 はたしてその犯人は、自然現象が、同じ悪魔か、御使いか、…はたまた人間か。 結局は、それすらまだわからない状態だが。 『この三百年の間に、力を蓄えた、ということですね』 「だとして」 リヒトは、とん、と机を軽く叩く。 「目的が読めんな」 自然現象だとすれば、原因が不明だ。 『―――――攫われた悪魔たちの特徴を考えれば、ある程度は推察できます』 相手の声は、ひたすら淡々としていた。 『怨嗟・憎悪・悲鳴―――――それら醜悪で見苦しい負の感情を収集していると思われます』 つまり、攫われた悪魔たちは、そう言う気質が他より強いということだ。 収集―――――できるものなのか。どうやって? いや、大切なのは、方法などではない。それは今、どうでもよかった。 重要なのは、その結果もたらされるものだ。 『虐げられ、生き延びるために媚びへつらい、他者の都合で踏みにじられ、命を奪われる、―――――我ら一族がそうであったからこそ、分かるのです』 魔竜の一族と呼ばれ、今、地獄で上位に立つ存在である彼らは、かつて、非常に醜く哀れな生き物だった。 哀れで惨めな姿をさらすことが、存在意義だったと言える。 自分より下がいるのだと、他の悪魔たちの心が、彼らを見て慰められるための存在。 それでも、どうにか増え、また減らされ、そうこうしているうちに、いつの間にか魔竜が住まう場所にたどり着いた時。 最初、祖は、滅びを覚悟した。 知らなかったとはいえ、彼らは、魔竜の巣を荒らしてしまったのだ。 なにせそこには、食料が豊富で、しかも他の悪魔たちも立ち入らない、ひどく安全な場所だった。 常に腹を空かせていた者が、熟れた果実に手を伸ばしてしまったのは、当然だったろう。 とはいえ、魔竜から見れば、盗みを働いたと思われても仕方なかった。 魔竜に遭遇し、震えあがった祖は、死を覚悟した。 今でこそ、彼らは美を力として誇るような一族だ。 しかし、かつては汚れ、醜悪で、みっともなく、かつ弱かった。 見苦しいと踏み潰されても仕方なかった。 むしろ命でしか罪を贖えなかった。だが。 魔竜の寛容は、底抜けだった。 ―――――お腹空いてたの? 気の毒に。好きなだけここにいて、好きなだけ食べていいよ、余るほどあるんだし、気にしないで。 最初は何の気紛れか、いつ嬲られて殺されるだろうか、と戦々恐々としていたようだが、魔竜の地の魅力には抗えなかった。 そうこうしているうちに、必死で魔竜の気質を理解した一族は、彼に取り入ることを考えたが。 魔竜は彼らを受け入れ、地の守護を分け与えたものの、甘やかすことはしなかった。 ―――――地獄では弱ければすぐ死ぬ。守るものの死は、辛い。この地の守護を受ける気があるのならば、少なくとも自分で自分の身を守れるくらいには強くなってほしい。 そんなことを願った魔竜は、守護を与える対象に、彼にぶら下がるだけの立場を許さず、スパルタ教育を施した。 それは、死ぬほど厳しいものだったが、死なないぎりぎりのさじ加減だったという。 風変わりでも、やはり魔竜は悪魔なのだ。 全てから見放され、地獄の中でも、最下層の存在だった一族は、そうして地獄の中でも一目置かれる存在となった。 つまり、そうなる以前は。 恨みつらみで凝り固まった、救いようのない一族だったからこそ、分かる。 そういった傾向がひどく強い悪魔には、いくらか同調してしまうのだ。 もちろん、魔竜の一族は、誇り高くあれと教育されている。 だが、魔竜を尊ぶ精神は一本筋が通っているものの、自身に対する卑屈さはなかなか消えない。 攫われた悪魔たちは、そういった傾向の強い存在だった。 リヒトは静かに尋ねる。 「…そういうものを収集することで、何が起こる?」 『破壊や滅亡、死と言った、生とは逆の呪を起こせます。質や量にもよりますが、ちっぽけな呪いから―――――世界の滅亡に至るまで、より取り見取りですね』 「それを悪魔・混沌に伝えたか?」 『聞かれなかったもので』 …こういう男だ。 リヒトは無性にヒューゴに会いたくなった。 ちっぽけなことに苛立ってしまうのは、ヒューゴがここにいないからだ。 圧倒的に、ヒューゴが足りない。 出立の寸前まで触れられていたというのに、いなくなった瞬間からもう会いたくなっている。 会話を続けながらも、頭の中の大半は、ヒューゴを迎えに行くか否かに悩み、そちらの方が今一番の重要事項だった。 『いずれにせよ、分かりました。混沌さまが出られた場所から戻られないのは、そういう理由からですね』 自分の要件がすめば、それですべては解決したことになるらしい。 それきり、ふっつり、小石の奥に灯る緑色の光が消えた。 リヒトが呆れ返った刹那。 ―――――ゾッとする感覚に、彼の全身の血の気が下がった。 だが、皇帝たるもの、いついかなる時も平静でいなくてはならない。 リヒトはただ、異変を感じた空を、窓越しにじろりと眺め上げた。 同時に。 『マスター』 いつの間に現れたのか、兎の人工精霊が足元に立ち、ルビー色の目でリヒトを見上げる。 『来ます』 何が、と聞くまでもない。 窓から外を見遣れば―――――真昼の空に、漆黒の穴が開いていた。

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