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幕・142 反骨の騎士
リカルドは常に、死ぬ覚悟をしていた。
その凄みに、怯む上官は多く、下位の者に負けた心地になった彼らはさらに、リカルドへの当たりを強めたが、彼はそのすべてを平然と受けて立った。
規律に厳しい軍隊内で、上官に逆らうとはそういうことだ。
それでもリカルドは、死んでも、やりたくないことはやりたくなかったし、頑としてやらなかった。
リカルドのその信念を覆させるほどの魅力と説得力を持った上官など、その頃はどこにもいなかった。
聞きながら、ダリルは心底からの困惑の中にいた。
目の前の物静かな大人の男から、そんなやんちゃさをくみ取ることは不可能だ。
彼が、命令に従わなかった、しかも抗った、とは不思議な話だ。
この、まとう雰囲気の端まで物静かな男が。
(いや待て。さっき、若い頃、…って言ったか?)
リカルドは、おそらく三十代半ばのはず。彼の若い頃、というならば、それは―――――先代皇帝の御代。
今の皇帝とはやりようが全く異なる。
貴族の横暴が当たり前に民を圧し、官は腐敗し、民は無気力に日々を嘆いた。戦争に次ぐ戦争。そのくせ、税は重くなるばかり。
魔塔は皇宮に無視されることを幸いと、素知らぬ振りで独自の法の元、日々変わらぬ生活を享受していたが。
帝国内部の酷さは、日々、腐臭を濃くしていった。
そう言った状況下の軍隊に、若いリカルドはいたのだ。
ならば、命令不服従となった理由は想像がつく。
…上官命令の方に、問題があったのだ。
正義感に溢れ、曲がったことが嫌いな人間に、もし、それらを刺激する、無法で自分勝手な命令を下したのだとすれば。
ダリルも聞いたことがある。
―――――スラム街の子供を、汚いから斬れとヒステリックに叫ぶ貴族の声を。
…見たことがある。
―――――これ以上税を取られたら生きていけないと役人に抵抗した家族の家が焼き払われ、そこから出てきた焼死体を。
あのようなことを実行しろと命じられたとしても、目の前の男は従わない。
それなら自分が死んだほうがましだと、豪語して逆らう。
ただ、それを先帝の時代にやったとくれば。
「結局、上官命令に従えず、何度も抗った挙句、―――――ある日、軍隊内において、集団で暴行を受けましてな」
暴行。
ダリルは面食らった。
軍隊内で? 一人を狙って? 集団で?
騎士同士の私闘は禁止されていると聞いている。
ならばそれは―――――命令だった可能性が高い。上官からの命令だ。リカルドのことを気に食わない誰かが、下の者に、それを命じた。
それこそ、逆らえるわけがない。
「それでも死ななかった私は、ゴミ捨て場に捨てられたのです」
言葉は静かだった。静か、だったが。
ダリルは妙な凄みを感じた。なんとなく背筋が寒くなる。
「…よく、生きていらっしゃいますね」
リカルドも貴族とはいえ、貴族だからこそ、階級差というものは厳しく、しかも彼は武門の出だ。
処罰の残酷さは目を覆うものだったろう。
「昔から、丈夫だけが取り柄でして」
リカルドにとっては、もう終わったことなのだ。そう思わせる口調で、しかし。
ダリルはなんとなく察した。
彼はなかったことで終わらせたりはしていない。きっちり、報復をしただろう。
「ただゴミ捨て場に捨てられた時は、死ぬかと思いました。動けないように全身縛られていまして、挙句、肋骨も何本か折れていましてな」
リカルドは呵々と笑ったが、ダリルは笑えない。
「しかもそこは公の場でしたので、誰かが大っぴらに手を差し伸べて助けることは難しい場所でしてね」
彼を助けたりすれば、とばっちりは彼を助けた者に行く。
―――――これは死ぬな。
それ以上放置されたら傷口が腐り、リカルドの片腕は使い物にならなくなったはずだ。
そんな時。
まだ十代前半と思われる子供二人の姿が、瞼の腫れあがったリカルドの視界の隅に映った。
褐色の肌の、奴隷の首輪をした少年が、じぃっとリカルドを見遣り、おもむろに指さしたかと思えば、隣の小綺麗ななりの少年に言った。
―――――この前、アイツが戦ってるところを見たんだけど、すごい剣技だった。きっとこれから役に立つよ。捨てられたなら拾って構わないよね、リヒト。
リヒト。
その名に、リカルドは面食らった。
リヒト・オリエス。捨てられた皇子。そのくせ、二度地獄に落とされながら、二度帰還した、歴代の皇族でも稀な高い神聖力の持ち主。
敵対勢力に嫌がらせのように立て続けに戦場へ送られながらも、すべて生還し、彼の命を奪おうとする行いはすべて、彼の名声を上げることだけに役立っているようにも思えた。
そんな彼に、馴れ馴れしい口を利く奴隷の存在にも驚いたが。
リヒトはそれを許しただけでなく、
―――――ヒューゴが拾いたいならそうしろ。
奴隷の言葉を全面的に受け入れた。
やったと手を叩いて喜び、駆け寄ってきたヒューゴにはおそらく、リヒトの護衛仲間が増えたという意識しかなかったはずだ。
実際、それからしばらくの間、リカルドはリヒトの護衛を勤めた。
リヒトという皇族に仕える。
貧乏貴族に過ぎないリカルドには、本来、そんな機会などなかった。
それだけでも身に余る出来事であったというのに。
まさか、あれほど反骨精神あふれた若者が、将軍などという地位に腰を据えることになるなど、当時の誰も想像しなかっただろう。
「ですが、拾ったのが皇子なら、…誰も文句は言えない」
そう悪戯気な口調で締めくくったリカルドに、黙って聞いていたサイファが言った。
「それが、現在の皇帝陛下なのですか」
「正確には、私を拾うよう、あの方に進言したのが、魔竜でして」
ダリルはぽかんと口を開く。
慌てて閉じた。
本当に、あの魔竜という存在は、異端だ。
異端で、無茶苦茶で、―――――どうやらそれを公認しているのは、皇帝陛下そのヒトらしい。
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