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幕・144 白い呪詛

―――――黄金。 見るなり、問答無用に悟った。 この男が。 オリエス皇帝。 整った容姿以上に、その存在感が、殴りつけるような暴力じみた威圧で、ダリルの精神を押しひしぐ。 その姿をよくよく見る余裕などない。 若いか年を取っているかすら、ダリルには分からなかった。 結果印象に残るのは、その瞳の黄金のみ。 気付けば、ダリルはその場に膝をついていた。跪く、どころではない。 両膝をつく、という罪の判決を待つ罪人のように頽れる。 その存在が、恐ろしかった。 彼にその気があれば、指先一つでダリルなど潰されるだろう。 そう確信を抱かせるほど、皇帝の気配は化け物じみていた。 「皇帝陛下にご挨拶、申し上げます。魔塔の塔主ダリルです」 幸い、挨拶は噛まずに紡げた。 その隣で、衣擦れの音を上げながら、サイファが跪く。 「お久しぶりです、皇帝陛下」 その声は、先ほど見た深刻そうな表情を彷彿とさせるもので、 「…魔竜は、どうしたのです?」 猛獣の機嫌を逆撫でするまいとした、最大限の警戒と配慮に満ちていた。 だが、聞くなりダリルは内心首を傾げる。 ―――――魔竜? …が、どこにいると言うのか。 ダリルが知る魔竜は、漆黒の竜だ。 しかも、いくら広い室内でも窮屈に感じるだろう巨体。とはいえ、確かに。 …感じる。 神聖力にかき消されながらも、確かに、その魔力が細く流れ出ていた。 (どこから) 威圧に耐えつつ、ダリルはそろそろと顔を上げる。とたん。 光輝に、目がつぶれそうになった。 かろうじで、堪える。 その時になって、気付いた。 これは、皇帝の神聖力だ。実際に、視力が拾っている眩しさではない。 現実かと錯覚させるほどの神聖力を、皇帝がまとっているだけの話。 …だけ、とはいえ。 常軌を逸している。 (いやとにかく…これは現実ではない、この光は、感覚が拾っている、視力には関係がない) ダリルは内心で、繰り返し自身に言い聞かせた。 しばらくして、視界がまともになってくる。要するに、神聖力が問題なのだ。 それを、ダリルの中でわずかに残った魔力が、猛烈な光と認識してしまう。 ならばここでは、魔力がない方がいい。 魔法使いにしては思い切った決断を、ダリルは一瞬で下した。 そういったところは、ダリルも尋常ではない。 神聖力のせいでダリルの魔力は掻き消えているはずだが、それでもまだうっすらと残っているらしい。 ダリルの魔力量は大したものではないが、魔力の扱いそのものなら、彼は他より長けている。 決めたら、すぐダリルは動いた。 身体の表面を流れていた魔力を根こそぎかき集め、奥へ引っ込める。 塊にした。 丹田へ沈める。 その上で、活動を不活性化させた。 そうすれば、神聖力の影響も、かなり軽減される。 その中で、ダリルは。 (は?) 寝台の上に座り込んだ皇帝の腕の中。 そこに大切そうに抱かれた青年の存在に気付く。 褐色の肌。 黒髪。 瞼は強く閉ざされ、瞳の色は分からない。 着ているのは、騎士の制服―――――あれほど華やかであるということは、彼は近衛騎士だろうか? その面立ちは。 見るなり、ダリルはぽかんと口を開いた。 皇帝の腕の中の騎士は―――――びっくりするほど、男前だったのだ。 うつくしい、とか。 整っている、とか。 そういう言葉より先に、ひたすら格好いい、としか言えない。 こんな風に生まれていたら人生変わっただろな、と思わせるほど、見るなり目を奪われる。 同性のダリルですらこうなのだから、女性相手ならその魅惑の力はいかほどだろう。 ただ、今はその、褐色の肌に。 白く光る何かが時折、蛇のように、ぞろりと走る。 そのたび、騎士らしい青年の喉から、苦しげな呻き声があがった。 褐色の肌は、苦痛のせいか、汗で濡れ光っている。 それがまた異常になまめかしい。 騎士が声を上げるなり、皇帝の視線が、彼に戻った。 子供のように狼狽えた様子で青年を抱きしめる。 同時に、控えていたリュクスの、知的で冷たく見える横顔に、一瞬、感情らしきものが過った。だが、それが何かは見定めにくい。 目を凝らそうとした、刹那。 ダリルは寒気を感じた。 真正面―――――即ち、寝台の上から、無言の威圧めいたものが降ってくる。 慌ててダリルは騎士に目を戻した。 青年の、肌の下を這っているような、白く輝く何かに目を凝らす。 頬を、額を、露な首筋を走る、それは。 「…呪詛…?」 に、見える。 症状としては、間違いなく、呪詛に似ていた。 だが―――――白く輝く、となると。 ダリルの、確信しながらも、疑念に満ちた声に、 「やはり、これは呪詛ですか?」 ひそり、呟いたのはリュクスだ。 ダリルが顔を上げれば、宰相の視線は、痛まし気に褐色の肌の青年の方を見ている。 なるほど、先ほど彼の横顔に見えた感情は―――――心配だ。それもまるで、家族へ向ける態度。 リュクスはぼそぼそと続ける。 「いつだったか、見た症状と似ているので、そうかもしれないとは思ったのですが…」 普通、魔法使いでもない人間は、呪詛の症状など知らない。 ダリルは、リュクスに、変に老成した雰囲気があると感じたが、それは見識が広い、と言うだけでは足りない、妙な経験量を彼から感じるからだ。 ただ椅子に座って本を読んでいただけではない何かが、リュクスにはあった。 束の間、何か考え込んだ彼は、心持ち小さくなっているダリルにふと視線を合わせる。 とたん、その両目に閃いたのは、―――――感心、だったろうか? 「…あの、何か」 「いえ、たいしたことではありません」 ダリルが居心地悪く尋ねたのに、リュクスは冷静に告げる。 「まさか身内以外で、陛下の前でこれほど正気を保っていられる方がいるとは、意外でして」 …あんまり、ダリルのためになる情報ではない。

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