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幕・145 理を塗り替える

ダリルの表情から何を読み取ったか、リュクスは話題を現状の問題へ戻した。 「…彼の状況は昼間、皇宮に降った呪詛をすべて引き受けたのが原因ですか?」 「?」 ダリルは首を傾げる。 「呪詛を引き受けたのは魔竜、ですよね」 今、ここに魔竜はいない。なぜ魔竜が話に出るのか。 (話に上がっているのは、寝台の上にいる騎士の、…) 思いさしたダリルは―――――リュクスの冷淡な表情に、微かな驚きが浮かぶのを見た。 その、反応に。 ダリルの脳裏で、一気に情報がつながった。 魔竜。 呪詛。 呪詛らしきものにおかされている目の前の騎士。 「あ」 まさか、とダリルが呟く直前。 「だが」 寝台の方から聴こえた声に、ダリルの身が竦む。皇帝だ。声すら、重い。 「…悪魔が呪詛に倒れるか?」 その通り、あり得ない。だがおそらく、これは。 「これは、『悪魔にとっての呪詛』でしょう」 舌まで固まったダリルの代わりに、サイファが口を開く。 ダリルは目を瞠った。 ―――――悪魔にとって、と今、サイファは言ったのか。ならば。 皇帝の腕に抱かれた、褐色の肌の騎士は、…悪魔、ということで。 今ここで話題にされている悪魔となれば。 その正体は―――――間違いない。 ―――――魔竜。 (こ…っの、オットコマエの、騎士さんがぁ!?) 内心で、顎が外れそうなほど驚いた。 ダリルは竜体の魔竜としか会ったことがない。 人間の形態をとれるとは想像もしていなかった。 だが確かに、魔竜は騎士の叙任を受けたのだ。 竜の形態で騎士とか、それは無理がある。 というのに、魔竜が人間になれることをダリルは今の今までちらとも考えていなかった。 ダリルの頭の中が真っ白になる一方で、会話は続く。 魔竜を腕に抱きしめたままの皇帝が、静かに尋ねた。 「…悪魔にとっての、呪詛、だと?」 「…本来ならば、呪詛にもならず、即死させるもの」 目を眇め、サイファは淡々と言葉を紡ぐ。 問答無用で、悪魔を殺すもの。それは。 ―――――愛だ。 しかし。 それにしては、妙なことになっている。 今サイファが言ったとおり、 「即死でなく、呪詛となるなど、…どの文献でも見たことがありません」 愛はただ、悪魔を殺す。 困惑したダリルの言葉に、サイファが頷いた。 「その通りだ、前例がない。ただ、…―――――魔竜が生まれて今まで行ってきたことを振り返れば、納得もできるのだ」 「…魔竜の、行い、ですか」 「そうだ、しかしそれが、昼間、呪詛を浴びたことで、…ともすると」 考え深げなサイファの鉄色の瞳をダリルが見遣ると同時に、 「御託はいらん」 ぞっとする声が耳に届く。皇帝だ。 「これは解けるか」 残念ながら、ダリルにいい知恵はない。 なにせ、前例がないのだ。 だが、方法はない、など、今の皇帝を前に口が裂けても言えない。 猛獣を前にした兎の気分だ。 そもそも。 (いったい何者が、魔竜なんて悪魔に、愛を与えたんだ?) そこからして、分からない。 …この状況において―――――想像を膨らませるなというのが無理な話だが。 (ともすると、皇帝が) ダリルは咄嗟に、思考を止めた。 この皇帝や宰相を前に、ちょっと考えるだけでも危険な気がしたのだ。 逃げ出さないので、精いっぱいである。というのに、 「答えろ」 皇帝が促す声に、また、肩に錘が乗った心地になる。 (延命…時間稼ぎ…っ!) 心の内で叫び、蒼白になりながらも、懸命に顔を上げたダリルが、何かを言う前に。 「…方法なら、ございます」 サイファが、どこか、探るような表情で告げた。 ダリルはぎょっと彼を見遣る。 その横顔は、何かを達観したようで、…試すようで。 (言い逃れって感じでも、ないけど) だがダリルには、方法があるようには思えなかった。 大丈夫だろうか。見守るサイファの横顔には、幾許かの緊張が垣間見えた。 皇帝の黄金の目に自身が映るのを待って、サイファ。 「―――――理を塗り替えればいいのです」 「…理を?」 眉をひそめ、呟いたのは宰相の方だ。 「普通の人間にできることとは思えませんが。それこそ、魔法使いでも難しいでしょう? …御使いには可能だと?」 「そもそも」 サイファは、宰相ではなく、皇帝に目を合わせたまま言葉を続ける。 その理由になら、ダリルはすぐ思い至った。 サイファはあえて宰相を無視しているのではない。 視線を離せば、皇帝がどう出るか嫌な予感ばかりが先立つために、彼から目を離せないのだ。 「理とは、誰がつくったものでしょう? 原初、そうあれと定めた存在は、いったい」 場に、沈黙が落ちた。 重く冷ややかで、ダリルは雪の中にでも埋もれている気分になる。 「…神だ」 低く告げた皇帝の心の内は、いったいどのようなものだろう。 次の答え次第では、ダリルたちの命は消し飛ぶのではないか。 思いながら緊張にやせ細る心地になるダリル。 いっそ殺してくれと叫びたくなる緊張感の中、ダリル以上のプレッシャーを感じているはずのサイファが、何でもないことのように告げた。 「ならば、なればいいのです」 次いで放たれた言葉は、 「神に」 ―――――冗談、で済ませてしまうには、寒気がするほど真剣だった。

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