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幕・148 悪魔の業

美咲は、池のある庭へヒューゴを誘いながら、首を傾げた。 「死ぬから、かい?」 「え?」 ヒューゴはいっとき、きょとんとして、 「あ、そうか」 愛は、悪魔にとって、致命傷となる。 だがそんなこと、ヒューゴはあまり考えていなかった。 ―――――リヒトの感情。 その愛を、ヒューゴはあの刹那、確かに知った。 だがどうも、ソレが悪魔の自身にとって死につながると、知っていても、本当の意味でヒューゴは分かっていなかったようだ。 美咲の指摘で、ようやく気付く。 (そう言えば、あのとき、すごく全身が痛くなったな…特に心臓) 今になって、理解した。 本当に、ヒューゴは死んだのだ。 いや正確には、―――――…死にかけた。 「だから俺、さっきバラバラになってたんだな」 美咲がかき集めてくれなかったら、今頃とっくに消滅していただろう。 死にたいと思ったことはないが、あまり、危機感が湧かない。 今だって、なんだか他人事だ。 「呆れたね」 言葉に割に、顔を上げたヒューゴに、美咲は優しく笑う。 「帰れないってのは、あの子のところにだろ?」 どうやら彼女は、リヒトを知っているらしい。 それはそうだろう。ここで、ヒューゴの中の片隅で、ずっとすべてを見ていたのだろうから。 「気持ちはどうあれ、あの子はあんたを殺した。だから帰りたくないのかと思ったんだけど、違うのかい」 「そうだな、そう思うのが普通だな。でもリヒトなら俺を殺してもいい、そんな気持ちもある」 「ふうん」 美咲は肩を竦めた。 「悪いけど、あたしは恋愛感情って分からないから」 言われて、ヒューゴは驚く。 「人間だよね? しかも、女だよね? いやそもそも、俺のこれって恋愛感情なの?」 「知らないよ。人間で女だからって、理解できないもんはできないんだ。物語や他人事なら好きだけど、自分が絡むとどうもねぇ」 「フィオナみたいなこと言わないでよ…」 理解できないと言いつつ、リヒトとヒューゴの関係を煽っているようでもある。 「俺はただ、俺が醜いから…うぅん、でも、リヒトから逃げるみたいになるのは間違ってるよな。男らしくない」 気は進まないが、一旦、リヒトの元へ戻るのが正解だろう。 結局そう結論したヒューゴに、 「その意気だよ、ま、頑張んな」 美咲は気楽に背中を押してくる。 その態度は気に食わないが、ヒューゴは確かに、リヒトと向き直らなくてはならない。 結論が出ると同時に、今度は別の疑問が胸にわき上がった。 「でもおかしいな」 つい首を傾げる。 「なにがだい」 面白そうに、美咲が促してきた。 ヒューゴの経験から言って、愛が悪魔を殺す、というのは、悪魔がソレを理解してはじめて機能するものらしい…が、だとして。 「だって、ソレは…愛は、悪魔を殺すものだろう。だったら俺は、即死しないとおかしい」 リヒトの感情を知った時、真っ先に全身を貫いたのは、痛みだった。 聞いた話では、通常、感じた刹那に、悪魔の命は黄泉路を下るという。 痛みで苦しむ時間などないはずだ。 それに、今気づいたが。 今まで耳にするのも口にするのもおぞましかった『愛』という言葉に、今のヒューゴはなんら忌避感を感じていない。 むしろ今までなんでそんなに嫌だったのか、そちらの方が理解できなかった。 縁側から庭に降りた美咲が、下駄をはく。 歩きにくい履物に見えるが、彼女が歩く姿は、とても颯爽として格好良かった。 中間界に戻れたら、アレ、作ってしまおうかな。 そんな欲が湧くくらいには。 「でも俺は死んでない。痛いけど、死んでない。変だよな? 俺は悪魔なのに」 子供じみたヒューゴの言葉に、美咲はふっと息だけで笑う。 「悪魔がどうして、悪魔として生まれるか分かるかい?」 そんなことを聞かれたのは初めてだ。ヒューゴは初めてそれを考えた。 「魂が汚れているから?」 美咲は鼻に皺を寄せる。 「その言い方は魂自身に問題があるって聴こえるから好かないね。魂には問題がないよ。誰の魂にもだ。悪魔も人間も御使いも。ただ」 美咲は目を伏せる。 「それだけの業を、悪魔の魂は負っているのさ。…ソレは世界に対する負債って言えるかもしれないね」 業。 美咲について歩きながら、ヒューゴは片手で胸をおさえた。 それを見下ろし、彼女は悪戯気に笑う。 「ただし、あんたが悪魔として生まれた業は―――――ま、あたしが背負ってきた業だけど―――――あんたが生きる中で、昇華されちまったんだよ」 「?」 業を、昇華した? そんな御大層な作業など、ヒューゴはしたことがない。 ヒューゴが心当たりゼロの態度で目を瞬かせれば、美咲は呆れたように笑う。 「あんた、自分がどうやって生きてきたか、まさか忘れたんじゃないだろう?」 子供に言い聞かせるように彼女は優しい声で続けた。 「多くの、他の命を、助け」 美咲の足取りは軽い。 「守り」 彼女は前を向いて言う。 「生かした」 なるほど、結果としてそうなったかもしれないが、ヒューゴは基本的に、やりたいことをやっていただけだ。 「こんな言い方は宗教的で嫌なんだけど、徳を積み続けたってことさ。人間と一緒に暮らす中で、それはさらに加速した」 「俺には、修行してるなんて意識はないんだけど…」 美咲について行きつつも、あっちの繁みを覗き込み、こっちの野花と戯れ、寄り道ばかりのヒューゴは特別な感慨を抱いた様子もなく上の空で返事。 「ああだから、徳を積むなんて言い方が悪いね」 美咲は前を向いたまま、ひらひら手を振った。 「なんにしたって、だから、他の悪魔と違って、本来なら、あんたは愛で死にはしないってことさ」

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