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幕・172 歪んだ信頼
するり、タイを襟から引き抜いた。
着込んだ上着をそのままに、シャツのボタンを上から半分ほど外す。
あらわになった肌から、また、熱気が立ち昇ったかのように、触れたヒューゴの指先が熱を帯びた。
しっとりと汗ばんだリヒトの肌の感触を味わうように、その手をシャツの中へ忍び込ませる。
手首まで侵入するなり、
「んっ、や…っ!?」
びくんっ、とリヒトの身体が跳ねた。
そこではじめて気づいたように、狼狽えたリヒトの視線が胸元に回ったヒューゴの腕を見る。
その指先は、服の中で、―――――既に張り詰め、しこっていたリヒトの胸の先端を抓っていた。叱るように。
「ふ…っ、しまる、な」
とたんに、リヒトの粘膜も激しく収縮、中のヒューゴを激しく食いしめた。
リヒトは乱暴な触れられ方が好みだ。
ただしそればかりだと繊細な皮膚は傷ついてしまうから、すぐにふっと乳首から手を離す。
じんじんと熱を持ち、より敏感になったそこを、ヒューゴは宥めるようにコロコロと転がす。
「よーし、よし。痛くない、痛くない」
呪文でも口にするように言って、ヒューゴはべろりとリヒトの項を舐めた。
ふ、ふ、と怒った猫のように息を吐くリヒトの身体を腕の中に感じながら、ヒューゴの中で、ふと冷静に呟く声がする。
…今なら、噛みついてもいいんじゃないか?
別にリヒトは怒らないだろう。
ただ、今回生まれ出た衝動が、悪魔らしく危険すぎるというだけで。
噛む、だけでなく。
悪魔なら、噛めばその先が、ある。
―――――なぜ、こんなにリヒトの身体に牙を立てたいのだろう。
ふ、と今更ながら、はじめてその点を、ヒューゴは疑問に感じた。
ここまで牙が疼いたのは、長く生きてきた中でも初めての出来事だ。と思うなり。
(…いや、待てよ)
あまりに牙の疼きを気にしていたせいか、自身さえすっかり忘れていたような、大昔の記憶が蘇った。
幼い頃は、常に今のように牙が疼いていた気がする。
特に、強者に対して。
彼らが、ヒューゴの命を脅かした相手を前にした時。
…あの頃は、単に、ヒューゴの小さな身体が成長しているのが原因かと思っていたが。
今、リヒトに対して感じる牙の強い疼きは、それに似ている。
ただ、少しだけ違った。
今の状態と、もっとも近い感覚は。
―――――いつだったか、遠い昔、一度だけ覚えがあるものではなかったか。
そうだ、あれは。
(黒竜を、前にした―――――あの時)
泣きながら黒竜に立ち向かった、あの時も。
また、今のように強烈に牙が疼いていた。
黒竜と、リヒト。
双方に、なにが通じるか、と言えば。
ヒューゴの命を脅かすに足る、強者というところだ。思うなり。
(…あ、れ?)
ヒューゴは目を瞬かせた。
何か、妙な発見をした心地になる。
今まで、まったくの別モノだと思って、繋げもしなかったことが、いっきにつながった、というか。
ヒューゴは思わず、濃紺の目を瞠った。
(あ、もしかして)
突如、閃きが、天啓のように降ってわいた。
悪魔という生き物は、生まれながらに強い者に惹かれる。
ゆえに挑み、身内に取り込み、自身の糧にしようと悪魔は強者に挑むのだ。
それは単に生存本能にしか過ぎない、ヒューゴはそう思っていたのだが。
(これは、…違う、のか?)
強者に挑むのが生存本能、というのは、正直、幾許か矛盾している。
生き残りたいのなら、強者は避けて通るべきだ。彼らは死の危険そのものなのだから。
もしかすると。
単純に、悪魔は。
―――――強い者を捨て身で愛する生き物。
そういう、事ではないのか。
愛するから、牙を立てたい。そうすることでしか、気持ちを伝えられない肉体だから。
愛するから、挑みたい。そうして一つになりたいから、ひとつになれないならいっそ、殺してほしいから。
…破滅的だ。だが、それが。
―――――悪魔の愛。
人間には理解が難しいかもしれない。
だが、悪魔であるヒューゴには、すとん、と腑に落ちる答えだった。
愛するから、殺す、なんて。
理解できない感情だと思っていたのに。
そもそものところ、悪魔がそういう生き物だったとは。
ヒューゴが守り、育ててきたリヒトに、そういう思考が生まれても仕方がないのかもしれない。
…なんてことだ。
悪魔という種族は、愛を知らないどころか。
―――――だから悪魔にとって、愛は呪いなのだ。毒なのだ。
殺して一つになることが愛情表現であるなら、確かに愛を知れば己が死ぬしかない。
相手に生きていてほしいと願うから。
それでも相手を殺してしまったなら、その時だって、自分が死ぬしかないだろう。
一人で生きるなんて、もう耐えられないから。
咄嗟にこぼれたヒューゴの息は―――――おそろしくなまめかしかった。
唯一、耳にしたリヒトは、背骨の神経を直接撫で上げられたような心地に、ぞくぞく震える。
「はぁ…、なあ、リヒト?」
ヒューゴの腕の中の身体は、もう何をされても快楽に感じるだろう。
この声にすら、鼓膜の愛撫を受けているようなものに違いない。
「…ちょっと、痛いぞ」
―――――いつか、ヒューゴの本能は噛んだ先へ進もうとするかもしれない。
もうその兆候はある。
(けど、まだ大丈夫だ)
ずっと、ヒューゴはいつだって、自身を縛るリヒトを殺そうという気持ちを胸にしまって、隣にいた。
自由を取り返したかったからだ。
それをしなかったのは、ひとえに、リヒトの命を救った自分が、守り切ったものを自ら壊すなんて馬鹿だと思ったからだ。
今は、殺そうという気持ちはわかない。なのに。
逆に、本能が、リヒトを殺したいと欲している。
それでも、おそらく―――――そうなったときは。
リヒトがヒューゴを殺してくれるのではないか、そんな歪んだ信頼もある。
先ほどとて、神聖力の鎖で縛りあげられた時、ろくな抵抗はできなかった。
もしヒューゴが欲に目がくらんでも、リヒトが止めてくれる。
リヒトの身体の前へ回した片手で、胸の肉粒を転がしながら、もう一方の手を、下肢へ伸ばした。
突き上げられている間、動きに合わせて、ふるふると揺れていた桃色の陰茎をやんわり握り込めば、
「は、ぅ…っ」
リヒトの内腿が引きつった。
とたん、ヒューゴの掌の中で、ビクビク震えて射精。
それを感じながら、ヒューゴは精子を噴き上げる先端に、
「…ぁあん!」
強く爪を立てた。
同時に、強く奥を突き上げ―――――。
リヒトの肩口に、牙を立てる。じんわり、血がにじむほど強く。刹那。
「あ、あぁ―――――…っ」
感じ入った、女が媚びるような高い声を上げて、泣くような表情でリヒトは奥で達した。
ヒューゴは、リヒトが達した、その痙攣を、陰茎全体に感じ、目を細める。
腰砕けになりそうだ。
そのくせ、もっともっと、責め立てたい、泣かせたい、その衝動がより以上に増してくる。
荒い息を吐きながら、ヒューゴはリヒトの陰茎の先端をぐりぐりとひっかくように爪で抉った。
射精の最中に、敏感な神経を直接引っかかれたのだ。
リヒトからすれば、たまったものではない。
「ひ…っ、よ、せ…っ、それ以上…は、ぁっ!」
やめてくれ、と懇願する声が、不自然に途中で止まった、と思った時には。
リヒトの喉奥から、信じられないほど甘い声が跳ね上がった。刹那。
リヒトの桃色の先端が、立て続けに潮を噴きあげる。
排尿と似た感覚があるのだろう、
「み、見るな…っ」
股間を隠そうとするように、リヒトが両手をそちらへ伸びた。
だが、力が入らず、結局、掴んだヒューゴの手を、自身に押し付ける結果になって、終わる。
排泄とて毎日ヒューゴは見ているわけだが、やはり、リヒトが慣れることはないようだ。
真っ赤に染まった項を見ながら、ヒューゴは牙を抜いた。
とたん、
「ん…っく」
甘えるような声を上げ、リヒトの身体が、ようやく弛緩する。激しい反応が止まった。
ただ、余韻は消えないようで、リヒトの背が無防備に痙攣している。
リヒトの身体に、魔法はほぼきかない。
ヒューゴはリヒトの体内にある神聖力を器用にかき集め、リヒトの傷を癒した。
為すがままのリヒトをうっとり見下ろしながら、ヒューゴは確信する。
この姿を見られなくなったり、身体で感じられなくなるのは、嫌だ。
だからこそ、こうしている間はきっとヒューゴはリヒトを殺さないで済む。
(つまり、殺さないためには、たくさんえっちをする必要がある、と)
要するに、今まで通りだ。
ヒューゴは前向きに開き直った。
何一つ解決していないのに、全部終わった気になって、リヒトの後ろから甘えるように抱き着く。
「リヒトはどんなときだって、ぜんぶきれいだ」
本心から囁きながら、ヒューゴは頬に頬を擦り付けた。獣のように。
「ほら、もっと見せて」
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