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幕・173 雪原の饗宴

× × × 夜中降り続いた雪は、今朝やんだ。 残されたのは、一面の銀世界。 まっしろなクリームを地面に撫でつけたような光景は、北部の人間には見飽きたものだ。 感動するよりも、また雪かきか、と考えるより先に道具を片手に腰を上げる。 年寄りから子供まで、皆そうだ。 ここは、オリエス帝国北部。その南側、皇都に近い場所に位置する、荒野の一角。 ただし、近くに街道がある。 夏場は荒れた大地が広がるこの場所は、日頃から数多の魔獣が目撃されていた。今は見渡す限り雪ばかりの広大な雪原だ。 昇った太陽が、真っ白な雪を眩しく輝かせている。 その中央を、斜めに駆け抜ける騎馬隊の姿があった。 もくもくとたちのぼる雪煙をあとに残し、深い雪をものともせず、雪原を疾走。 馬と人間の吐き出す白い息が、真後ろに流れて消えていく。 猛然と駆け抜ける十数人からなる部隊の後を、堂々と追ってくるのは、―――――魔獣の群れ。 狼のようで、狼より二倍ほど大きい体躯。額に角が生えている個体もある。数は騎馬隊の二倍程度。 「レオンさま!」 先頭を駆ける漆黒の馬に跨った青年に、後ろに続く騎士の一人が怒鳴るように呼んだ。 「振り切れません!」 いちいち言わずとも、皆が先刻承知の状況だろう。 だが逃げ切れないという悲壮感は、どの顔にもなかった。 それぞれが、己が持つ得物の位置を無意識に確認。 逃げきれないなら、戦えばいいのだ。 このように雪深い中だ。たとえ馬が人間より速く走れるとはいえ、雪に足を取られ、疲労は早いだろう。 力尽きる前に、打って出る、そんな気概が皆の目に溢れていた。 レオンと呼ばれた短い金髪の青年は、鋭い青灰色の瞳で、ちらと背後を見遣った。 「ここで応戦、しますか!」 声を張り上げていた赤茶の髪の青年が、すぐそばの騎兵にちらと目配せする。 それは、その騎馬隊の中で一番若い十代の少年だ。 まだ幼い顔がハッと強張り、小さく首を横に振る。 それに対し、さらに首を横に振った赤茶の髪の青年は、顎をしゃくった。 ―――――前へ。 少年はぐっと唇をかみしめ、さらに馬の足を速める。 同時に、先頭にいた青年が、片手を挙げた。 間髪入れず、少年以外の騎馬兵が、方向転換。 鼻づらをやってきた方向へ向ける―――――魔獣たちの方へ。 ただ一人、少年だけが、一目散に駆けていく。主の状況を知らせ、救援を呼ぶためだ。 堅固な城塞―――――そんな印象の体躯に、男らしい面立ちの頭を乗せたレオン・ガードナーは、一瞬だけ、少年の背を見送った。 すぐ、その顔を正面に戻し、 「抜刀!」 厳格な声で、命じる。一斉に従う騎兵たち。 一糸乱れぬ動きは、この場合に、ひどくうつくしい。 「皇帝陛下が通られる道に、一片の脅威も残してはならん!」 駆けてくる魔獣の群れに向かって、臆することなく馬で猛然と駆け、 「根絶やしにせよ!!」 「応!!」 一挙に、魔獣と騎兵が入り乱れた。 薙ぎ、払い、突く。 しぶく赤い血が雪を溶かし、人馬が吐きだす白い息が、湯気のように立ち込めた。 だが傷つくのは、何も魔獣ばかりではない。魔獣はただの獣ではないのだ。 ばらけず、慎重に連携して動かなければ、人間も馬も数で押し切られ、あえなく魔獣の餌になるだろう。 レオンが振り回すのは、吟遊詩人がこぞって唄う、有名な、辺境伯・ガードナーの槍だ。 その先端が、魔獣の喉奥を突いた直後、 「レオンさま!」 騎士の数名が警句を放つと同時に、レオンの左右、真横から魔獣が飛び掛かった。 それらを、レオンは片手で槍を薙ぎ払うようにして、上空から迫ったその肉体を容赦なく殴打。 左右の二匹、ほぼ同時に始末がつく。 穂先にはまだ、事切れた魔獣が引っかかっていた。 凄まじい速度、膂力だ。その上、早い。 遅れてそばに到着した赤茶の髪の青年が、半眼でレオンを見遣った。 「助けに来たのに、甲斐がないひとですね!」 「それより、エリアス」 レオンは、冷静に、魔獣を対峙しながら、指示を出す。 「無事、行ったか?」 周囲を警戒しながら、レオンの従僕にして騎士たるエリアス・アークライトは大きく息を吐きだした。 エリアスは初歩だが、魔法を使える。なけなしの魔力を攻撃に使わず、視力強化に使用し、 「警戒のし過ぎですよ。確かに怪しい状況ですが、何もあんな子供を犠牲にしたり、は…」 緊張感漂う戦場で、さっと少年が駆け去った方角を見遣ったエリアスは、 「―――――…え?」 雪煙の向こう、遠くに見える人影が、硬直したように見えた。同時に、馬が棹立ちになる。 遠すぎて、何が起こったかは分からない。…通常なら。だが。 魔法で視力を強化したエリアスの視界には『ソレ』がはっきり見えた。 少年の頭蓋、その右から左に、矢が貫通している。棹立ちになった馬は、眼球と耳に。 しばしのち、風もないのに人馬が揺らぎ、晴れてくる雪煙の中、どうっと横倒しになったのが見えた。 「何が見えた」 魔獣の群れだけを見据えたレオンの鋭い声に、思わず、真っ先に、 「ちくしょう!」 エリアスは悔し紛れに声を上げる。だがすぐ、声を抑え、早口に報告。 「やられました。矢が…頭部を貫通」 「…射手がいるか。どこだ」 レオンの声は冷静だ。 が、吐きだす吐息は、熱い。感情の、熱さだ。 「逃げます。顔までは見えません。追いかけたいところです、が」 エリアスは無念の声をこぼす。状況が状況だ。仕方がないとはいえ、のたうち回りたいほど悔しい。 「明らかに今回のことは」 奥歯を食いしばったエリアスは魔法を解き、前方に向き直った。 「仕組まれた…、」 言いさしたエリアスは、目にした光景に、言葉を止める。呆気にとられた。 ―――――魔獣の数が増えている。 真っ白な雪原に、次々と魔獣の影が現れた。 先ほどは二倍ほどしかなかった群れが、五倍、十倍に膨れ上がって。―――――さらに数を増している。 「うそだろ…」 …この光景に、絶望しないものなどいるのだろうか。 エリアスは、全身から血の気が引いた。 殺される前に、死にそうなほど身体が冷たくなる。 それを叱咤するように、 「現実だ」 レオンが厳しく言い放った。 冷静な主の声が、こういう時ばかりは憎らしい。 「この、数を…どうしろと」 「勘違いするな」 ぐっとレオンが、槍を握りなおす。 「この程度だ」 目の前に、押し迫る死も同然の光景を、レオンはこともなげにそう言い放った。 レオンに従う騎兵は、一度、腹に力を込めた。怒鳴り、絶望している暇はない。 援軍は来ない? だからどうした。 彼らは誇り高きガードナーの騎士。戦い続ける。 手足がもげようと、心臓が鼓動を止めるそのときまで。

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