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幕・175 脳筋アイコンタクト

魔竜の、印象的な濃紺の目が。 はたと、難しい顔をしている騎士たちに止まった。 その中にレオンを発見、遅れて、真っすぐ、ガードナー家の直系を見つめる。 竜種の表情など分かるはずもないのに、エリアスは魔竜が何を言いたいか、分かった気がした。 ―――――ねえ、何してんの。 びっくりするほど無邪気な様子で懐っこく確認をしてきている。 エリアスは咄嗟に、主人を見遣った。 どうか、状況を正しく伝えてくれ。 レオンが取った行動は、ただ一つ。頷いた。それだけだ。 どういうアイコンタクトが行われたか、本人たちが分かっているのか定かではない。直後。 ぴんっ、と魔竜のしっぽが、すごい勢いで天を指した。同時に。 きらきらきらっと星でも瞬くかのように、魔竜の濃紺の瞳が輝く。 エリアスは、なぜか、魔竜の声を聞いた気がして、ぼそっと呟いた。 「あれって…『俺、理解した』って表情ですか、ね?」 理解したって、何を? ああつまり、ようやく状況が見えたのだろうか。 咄嗟に、誰にともなくエリアスが尋ねたのは、魔竜の態度が安堵より不安を呼んだからだ。 そんな中、何を察したか、レオン・ガードナーは手綱を握る手に力を籠め、低く告げた。 「備えろ」 訳も分からぬ不安を、主人の言葉に後押しされた騎士たちは、青ざめながら手綱を握り締める。 もう一方の手を剣の柄にかけた。刹那。 ―――――ポゥッ。 地上近くで滞空する魔竜の頭上、何やら輝く球体が浮かんだ。 その中に、…何かが見える。 なんだ―――――何気なくそれを見遣ったエリアスは、理解した。 魔竜が何も理解していないことを。 「嘘だろ、あれって魔笛…っ」 まさか、と思う間もない。未来の予測を立てる間すら蹴倒す勢いで、 ――――――――――っ! 一瞬、空気が割れたような感覚があった。 魔笛の音は人間の耳には届かない。聴こえるのは、魔獣だけ。 だがこの、異様な力の波動は音として感じなくとも体感できる。 そして、知識として、誰もが知っていた。 魔笛の音色は魔獣を引き寄せる。 騎士たち全員が、唖然呆然。 彼らの視界の中で、雪原の向こうから、また続々と魔獣の黒点が増えていくのが見えた。 周囲一帯の魔獣が呼び寄せられているようだ。悪夢である。 死んだように皆が顔色をなくす中、ただ一人、 「これはいい」 レオンが冷静に言った。 「この辺り一帯の魔獣が一掃できそうだな」 ―――――タフである。そしてこの上なく脳筋だ。おそらくは、魔竜も。 脳筋同士にアイコンタクトなど、させるものではない。 レオンは震えあがるでもなく、負け惜しみでもなく、本気でそう言っていた。 本来の目的は、確かにそれだ。 この近くの街道を皇帝陛下が通る、その露払いに、周辺に現れるという魔獣の掃討のために組まれたのが、この部隊だ。 だが既に魔竜が姿を現した。皇帝が既に近くに来ているはずだ。となれば、魔獣の掃討に注力し、この地域の安全を優先すべきだろう。 皇帝の道の安全を守る、初めの目的は達せられないが、こうなった以上は、皇帝の力を借りてでも魔獣掃討を完全に成し遂げる。 そういう方向に、レオンの頭のスイッチは入ったようだ。 おそらくは。 エリアスは、遠くに見える魔竜をチラリ。 魔竜は再度、魔笛をかき鳴らした。もう現れる影がないことを確認―――――魔笛を消す。 魔竜もまた、レオンと同じ考えなのだろう。 脳筋同士、意思疎通は結構なことだが、迷惑をこうむるのは周囲だ。とはいえ。 主人の態度に、逆に騎士たちは冷静になる。 「ですがこの数では押し負けます」 あがった声は、反発というより、冷静な分析だ。 残念ながら、この場に居合わせたすべての者に、もう逃亡の選択肢はなかった。 ならば状況を受け止めるほかない。 「そうでもないだろう」 応じたレオンは、魔竜を顎先で示す。 「魔竜はこちらの味方であり、おそらく」 ちらり、エリアスを見てくるのに、諦め半分、彼は頷く。 「近くにいるはずの皇帝の軍が、この状況を見過ごすはずはありませんね」 要するに、皇帝陛下に地方の安全のため、尽力いただこう、そういう流れだこれは。 皇帝を利用など、とんでもない。もちろん、そんなつもりは毛頭なかった。 ガードナー家としては、皇帝がいつ街道を通るかなど知りようもないのだ。 これは、偶然だ。ただし。 そこに魔竜がいるのでは、馬が動かない。 さてどうするか―――――思った刹那、魔竜が姿を消した。 一部の騎士を除いた全員の口から、呆気にとられた叫びがあがる。 「はああああぁっ!?」 引っ掻き回すだけ回しておいて、逃げた。 と幾人かの騎士が悲鳴を上げた時。 「あ」 寸前まで魔竜がいた場所に、青年が現れたのが、エリアスの視力が強化された目に映った。 黒髪。 煌めくような印象深い、濃紺の瞳。 褐色の肌。 均整の取れた肉体に、近衛騎士の制服をまとう、恐ろしいほど男前のその青年には、嫌になるほど見覚えがある。 「あれは陛下の奴隷―――――いえ、今は」 「…グラムス卿か!」 頼もしそうに、レオンが喜色に満ちた声を上げた。 その声が聴こえたかどうか。 遠くに見える彼はにやりと不敵に笑う。ただ、濃紺の瞳はこちらを一瞥もしない。 眼下にひしめく魔獣をじっと見下ろし、片腕を顔の前に上げた。 刹那、不意に現れ、その手に握られたのは―――――カタナ。 剣とは違い、流麗な色気ある曲線に、月光のような妖艶な輝きを跳ね返す刀身が、あの鞘の中に納まっているはずだ。 昔、剣聖ギデオン・グラムスの知り合いであるドワーフが鍛えたという、曰く付きの一振り。 彼があれを取り出した、ということは。 完全に、殺戮開始の合図だ。 好戦的な気配を獣のように纏いながら、魔竜の化身はその場で落下。 彼が地に足をつけるなり、呪縛から解けたように、魔獣が彼に殺到―――――直後にあがる、血飛沫。 無論、魔竜の化身たる彼が、魔獣の牙などに食い散らかされるわけがない。 雪の上に鮮やかなあの朱は、魔獣たちのものだ。 手、足、首、角、そう言ったものがばらばらに青空へ跳ね上がった、と見たのも束の間。 瞬く間に、魔獣の息の根を止める要領を得たのか、急所を穿たれた魔獣の遺骸が次々と積み上がっていく。 狂戦士のようでありながら、同時に、冷徹な研究者のように、確実に相手を仕留める急所を計算している動きだ。 確かに、彼は人間の姿でも強い。 それでも、魔竜の形態のままでの掃討であれば、一瞬で片は付いたろう。 そうしなかったのはなぜか。魔竜の趣味だろうか? それとも。 少しでも、こちらに花を持たせようという配慮なのか。 ガードナーの騎士が、領地の安全のための戦いをただ傍観した、などと噂が立っては、彼らの立つ瀬がない。 間抜けもいいところだ。 その頃になって、ようやく馬から硬直が抜けた。 レオンが無言で片手を挙げる。 我に返った騎士全員が、その手に注目―――――腕を前方へ振り下ろしながら、レオンは号令。 「突撃!」 主人の命令に、勇猛な声を上げながら、騎士たちはいっせいに馬を走らせた。

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