182 / 215
幕・182 精霊の異変
「…なんだと?」
反応したのは、皇帝だ。レオンではない。
魔竜の問いかけに、無言で、ミランダは目を瞠った。
彼女の視線の先で、魔竜が皇帝を振り返る。考え深げな声で、皇帝が言った。
「この一年、北部は異常気象続きだ」
その通り。そして、それには、はっきりとした原因があった。
(レオンは知っているはずだけど…)
だが、レオンが口を開く様子はない。
「…北部には、精霊王がいるよね?」
なのになぜそんなことに、と魔竜が首を傾げる。
ミランダは目を瞬かせた。とうとう、レオンを見上げる。彼は、口を閉ざしたまま、不動だ。
首を傾げたミランダはレオンを気にしながら、思い切って口を挟んだ。
「精霊王は怒り狂って、言葉が届きません」
「なんでそんなことに?」
驚く魔竜とは対照的に、皇帝の視線の温度は氷点下にまで下がった。
「…報告に、精霊王のことはなかったが」
ミランダは、目を瞠る。隣のレオンを意識した。
それはおかしい。らしくない。
このような異常、レオンが報告もなしに放置するはずはなかった。…いや。
ミランダはふと考え直す。
ここは、北部。
広大な国土を持つオリエス帝国の一地方に過ぎない。となれば。
(すぐに問題を中央に上げることはしないわね…まずは地元のエキスパートに相談を持ちかけるはず)
いつからか異常行動を取るようになった精霊王は、日頃、一所にじっとしていた。
最初は精霊王に何が起こっているか分からなかった北部がまず、相談したのは。
(確か、神殿)
調査に乗り出してしばらく後、精霊王が怒り狂っているという結果が出た。
そう、先ほどミランダが口にしたのは、神殿の調査結果だ。
確か神殿側は、へたに刺激することは避けた方がいい、としばらく精霊王を神殿近くに封印することで、状況が悪くなることを抑え込むことで、対策とした。とはいえ。
精霊王に感応した他の精霊が動くことまでは、どうしようもできない。
大災害を封じてはいるが、小さな自然災害が頻発している、現状の正体がそれだ。
ミランダの隣のレオンが、ふ、と身体から力を抜く。深く頭を下げた。
「―――――申し訳ございません」
謝罪のみで何も説明しない彼に代わって、慌ててミランダは口を開く。
「まず、神殿に相談したのです。些末なことで中央を煩わせるわけにはいかないと、まずできうる限り北部で調べようと」
それは一般的な、オリエス帝国地方貴族のやり方である。だが。
「…慣習に従うのも一つの方法だが、それが惰性になって自身で考えるのを放棄していないか?」
皇帝は手厳しい。
レオンは頭を下げるばかりだ。
ただ、それは責めるというよりも、本当に単なる問いかけだったようだ。
「そうか、神殿か」
すぐ意識を別に向けたように皇帝は呟いた―――――何の感情もこもらないのが、不穏である。同時に、魔竜が遠い目になった。
改めて言うまでもないが、魔竜は悪魔だ。神殿とは相性が悪いのだろう。
ミランダはただそう思っただけだが。
「レオン・ガードナー」
皇帝が、凍え切った声でレオンを呼んだ。
「は」
目を伏せ、さらに深く頭を下げたレオンに、
「聖女は修道院に入ったのだったな?」
聖女のことを聞いた。神殿の話をしているのに、聖女のことを口にするとは。
(今回のことに、聖女も関わっていると、思っているのかしら。いえ、それはないわね。あの方が北部へ来られたのは、つい最近だもの)
北部の異常は一年前から始まっている。
聖女がどこまで状況を知っているかは分からない。
神殿と聞いて、聖女を連想しただけだろうか?
念を押す確認をした皇帝が、不機嫌であることはミランダ以外にも見て取れた。
表情が変わるわけではないが、空気がささくれ立っている。
ミランダの視界の隅で、魔竜が、眉間にしわを寄せた。
(そう言えば、以前聴いた話だと聖女様は皇帝に気があるって噂が)
しかも、相手は聖女だ、悪魔である魔竜にいい反応はしないはず。
とうとう、何か起こったのだろうか。
高い地位にあるはずの聖女が、北部という地方に送られたのだ。
この地に来た時点で、問題があったことは推測できたものの。
何があったかまでは、ミランダは知らない。
だが、聖女の存在は、隠すことでもない。レオンは冷静に答えた。
「神殿近くの修道院にお越しになられたおりに、一度お会い致しました」
たちまち、皇帝の声が、ますます吹雪く。
「会っただと」
何か失敗したことは悟ったが、皇帝の言葉が少なすぎて、何が気に入らないのか分からない。
会ったことが気に食わないのだろうか。
いやその程度、というか、他人の行動など、この皇帝なら気にもとめないはず。
助け舟を出したのは魔竜だった。
「聖女は自由に修道院と外を出入りしてるのかな?」
皇帝の不機嫌さに気付いたらしく、皇帝とレオンの間に割って入る。
「謹慎命令が下ってるはずだけど」
途中、言いにくそうな小さな声になったのは、どうしてだろうか。
「ああ、いや」
レオンが、面食らった表情で首を横に振った。
魔竜に対するときは気安さがあるのだろう、幾分か砕けた口調になる。
「修道院への移動途中、この城へお招きしたのだ。聖女さまがお越しになるのに、ガードナー家が無視するわけにはいかないだろう」
ともだちにシェアしよう!