195 / 215

幕・195 巌のような

この食事会における寸劇は、孫たちを試してのことだったのか、それとも試されていたのは皇帝側だったのか。 詳細は分からない。 いずれにせよ、辺境伯にとっては何らかの答えが出たようだ。なんにしたって、 (迷惑だなああぁ) ヒューゴは、一瞬、正直に思ってしまったが。 近い将来、辺境伯は否が応でもこの世から去る。 いつまでも彼に頼ってばかりはいられないのは避けがたい事実。 (それを見越して…試したのか) と考えるなら、辺境伯は、この場のセッティング自体にも、まったくかかわっていなかった可能性がある。いや、きっと、そうなのだ。 今回の、皇帝陛下の出迎えに、辺境伯はいっさいかかわっていない。 ではそれによって、何が試されたのか。 ―――――いずれ主役としてガードナー家を背負う、若手世代全体だ。 当たり前だがそれぞれに少しずつ何かが足りない。 それなら足りない者同士で補い合うべきと思うのだが、そこにも至れていない。 (ああ待てよ) もしここにミランダがいたならどうだろうか。 彼女に対するガードナー家の対応も悪くはない。 ガードナー家は、微妙な立場にあるミランダの後見人という立場を、自ら買って出たのだから。 彼女がいたなら、この状況より幾分かましになった気がする。 ただしリヒトのヴァレシュ人嫌いがはっきりしている以上、ミランダが同席することはないだろう。 それにしたって、よりによって、失敗できない要人である皇帝陛下がやってきたときに、そんなことをするとは。 豪胆というべきか、無茶ぶりというべきか。 下手を打てば、それこそ現皇帝を舐めているとも取られかねない。 「辺境伯は」 リヒトは、それこそ試すように口を開く。 「私を、功臣を処刑する暗君にしたいのか」 「…滅相もございません」 辺境伯はさらに深く頭を下げた。 「ふん」 リヒトの目が、一瞬、霜のように冷たくなる。 だがそれ以上は、何も言わなかった。 すぐ、何もかもに興味を失った顔で告げる。 「興が削がれた。許す」 「ありがたき幸せ」 何も気づかなかった態度で、辺境伯は立ち上がった。次いで、 「レオン」 嫡流の孫の名を呼んだ。 「後は頼む。では陛下」 多くは語らず、辺境伯はリヒトを見やった。 「グラムス卿をお借りしても?」 「よかろう。…ヒューゴ」 そばに戻ってきたヒューゴを、リヒトは一瞥。 「辺境伯を診ろ」 「はい」 「ではグラムス卿」 辺境伯は、ヒューゴを誘う。踵を返した。 「わしの供をしておくれ」 「光栄です」 ヒューゴはウォルターに目を向ける。 しばらくリヒトを任せることになる相手は、珍しく真面目に頷いた。 それを見届け、ヒューゴは辺境伯の後に続く。 場を後にするとき、北部の騎士が続こうとしたが、辺境伯は首を横に振った。 結果、辺境伯の護衛はヒューゴだけになる。 黙ってしばらく進んだのち。 辺境伯は、ふぅ、と息を吐きだした。 前を行きながら一度振り向き、にやりと笑う。 「久しぶりだなあ、ヒューゴ。陛下ともども、相変わらずのようだ」 「久しぶり、おじいちゃん」 畏まった表情を拭い去り、ヒューゴも飄然と微笑んだ。 「よく言う。年齢で言えば、お前のほうが、よほど爺だろうに」 呵々と辺境伯は笑う。調子を合わせて声を上げて笑い、 「元気そうで何よりだよ」 明るく言ったヒューゴの胸の内を、不吉な影がよぎった。 亡くなる少し前に、人間は、いっとき、体調がよくなったように見える時がある。 (今が、そうでないといいんだけど、な) 「見た目だけでもそう見えるなら重畳。実際、今日は痛みも薄い」 深く頷き、辺境伯は前を向いた。 その背を見やり、ヒューゴは寂しい気分で尋ねる。 「…痛むんだ?」 世間では、辺境伯は病に倒れたと言われているが、実際は、…寿命だ。 病というなら、人間誰しもが持っている、老いという病と言えた。 限られた命を持つものの、定められた運命。 それは、三年前から、辺境伯の身を蝕んでいた。 そのうえ、北部で無茶をし続けたせいで、辺境伯の身体はボロボロだった。 内臓もどうにか機能しているといったところ。 こうして普通に立って歩いているだけでも、相当苦労しているはずだ。 「痛むなら、薬を処方することもできるし、俺の魔力で」 「何年も前から告げているようにな」 辺境伯は、柔らかいが強い声でヒューゴの言葉を遮った。 「…誤魔化したくはないのだ。痛みを、迫る、死を」 巌のような言葉。 ヒューゴは叱られた気分で、頷いた。 「うん」 彼は頑固で、残酷な人間だ。 手助けを、許してくれない。見守ってくれ、と…願う。 どうにかできる方法を知っているのに、させてもらえないのは、辛い。 だが、ヒューゴが知る方法は、まっとうな人間にとって、邪道にひとしいものだろう。 特にこの、辺境伯のような人間に、処していい方法とも思えず、だから、本人が嫌がる以上、ヒューゴも強硬手段はとれない。 リヒトもこのことを知っていた。それでも診ろ、と言ったのは、辺境伯とヒューゴが話す機会をくれたのだろう。その理由は。 「それにしても、ギデオンの姓を名乗るとはな。誰の判断だね。あの宰相か」 「リヒトだよ」 「ほ、さすが陛下。それなら、妙な勢力争いの種にはなるまいて」 辺境伯はにやりと笑った。 剣聖ギデオン・グラムスはヒューゴの剣の師匠であり、辺境伯の古い友人だ。 その縁があって、ヒューゴと辺境伯は時に手紙のやり取りをしている間柄だった。 ゆえにリヒトは、二人で気兼ねなく話せる時間をくれたのだ。 二人の共通の話題である人物が今どこにいるかと言えば。 「師匠から手紙は来てる?」 「半年前までな」 微妙な言い方だった。頼りは半年前に途絶えた、という言い方を辺境伯はしなかった。 同じことだとはいえ、響きは大きく異なる。 剣聖の姿は、三年前の戦争の中では見えなかった。 彼はその前に、帝国から姿を消したのだ。 こんな老兵がやれることはない、むしろ、やれるだけのことはすべてやった、あとは自分のやりたいことだけをやる、と言い残して。 ギデオンがやってみたいと望んだこと、それは。

ともだちにシェアしよう!