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幕・195 巌のような
この食事会における寸劇は、孫たちを試してのことだったのか、それとも試されていたのは皇帝側だったのか。
詳細は分からない。
いずれにせよ、辺境伯にとっては何らかの答えが出たようだ。なんにしたって、
(迷惑だなああぁ)
ヒューゴは、一瞬、正直に思ってしまったが。
近い将来、辺境伯は否が応でもこの世から去る。
いつまでも彼に頼ってばかりはいられないのは避けがたい事実。
(それを見越して…試したのか)
と考えるなら、辺境伯は、この場のセッティング自体にも、まったくかかわっていなかった可能性がある。いや、きっと、そうなのだ。
今回の、皇帝陛下の出迎えに、辺境伯はいっさいかかわっていない。
ではそれによって、何が試されたのか。
―――――いずれ主役としてガードナー家を背負う、若手世代全体だ。
当たり前だがそれぞれに少しずつ何かが足りない。
それなら足りない者同士で補い合うべきと思うのだが、そこにも至れていない。
(ああ待てよ)
もしここにミランダがいたならどうだろうか。
彼女に対するガードナー家の対応も悪くはない。
ガードナー家は、微妙な立場にあるミランダの後見人という立場を、自ら買って出たのだから。
彼女がいたなら、この状況より幾分かましになった気がする。
ただしリヒトのヴァレシュ人嫌いがはっきりしている以上、ミランダが同席することはないだろう。
それにしたって、よりによって、失敗できない要人である皇帝陛下がやってきたときに、そんなことをするとは。
豪胆というべきか、無茶ぶりというべきか。
下手を打てば、それこそ現皇帝を舐めているとも取られかねない。
「辺境伯は」
リヒトは、それこそ試すように口を開く。
「私を、功臣を処刑する暗君にしたいのか」
「…滅相もございません」
辺境伯はさらに深く頭を下げた。
「ふん」
リヒトの目が、一瞬、霜のように冷たくなる。
だがそれ以上は、何も言わなかった。
すぐ、何もかもに興味を失った顔で告げる。
「興が削がれた。許す」
「ありがたき幸せ」
何も気づかなかった態度で、辺境伯は立ち上がった。次いで、
「レオン」
嫡流の孫の名を呼んだ。
「後は頼む。では陛下」
多くは語らず、辺境伯はリヒトを見やった。
「グラムス卿をお借りしても?」
「よかろう。…ヒューゴ」
そばに戻ってきたヒューゴを、リヒトは一瞥。
「辺境伯を診ろ」
「はい」
「ではグラムス卿」
辺境伯は、ヒューゴを誘う。踵を返した。
「わしの供をしておくれ」
「光栄です」
ヒューゴはウォルターに目を向ける。
しばらくリヒトを任せることになる相手は、珍しく真面目に頷いた。
それを見届け、ヒューゴは辺境伯の後に続く。
場を後にするとき、北部の騎士が続こうとしたが、辺境伯は首を横に振った。
結果、辺境伯の護衛はヒューゴだけになる。
黙ってしばらく進んだのち。
辺境伯は、ふぅ、と息を吐きだした。
前を行きながら一度振り向き、にやりと笑う。
「久しぶりだなあ、ヒューゴ。陛下ともども、相変わらずのようだ」
「久しぶり、おじいちゃん」
畏まった表情を拭い去り、ヒューゴも飄然と微笑んだ。
「よく言う。年齢で言えば、お前のほうが、よほど爺だろうに」
呵々と辺境伯は笑う。調子を合わせて声を上げて笑い、
「元気そうで何よりだよ」
明るく言ったヒューゴの胸の内を、不吉な影がよぎった。
亡くなる少し前に、人間は、いっとき、体調がよくなったように見える時がある。
(今が、そうでないといいんだけど、な)
「見た目だけでもそう見えるなら重畳。実際、今日は痛みも薄い」
深く頷き、辺境伯は前を向いた。
その背を見やり、ヒューゴは寂しい気分で尋ねる。
「…痛むんだ?」
世間では、辺境伯は病に倒れたと言われているが、実際は、…寿命だ。
病というなら、人間誰しもが持っている、老いという病と言えた。
限られた命を持つものの、定められた運命。
それは、三年前から、辺境伯の身を蝕んでいた。
そのうえ、北部で無茶をし続けたせいで、辺境伯の身体はボロボロだった。
内臓もどうにか機能しているといったところ。
こうして普通に立って歩いているだけでも、相当苦労しているはずだ。
「痛むなら、薬を処方することもできるし、俺の魔力で」
「何年も前から告げているようにな」
辺境伯は、柔らかいが強い声でヒューゴの言葉を遮った。
「…誤魔化したくはないのだ。痛みを、迫る、死を」
巌のような言葉。
ヒューゴは叱られた気分で、頷いた。
「うん」
彼は頑固で、残酷な人間だ。
手助けを、許してくれない。見守ってくれ、と…願う。
どうにかできる方法を知っているのに、させてもらえないのは、辛い。
だが、ヒューゴが知る方法は、まっとうな人間にとって、邪道にひとしいものだろう。
特にこの、辺境伯のような人間に、処していい方法とも思えず、だから、本人が嫌がる以上、ヒューゴも強硬手段はとれない。
リヒトもこのことを知っていた。それでも診ろ、と言ったのは、辺境伯とヒューゴが話す機会をくれたのだろう。その理由は。
「それにしても、ギデオンの姓を名乗るとはな。誰の判断だね。あの宰相か」
「リヒトだよ」
「ほ、さすが陛下。それなら、妙な勢力争いの種にはなるまいて」
辺境伯はにやりと笑った。
剣聖ギデオン・グラムスはヒューゴの剣の師匠であり、辺境伯の古い友人だ。
その縁があって、ヒューゴと辺境伯は時に手紙のやり取りをしている間柄だった。
ゆえにリヒトは、二人で気兼ねなく話せる時間をくれたのだ。
二人の共通の話題である人物が今どこにいるかと言えば。
「師匠から手紙は来てる?」
「半年前までな」
微妙な言い方だった。頼りは半年前に途絶えた、という言い方を辺境伯はしなかった。
同じことだとはいえ、響きは大きく異なる。
剣聖の姿は、三年前の戦争の中では見えなかった。
彼はその前に、帝国から姿を消したのだ。
こんな老兵がやれることはない、むしろ、やれるだけのことはすべてやった、あとは自分のやりたいことだけをやる、と言い残して。
ギデオンがやってみたいと望んだこと、それは。
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