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幕・204 始末するのは当たり前

「「―――――暗殺っ!?」」 庇い合うように抱き合っていたミランダとレオンは、叫びながら同時に離れた。 そのまま、扉が吹っ飛んでいた皇帝の部屋へ競い合うようにして飛び込む。 「「陛下っ」」 同時に叫び、ミランダはレオンと共に、部屋の中を見渡し、皇帝の姿を捜した。 「ご無、事で」 オリエス皇帝は、果たして、部屋の中央に立っていた。 しかし、格好が少し問題だった。 ―――――半裸である。 何事か、とミランダは硬直。 しかも、皇帝の片手には抜身の剣。 どうやら、風呂上りのようだ。 浴室の扉が開きっぱなしで、そちらから蒸気が零れている。 腰にバスタオルを巻いて、濡れた髪もそのままだ。 そして、もう一方のその手に、何か紙を持っている。 それを見下ろしていた皇帝は、こちらには背を向けたまま、顔だけ振り向いた。 幸い、ぱっと見、身体に傷など見当たらない。 レオンはそのことに安堵したようだが、ミランダは。 唖然となった。 なにせ、半裸の皇帝は、どこからどう見ても。 ―――――立派な、雄だったからだ。 はっきり言って、ミランダは皇帝に、『男』を感じたことはない。 なにせ彼は、あまりに端麗だ。 皇帝としての威厳と華美を備えた衣装に包まれた肉体に、あのうつくしい面立ちがのっているのだ。 国家の象徴としての姿、そして容赦ない冷酷さも相まって、リヒト・オリエスの『生身』を考えたことは、ミランダのみならず、ほとんどの民は、一度もないに違いない。ゆえに。 皇帝が、まさかこれほど、騎士としてふさわしい、きちんと鍛えた男性の肉体を持っているとは、彼女は想像もしなかった。 たちまちのうちに、ミランダの頭に血が上りかける。寸前。 ミランダを目にした皇帝の目が、思い切り冷めたのを見て、すん、といっきに血の気が下がった。 「失礼いたしました」 ミランダは、礼儀正しく一礼。 しずしずと背を向け、そっとレオンの背後に収まる。 これでお互いに、お互いを目にせずすむはず。 室内から廊下を見る形になったミランダの耳に、 「暗殺、では、ない」 そんな苦し気な声が届いた。 「あ?」 印象深いヒューゴの濃紺の瞳が、物騒に光る。 「嘘つけ、だったらなんでさっき、リヒトを攻撃したんだよ」 「…攻撃、されたから、だ!」 頭を踏まれたまま、獣人が、ダンッ、と床を殴った。 「身を守るために戦うのは、当然、だろうが…っ」 そこではじめて、ヒューゴの顔から冷酷さが抜ける。おや、と面食らった表情を浮かべた。 なんだか、想像と状況が違いそうだな、と言った顔で、彼は皇帝を見やる。 ヒューゴの視線に応じ、皇帝が口を開いた。 「浴室から部屋に戻れば見知らぬ相手がいたのでな」 皇帝は冷静にそう宣う。 たちまち、ヒューゴは何かを察した顔になった。 やっちまった、という表情だ。 「始末するのは当たり前だろう」 皇帝は、堂々とした態度。逆に、ヒューゴはものすごく気まずそうな顔になる。 ごめんと口に出して言いはしなかったが、既に顔が言っていた。 「まさか警護が厳しいガードナー城に忍び込むヤツがいるなんて思ってなかったから、室内に結界、張ってなかったんだよね…迂闊なのは俺だけどさあ」 ヒューゴは罪悪感に満ちた目で、足蹴にした獣人を見下ろす。 踏みつけた足を外すタイミングが見当たらないなあ、と困った様子。 「うん、浴室から先にリヒトを出した俺も悪かった…悪かったよ」 ミランダはヒューゴの情けない声は聴かなかったふりで、つつましく目を伏せた。 ただし内心で、呆れかえる。 つまり状況はこうだ。 浴室から皇帝が出たタイミングで、部屋にあの半獣人がいたわけだ。 第一には、半獣人が不法侵入したのが一番悪い。 そのうえ、現時点では、彼の侵入の意図はわからなかった。そこだけは唯一の謎だ。 ひとまず城の警備の見直しを早急に行う作業は必須だろう。 現在に至るまでの流れは説明されるまでもなく、先ほどの皇帝の言葉で理解できた。 見も知らない相手が部屋に忍び込んだ時点で、皇帝にとっては、もう相手は疑わしい。 少しでも逡巡すれば、命を落とす立場にある以上、相手を殺すという即断は、当然のことだ。 この皇帝のことだ、迷いはなかったはず。 そして、半獣人も迷いなく応戦した。そこに。 ヒューゴが出くわしたわけだ。その結果が。 廊下へ無残に散乱された扉の残骸をミランダは眺めやった。 「どうやらそいつは」 ただ一人、何も気にした様子のない皇帝は手にした紙を、ヒューゴに示す。 「これを置いていこうとしたようだな」 「…手紙?」 「というより、報告書のようだ」 ひらりと揺らし、皇帝は黄金の目を細めた。 気のせいだろうか、威圧感が増す。 「ヒューゴはあの薬物の調査を魔塔に依頼していたのか」 「薬物って…あ」 いきなり、鼻先で両手を打ち合わされた猫のような態度で、ヒューゴが目を瞬かせた。 ―――――薬物? ミランダは思わずパッと目を上げる。ヒューゴと目が合った。 病を癒す薬という響きではない。 なにやら、よくない印象を受けたが、いったい。 「先日、皇宮で行われた戦勝の宴でね」 とたん、彼の目が、ちょっと気まずげな笑みを浮かべる。 そのまなざしが一瞬、廊下に散らかった扉の残骸を見やった。 「捕虜が異形化する事件があったんだ。その際、捕虜たちはなんらかの薬物を事前に摂取していたらしくて」 すぐミランダに目を戻し、いたずら小僧めいた申し訳なさそうな笑顔で、ごめんね、と両手を合わせる。 ミランダはすぐさま頷いた。 相手が魔竜なら、許すほかない。 とたん、ヒューゴは複雑そうな顔になる。そんなにすぐ許していいのか、と言いたげ。 だがそれに関しては何も言わず、説明を続けた。 「薬物には、魔塔の魔法使いも絡んでいたんだ」 「では、魔法使いが作成したのですか」 ミランダは単純に考えたが、ヒューゴは首を横に振る。 「残念だけど、そいつらはただ流通に関わっただけみたいでね」 どうやら、すぐに解決する事件ではなかったようだ。ヒューゴは肩を竦める。 「その薬物を包んでいた薬包紙をどの店が扱っているかまでは突き止めたんだけど、そこから先が難しくって、宰相にも相談した結果、魔塔側に全面的に任せてたんだ」 「人間を異形化する薬物、か。…出まわれば厄介だな」 レオンは男らしい眉をひそめた。いずれにせよ。 「ではその方は」 ミランダは未だ踏みつけにされている半獣人を見やった。 「魔塔の使いで、薬物の流通経路も調査結果を報告しに来てくださった、と言うことでしょうか」 …これは気まずい。 「だよね? どうかな?」 ヒューゴは戸惑いながら足元の半獣人を見下ろす。改めて尋ねた。 「君は魔塔の使いなの?」 野生溢れる戦闘中モードとは裏腹に、とても優等生の態度で、ヒューゴ。 いまさらとは思っても、さすがに荒っぽくは出られないらしい。 「違う」 踏みつけられながらも折れることなく強く否定し、半獣人は、直後、強い声で告げた。 「オレの主は、堕天の君だ」

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