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幕・209 北部の神殿
そんな気持ちを振り払うように、リヒトに尋ね返す。
「置いて行けって…ミランダと一緒に向かうところに?」
一瞬、ソラのことかと思ったが、まさか、リヒトがヒューゴの考えを読めるわけがない。
「半獣人をそこに置いて行けって?」
いきなり、突飛もないことを言い出したものだ。
「アレは勝手に、来たのだ。…勝手に帰る、だろう」
それでも一応、報告を持ってきてくれたのだ。
話が通じなかったから牢に放り込んでいるものの、本来はお疲れ様でしたと労う必要がある相手である。
「さらにこき使うつもりの俺も俺だけど、リヒトもどうなの」
教育を間違えたかな、と悩む間にも、ヒューゴの指はしっかり動き、リヒトの尻を揉んでいた。
なるほど、これではリヒトの性格に多少問題が発生するのも無理はない。
動きを止めないヒューゴの手指に頬を上気させながら、リヒトはさらに言葉を続ける。
「ヒューゴが、行くつもり、なら…仕方がない、から。そこには、ついでに…立ち寄ってやる」
「ん?」
話が読めない。
ヒューゴの顔に、疑問が浮かんだのも無理はなかった。
リヒトの物言いでは、まるで、リヒト自身がそこへ向かうようだったからだ。
果たして、リヒトはきっぱりと告げた。
「寄り道を済ませたらすぐ、…神殿へ、向かうぞ」
「…いつそんな話に」
言いながらも、これが決定事項であることは、理解する。
先ほどの騒動で面倒をかけたばかりだというのに、ジョシュアにはまた苦労をかけることになりそうだ。
リヒトの決定に色々と段取りを組むのはジョシュアと彼の部下たちであり、動くのはウォルターたち騎士だ。
先ほど、暗殺騒動の後、何事もなかったで済ませる方法もあったが、リヒトはそれを選択しなかった。
レオンに信頼できる北部の人間に協力を仰ぐよう告げ、
「今夜、ガードナー城から明かりを絶やすな」
と命じた。
つまり、何事か重大事が起きましたよ、という演出をしろと言ったわけだ。
もっと言えば、皇帝の暗殺を企んだ相手に対する演出だ。
この室内こそ静かだが、外の警備は厳重になり、誰かを捜すようにあわただしく兵士が行き来していることだろう。
そこはかとなく、皇帝の生死に関しては不明である旨の噂を流している。
呪詛を神聖力で消滅させた以上、リヒトの生存は知られているかもしれないが、呪詛を侍女に仕込んだ相手とて、すべてを見知っているわけではあるまい。
ヒューゴたちが呪詛を通して、それを送った相手を知ることができないのと同様だ。
呪詛を仕込まれていた侍女が正気に戻り、牢に入れられている以上、敵にも状況の詳細は伝わらない。
ちなみに、侍女の処遇は、死刑にこそならないものの、国外への追放という重い罰が与えられそうだ。
(皇帝に刃を向けたのは、彼女の意思じゃないにしたって、…向けた事実がある以上)
かわいそうだが、厳しくならざるを得ない。
「まあ抜き打ち訪問はいい考えかもね」
今この時点において、ヒューゴ以外の誰にも事前通達されていないなら、城内に神殿と内通している者がいたとしても、すぐには知らせようもないだろう。
問題は、対応を頼む者たちに迷惑をかける点だけだ。
なんにしろ、北部の神殿には近いうち、出向かねばならなかった。
薬物について調査していたサイファの報告に、北部の神殿が怪しいとあったのだ。
―――――北部の神殿が、皇宮の騒動の元になった薬物を製造している。
魔塔の情報網とサイファ率いる半人半獣の組織が手を組み、薬物のルートは調べられたわけだが、北部の神殿が怪しいというところまで探れたものの、詳細にまで踏み込めずに調査は終わっている。
しかも皇都の神殿にも探りを入れたようだが、中央の神殿自体が、北部の神殿とはほとんど情報の共有をしていないそうだ。
予算の割り当ても微々たるもので、見捨てられたも同然の場所。
結果、『北部の神殿』事情は謎という結論が出る。
ならばもう現地に行って調べるほかない。
ここまで確認したのだから、ちょうど北部にいるそちらで、あとはやってくれということだろう。
ただそれだけなら急いで使いを送る必要はなかった。
書面には、あともうひとつ、重要な情報がしたためられていた。
―――――キリアン・デズモンド。皇宮に呪詛を降らせたはぐれの魔法使い。
ヤツが、北部にいるという情報だ。
ヒューゴたちには、キリアンの首根っこを、一度、とらえる必要があった。
できれば問答無用で殺したいが、そうはいかない事情がある。
はぐれの魔法使い・キリアンの行動に、ヒューゴたちは、あることを揃って思い出したからだ。
かつて、地獄を呼び寄せた者。
戦場で皆が見た。地獄の軍団を。
―――――我が帝国が併呑した北の領土。
ヴァレシュ神国。
最後の親王、レアンドロ。
レアンドロが召喚したのは、地獄の軍勢だが。キリアンがやろうとしたのも、似たことだと感じる。
これはただの偶然だろうか?
そして、北部の神殿にはもう一つ、疑わしい点がある。
北部の神殿のことを聴くなり、どんどん表情を暗くしていたミランダが、苦い表情で、自ら重い口を開いてくれたのだ。
「町中に、ライモンドがいました。…神官と一緒に」
ヒューゴは、いったい誰のことだ、と思ったが。
「ライモンドとは、親王レアンドロの甥、で間違いないか」
リヒトが淡々と確認する声に、あ、と思い出す。
では、ミランダにとっては従兄弟だ。
「生きていたのか」
レオンが鋭い声で言った。
「ええ、今日の帰りに見かけたわ」
ジョシュアとウォルターが彼女を一瞥。
ミランダは乾いた微笑みを浮かべ、潔い態度で深く頭を下げる。
「わたくしは、すぐに、彼のことを騎士に伝えることができませんでした。申し訳、ありません」
他がどう思ったかはわからないが。
ヒューゴは、これはとても彼女らしい、と思った。
理性一辺倒では現実を割り切れない、情に満ちた女の子。それが、ミランダだ。
ヴァレシュ神国の王族の生き残りを、つまり彼女は見逃した、と告げたわけだが、ヒューゴはそれを咎める気にはなれなかった。
ミランダはガードナー家に後見人になってもらえたが、ライモンドがどういう扱いになるかはわからない。
なにせ、直系の男子である。
最悪、斬首だろう。
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