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幕・214 足る、自信の所在
「ぁ、んっ!」
リヒトが肩を竦めた。
大きな衝撃を堪えるように、小さくなる。
表情は、どこか悔しげで、それでいて泣き出す寸前と言った様子。尊大な皇帝陛下が、まるで虐められているような姿だ。
そんなだと―――――もっとしたくなるのが悪魔というもので。
つい、穴を刺激するように、ぐりぐり押し付ければ、二度、三度、とリヒトの身体が跳ねた。
「ん、んぅ…っ、理、由は…ぁ」
それでも、やめろと言わず、懸命に答えようとする姿が、健気で、もっと見たいと思う。
「ひとつ、ではないか、ら…何から話せば、いいか…そう、一番の、理由は」
うわ言めいた口調で、リヒトが言葉を紡ぐ合間に、
「―――――…くっ、ぅ」
腹の上に押し付けられた彼の性器が、絶叫するように痙攣した。
服の中で射精したのだ。
リヒトは一度、動きを止める。
その合間にも、布越しにヒューゴは入り口を悪戯に突いていた。
リヒトが自身で腰を振り出したのは、すぐだ。
たまりかねたような動きで、リヒトは腰を蠢かし、陰茎をヒューゴの腹に擦り付ける。
「いつ、だったか…―――――母上が、教えてくださったのだ」
息を乱しながら、快楽に朦朧とした表情のリヒトが、伸ばした指先で、ヒューゴの額にかかった前髪をかき上げた。
「僕が赤子の頃、地獄へ落された、こと」
ヒューゴはゆっくりと目を瞠った。
「そのとき…僕を助けてくれたのが、…悪魔だったこと」
ヒューゴにとっては、意外な話だ。
リヒトの母親にとって、ヒューゴはあまりいい印象はなかったろうと思っているから。
なにせ、ヒューゴは悪魔だ。
醜い悪魔の腕に、自身の子供が抱かれ、喜ぶ親がいるだろうか。
それに。
リヒトの母と対面した、あのとき。
―――――その子は、私の子よ!
巨大な悪魔が恐ろしかったろうに、彼女は怯えひとつなく、敢然とヒューゴへ両腕を差し伸べた。
子供を返してくれ、と。
悪魔が、神聖力を持つ赤子を助けるなど、想像の範疇外だったはずだ。
悪魔に我が子が奪われる、殺されると思ったのは、自然な考えで、彼女を責めることは誰にもできない。
彼女の目は、敵意と戦意に満ちていた。
立ち向かおうとしていた。
魔竜に対して、ちっぽけな人間の女一人が。
彼女は、勇敢であると同時に、母親としての愛情を強く持っていたに違いない。
感心すると同時に、ヒューゴは安心した。
彼女の腕の中にいるなら、この赤子はもう安全だろう、と。
ゆえにヒューゴは素直に、彼女へ赤子を渡したのだ。ただ。
ヒューゴの腕に触れないよう、赤子を取り返したその時、彼女は初めて、ヒューゴの醜い腕に目を止めた。神聖力に焼かれた、悪魔の腕を。とたん。
何に気付いたか、驚いたような目でヒューゴを見上げ。
―――――あなた、まさか。
困惑と理解がない交ぜになったような表情で、呟いた。
―――――…この子を、助けてくれたの。
彼女は、信じられなかったに違いない。
悪魔が神聖力を持った赤子を助けるなど。
それが正しい。実際、悪魔として、ヒューゴの行動は、おかしいのだ。
だが、ヒューゴが何かを言う寸前。
―――――お下がりください、皇妃さま!
そばにいた一人の騎士が彼女の前へ立ち塞がり、同時に、地獄とつながる扉が容赦なく閉じられた。
だから、彼女自身、確信は持てなかったに違いない。
悪魔が、彼女の子を救った、とは。なのに。
「悪魔がリヒトを助けたって、…言ったの? お母さんが?」
お母さん、という言い方に、一時、リヒトは違和感を覚えた顔になった。
すぐ、気が抜けたように息を吐き出し、少し呆れた表情で静かに笑う。
「ふ…っ、ああ、そう…、お母さんが、な…言った、のだ」
ヒューゴの目を、リヒトは愛しげに覗き込んだ。
「その悪魔は、穏やかな夜空を思わせる、濃紺の瞳をしていた、と」
薄闇の中でも、ヒューゴの瞳はうつくしい。
生まれ落ちた時から、今まで。ヒューゴは、成長や戦いの勝利に伴って、何回も姿が変わった。
その中でも、唯一変わらなかった外見的特徴。それが。
―――――この、瞳。
「本当に? 最初から、そう、言ったの?」
「い、や」
ヒューゴが見惚れる動きで、ふるり、背を撓らせたリヒトは、快楽に肌を震わせながら、首を横に振る。
「最初は、…違った。知り合いの、魔法使いが、…地獄まで、僕を迎えに行った、と、言っていたの、だが」
子供ながらも違和感を覚えた、とリヒトは言った。
地獄へ行き、お荷物を抱えて無事戻ることができるほど力ある魔法使いとの縁など、権力の淵でもがく母にも、彼女の一族にも、持てるはずがなかったのだ。
「だから、問い詰めたのだ。…本当は何が起きたのか、と」
リヒトが赤子の時、地獄へ落とした、また落とされたいか―――――。
そう言って、幼いリヒトに揺さぶりをかけたのは、当時の政敵だった大臣だ。
無論、リヒト側に、敵対視されるだけの力などなかったが、直系の皇子が持つ高い神聖力は、どうにも目障りだったようだ。
その時になって、記憶にもない幼い頃起きたことを、リヒトは知ることになった。
なぜ、自分が生きて戻ったのか。
不思議に思った子供が、母親に尋ねるのは、当たり前の話だったろう。
一度、起こった出来事を口に出して語れば、彼女は確信を持ったようで、子供に何度も繰り返し同じ話を聞かせた。
―――――地獄へ続く扉が閉ざされようとした刹那、悪魔が、その身を神聖力に焼かれるのも構わず、落とされた赤子を連れ帰ったのだ、と。
「…え、だったら」
リヒトの母が、最初から起こったことを素直に話はしなかった。
それを知ることで、はじめて、ヒューゴはリヒトの話を信じることができた気がする。
呆然と、ヒューゴ。
「リヒトは最初から、…知ってたのか?」
「最初、というのは、いつだ?」
わざとらしく言えば、素直にヒューゴは言い淀む。
リヒトはすぐ、わかっているさ、と肩を竦めた。
「再会した、時の…ことだろう」
リヒトがヒューゴに初めて会ったのは赤子の時だが、そんなときのことを人間が記憶できるわけもない。
「知っていたわけがない。理解しただけだ。ヒューゴが、母の言った、悪魔だと」
ヒューゴを見下ろしながら、リヒトはどこか、勝ち誇ったような顔をする。
「自身の傷を顧みず、助けてくれた命の恩人を、信じないわけがない」
言い切ったリヒトを、ヒューゴはぽかんと見上げた。
(まさか、そんな理由で)
確かに、リヒトが言うのは、事実だ。事実、だが。
ヒューゴには今一つ素直に呑み込めなかった。
彼はやりたいことをやっただけであり、そう大したことではないと思って…要するに、他に認められるような行いである自信がなかったのだ。
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