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第3話
石の人 三
ジョナサン・セントベルは、息子のために新しい商売道具を整えていた。セントベルは、教皇庁の援助を受ける、由緒正しき魔狩人の家系だ。魔を狩る――文字通り、人に仇なす魔物の討伐を生業としている。
息子のイーサンは、明後日で十八歳になる。セントベル家に名を連ねる子供は、十八歳を迎えると正式に魔狩人としての仕事を受け始める。ジョナサンは息子が誕生日を迎えたその日に、魔物を狩る武器を与えようと決めていた。
イーサンは魔狩人として、大変に優秀な子供だ。どんな厳しい訓練にも耐え、知識と技術を確実に身に着けていた。ジョナサンは息子をこの世の何よりも愛していた。虫も殺せないほど優しいイーサンが、魔物を滅ぼすために戦わなければならないのは、父親として辛かった。
セントベルの家は、古くから魔物と戦うために存在を許されていた。錬金術、医術、薬学、そして魔工学――セントベルが得意とする技術は、本来ならば世間に好ましくないとされてきた学問だ。ジョナサンの時代では許容されているが、祖先は異端審問を逃れる代わりに、技術提供を余儀なくされた。毒を以て毒を制す、異端を以て異端を殺す。そのようにして発展し、幾重にも分家が派生してきた家なのだから、今更我が息子だけは見逃してくれとは、とても言えなかった。
魔工学は魔法と工学を合わせた技術だ。ある道具に魔術式を組み合わせることで、威力や効果を高めたり、別の効果を生み出したりする。教会が管理する以前は、戦争の武器として使われた過去もある。ジョナサンは天才的な魔工技師でもあった。昼夜を通して息子のために作っている武器も、魔工技術の粋を極めた銃剣だった。
「よし……」
ジョナサンは銃剣の刀身を磨き、最後の仕上げを終えた。柄頭には、セントベルの家紋である、黄金の鐘が細工してあった。
息子の命を守る、大切な武器だ。できればそのように使われてほしい。ジョナサンは家紋に額を当て、父親として精一杯の祈りを込めた。
「誕生日おめでとう、イーサン」
「おめでとう。明日からいよいよお仕事ね」
イーサンは両親に祝福され、誕生日ケーキのろうそくを吹き消した。
「ありがとうございます、お父さん、お母さん。今までの訓練と勉強を生かして、しっかり励みますよ」
お母さんは「まあ」と笑って、ケーキを均等に切り分けた。お父さんは夜なべして作った武器の包みを取り出してきた。
「イーサン、お前専用の新しい銃剣だ。訓練用の物より軽いぞ。それに、お前の魔力の質に合わせて、術式を工夫してある」
「お父さん……」イーサンは包みを受け取り、丁寧に開いた。「ありがとうございます」
「うむ」
イーサンは銃剣を手に取った。質の良いなめし革が巻かれたグリップ、柄頭には黄金の鐘を象徴とした家紋の細工。刀身は精霊銀で作られ、グリップを握って魔力を通すと、内側に仕込まれた魔術回路が術式の形を刻み、淡く光る。銃剣はイーサンの手にしっくりと収まり、魔力を流しても引っかかりや違和感を感じるところがなかった。
「さすがお父さん、完璧な仕事ですね」
イーサンは銃剣を顔の前にかざし、うっとりと感嘆した。父が自分のために、素晴らしい物を作ってくれたことが嬉しかった。
翌日、イーサンと父ジョナサン、その他セントベル家の魔狩人たちは、教会から「吸血鬼が潜んでいる」と情報提供された村へ出かけた。
訓練用のホムンクルスやゴーレムとの戦いには慣れているが、もし本当に吸血鬼が潜んでいるならば、イーサンにとって初めての実戦だった。
「イーサン、何度も言ったが、もう一度だけ言っておくぞ。吸血鬼というのは、既に死んでいる人間なのだ」お父さんは景色を眺めるイーサンの横顔に向かって言った。
「はい、心得ています」イーサンは窓の外から父親へ視線を移した。
「うむ。だがお前はまだ、吸血鬼がどういったものか見たことがないだろう。いいか、どんなに哀れに見えようとも、死んだ人間が、主である神の奇跡以外で蘇ってはならん。仮初の命を賄うため、生者の血を啜り、命を奪う。それは邪法なのだ」
イーサンが真剣に頷くのを確かめ、お父さんは一呼吸した。
「おじいちゃんが生きていたら良かったと、思ったこともあるだろう」
「……はい」
「おじいちゃんが生き返ったとしても、人殺しになっていたとしたら、お前はどう思う」
イーサンは一年前に亡くなった祖父を思い出し、激しく首を振った。絶対に嫌だという意思表明だ。
「そう、吸血鬼はもはや、生前の人とはかけ離れた存在になっているのだ。死んだ者は、この世を闊歩するのではなく、天の御国で永遠の命に入るべきだ。それが死者自身のためでもある。わかったな」
「わかりました」
「うむ。すまなかったな、大好きだったおじいちゃんを引き合いに出して。おじいちゃんは大丈夫だ、今は安らかに眠り、やがてお前と共に永遠の国にいるのだからな」
「はい、大丈夫です」イーサンは鼻にハンカチをあて、すすった。
おじいちゃんは優しかった。周りにいる人々は、生きている人も既に亡くなった人もみな、イーサンを心から慈しんでくれた。善良な人々が死後蘇り、人を傷つけるようになるなんて、信じられなかった。
イーサンは必ず人を守り、死者を開放しようと心を改めた。
問題の村に着くと、イーサンたちは教会に案内された。
「寝泊りは公会堂に用意してありますから」司祭は村の事情などを説明しながら、墓地へと導いた。
「この墓です」
イーサンは顔をしかめた。土が掘り起こされ、棺桶が無くなっている。墓石の碑銘には『ヘティー・カウリー』と書かれていた。若干十四歳で世を去った少女のようだ。
「ヘティー嬢は、牛飼いマーカス・カウリー氏の次女でした。ひと月ほど前でしょうか、夜中に農場を彷徨っている奇行をカウリー氏が見つけ、連れ戻したのですが、ヘティー嬢の首には何かに噛まれた傷がありました」司祭は額と胸の間に十字を切った。
「医師にも見せましたが、貧血だということしかわからず、それから、数日と経たないうちに、ヘティー嬢は天に召されました。いえ、召されたはずだったのですが、棺桶がこの通り、忽然と姿を消してしまったのです」
「ふむ……」
お父さんは墓の周囲を一周した。魔術的な痕跡が残っていないか、調べるためだ。
「見たところ、悪しき魔術の痕跡はない。掘り出したのは人間だろう」
イーサンと他の魔狩人たちも調べたが、結果は同様だった。
「被害にあったのは家畜だけとのことだが」
魔狩人の問いに、司祭は頷いた。
「ええ。カウリー氏の牛、それと近隣の農家で飼っている豚や鶏などが、ひと月の間に血を吸われて死んでいました」
「まずカウリー氏の家へ案内してもらいたい。父親が娘の遺体を隠している可能性も、無いとは言い切れん」魔狩人の一人が言った。彼は父方の叔父にあたる人物で、お父さん以上に冷静な考え方をする男だった。
「はい」
一行は教会を出て、司祭の案内でマーカス・カウリーの農場へ向かった。
「ああ、神父様」カウリー氏は外で作業をしていたのか、額の汗をタオルで拭った。
「カウリーさん、この方々は街から来られた魔狩人です」
「まかりうど……あの、娘を見つけてくださるんでしょうか。あの子を墓に返してやりたいんです。一体誰が、どこへやってしまったのか」
カウリー氏は心から悲しみ、願っているように見えた。セントベルの魔狩人たちは、父親が吸血鬼として蘇った娘の墓を掘り起こし、匿っているのではないかという意見を飲みこんだ。
「掘り出したのが人間だということしか、今のところはわかっていません。怪しい人物に心当たりは」イーサンより五つほど歳上の魔狩人が質問した。彼女は母方の従姉で、隣に立っている魔狩人の男性と、来年結婚する予定だ。
「わしには何も思い当たりやしません。ここは狭い村ですから、怪しいやつがいたらすぐ噂になっちまう」
「そうですね、怪しい人物はいないはずです」司祭も頷いた。
「カウリーさん、失礼ですが住居を調べさせてもらっても構いませんか。手がかりが見つかるかもしれませんので」
「どうぞ、しかしうちの中にも、牛舎にだって何もありやしませんよ。うちの牛はすっかり殺されてしまって、これじゃ、生活になりません」カウリー氏はタオルを肩にかけて、うなだれた。
魔狩人たちは、手分けしてカウリー宅を調べた。棺はどこにもなく、隠せるような場所もないようだった。
牛がいなくなり、閑散とした牛舎の干し草をかき分けながら、イーサンは不気味な予感を感じていた。何故カウリー氏の家が重点的に狙われるのか。人を襲うはずの吸血鬼が、家畜しか狙わないのは何故か。見落としている点があるのではないか――
「イーサン」
考えに没頭していると、お父さんの呼ぶ声が聞こえた。イーサンは胸騒ぎがして牛舎を飛び出した。
「カウリーさんを見なかったか」
「いいえ、見ていません」
「神父様は」
「いいえ」
他の魔狩人たちも「見ていない」と答えた。お父さんは苛立った様子で頭を掻いた。
「予想が当たっているかもしれん。カウリーは危険だ」
お父さんは仲間に、武装するよう指示を出した。イーサンも、いつ何が襲ってきてもいいように鞘から銃剣を抜いた。
「手分けして近辺を探すんだ。いつも通り、連絡は言霊の珠でとる。イーサンはわしと来い」
お父さんはカウリー宅へ入って行く。イーサンはすかさず父の背を追った。
「ここはもう調べたのでは」
「イーサン、何か感じないか。お前の意見を聞きたい」
イーサンは部屋の中を見渡した。使いこまれた家具、最低限の食器。装飾の類はあまり無い。カウリー氏は慎ましい生活をしているのだろう。
「あまり広くない家ですね」
「だが、違和感がある」
「はい。物が少なすぎます。清掃用具、それに季節外れの服がどこにもありません」
慎重に調べ直すと、テーブルの下の敷物は、最近どかされた跡があった。イーサンとお父さんは協力し、テーブルと敷物をどかした。
「見つけたぞ、地下室の扉だ。みな、こちらへ戻ってきてくれ。わしら親子は先に行く」お父さんは言霊の珠に向かって話しかけた。言霊の珠は、同じ物を持つ相手に、たとえ離れていても声を届ける魔導具だ。
イーサンは地下室の扉を引き上げた。薄暗い中、はしごがかかっている。
「イーサン、わしの後からついて来い。警戒は怠るなよ」
「はい」
お父さんは先に降りて行った。イーサンは簡易照明の光球を腰に着けて、後に続いて行く。
「神父様」お父さんの声が聞こえた。地下室の地面に、司祭が倒れているのが見えた。
「息はある。気絶しているだけのようだ」
簡易照明で地下室の奥まで照らすと、棺の前に人がしゃがみ込んでいた。子供のようだ。しゃがみこんだ小さな人影の足元に、誰かが倒れている。イーサンは靴の形で、倒れている人物がマーカス・カウリーだと気がついた。
「カウリーさん」イーサンは声をかけた。しかし、カウリー氏はピクリとも動かない。
代わりに、すすり泣くような声が聞こえた。イーサンは一歩、人影に近づいた。
「イーサン、気を付けろ」お父さんは司祭を介抱している。
大したことはなかったのか、司祭はうめき声を上げて気がついたようだ。
「おお……」司祭は腰を起こして、人影を見た。「ヘティー」
人影はこちらへゆっくりと振り向いた。照明に青白い顔と長い髪が照らされる。赤い双眼は怪しく光り、口元はベットリと赤黒いもので染まっていた。
マーカス・カウリーは仰向けになり、目を見開いている。死んでいるのは明らかだった。イーサンは銃剣を少女に向けた。
「とうさん」怪物になった少女は、ゆらりと、一歩こちらに近づいてきた。「あたし……」少女は腕を伸ばした。
「イーサン、やれ」
イーサンは銃剣に魔力を込めようとした。しかし、集中できない。少女はゆっくりと迫ってくる。冷たい腕が、今にも届きそうだ。
「イーサン」お父さんが叫んでいる。
「ごめんなさい、あたし、とうさんを」指が触れる、その瞬間――
イーサンは、少女の胸を貫いていた。
肩で息をする。吸血鬼は死人だ、生理反応がないのだから、返り血はほとんど出ない。司祭はひたすら祈りを捧げていたが、後から来た魔狩人に連れられて地下室を出て行った。
イーサンは額の汗を拭った。
「……よくやった」お父さんはイーサンの肩を軽く叩き、転がった二つの死体に向かった。蘇らないように、処理するためだ。
眼の前がグルグルしていた。拭っても、冷たい嫌な汗が再び噴き出してくる。イーサンは銃剣を握りしめたまま、立ち尽くしていた。
「おい、イーサン、しっかりするんだ。まだ仕事は終わっていないぞ」
「は、はい」
叔父たちに叱咤され、イーサンは我に返った。
「よく見ておくことだ。吸血鬼は復活する。お前は吸血鬼にとどめを刺したと思っているのだろう」お父さんは、うつ伏せに倒れている少女死体を仰向けにし、マーカス・カウリーと並べた。「だが、まだ滅ぼしてはいない。銀の矢を打ち込み、白木の杭で胸を貫き、頭を潰したとして。人の生き血さえあれば、たとえ、灰の一掴みからも蘇るのだ」
魔狩人たちは二人の胸に、祝別された杭を打ち込んだ。吸血鬼に血を吸われて死んだ者は、ほとんどが吸血鬼として蘇るからだ。その証拠に、マーカスは恐ろしい叫び声を上げ、娘のヘティーと共に灰になった。
「イーサンよ、吸血鬼の灰を浄化するには、封印を施し、ある程度の月日、祈りの下に置かなければならないのだ。ヘティー・カウリーは力の弱い従属ヴァンパイアだったろうが、もし真祖に近い吸血鬼であれば、浄化にはかなりの時間がかかる」魔狩人たちはヘティーとマーカスの名を呼び、十字を切った。「清き祈りのみが、彼らを安らかな眠りに戻し、天国へと導く」
イーサンは父たちに倣って、二人のために祈った。
初めての仕事を終え、家に戻ったイーサンは、部屋に鍵をかけてベッドに倒れ込んだ。精神的に酷く疲れていた。お父さんからも、仲間からも褒められ、お母さんは温かい食事を作って待っていてくれた。しかし、イーサンは少女ヘティーの悲しい声が忘れられなかった。
すがるようにして掴んだのは、いつも枕元に置いてあるお気に入りの本『石の人』だった。イーサンは本をめくり、チャールズ・クラウチの著者近影を眺めた。石膏のように白い肌。血のように赤い瞳。表情の無い顔。品のいい礼服と、禁欲的な黒い手袋。チャールズ・クラウチは、まるで吸血鬼のようだった。
イーサンは枕に顔を埋め、両親に聞こえないよう、静かに自慰に耽った。十三歳の頃からそうしてきた。辛いことがあれば誰にも話さず、空想の中のチャールズ・クラウチを愛し、愛され、命を注いだ。チャールズ・クラウチは人殺しの化け物なんかではない。ぎこちなくとも、笑っていたのだから。情熱的に語り、握手を交わしたのだから。
ひとしきり身を震わせた後、イーサンは後始末をした。大丈夫だ。戦える。愛する人たちを守るのだ。とりわけ、チャールズ・クラウチの生きる世界を――守るのだ。
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