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番外二 温かい食事を
温かい食事を
「クラウチさん、休憩して食事にしませんか」
チャールズ・クラウチは覗いていたルーペから顔を上げた。隣で恋人のイーサンが、椅子の背を抱えて座っている。
「まだいいよ」
「だめです。そう言って、前に食事してから三日も経ってるじゃないですか」イーサンはチャールズからルーペを取り上げた。
「人工血液を摂取してる」
「だめですよ、栄養が足りてません」
ルーペを取り返そうと伸ばした手は、イーサンが立ちあがってしまうと全く届かなかった。イーサンは背が高い。チャールズがいくらヒールの高い靴を履いていても、肩に目線が行くほどだった。
「わかった。あんたの頑固さには根負けするよ」
「クラウチさんの健康のためなんですから、頑固にもなります」
イーサンはチャールズの背中をそっと押して、ベッドに座らせた。
「襟のない服を着ていてよかったです」
「やれやれ。得意気に言うことかよ」少し屈んだ恋人の首すじに、チャールズは口をつけた。
「クラウチさん、いいにおい」
「もう、やりづらいだろ。食材がしゃべるな」
「食材ですかぁ、ふうん。じゃあ食材に感謝して、いただきますを言ってくださいね」
「……いただきます」
何故か嬉しそうなイーサンに戸惑いながら、舌で血管を探り、痛み止めの唾液を塗りこめていく。
「注射の消毒みたいですね」イーサンがしゃべるたび、喉骨が揺れる。とてもやりづらい。
「なあ、十秒でいいから口を閉じといてくれないか。鼻歌も禁止だぜ」
「わかりました。黙ってます」
イーサンはお座りした犬みたいに、大人しくなった。傾けた太い首の血管に、チャールズは鋭い牙を沈みこませていく。ほんの少し傷つけるだけで良かった。いつも一口飲むだけなのだから。
「ふ……ん」イーサンは鼻から息を洩らした。まだ十秒も経っていなかった。
チャールズは止血のため、二つの小さな穴に舌を這わせている。吸血鬼の唾液は獲物の痛みを和らげ、傷口を凝固させる。血を吸うよりも、傷を舐める時間のほうが長かった。イーサンを傷つけたくなかったので。
「クラウチさん、もうちょっと吸わないんですか」
「もういいよ。俺は燃費がいいんだ」
「ねえ、もうちょっと吸いましょうよ。ねえ」
体重をかけられ、耳元で囁かれると、どうにも断りづらい。チャールズはイーサンの背中をぽんぽん叩いた。
「わかったから、重い。じゃあもうあと一口もらうから」
「どうぞ召し上がれ」
止血した噛み傷に再び牙を立て、溢れてくる血を飲みこむ。イーサンの血は動物的な臭みがあって、あまりおいしくはない。肉食やアルコールが多いためだろう。もっとおいしい血の持ち主はごまんといるに違いないが、チャールズはイーサン以外の血を飲みたいと考えたことはなかった。
「クラウチさん……」イーサンの声色は湿っている。どこか切羽詰まったような、甘美な響きがあった。
「クラウチさん、気持ちいい」
チャールズは止血を終えて、イーサンの胸を押しのけた。イーサンはとろりとした眼差しでチャールズを見つめている。
「おしまいですか」
「おしまいだ。ごちそうさま」
イーサンは座ったままの姿勢で、だらりとベッドの上に転がった。
「吸血鬼に血を吸われて、気持ちいいって、俺、変ですか」
「変じゃないよ。俺が人として殺された時は、気持ち良さより恐怖のほうが強かったけどな。吸血鬼は獲物を逃がさないようにしなきゃならない」そういうものなんだと、チャールズはため息交じりに付け加えた。
「ねえ、クラウチさん。そういうもの、だけじゃないです。クラウチさんじゃなかったら嫌ですから」
「誰が他のやつに吸わせるかよ」
イーサンはまだふわふわしながら、首だけ起こしてチャールズの赤い目を見ようとした。チャールズはいつものように、眉間に皺を寄せ、唇を結んでいた。怒りではなく、恐怖を感じた時にする表情だった。
「クラウチさん、食事のあとって眠たくならないですか」
「別に」
「ちょっとだけ昼寝しましょうよ、十分間だけ。目を閉じてるだけでいいですから」
イーサンはチャールズの袖口を軽く引っ張った。
「しょうがないな」チャールズは靴を脱いで、イーサンの側に寝転んだ。
「クラウチさん、冷たくて気持ちいい」
イーサンは熱くて、少し生臭い。チャールズは身を捩って背中を向けた。うなじに温い息がかかって、気持ち悪かった。生きている人間のにおいがした。
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