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番外三 サイレンは夢のふちで
サイレンは夢のふちで
十三歳のイーサンは夢を見ていた。
チャールズ・クラウチが横を向いて立っている。ぽつり。雫が礼服の肩に落ちる。
ぽつぽつと雨が降って、チャールズの美しい服に染みを作っていく。チャールズは目を閉じて上を向いた。口を開けて、雨の粒を舌先に受けていた。
雨が涙のようにチャールズの頬を伝って、首すじを流れていく。チャールズは雨粒を口の中いっぱいに溜め、飲みこんだ。イーサンは手を伸ばした。早く彼の服を脱がさなければ。風邪をひいてしまうから。イーサンはチャールズの肘を掴んだ。チャールズは張りついた前髪を払って、こちらを見た。
濡れた赤い目と、視線がぶつかる。眉をひそめて注視する深い瞳。イーサンはチャールズと見つめ合った。体が固まって、動かない。イーサン自身も雨に濡れながら、見つめ合うしかなかった。
イーサンは目を覚まして、ぼんやりした気持ちでトイレに向かった。肌着を下ろすと、中がベットリとした粘液で濡れている。明らかに尿ではなかった。
ああ、そうか――イーサンはまだ覚めない頭で納得した。精通を迎えたことに驚きはなかった。学校の授業で、人間も繁殖して子孫を残すために、男性は精液が出るようになるのは知っていたし、お父さんにも聞いていたので。
ただ、お母さんに知られるのは恥ずかしかった。イーサンは汚れた肌着を紙袋に入れ、くしゃくしゃに丸めた。特にいつもと変わらない様子で両親と朝食を食べ、学校へ行く途中にある公園のゴミ箱に紙袋を捨てた。
イーサンは友達にも言わず、何気なく過ごした。学校から帰ってかばんを置き、両親が出かけていることを確かめてから、部屋に鍵をかけた。窓を閉めて、カーテンも引いた。
イーサンは一人になって初めて、とても不安になり、叫び出したい気持ちになった。けれど声は出さなかった。『石の人』を開き、薄暗い部屋でチャールズ・クラウチの写真を見た。
チャールズは相変わらず、眉間に皺を寄せた陰気な目を向けてくる。イーサンは夢の中のチャールズを想った。舌を突き出し、雨を味わう姿を写真と重ねた。イーサンはベッドの上に本を置いて、床に座った。下着と服を汚さないようにずり下げて、筋が浮くほど膨れた陰茎にティッシュを添えた。
万が一にも気づかれないよう、じっと声を殺し、控えめに陰茎をこすった。控えめな方が興奮した。彼なら繊細な指で優しく導いてくれるのだ、きっと。
唾を飲みこみ、写真と見つめ合った。薄い唇をじっと見つめた。「どうしてこんなことをさせるんだ」と、訴えているような気がした。紙みたいに薄っぺらい唇を舐めまわしたくなった。チャールズにどうしてもわかってほしかった。許してほしかった。自分がどんどん子供ではなくなっていくことを。
イーサンは手を念入りに洗った。それから部屋の窓を開けて、空気を入れ替えた。臭いが篭っている気がしたので。
一週間くらいしてようやく、体に変化があったことをお父さんに話した。お父さんは深く追求せず「そうか」と何度も頷いた。イーサンはそれで安心した。
イーサンのクラスメートは、子供同士の恋愛事情に盛り上がっていた。あの娘がかわいい、あの先輩がかっこいい、クラスに付き合ってる二人がいる――イーサンは友達と適当に話を合わせた。チャールズ・クラウチの話は誰にもできなかった。会ったこともない本の作者、それも大人に関心があるなんて変だと言われるのは嫌だったし、恋なのかどうかもわからなかった。
いっそ、出版社宛てにファンレターを送ろうかとも考えたが、他人に気持ちを気づかれたら、恥ずかしくて生きていけないので思いとどまった。
結局、自分の胸に夢の光景をしまい込むことにした。
イーサンの心の表にはたくさんの椅子があって、家族や友達がそれぞれ座っている。チャールズ・クラウチの椅子だけは、そこになかった。イーサンは心の奥に小さな部屋を作り、チャールズの椅子を閉じ込めた。誰かに開けられないよう、しっかりと鍵をかけて。
イーサンはチャールズにのめり込んでいく自分が、わけもなく怖かった。
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