17 / 31
番外九 見惚れて見惚れられて
見惚れて見惚れられて
晴れた日の朝、イーサンは珍しいことに早くから起き出して、下宿の庭へ出た。最近食べ過ぎているので、日課よりたくさん運動をするつもりだった。
程よく汗をかいた頃、ふと勝手口のほうを見ると、チャールズが戸にもたれかかって腕を組んでいた。
「おや、クラウチさん。おはようございます。いつからそこにいたんですか」
「あんたが運動をはじめた時からさ」
「相変わらず気配を消すのがうまいですね。ちっとも気が付きませんでしたよ」イーサンは微笑みながら、タオルで首に流れてきた汗を拭った。
「いいんだよ。あんたを黙って観察したかったんだから」
「へえ。見守ってくれてたんですね」
「見惚れてたんだよ」
チャールズは戸口から離れて、だらだらと歩いてくる。億劫そうな動きとは裏腹に、いつも通り燕尾服をきっちりと着こんで、襟元もリボンで締めていた。
「朝日は好きじゃないなあ。健康的すぎるぜ」イーサンの影に入りながら、チャールズは眩しそうに目を細めた。
「大丈夫ですか。中に入りましょうか」
「平気だよ」
ぺしん。イーサンの汗ばんだ胸をチャールズは手の平で軽く叩いた。
「あんたそれにしても、よく鍛えてるよな。叩くといい音がするぜ。ほら。ほら」
面白がって何度もぺちぺちされるので、イーサンはくすぐったそうに身を捩った。
「もう、クラウチさん。俺の胸板は打楽器じゃないんですよ」
お返しとばかり、チャールズの胸元を指先でちょんと突く。チャールズは叩くのをやめて、大人しくした。
「あっ、すみません。痛かったですか」
「痛くないよ」
「痛くないですか」突いたところを撫でているうち、イーサンは顔を徐々に赤くした。
「おっ。顔が赤いぜ、イーサン」
「そうなんです、運動のしすぎで」
「汗だくだもんな」
イーサンはベストを撫でていた指を離した。
「クラウチさんの胸って、板じゃないですよね」
「どー見ても板だろ」
イーサンは耳を真っ赤にしながら、手を戻したり伸ばしたりした。
「どうした。遠慮するなよ。触りたいんだろ」チャールズはイーサンの手の平を掴み、薄っぺらい胸に押し付けた。
手を広げると、胸の片側が全て覆い隠されてしまう。
「クラウチさん」
「こんなに平らだと、杭を打ち込むのにだってぴったりだろ」
冗談めかして肩をすくめるチャールズに、イーサンは声を落として耳打ちした。
「クラウチさんの胸は、ただの板じゃないでしょう」
イーサンの手は滑らかな布地をすべり、わずかな突起を探り当てる。指先が存在を確かめるように何度かこすると、引っかかりに過ぎなかった突起は、布越しに弾力まで伝わるようになった。
「っ……」チャールズは唇を引き結んだ。
なおもイーサンは、主張し始めた肉の尖りを指の腹で掻く。ベストの上からは形まで見えないが、イーサンは指の感触でチャールズが刺激に対し、敏感過ぎるほど反応しているのを知っていた。
毎夜のごとく指で、唇や舌で、時には歯で、執念深く快楽を引き出しているのだ。昼間どんなに慎ましく肌を隠していても、刻みつけられた情欲の痕は消せない。
チャールズは上目づかいに、いつもの恨めしげとも取れる視線を真っ直ぐ投げかけてくる。潤んだ赤い瞳は、血の涙を流しているよう。
イーサンは今すぐこの場でチャールズを抱きたくなった。なりふり構わず獣のように組み敷き、愛する人を腕の中で咽び泣かせてみたくなった。
「やれよ」イーサンの心を見透かしたかのように、チャールズは自らの上着にそっと手をかける。「好きにしろよ、今すぐ。したいだろ」
――ゴク。唾を飲む音が聞こえた気がした。
イーサンはチャールズの脱ぎかけた上着に手をかけ、顔を近づけた。唇が触れあうほど近く、互いの睫毛をかすめるほど近く。そして、上着が皺にならないよう、優しく戻した。
「また意気地がないのかい、ぼうや」
チャールズの吐いた息を吸い込むように、イーサンはすん、と鼻を鳴らした。
「見せたくないんです」
「何を」
「こんなところでして、あなたの体や姿を誰にも見せたくないんです。俺以外の誰にも」
チャールズは口の端を歪めた。鋭い牙が覗く。
「わかってるのかい。今何言ってるのか。あんたは自分で思ってるより、余程執着心が強いんだぜ。ンっ」自覚しろよ、とでも言いたかったのだろうか。チャールズの言葉は最後まで放たれなかった。イーサンが唇を押し付けたので。
ごく優しい口づけだったが、震えながら名残惜しく離れる唇は、異様なほど熱く湿っていた。
「わかってます。だから俺の恥ずかしい姿だって、クラウチさんにしか見せたくないんですよ」
「イーサン」チャールズは恍惚とし、とろけるような声色で呼びかけた。「こんなところじゃなきゃ、いいのかい」
「……はい」イーサンは照れ臭そうに睫毛を伏せ、唇を舐めた。
ともだちにシェアしよう!