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番外十 お掃除タイム

 お掃除タイム 「洞窟の奥深くに棲んでるトロルは、動いてる岩そのものに見えるんだ」  チャールズは何の脈略もなく、流暢にしゃべった。 「皮膚はごつごつして、押しても弾力がなくて硬いんだぜ」指先が標本の石をなぞっている。鹿革の黒い手袋は、ほんの三日前にイーサンが贈ったものだ。 「それ、もしかしてトロルの石ですか」 「トロルの死体さ。ちょっと顔に見えるだろ」 「うーん」イーサンは標本を覗き込んだ。ただの岩にしか見えなかった。「本当ですか」 「冗談だよ。本当かもしれないけどな。死んだトロルは洞窟のすみっこで岩になっちまうから」  チャールズはもてあそんでいた標本から離れた。  宿の部屋に入ってから小一時間経つが、こんな調子でちっとも掃除がはかどらない。イーサンはチャールズを手伝いに来たのである。なにしろチャールズの部屋は、よく言えば物が多く、正直に言えば散らかっていた。  所狭しと置かれた標本ケースの上に埃が積もり、本棚は並びがバラバラであふれかえっている。服をしまうだけのために家を一軒建てるようなチャールズなので、冒険者ギルドの下宿は乱雑として然りだった。  イーサンはゴミを分別したり、床の掃除をしながら、恋人に必要な物と不要な物を分けさせていた。箱には殆ど何も入っていない。チャールズはのんびりと標本の埃を拭いたり拭かなかったりしながら、時折うんちくを語る。イーサンは開いた酒瓶をまとめた。 「掃除ってしないとダメかい」 「はい。掃除をしないと物が傷みますよ」 「本もアンデッドになりゃいいのに。ああそうだ。いいこと思いついた。遺跡であるだろ、何百年経っても朽ちない魔法の本や道具って。ああいう魔法をかければいいんじゃないか」 「ああいった類は、お金も手間もすごくかかるんです。国家規模の施設で一つか二つできればいいほうですよ」 「ほーほー それで、できるかい」 「できませんねえ、残念ですが」  チャールズは大げさに「ふーん」と唸って作業に戻った。 「俺はさ、あんたがいたらここにあるもの全部無くてもいいんだよ。全部パーッとなくなっても、あんたがいれば幸せ」 「嬉しいですよ、クラウチさん。でも捨てたいわけじゃないですよね。掃除しましょう」 「はい」  五分ほど、黙々と作業を進める。イーサンは人工血液の瓶を三十本以上ゴミにまとめた。チャールズはハタキを持って踊っている。 「クラウチさん、そちらの作業ははかどってますか」 「準備運動してたんだ。死んでるから体が温まるのが遅くてな」  和む光景だ。イーサンは目を細めた。しかし、恋人にも掃除をさせなくてはいけない。 「ねえ、クラウチさん。棚から物を出し、埃を払って分別して棚を拭いて戻すやり方、もしかしてクラウチさんには向いていないのかもしれませんね」 「そうだな~ 掃除全般が向いてないかな」  十分承知とばかりにイーサンは微笑む。 「ではね、クラウチさん。まず本を全部出しましょう。出すだけです」 「おう。ゴーレムを使ってもいいかい」 「どうぞどうぞ」  チャールズは魔術でいずこからともなく砂を集めた。細長く伸びた砂は人の形になり、上から本を取り出しはじめる。 「これで俺は楽をできるってもんだ」 「ではゴーレムが出した本を分別してください。いらない物はこちらの箱、いるものはこちらの箱へ」 「おーう。ペトロを使ってもいいかい」 「どうぞどうぞ」  チャールズは口笛を鳴らした。部屋の隅で寝ていた黒いミミズク型のホムンクルスが起き上がり、飛んできた。 「おはようございます、クラウチさんとイーサン。お掃除中ですか」  人工知能が組み込まれたホムンクルスは、子供の声で自然にしゃべった。 「へいペトロ、本を分けてくれよ。俺がいるやつはこっち、いらないのはこっちの箱」 「はーい」  ぐりぐりと首を動かす仕草は、ミミズクそのものだ。ペトロは本のタイトルを見るなりけづめで掴んで分けた。一見ペットのようだが、イーサンがチャールズの持ち物を整理するために作ったホムンクルスなので、お手の物だった。 「これで楽ができるな」 「はい、ではペトロがいる物箱に入れた本の埃を払って、綺麗にしてくださいね。綺麗になった物は箱から出してここに分けておきましょう」 「おうおう。もう一体ゴーレムを作るか」  埃の混じった砂が集まり、小さな人型になった。チャールズはゴーレムにハタキを持たせると、うんと伸びをした。 「今度こそ楽ができるぜ」 「作業がうまく進んでいますね。良いことです」  暇になったチャールズはイーサンのまわりをうろうろしはじめた。イーサンは出た埃を掃き出している。 「なあイーサン、楽しようぜ。それもゴーレムにやらせるよ」 「いいんですよ。体を動かすのが好きですから」 「じゃあ別のことで動かさないか。大きい仕事がここにあるぞ」  チャールズは自分を指差す。イーサンはきょとんとしていたが、意味が分かってから頬を染めた。 「掃除が先ですよ。こんな埃っぽいところでなんて」 「あんたの部屋でしようよ」 「掃除して汚れていますから……」耳まで赤くしながら、照れ隠しのようにサッサと床を掃く。 「やれやれ、良い子なんだから」  チャールズは布巾を取って、標本ケースの埃を拭きはじめた。なんだかんだ言えど、イーサンが働いている間自分だけ楽はできないのだった。  三十分後、ゴミを外へ出しに行ったイーサンが戻ってくると、後は出した物を元に戻すだけになっていた。 「クラウチさん、がんばりましたね」 「魔力を使ったから腹が減った」  チャールズはへとへとになって、本の上で溶けていた。ペトロも標本ケースの上で餅になっている。 「うん、本棚も綺麗になってますね。戻すだけです。俺がやっておきますよ」 「いいよ。あんたは風呂に入って来い。そんで、部屋で待っててくれ」 「はい……」イーサンはふたたび顔を赤くした。「本当に任せても大丈夫ですか」 「問題ない、問題ない。ほらいけよ、綺麗好きなぼっちゃん」 「はい」  チャールズはペトロに手伝ってもらいながら、本を綺麗に並べ直している。イーサンは安心して風呂場に向かった。

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