18 / 31
番外十 お掃除タイム
お掃除タイム
「洞窟の奥深くに棲んでるトロルは、動いてる岩そのものに見えるんだ」
チャールズは何の脈略もなく、流暢にしゃべった。
「皮膚はごつごつして、押しても弾力がなくて硬いんだぜ」指先が標本の石をなぞっている。鹿革の黒い手袋は、ほんの三日前にイーサンが贈ったものだ。
「それ、もしかしてトロルの石ですか」
「トロルの死体さ。ちょっと顔に見えるだろ」
「うーん」イーサンは標本を覗き込んだ。ただの岩にしか見えなかった。「本当ですか」
「冗談だよ。本当かもしれないけどな。死んだトロルは洞窟のすみっこで岩になっちまうから」
チャールズはもてあそんでいた標本から離れた。
宿の部屋に入ってから小一時間経つが、こんな調子でちっとも掃除がはかどらない。イーサンはチャールズを手伝いに来たのである。なにしろチャールズの部屋は、よく言えば物が多く、正直に言えば散らかっていた。
所狭しと置かれた標本ケースの上に埃が積もり、本棚は並びがバラバラであふれかえっている。服をしまうだけのために家を一軒建てるようなチャールズなので、冒険者ギルドの下宿は乱雑として然りだった。
イーサンはゴミを分別したり、床の掃除をしながら、恋人に必要な物と不要な物を分けさせていた。箱には殆ど何も入っていない。チャールズはのんびりと標本の埃を拭いたり拭かなかったりしながら、時折うんちくを語る。イーサンは開いた酒瓶をまとめた。
「掃除ってしないとダメかい」
「はい。掃除をしないと物が傷みますよ」
「本もアンデッドになりゃいいのに。ああそうだ。いいこと思いついた。遺跡であるだろ、何百年経っても朽ちない魔法の本や道具って。ああいう魔法をかければいいんじゃないか」
「ああいった類は、お金も手間もすごくかかるんです。国家規模の施設で一つか二つできればいいほうですよ」
「ほーほー それで、できるかい」
「できませんねえ、残念ですが」
チャールズは大げさに「ふーん」と唸って作業に戻った。
「俺はさ、あんたがいたらここにあるもの全部無くてもいいんだよ。全部パーッとなくなっても、あんたがいれば幸せ」
「嬉しいですよ、クラウチさん。でも捨てたいわけじゃないですよね。掃除しましょう」
「はい」
五分ほど、黙々と作業を進める。イーサンは人工血液の瓶を三十本以上ゴミにまとめた。チャールズはハタキを持って踊っている。
「クラウチさん、そちらの作業ははかどってますか」
「準備運動してたんだ。死んでるから体が温まるのが遅くてな」
和む光景だ。イーサンは目を細めた。しかし、恋人にも掃除をさせなくてはいけない。
「ねえ、クラウチさん。棚から物を出し、埃を払って分別して棚を拭いて戻すやり方、もしかしてクラウチさんには向いていないのかもしれませんね」
「そうだな~ 掃除全般が向いてないかな」
十分承知とばかりにイーサンは微笑む。
「ではね、クラウチさん。まず本を全部出しましょう。出すだけです」
「おう。ゴーレムを使ってもいいかい」
「どうぞどうぞ」
チャールズは魔術でいずこからともなく砂を集めた。細長く伸びた砂は人の形になり、上から本を取り出しはじめる。
「これで俺は楽をできるってもんだ」
「ではゴーレムが出した本を分別してください。いらない物はこちらの箱、いるものはこちらの箱へ」
「おーう。ペトロを使ってもいいかい」
「どうぞどうぞ」
チャールズは口笛を鳴らした。部屋の隅で寝ていた黒いミミズク型のホムンクルスが起き上がり、飛んできた。
「おはようございます、クラウチさんとイーサン。お掃除中ですか」
人工知能が組み込まれたホムンクルスは、子供の声で自然にしゃべった。
「へいペトロ、本を分けてくれよ。俺がいるやつはこっち、いらないのはこっちの箱」
「はーい」
ぐりぐりと首を動かす仕草は、ミミズクそのものだ。ペトロは本のタイトルを見るなりけづめで掴んで分けた。一見ペットのようだが、イーサンがチャールズの持ち物を整理するために作ったホムンクルスなので、お手の物だった。
「これで楽ができるな」
「はい、ではペトロがいる物箱に入れた本の埃を払って、綺麗にしてくださいね。綺麗になった物は箱から出してここに分けておきましょう」
「おうおう。もう一体ゴーレムを作るか」
埃の混じった砂が集まり、小さな人型になった。チャールズはゴーレムにハタキを持たせると、うんと伸びをした。
「今度こそ楽ができるぜ」
「作業がうまく進んでいますね。良いことです」
暇になったチャールズはイーサンのまわりをうろうろしはじめた。イーサンは出た埃を掃き出している。
「なあイーサン、楽しようぜ。それもゴーレムにやらせるよ」
「いいんですよ。体を動かすのが好きですから」
「じゃあ別のことで動かさないか。大きい仕事がここにあるぞ」
チャールズは自分を指差す。イーサンはきょとんとしていたが、意味が分かってから頬を染めた。
「掃除が先ですよ。こんな埃っぽいところでなんて」
「あんたの部屋でしようよ」
「掃除して汚れていますから……」耳まで赤くしながら、照れ隠しのようにサッサと床を掃く。
「やれやれ、良い子なんだから」
チャールズは布巾を取って、標本ケースの埃を拭きはじめた。なんだかんだ言えど、イーサンが働いている間自分だけ楽はできないのだった。
三十分後、ゴミを外へ出しに行ったイーサンが戻ってくると、後は出した物を元に戻すだけになっていた。
「クラウチさん、がんばりましたね」
「魔力を使ったから腹が減った」
チャールズはへとへとになって、本の上で溶けていた。ペトロも標本ケースの上で餅になっている。
「うん、本棚も綺麗になってますね。戻すだけです。俺がやっておきますよ」
「いいよ。あんたは風呂に入って来い。そんで、部屋で待っててくれ」
「はい……」イーサンはふたたび顔を赤くした。「本当に任せても大丈夫ですか」
「問題ない、問題ない。ほらいけよ、綺麗好きなぼっちゃん」
「はい」
チャールズはペトロに手伝ってもらいながら、本を綺麗に並べ直している。イーサンは安心して風呂場に向かった。
ともだちにシェアしよう!