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第9話
石の人 九
晒された白い喉に、ナイフの刃が押し付けられる。チャールズは壁を背にして、男に押さえつけられていた。
男が何かを囁くと、チャールズは顔をそむけた。片眼鏡が落ち、上着の襟に留めてある鎖を揺らした。男はナイフを除け、片眼鏡をつまんでチャールズのポケットに入れた。チャールズは猫のようにしなやかな動きで、男の腕を抜け出す。その顔はにやついている。今までナイフを押し付けられていたにしては、不自然な態度だった。
チャールズは男の緩い三つ編みを引っ張って、無精髭の横面にぺしっと叩きつけた。男はナイフの刃側を持ち、チャールズに差し出す。チャールズはナイフを受け取って男の胸を刺すふりをした。どうやら刃が潰されて切れない、ペーパーナイフのような物らしい。
イーサンは双眼鏡を覗きこみながら、深いため息をついた。
『金を出せ』
『ああ、お許しください。報酬が入るまで銀貨十枚も持ってやしない』
『そんな貧乏人に俺ちゃんからのプレゼント。はい、あんたの取り分な』
『強盗から聖人に鞍替えかい。ご大層なこった』
『なぁチャーリー、今ちょっとびびったろ。な』
『びびったよ。心臓が止まるかと思ったぜ。あんたの毛の生えた心臓に刺してやろうかな』
『アウチ、やられた』
唇を読むに、おふざけのやり取りだったようだ。
自分に言い聞かせるよう「やれやれ」と声に出す。いつまでもチャールズを観察しているわけにはいかない。約束があるのだ。イーサンは窓から離れ、手早く身支度してから出かけた。
ホオグロ鷲亭の扉を開け、亭主に挨拶すると、カウンターで朝食をとっていたエラが顔を上げた。
「早いねェ。あんたはいつも時間より早くに来る」
遅れ毛まで整えてひっつめた髪、隙間なく着込んだ革鎧は、エラの仕事に対する真面目な姿勢を伺わせる。
「おはようございます。ご迷惑でしたか」
「とんでもない。やる気が見えて気持ちいいってもんさ。今回もよろしくね、イーサン」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
イーサンはエラが食べ終わるまで、掲示板を眺めていた。
ギルドに登録された依頼書の一部は、複製されて各宿の掲示板にも貼られる。仕事は基本的に早い者勝ちであり、依頼を受ける際はギルドの受付に申請しなければならない。せっかくやる気になっても、他の冒険者がすでに請け負った後だった……ということもあり得る。
冒険者たちのクレームを経て、昨今のギルドは複数の宿から人手を要する大きな依頼か、受け手が極端に少ないであろう依頼しか複製しないよう取り決められていた。
エラは立ち上がり、荷物を担いだ。外套を羽織り、出かける用意は済ませているようだ。
「お待たせ。じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃい、エラ。気をつけてね」
カウンターの向こうから、恰幅のいい亭主がにこやかに見送ってくれた。ホオグロ鷲亭には何度も来たが「はやにえルビー」は朗らかで、料理もうまかった。仕事から戻り、ルビーの赤毛を見ると、冒険者たちは我が家に返ってきたようにほっとする。
とてもじゃないが、彼女がレイピアで敵を次々と「はやにえ」にしてきた海賊だったとは、イーサンも信じられなかった。
ルビーに見送られ、イーサンとエラはギルドへ向かった。
ギルドの隣に住んでいるイーサンにとって、郊外に位置するホオグロ鷲亭までエラを迎えに行くのは手間であるが、信頼関係を築くための努力は惜しまない。
冒険者や賞金稼ぎなど命を預ける仕事では、仲間への信頼が全てだ。
過去がどうであれ――たとえ元が犯罪者だろうと――今信用に足りるかが全て。協力しなければ生きていけない世界であることをイーサンは仲間の死で何度も身につまされた。エラは信用に足りる人物だった。
エラのほうも一ヵ月前に起こった吸血鬼退治の件から、イーサンにかなり良い印象を持っていた。イーサンは傍目から見ても効率よく動いたし、仲間を助ける姿は多くの冒険者が目撃していたからだ。試しに組んで仕事をしてみたところ、期待通り使える人間だった。エラは複数人で挑む仕事があれば、まずはイーサンにも声をかけるようになった。
「ギアソン一味の残党討伐を受けたいんだけど」
ギルドの受付に告げると、受付は依頼の契約書を出した。
「今日はお二人ですか」
「あと二人が合流するよ。いつものメンバーだし、事前に届け出が来てるはずさ」
エラは契約書に名前を記入した。続いてイーサンも自分の名を記入した。
「エラ・グリーンさん、イーサン・アルナストさんですね。セイディー・ホールさんとデイヴィッド・ベイリーさんから伺ってます」
受付は目尻に皺を作って微笑んだ。こざっぱりした壮年の男性で「トミー」と呼ばれている。彼の本名はアダムなのだが、みなが「トミー」と呼ぶのでイーサンもそれに倣っていた。ギルド七不思議の一つだった。
「手違いがあったかと思ったよ。人が悪いんだから」
セイディーとデイヴは約束した時間になっても来なかった。彼らと仕事をするのは三度目だが、いつも遅れてくるので慣れたものだった。
「ああ、遅くなったねえ」
デイヴが先に到着し、名前の記入をした。彼は治療術の達人で、メイスの腕も確かだ。もじゃもじゃと縮れた長い髪を後ろで一つに結んでおり、白い外套の下に鎖帷子を着ている。ホオグロ鷲亭よりも郊外の宿に住みついているため、遅くなるのだった。
「ごめんなさい、遅くなったわ」
最後のセイディーはもっと変わり者だ。中央区にある屋敷の執事の娘で、若くして剣と魔法の両方に通じている。朝早く起きて父親の手伝いをするという事情があるので、いくら遅刻しても誰も文句を言おうとはしなかった。セイディーは耳元で切り揃えた灰色の髪で、あまり顔色を変えることがない。執事のような服を着て、鎧などは身に着けていないように見えるが、一般人と遜色のない軽装をした冒険者も案外多い。
イーサンは燕尾服と似た衣装に、チャールズを思い出した。セイディーはスラリと背が高く、武術を学んでいる者特有の、姿勢の良さがある。チャールズは肩が細く、十七歳の少女よりも小さい。イーサンはほんの少し口角を上げた。
セイディーが記入しおわると、エラは酒場兼寄合所になっているギルドのテーブルに移動し、依頼書を開いた。
「内容を念のため確認しとくよ。数日前ギアソン一味が摘発された。兄のカーシンと妹のレラエナの二人が当局から逃れ、潜伏してるから捕まえて来いって話ね」
「ギアソン一味っていうと、麻薬や違法売春に手を染めてたやつらだよね」デイヴはお茶をすすりながらのんびりと言った。
「そうだね。特に妹のほうはすごい悪党。違法売春の宿を取り仕切ってたのこそレラエナだからね。人身売買、無理やり連れ去った女性に売春させたりと散々さ」
エラは胸糞悪いといったようすで、レラエナの魔法写真を軽く叩いた。レラエナは三十過ぎ頃の、話よりずっと誠実そうな女だった。役所にいても違和感はなく、違法売春を取り仕切っていたようには見えない。
「兄のカーシンはどうなの」
「カーシンは暴力の前科が十六件もあるね。他も麻薬や、禁じられた魔導具の所持で捕まってる。何人も殺してるが、ギアソン一味が検挙されるまでは確かな証拠がなかった」
「見せびらかしたくなるような経歴ね」セイディーは眉間に皺を寄せた。
イーサンはテーブルからカーシンの写真をつまみ上げた。四十間近だろうか、着せられている派手な服のため、妹より悪党に見える。
「とにかく、どっちもズブズブにはまった犯罪者に間違いないってことさ。生死は問わない。賞金額は妹が銀貨三千枚、兄が二千枚だね。武力の兄、知性の妹といった感じで、行動を共にしてる確立は高いよ」
「つまり、銀貨五千枚を山分けかあ~」
デイヴは残った紅茶をすすり、鼻息で余韻を感じている。殺伐とした話の最中にする態度とは思えない。何をするにせよ、彼の周りだけ時間がゆっくり流れているのだ。
「ま、そういうこと。被害者の仇を討ち、あたしらは銀貨五千枚をいただく。悪くない仕事だね」
黙って聞いていたイーサンが軽く手を上げた。
「彼らの潜伏先に見当はついているのでしょうか」
「レラエナのそこが厄介なところさ。一般人に紛れ込むのがうまいんだ。人を散々に騙してきたやつだからね。だが王国中に厳重な検問が敷かれてるから、国外逃亡は無理。地方によそ者が紛れ込むと噂になりやすいし、貿易都市は一番身を隠すのに都合がいい」
「つまりは、この街にいると」
「可能性は高いってこと」
一行は情報を収集するため、兄妹の潜伏していそうな場所をしらみつぶしに当たった。エラはギアソン一味の屋敷があった周辺を調べ、セイディーは中央地区で黒い噂を探り、イーサンは盗賊ギルドを利用することにした。デイヴはどこへ行ったのかわからない。
「どうだいみんな、わかったかい」
夕刻、ギルドに戻ったイーサンらは再び会議を開いた。
「盗賊ギルドの情報によると、この地区の……ここ辺りが怪しいかと」イーサンは広げた地図のとある箇所を指差した。小規模なアパルトメントが立ち並ぶ住宅街だ。
「あたしもそのあたりが怪しいと睨んでる。問題はどの建物の、どの部屋かだね」
「中央区で有益な情報はなかったわ。最初からいるはずないのよ。目立つし、家賃も高いからね」と、セイディー。エラとイーサンは同意した。
「よし、明日は住宅地区を調べよう」
「ところでデイヴはどうしたんでしょう」
三人が食事を摂っていると、デイヴが遅れて、サンダルの音をペタペタさせながら戻ってきた。相変わらず緊張感がない男だ。
「ごめんねえ、遅くなっちゃって。大ニュースだから聞いてくれるかなあ」
エラはカップを置き、口の周りについた泡を拭った。
「はいはい」
「地図貸して。これどかすよ」テーブルの料理を端に寄せ、地図を広げるデイブ。「あ~お腹空いた。あげじゃが一口ちょうだい。んん、おいしい」
「早く言いなよ」
デイヴはもごもごと口を動かしながら、地図の一点をトントン叩いた。
「住宅地区にいるって情報はもうあるわ」
セイディーは真顔でパンをちぎる。
食べるのに夢中で話せないが、デイヴは相変わらず地図を指で示している。
「ははあ、まさにこの建物にいると言いたいのですね」
イーサンが促すと、デイヴは口に食べ物を詰め込んだまま首を何度も縦に振った。
「それは確かな情報かい。まあ、あんたがどこからともなく仕入れてくる情報は何故かいつも正確なんだけどね。どうやってるんだか」
「内緒~」
あげじゃがをようやく飲み込んだデイヴは、屈託のない笑みを浮かべた。
「とにかく今夜にでも強襲をかけるべきでしょう。行動は早い方がいい」
「賛成だね。準備ができ次第、行くよ」
「ごはんを食べてからね」
一行は食事を摂り、念入りに準備を整えた。兄は禁制の魔導具を所持し、妹は頭がキレるとの情報だ。
イーサンはあらかじめ人数分の護符を作り、配った。護符は同じ物を所持していれば、互いに位置を知らせる術も仕込まれている。
ここにセントベルの魔狩人が使う「言霊の珠」があれば、どんなに便利だろう。かの魔導具は高位の魔工技術を持つ者にしか作れない。たとえば父のような。イーサンはより技術を磨こうと、父の仕事に対するひたむきな姿勢に思いを馳せた。
ギアソン兄妹の潜伏するアパルトメントは、住宅地が密集する地区にあった。
昼間はどこに行っても賑やかな貿易都市といえど、夜中ともなれば殆どの窓から明かりが消えている。仕事から帰宅した市民が落ち着いて休む場所であり、極力騒ぎになるのは避けたかった。
一行は兄妹のいると思しき部屋を気づかれない程度の距離から観察していた。明かりはついているが、カーテンが閉まっており、中の様子はうかがえない。
「厄介ですね」イーサンは仲間に向かって小声で囁く。「住宅街に潜めば、いざとなった時住人を人質に取りやすいですから」
「好んで不便な土地に住むようなやつらじゃないからね」エラが返す。「人質は取らせない。迅速に行くよ」
夜の闇を滑るように部屋へと向かう。この時ばかりは、のんびりしたデイヴすら物音一つ立てないで行動した。
まずセイディーが感知の術で中の熱源を調べた。人間の熱が二つ――間違いなく兄妹だろう。一行は頷いた。
突入。デイヴがメイスで鍵を叩き壊し、エラが扉を蹴破る。素早く弩を構え、寝間着姿の男に向けた。魔法写真の顔と一致する。兄のカーシンだ。
「おいおい、こんな夜中になんだ。強盗か」カーシンはゆっくりと両手を上げる。
「ギアソン一味だね。覚悟しな」
「待てよ、まあ、話し合おうじゃないか。暴力は良くねえぜ」
慎重に距離を詰めていく。しかし、セイディーが気配に勘付き、単身で風呂場へ向かった。
「セイディー」
「妹が逃げるわ」
気を取られた途端、カーシンが寝間着の下から何かを取り出す。
「呪具だ」
結界はあらかじめ張っており、護符も持っていた。だが部屋中が白い煙で包まれたのでは、どうしても一時的に視界は塞がってしまう。
その時窓が割れる音がして、風が起こり、急激に煙が巻き上げられていった。明らかに誰かが外から魔術を使ったのだ。
「なんだと」逃げ出そうとしていたカーシンはうろたえた。「まだ仲間がいやがったのか」
風呂場のほうでは格闘する物音が聞こえる。セイディーがレラエナと戦っているのだろう。
「逃げ場はないよ」
距離を詰めるエラとデイヴ。カーシンは後ずさり、窓を避けながらソファのサイドボードの上に手をついた。
「へ、へへ。何も準備してねえと思ったか」
カーシンは薄っぺらい、鏡のような物を向ける。
「動くな。俺が呪文を唱えたら、お前ら二人はどうなるか。いっぺんにあの世いきだ。おっと、動くなよ。外の仲間もだぜ」
エラとデイヴはじっと身構えた。
「武器を捨てろ。ゆっくり地面に置け。ゆっくりだぞ。手を上げろ」
二人は足元にゆっくり武器を置き、手を顔の横に広げた。
「風呂場のガキと外のやつに呼びかけろ。こっちに来いってな」
二人は黙っている。
「どうした、早く呼べ。死にてえのか――」
エラの口元がわずかに弧を描いた。カーシンが呪文を唱える前に、魔導具が手から離れ、飛んで行った。何か粘着質な物に絡めとられたように見える。
カーシンは振り返り、口を開きかけたが、言葉を発する間もなく倒れた。
「二人とも、ありがとうございます。セイディーも格闘の演技、お疲れ様」
風呂場から、レラエナを連れたセイディーが現れる。レラエナは気絶しているようだ。
「ちょっとひやひやしちゃったよ」と、カーシンを縛るデイヴ。
「すみません。魔導具の性質が分からない以上、封じる時間が欲しかったので」
「もっとましなやり方はなかったのかい。あたしらを囮に使うような真似をして」
エラは苦々しく笑い、弩を拾った。
「どんな効果の魔導具かわかりませんでしたし、複数所持している可能性もありましたので。それなら、手に取らせてしまった方が早いかと」イーサンは微笑み返し、布に包んだ魔導具を鞄にしまい込んだ。
「あんたには敵わないねえ。ま、予想よりあっさり終わってほっとしたよ」
「レラエナのほうもそんなに抵抗されなかったわ。まさか潜伏場所を突き止められるとは思ってなかったのかもね」
かくして捕物は無事終了し、四人は警察を呼んでカーシンとレラエナを引き渡した。
イーサンは何度か同じ面子と仕事をした。特にエラとはかなりの確率で鉢合わせることになった。エラは報酬が高額で、リスクの高い依頼ばかりを選んでいた。
仕事が終わり、打ち上げの席で「何故そんなに仕事熱心なのですか」と理由をたずねてみた。するとエラは話した。
「故郷に恋人がいてね。家がパン屋をやってるんだけど。彼女の親父さんが病気になって、けっこう薬が貴重な材料らしくてね。金が要るんだよ。親父さんの病気が落ち着かないと、安心して結婚できないってさ」
「ふむ、そうでしたか。病状はどのようなものですか」
エラは専門的ではないにしろ、詳しく恋人の父親の病気について説明した。イーサンはしばらく考え、何とかなるかもしれないと判断した。
「あなたに相談があるのですが……」
イーサンは暫く、ある人物の行動を監視し、素性を調査してほしいとエラに頼んだ。その間、自分は恋人の父親に必要な薬の材料を集め、調合すると。
「構わないよ。あんたの薬はよく効くからね、作ってもらえるなら願ったり叶ったりだ。で」エラは魔法写真の男を注視する。「こいつは何者なんだい。ごく一般人にしか見えないけどね」
「ええ、外見は。ですが、悪党である可能性がとても高いです。それも、許しがたい悪行を犯そうとしている。エラにはこの男性を監視して、何をしているか報告してほしいんです。そうすれば後は俺が証拠を見つけて、通報します」
「わかったよ」
その日からエラは男を監視し始めた。
男の名はオリバー・ブラウン。二十代半ばの職人である。商業区の一画、工房が集まる区域で、かご細工を作っていた。口数は少ないがまじめで、毎日仕事をして買い物などをし、帰宅するような平々凡々とした生活を送っている。
エラにはブラウン氏が悪人には見えなかった。休日に外出することはあれど、劇場を見に行ったり、友人や恋人とカフェで話したりといったものだった。
一つ、気になることがあるとすれば、頻繁に手紙を出しているくらいか。エラは手紙の宛先を盗み見て、住所を調べた。
二週間後、イーサンとエラはホオグロ鷲亭で落ち合った。
「薬ができましたよ」
イーサンは包みをテーブルの上に置いた。
「本当に完成したんだね。ありがとう。こっちも調査でわかったことがある」
「どんなことですか」
エラは地図を広げた。
「毎日観察したけど、オリバーって男、真面目な職人だったよ。休日も人と劇場を見たりしてさ。ごく普通に生活してた」
「ですが、気になることがあるんですね」
「そうさ。地図の……ここに酒場がある」
エラが指で示した場所は、治安があまり良くない路地裏だ。
「あんたも知ってるだろ。猫飼い鼠亭。裏の仕事が扱われてるって噂の酒場だよ。何度か警察が出入りして捜査したが、証拠がないから野放しになってる」
「彼がここに出入りをしていたのですか」
「手紙を出してた。それも頻繁にね。おかしいだろ、かご細工を作って生活する職人が、裏の酒場に用があるなんて」
「ええ」イーサンは人差し指であご髭を撫でた。「ありがとうございました。後は自分で調べます」
「危険じゃないのかい」
「危険かもしれませんね。ですが、あなたに迷惑をかけられませんから」
立ち上がろうとするイーサンを引き留めるエラ。
「水臭いねえ、そういうときは協力してくれ、だろ。仲間なんだからさ」
イーサンは申し訳なさそうに笑顔を作り「お願いします」と頼むのだった。
エラの情報によると、オリバー・ブラウンは週に何度も手紙を出しているらしい。イーサンらはブラウンが手紙を持って出かけたのを見計らい、後をつけた。ブラウンが投函した後、イーサンはポストの鍵を開け、手紙を盗みだした。
「中を確認しましょう」
開いてみると、手紙は暗号で書かれており、すぐ読めるものではなかった。
「ますます怪しいね。暗号の手紙を出すなんて」
「このテの暗号に詳しい情報屋がいるはずです。盗賊ギルドへ行きましょう」
二人はねじ曲がった路地を抜け、倉庫街へ出た。
貿易都市アルヴァの盗賊ギルドは倉庫の地下にある。入口は隠されており、知らない者が誤って立ち入れないようになっていた。
イーサンは雑貨屋を営んでいるおかげで街のギルドと繋がりがあって、盗賊ギルドとも懇意にしていた。
「おお、いらっしゃい旦那。今日は何がいるんだい」
階段を降りると、眉間に傷のある初老の男性がやってきた。
さしずめ、地下の隠れ酒場といったところか。カウンターとテーブル席、奥に扉があり、内装は飲み屋とそん色がない。しかし客も店主も堅気には見えなかった。
「今回もお世話になります。暗号に詳しい方は、フレイドさんでしたっけ」
「フレイドなら開いてるよ。三番の部屋だ」
「どうも」
イーサンは迷いなく奥の扉へ向かった。エラはあまり盗賊ギルドを利用したことが無いのか、緊張しながらイーサンについていく。
扉を開けるといくつかの部屋が並んでおり、人の気配はするものの話し声は聞こえてこなかった。
部屋番号三の前で立ち止まり、ギルドのしきたりに従った方法でノックをする。
ノックが返ってくれば、入って良い合図だ。
「お邪魔しますよ」
イーサンは部屋の中に体を滑り込ませた。エラも続いて入る。
「待ってたよ、イーサン。贔屓にしてくれて嬉しいね」
フレイドは短く刈った赤い髪と、黒曜石のように艶がある肌の女性だ。どこかの民族らしい衣装を着て、首や手にたくさんのビーズ細工をぶら下げている。
「かわいこちゃんも緊張しないで座って」
「かわいこちゃんはやめて。エラよ」
「あら、ごめんね。呼び方が分からなかったから。私はフレイドよ」
エラは咳払いして、イーサンの横に座った。
「それで、今日は何の用」
「こちらの手紙を読んでほしいのですが」
手紙といくつかの銀貨をテーブルに置くイーサン。
「へえ、どんな暗号かな」
フレイドは銀貨を手元に引き寄せると、手紙を開き、装飾した爪でなぞった。
「暗殺者ギルドの符号ね」
「暗殺者ギルド」
目を見開くエラに、フレイドはぽってりとした唇を曲げた。
「どこでも同じだけど、この街にも知られちゃいけない闇があって。暗殺者ギルドは盗賊ギルドにとっちゃ、昔っから仇なの。旦那は説明しなくても知ってるかな」
「ええ、少しですが」
イーサンは控えめな声音で返し、笑みを作った。
「暗殺者ギルドは潰しても潰しても、鼠みたいにどこからともなく湧いてくる。うちらも表立って手出しはしないんだけどね。街が戦場になっちゃ困るでしょ。それで――」
フレイドは手紙をイーサンに返す。
「こっそり潰し合いをしてるの。こっちは暗殺する人物の名前、こっちは暗殺する場所や方法が書かれてる」
「どなたの名前が書かれているか、教えていただけますか」
「チャールズ・クラウチ。ワオ、有名人ね」
イーサンは微笑したまま、静かに頷く。
「詳細も教えてほしいのですが」
銀貨をそっとテーブルに置くと、フレイドは満足そうに受け取った。
「もちろん。次の満月、三日後だね。学会の後決行せよとある。何の学会か書いてないけど、多分大学の論文発表ね」
「知っています」
エラが物言いたげな視線を向けてくる。
「エラ、はじめに言ったでしょう。オリバー・ブラウンは許しがたい悪行を犯そうとしていると。彼はギルドの構成員。連絡係でしょうね」
「なんだ、やっぱり調べがついてるじゃない」
「とにかく、ブラウンが暗殺ギルドの連絡員なら、手紙を証拠に警察へ突きだせばいいんじゃないか」
「それでは解決しませんよ。彼が逮捕されようと、依頼を出した人間と請け負う人間がいる限り、暗殺は別の連絡員を通し、必ず行われるでしょう」
「どうすれば暗殺を止められるんだい」
イーサンはひと呼吸した。
「場所も日時もそのままにして、わざと手紙を戻します。符号の偽造は難しいですから。そうですね、フレイド」
「特殊なインクが使われてるからね。偽造は難しいよ」
フレイドの指先で銀貨が回っている。イーサンは銀貨を見つめた。
「まず下手人を捕まえ、そして――」
いつの間にか、全員が自然と声のトーンを落としている。イーサンは小声で作戦を伝えた。
「うまく行くかねえ。第一マスターが云というか」
「うまく行かせますし、協力してもらいます。そうでしょう」
目配せされ、フレイドは参ったと手のひらを見せた。イーサンは盗賊ギルドを利用するつもりなのだから。
「エラ、本当に危険な仕事ですからあなたは」
「すっこんでろ、なんて今更言うんじゃないよ」
晴れやかで力強い微笑み。イーサンは頼もしい仲間に、あらためて感謝の意を表した。
三日後、満月の夜。
イーサン、エラ、セイディー、デイヴの四人は、大学付近の空き家に潜んでいた。
エラが二人にも協力を頼んだので、結局見慣れたメンバーで行動することに決まったのだ。
「暗殺者と二人で戦おうなんて、無茶なことするんだから」
セイディーはポーカーフェイスのままだったが、語気には飽きれと気遣いが滲んでいる。
「イーサンは正義感が強いんだねえ」
間延びしたデイヴの声には、相変わらず微塵も緊張感がない。
「ほら、二人とも準備する。そろそろ学会が終わる頃だよ」
「私はいつでも戦える。ゆるいのはデイヴだけよ」
「僕だって準備してるさ~ ね、イーサン」
窓の外を窺っていたイーサンは、目だけ向けて笑みを作った。
「ありがとうございます、みなさん。行きましょう、学会が終わったようです」
「手はず通りにね」
四人はおしゃべりを止め、それぞれ夜道へと散った。
チャールズ・クラウチは論文の発表を終え、壇上から降りた。自分なりにうまく説明したつもりだが、拍手はまばらで、あくびをしたり寝ている人間もいた。興味を引けるように話すのは難しい。
学会が終了するまで落ち着かないでいた。今回の発表で人に嫌われてしまったら。愛想を尽かされてしまったら。考えれば考えるほど、悪い方に向かっていく。
「チャールズさん」
意気消沈しながらエントランスホールへ出ると、金色の髪で、仕立ての良い服を着た若者が寄ってきた。
「ヤニク、壇上から見えてたよ。いつもありがとう」
「今回も良かったぞ。実に興味深い。まさかあの薄汚いワームが、美しい宝石を生み出すのに一役買っているとはな」
ヤニクの言葉には説得力があった。二十歳にもなっていないが、年齢以上の貫禄がある。それでいて、ふるまいには気品を漂わせている。王子様のようだ。
「一緒に帰ってもいいかい」
エントランスホールに集まった人々の喧噪で、チャールズの声はかき消されてしまう。しかしヤニクは聞き逃さないで、しっかりと答える。
「もちろんだとも。華々しい論文発表を終えたのだ。凱旋と行こうではないか」
「うん」
チャールズはヤニクの後ろをついて歩いたが、自信を持てと背中を押されたので、並んで歩くことにした。
「もっと己を誇るべきだ。チャールズさんほど宝石に詳しい者を知らぬ。俺が世界征服を成したあかつきには、貴殿を宰相として宮殿に迎えるのだからな」
「ふふ、楽しみにしているよ」
風変りな年下の友人に、自然と笑みがこぼれる。たいそれた夢ではあるが、付き合うのも悪くない。
二人が談笑しながら十字になった路地へ差し掛かると、不気味な気配が周りを取り囲んだ。ヤニクはチャールズをかばうように立つ。
王になろうとしてるやつが臣下をかばうのかよ――チャールズは言葉を飲みこんだ。
「夜に紛れて鼠輩(そはい)がいるようだな。気配を隠しもしないとは、いい度胸だ。出て来い賊ども」
ヤニクが吼えると、触発された複数の殺気が今にも襲いかからんと張り詰めたのがわかった。
すぐには向かって来ない。仮にも有名なチャールズを恐れてか、ヤニクという不測の存在を警戒してのことか。
痺れを切らしたヤニクが術の詠唱をはじめた時、一帯を眩い光が包んだ。街灯など比べ物にならない、昼間のように強い明かりが四方から放たれている。
光は賊の人数、装備、全てを露わにした。覆面の二十人が武器を構え、ヤニクとチャールズを囲んでいる。
光源の元にはそれぞれ人影が立っているが、姿の判別はできない。ヤニクとチャールズはとりあえず、明かりを持ってきた四人が味方だと判断して、敵の殲滅に当たった。
暗殺者たちは謎の光に照らされ、うろたえていた。逃げようにも四方を囲まれてしまい、思うように離脱できない。
ヤニクが詠唱を終える前に、霧状の砂が暗殺者どもにまとわりつき、動きはおろか呼吸すらも阻害した。訓練を積んでいたとしても、単なる人間が呼吸をしないままで耐えられるのは、ほんの数分である。
イーサンは静かに成り行きを見守っていた。どうやら全ての敵を撃破できたようだ。残りは逃げだしたが、過半数は元いたところで伸びている。チャールズが砂の魔術を使い、瞬く間に窒息させたからだ。
「二十人の暗殺者を一瞬か、さすがはチャールズ・クラウチね。助けの必要もなかったんじゃないかな」
背後からフレイドの声がした。暗殺者を逃がさないため、盗賊ギルドの連中も協力して、辺りを包囲していたのだ。
「ええ」イーサンはまっすぐ前を向いたまま答える。
震えながら膝を落とすチャールズ。すぐにでも駆け寄って支えたかったが、崩れそうになるチャールズを支えたのは、彼の友人だった。
「怖かった……」チャールズは珠の涙をぽろぽろとこぼし、ヤニクにもたれかかっている。
「大丈夫だ、チャールズさん。ここにいるやつらは全員倒れているし、他のやつらも逃げていった」
「多分、殺してないよ。気絶させただけだ。良かったんだよな、これで」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
チャールズは頷いた。涙の露は白く乾き、サラサラと落ちていった。
背後に続々と人の気配が増えていく。イーサンはやっとのことでチャールズから目を逸らした。
盗賊ギルドの首領は部下と何やら相談しているようだったが、イーサンに気が付くと手のひらを上げて見せた。眉間に傷のある、初老の男性。酒場の店主だ。
「よう、首尾よく行ったようだな」
「ありがとうございます、マスター。おかげで助かりました」
「なに。わしらは人数を集めて突っ立ってただけだよ。ま、その必要もなかったようだが」首領は二十人の手練れが倒れている光景を眺めて、苦笑を浮かべた。
「それよりいいのかい、本当にわしが話をつけても」
「ええ、構いません。そういう話ですから」
イーサンの顔には何の動きもない。さざ波すら起きない、無表情だ。首領は耳の裏を掻きながら、チャールズとヤニクのほうへ歩いて行った。
「やあ、迷惑をかけたな、お二人」
「何者だ」ヤニクがチャールズを起こしながら、ゆっくりと立ち上がった。
「盗賊ギルドだ。やつらは暗殺者ギルドのモンでな、わしらとの抗争にあんたらを巻き込んじまったのさ。悪いことをしたな」
「その割には俺たちを狙っていたようだが」
チャールズは控えめに言葉を紡いだ。
「詳しくは言えないがね、あちらさんの都合で色々手違いがあったってことだ。迷惑をかけてすまなかった。深入りせずにあとはわしらと警察に任せてくれないかね」
「うむ……」
仕事でもないのに厄介な問題へ巻き込まれるのを懸念してか、ヤニクとチャールズは渋々納得したようだ。
イーサンは成り行きを見届け、踵を返した。エラたちと合流したが、彼女らも今回の作戦についてよくわかっていないようだった。
「イーサン、あんたはどうしてチャールズ・クラウチを助けようなんて言い出したんだい」
エラはイーサンの隣を歩いている。いつも通り冷静だが、語尾に不服を滲ませていた。
「盗賊ギルドに恩を売っておこうと思いまして」
柔らかい口調で返すイーサン。
「チャールズって、イーサンの特別な人なんじゃないかな」
のんびりしたデイヴの言葉に、エラは目を見開いた。
「そうだよ。あんた、はじめて会った時もチャールズ・クラウチのことを聞いてただろ。思い出したよ」
「はい、ですが、ただのファンです。特別だなんて」
「ファンだからって、人の面倒を見る必要はないんだよ。それに、あんたが助けようとしただなんて、気づきもしない。どこまでお人好しなんだ」
イーサンは微笑んだ。無理やり作ったような、いびつな笑みだった。
「まあまあ、エラ。イーサンには考えがあるんだよ」
すると、黙って聞いていたセイディーが口を開いた。
「……想いは伝えようとしなければ、伝わらないものよ」
「君って時々深いよねセイディー」
「デイヴと比べたら誰でも深いわ」
「そりゃそうだ。君は深いが、僕は高いんだ、いつだってぶっ飛んでる」
デイヴは優雅に両手を動かしながら、鳥の真似をして見せた。手慣れたやり取りに笑いが起こる。イーサンもデイヴのひょうきんな仕草を楽しんだ。今度は心からの笑みが浮かんだ。
セイディーを家まで送り、デイヴ、エラと別れたイーサンは、すぐに自宅へは戻らず大学へ戻った。眠そうに巡回する夜間警備員など、避けるのは容易だ。鍵の種類もあらかじめ調べてあった。
イーサンは論文発表が行われた会場に忍び込み、壇上の拡声器を素早く解体した。
拡声器には、録音式の魔導具を仕込んであった。特定の時間から特定の時間までを録音する術式が組み込まれており、市販で広く出回っている録音器をイーサンが独自に小型改良したものだ。
何事もなかったように元へ戻し、家路につく。イーサンは今になって初めて高揚していた。実物のチャールズを目の当たりにしても、我慢できていたのに。
すでに眠っている老婆を起こさぬよう部屋へ戻り、扉と窓には鍵をし、音が決して外部に漏れぬよう結界を張る。
イーサンは肌当たりの良い寝間着に着替えた。これで準備は整った。ベッドに潜り込み、魔導具を起動させると、流れるように音声が再生された。
「坑道ワームの生態。地震、鉱石産出の関連について――」
耳元で囁かれるような感覚。チャールズの堅苦しい言葉が、不安気な音色となって耳朶をくすぐった。
イーサンは真っ暗い地底をうねりながら進むワームを想像した。ワームを追いながら調査するチャールズを。チャールズは暗闇の中で、ぶよぶよとした巨大なワームと対峙する。ワームは地中へ潜り、奥へ、奥へ振動を与え、マグマの活動にすら影響を及ぼす。
そしてほとばしったマグマはワームの開けた穴を塞ぎ、冷えて固まり、美しい宝石の原石となるのだ。チャールズは一部始終をずっと見守っている。生まれ落ちた時からずっとそうしていたように、岩の如く動かないで、のたくるワームを見つめている。赤い瞳には何の情も浮かんでいない。ただ観察している。
イーサンは何度も呼吸を貪るようにして、しまいに長い息を吐き出した。べたついた手を拭うのも気だるく、パンツの中に突っ込んだまま耳からの情報を食み続ける。
「このようにしてひずみの蓄積と坑道ワームの活動とは――たるものであり――」チャールズは話し終えるところだった。イーサンは瞼を閉じた。目尻から涙が伝っていくのがわかった。
三日後の朝、イーサンは新聞の一面に目を留めた。
『コルドー伯爵逮捕される。暗殺者ギルドと関連か』
コルドー伯爵は法曹界にも手を回せる、厄介な貴族議員だ。そしてフレイドから聞くところによると、チャールズ・クラウチの暗殺依頼を出した依頼主だった。
盗賊ギルドは落とし前を付けるために、どれだけの犠牲を出したのだろうか。もはやイーサンの知るところではないが、裏社会に足を突っ込んだ民間人の末路として、逮捕だけならばましかもしれない。
イーサンは丁寧に目を通し、一角をはさみで切り取った。コルドー伯爵の逮捕などはどうでもいい。ただ『暗殺者を差し向けられたチャールズ・クラウチ氏、罪を償ってほしいと語る』の魔法写真だけは、残しておきたかった。
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