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番外十一 チャールズの過去

 チャールズの過去  どこから話すべきだろうか。  やはり最初から始めるとしよう。  俺は宝石や石などに興味を持ち、魔術学院に入学した。学院を卒業した後は、教鞭を取るかたわら地質学の研究をするつもりだった。しかし、俺をいじめていたやつらと職場も同じになるのがどうしても嫌で、逃げ出した。  俺の顔半分には酷く爛れた傷痕があった。錬金術の授業中、クラスメートに薬品をかけられたんだ。薬品をかけたやつらは数ヵ月停学のお咎めがあったが、のうのうと教師になっている。絶対にそんなやつらと働くのは嫌だった。  傷痕のせいで、普通の職に就くのは困難だった。ましてや他校の教師になるのは「子供が怖がるから」「問題を起こされたくないから」など様々な理由を付けて断られた。  全てに嫌気がさした俺は、冒険者になった。冒険者ギルドには訳ありの人間、国籍のない者や元犯罪者ばかりが所属していて、正直評判は良くない。しかし自由に国内外へ行き来でき、依頼であれば一般人が入れないような施設へも入れる特権を持っていた。地質学の研究をするにはうってつけだと思ったんだ。  ギルドに登録しても、仲間はすぐに見つからなかった。元々俺は社交的じゃないし、顔のただれた傷痕のせいで、歳の近い若者には特に怖がられていた。  そんな中で、唯一まともに話しかけてくれたのがカタリナだった。  カタリナは巨漢と見まごうばかりの女性で、横幅は俺の二倍以上、背も見上げれば首が痛くなるほど高かった。  彼女は斧を扱う戦士だ。後衛から魔術で援護する俺とは息が合って、すぐさま欠かせない相棒になった。  俺たちは二人でも受けられる小遣い稼ぎのような依頼を選んで、その日暮らしの生活をしていた。顔に傷のある痩せ細った陰気な男と、人間離れした巨体の女性という組み合わせが、人を遠ざけているような気がした。実際にそうだったんだろう。  一年くらい過ぎた日、カタリナは言った。 「なあ、クラウチ。私たちは相棒だけどさ。恋愛感情なんて一切無いのはお互い様だ。  正直、君みたいに性格が暗くて顔も良くない男と慰め合いながら寝るなんて、死んでも嫌なんだよ。  君だって同じ。こんな熊かオーガみたいな女と生涯を共にできるかい。そりゃ無理な相談だろ。  だからさ、本気でやらなきゃ。世界に名をとどろかせるような冒険者にならないか。そんで、私はイケメンと結婚する。君も自分の好きなタイプの女なり男なり見つければいい」  いきなりで戸惑った。何のつもりだろう。  だけど、このまま二人で死ぬまで日雇いの仕事を続けて行くつもりは無かった。金がなければ地質学の研究もはかどりやしないし、俺の数倍は食べるカタリナの食費だけでも精一杯だったのだから。  俺たちは本気で冒険者を続けていくために、仲間を探し始めた。  手堅い仕事の実績を積み重ねてきたおかげで、ギルドには信用されていた。結果、集まった仲間は剣士のアルシェ、同じく剣士のファビナ、白魔術師のリリカだった。  アルシェはどこかの道場で学んだとかいう、正統派の剣を使ったが、型通りの戦い方は実戦向きじゃなかった。少年俳優のように小綺麗な顔立ちで、とにかくすこぶるモテたし、依頼人にも印象が良かった。  本当ならカタリナのほうがずっと強いし、状況判断もできるのだが、彼女がイメージの良さだけでアルシェをリーダーにしようと提案したら、誰も反論しなかったほどだ。  ファビナとリリカは姉妹のように仲が良く、人当たりのいいアルシェにくっついてくる形で仲間になった。  リリカは気弱だが優しくて、俺の陰気な性格や顔を気持ち悪がらなかった女の子だ。ファビナは逆にあからさまな嫌悪を見せてきた。リリカは変なやつに絡まれることが多かったので、その分ファビナが守っているつもりで警戒していたんだろう。  ファビナは美しい舞みたいな剣を使ったが、パーティーを結成して何度目かに受けた妖魔退治の依頼で敵に殺されて死んだ。  冒険者の半数は、一年以内に命を落とすのだ。  仲が良かったリリカは冒険者をやめてしまうかと思ったが、逆にファビナの分まで頑張ろうと中途半端だった白魔術の勉強に精を出した。  俺はリリカにせがまれて色々な応用を交えて教えた。教会の秘跡に近い白魔術は専門分野じゃないので、教えるのも得意ではなかったが、リリカは二年もたたないうちに、最初の頃とは考えられないくらいの使い手になった。元々才能があったんだろう。  そのうち、ファビナの代わりに二人の仲間が加わった。シーカーという明らかに偽名の盗賊と、ハッガスという重戦士だった。  シーカーは自分のことを何一つ語ろうとしない男だが、着替える時に体が見えてしまって、どんな風についたのか想像もできない古傷がたくさんあるのだけは知っていた。  過去がどうであれ、少なくともシーカーは常識を持った人間だった。ハッガスと比べればずっとまともで、パーティーではカタリナの二番目に信用していた。  ハッガスは筋骨隆々で野生的といえば聞こえがいいが、俺は最後までどうしても彼が好きになれなかった。  元々、リリカ目当てに入ってきたのだが、彼女の下着をこっそり盗んだり、風呂やトイレを覗いたり、他のパーティーの女の子に無理やり性的関係を迫ったりと散々だった。  俺は何度も影で殴られ、野営で寝ている時などは腹を蹴り起こされた。  カタリナが俺たちに対する仕打ちを見つけて、アルシェやシーカーとも相談し、パーティーを追い出そうとしていた矢先のことだ。  ハッガスも死んだ。遺跡の罠にかかったのだ。シーカーが注意するのを気に留めず、逃げた妖魔を追いかけて行って、アロースリットで串刺しにされた。矢には毒が塗られていたんだ。  リリカの治療もむなしく、ハッガスは宿に連れて帰る途中で息を引き取った。誰も涙を流さなかった。優しいリリカでさえ、渋い顔をしただけだった。  次に入ってきたのは元騎士のアロイジオだ。余計なおしゃべりをしない、真面目な男だった。盾の扱いがうまく、攻めのカタリナと並んで戦えば鉄壁の前衛だった。  俺はアロイジオに少し憧れていた。大人の冷静さ、真っ直ぐな堅い背。心の中を全てわかって、受け入れてくれるような深い瞳。  けれど彼が俺を好きになるわけがなかったんだ。何者かに殺された妻のことが忘れられず、仇を探すために王国騎士をやめ、冒険者まで落ちぶれて来たのだから。  アロイジオが入って来てからのパーティーは無敵だった。カタリナの巧みな武術は言うまでもないし、アルシェは交渉がうまく、リリカは優秀な癒し手で、シーカーはとても器用だったから。  そして俺自身も基礎の魔術だけでなく、自分で編み出した様々な術を使い、敵を蹴散らしたり仲間を援護した。地質学の論文も数多く提出し、趣味で冒険小説も書き始めた。  数年もすると俺たち『腐り華』は、世界でも知る人ぞ知る有名な冒険者パーティーになっていた。『腐り華』という名はカタリナがつけたんだ。過去がどんなに腐った人生だとしても、そこから華々しく咲けるようにと。腐った大地を養分にしてこそ、花は美しく咲くのだと。  誰も異論はなかった。皆脛に傷を持っている。社会のはみ出し者で、結局冒険者しかできないからここにいる。だからこそ俺たちはあらゆる障害を乗り越えて、華々しく咲いてやるのだ。  だが『腐り華』の名声は長く続かなかった。俺たちはすっかり慢心していたのかもしれない。ドラゴン退治も、リッチなどのハイアンデッド退治も、魔神ですら相手にし、もはや無敵に思えたのだから。  小さな村が吸血鬼に占領され、村長の屋敷に立てこもっているなんて、ありふれた依頼だった。たとえ吸血鬼の最上位にあたる真祖だとしても、俺たちにしてみれば容易い存在だったのに。  結果、敵は強いなんてものではなかった。鉄壁のアロイジオは真っ先に盾ごと串刺しになって殺された。ドラゴンの炎すらも防いだのに。リリカは奇跡の力を使うどころか、敵に魅了され血を吸われてしまった。どんなに手ごわいアンデッドが出てきても、彼女の白魔術にかかれば安らかな眠りについていたのに。  シーカーは簡単に捕らわれて引き裂かれた。誰にも気がつかれずに行動し、彼が走れば風よりも早く見えないほどだったのに。  アルシェはびびって逃げたところを吸血鬼の手下に八つ裂きにされた。精神攻撃をする魔神相手にだって、一歩も引かないリーダーだったのに。  俺はカタリナに守られながら、土から無数のゴーレムを出して戦った。たとえ家屋のなかだとしても、自由自在に土や砂や泥を扱えるのが俺の強みだったから。  カタリナはどんなに長時間戦い抜いても、息が上がることのないタフな戦士だったし、絶対俺に攻撃が当たらないよう、魔術に集中できるようにいつでも守ってくれていた。  なのに彼女は虫の息で、血まみれになっていた。利き腕は吹き飛ばされ、斧は壁に突き刺さっている。それでもカタリナは立ち続けた。吸血鬼の魔術や、重い攻撃に耐え、四肢が折れ曲がって、人の形を成さなくなっても、彼女は俺の前からどかなかった。  そして援護もむなしく、カタリナは立ったまま死んだのだろう。  吸血鬼は俺に冷たい腕を伸ばし、首筋を舐めた。ローブを引き裂かれ、牙を立てられる。カタリナの体がくずおれるのを横目に、意識を失った。  今でも耳元で囁く吸血鬼の声が忘れられない。 「そなたはことさら醜い。より醜く、怪物のように生きよ」  意識が戻ってきた時、自分の異変にすぐ気が付いた。暑く、寒く、体の中を虫が這いまわるようなむずがゆさ。骨が変形するような痛み。おまけに狂おしいほど喉が渇いている。  目の前に血のすじが流れていた。俺は夢中で乾きかけたその液体を舐めた。血は倒れたカタリナの体から流れてきていた。  空腹が紛れ、理性が戻ると、血を啜るのをやめて起き上がった。  仲間は皆、死んでいた。アロイジオは全身を串刺しにされ、壁に磔られている。リリカには血を吸われた以外の大きな外傷はなかったが、何度凌辱されたのか想像したくもなかった。  シーカーは脱皮したように生皮をはがされていた。アルシェは元が人だったとはわからないほど細切れの肉片に変えられている。そして、カタリナは――  俺はありったけの力で叫んだ。自分の声なのに、人間の声ではないみたいだった。金切り声が屋敷中に響き渡ったのに、叫び終わると異様なほど辺りは静まり返っていた。  吸血鬼はどこかへ行ってしまっていた。別の場所へ獲物を探しに行ったのかもしれない。  俺はどうしていいかわからなくなった。  目を拭うと血の涙が溢れていた。それは指に付くとすぐ白い灰になって溶けた。爪は固まった血のように赤くなっていて、肌は紙のように蒼白だった。  とにかく血に濡れた服を着替え、応援を呼ばなければ。一人ではもう、手に負えない。屋敷にあった服を拝借し、外へ出た。沈みかけた太陽の光が痛く、焼けるようだった。  国に助けを求め、教会の本部で吸血鬼の呪いを解呪してもらうことにした。もし解呪が失敗して死んでも、仲間を殺した化け物の同類として生きるよりはましだと思えたからだ。  しかし、最も名高い高僧ですら、完全な解呪には失敗した。一応浄化はできたと言われたが、相変わらず日中は気分が悪いし、死体みたいに冷たいし、鏡にも映らない。  食べ物は砂みたいな味がするし、いくら食べても空腹が収まることはなかった。  気が狂いそうになりながら様々な文献を漁って、吸血鬼のことを調べ直した。だが、魔神やドラゴンよりも強い吸血鬼なんてどこにも載っていなかった。  仲間の死体を埋葬し、解呪の方法を探しながら、俺は冒険者を続けた。  そんな時出会ったのが、マルコフという男だ。  マルコフは解呪してくれた司教の知り合いで、冒険者だった。それで彼から、吸血鬼化しても理性を保ちながら冒険者をしている者が思ったより多いこと、人の生き血を吸わなくても、ある程度なら人工血液で空腹を紛らわせることを教わった。新しい仲間も紹介してくれた。  新しい仲間たちは『腐り華』のメンバーより親切にしてくれたが、俺は一人でいることのほうが多かった。何せ退治される側の化け物なのだから。  仲間が傷つき、怪我をするたび、流れる血に食欲を覚えてしまう自分が嫌だった。  それから数年が過ぎ、俺は出版社に『石の人』という小説を持ちこんだ。楽しみなんて忘れ、化け物として分をわきまえた生活をしていると、仲間が出版を薦めて来たのだ。もし本が売れて資金が溜まれば、解呪する役に立つかもしれないと説得された。  お金よりも、仲間は俺が趣味を楽しめるよう後押ししたかったんだろう。おかげでイーサンと出会うきっかけになり、運命が変わったんだ。  あの時、吸血鬼に囁かれたと同時に、確かに聞こえた。 「クラウチ、君は醜くなんかない。生きろクラウチ。何があっても生きて、笑って、華になれ――」  カタリナの最後の言葉だった。  吸血鬼になった経緯を語り終えると、イーサンは神妙な顔つきでこちらを見ていた。乳白色の白目に、青空みたいな瞳。軽蔑の色は浮かんでいない。ただ、どこまでも青く透き通っている。 「苦労を……しましたね」 「うん」俺は頷いた。 「今ここにいられるのは、仲間のおかげなんだ。それに、あんたのおかげだ」 「けど、俺は何もしていませんよ。クラウチさんと一緒にいたかっただけなんです」 「あんたが望んでくれなければ、今頃灰になってた」  イーサンは俺の手をそっと握った。 「今、すごく幸せなんだよ。でも俺だけ生き残っていいのかって、幸せになっていいのかって、ずっと、後悔してた」 「生きてください、クラウチさん。俺と一緒に幸せになってください、これからも」  イーサンの胸は温かい。抱擁されると、血の通わない体なのに、芯に火が灯ったようだ。 「ありがとう、イーサン」  死んでからでも遅くないだろうか。華を咲かせるのは。  カタリナが最後まで守ってくれた命、仲間が助けてくれた命、イーサンが生かしてくれた命。一度死んだけど、新しい命をもらったんじゃないか。それなら少しの間くらい笑っていても、許されるかな。  俺はイーサンの背を抱き返した。イーサンの鼓動の音は、いつだって俺を力づけてくれるんだ。

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