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第10話

 石の人 十  こぼれそうに大きな丸い月が浮かんだ夜、イーサンは珍しく寝付けないで窓の外を眺めていた。窓ガラス越しの空気が冷たい。貿易都市アルヴァへ来てから、七度目の冬を迎えようとしているのだ。  しばらくの間、イーサンにとっては転機の繰り返しだった。  まずエラが故郷に帰り、遠距離恋愛の彼女と結婚した。これは喜ばしい出来事だ。恋人の父親はイーサンの作った薬で無事に快方へ向かい、エラは愛する人とパン屋を営むという夢を叶えることができた。  悲しい話としては、借りている下宿兼雑貨屋のお婆さんがついに亡くなってしまった。  彼女はタリア・オーハラといったが、イーサンが名前で呼ぶと恥ずかしがって、おばあさんかおばあちゃんと呼ばれたがった。なので、近所の人はイーサンをタリアの孫だと思い込んでいたし、実際、タリアは連絡が取れない孫を想っているのかもしれなかった。  タリアは長いこと病気もせず健康的だったが、イーサンが知る限りではかなりお年を召していた。ある日食事を運んで行くと、ソファの上で冷たくなっていた。  生前から、イーサンはタリアの本当の家族と連絡を取ることを試みていた。様々なツテを使って調べていくうち、孫がいるのはわかったが、遠い外国に住んでいるらしかった。  何度か手紙を書いて送ったが、返事は一度もなかった。アルヴァを離れるわけにはいかなかったので、冒険者に頼んで身元の調査をしてもらった。  結果的に、タリアの孫――正確には姪の子だった――は会いに来られる状況に無いと報告が来た。イーサンは数年前にチャールズが載った新聞記事を思い返していた。たしか、魔工戦車を破壊して十年続いた内戦を終わらせたのだ。姪一家は内戦に巻き込まれ、亡くなっていた。  イーサンはタリアに姪一家のことは伏せておき、最後まで孫の代わりとして接した。そして、家族が他にいた場合を考えて、遺品を整理し、お墓を作り、雑貨屋で儲けた金銭の一部を家族のために残しておいた。  眠れそうもないがカーテンを閉めた。横になり、重ねた毛布に潜り込む。両親や実の祖母は健在だろうか。魔狩人はいつ傷つき、亡くなってもおかしくはない家業だ。イーサンは毛布を頭まで被った。無性に寂しく、人恋しかった。  夜明けが来る前に目を覚ました。あまり眠れていないが、夢を見た気がする。内容は覚えていなかった。イーサンは顔を洗って身支度をし、階下に降りた。誰の気配もしない。お婆さんの遺品は殆ど片づけたので、部屋には何もないはずだった。 「あの人がいた痕跡を残しておくと、いつまでも別れができない」これは本当の祖母が言ったのだ。  祖父が亡くなった後、祖母はお父さんがうろたえるほどに手早く祖父の遺品を片づけ、思い出になる大切な物以外はすっきりと無くなった。  祖父は料理が好きだった。祖父母の家に遊びに行くと、よくパンを焼く香りが漂っていたものだ。祖母の好きなイチジクとチーズの入ったパンはイーサンもお気に入りだった。  祖母が馬車の整備をしていると、いつも焼き立てのパンとお茶が用意されていた。祖父が亡くなった後、祖母はもう二度とハート型のねじりパンが食べられないことを知った。  おばあちゃんは、おじいちゃんを愛していなかったのではない。むしろ誰よりも深く愛している。人それぞれの別れがあるのだと、イーサンは納得した。  チャールズ・クラウチは凍りつきそうに寒い朝でも、律義に散歩を欠かさなかった。昼まで寝ている日があるのも知っていたが、大抵は教会まで歩いて、ミサが終わる頃自宅へ着く。  イーサンは始まりの鐘を聞いた。まだ暗いのに、時刻は朝なのだ。チャールズは霜が降りた石畳をヒールの高い靴で歩いている。燕尾服の裾が、冷たい風にはたはたとなびいた。  先生は寒くないのだろうか。イーサンは外套の襟を合わせながら白い息を吐く。  紅茶色に染まりつつある空で、明けの一等星が誇り高く輝いていた。チャールズの背も髪も黒く色を吸収し、うなじばかりが残された月の下で光っているようだ。  早朝のチャールズは一人きりでピアノの練習をしている。イーサンは柱の影に立って演奏を聞いた。相変わらずたどたどしく、囁くような音色だった。音が耳に触れた瞬間、寂しさも、どろどろした薄暗い感情も溶けて消えてしまう。  先生が存在するだけで、自分自身のために何かをするだけで救われる。一等星の輝きは遠目にだってゆるぎないのだ。イーサンは鼻をすすり、熱い目頭を拭った。  演奏を終えたチャールズは気落ちしている様子だった。楽譜台へ額を寄せ、鍵盤の上に細い腕を乗せた。肘に押され、不協和音が響く。まるでピアノにすがって泣いているようだ。練習が思うようにいかなかったのか。それにしては悲壮感が漂っているが。  イーサンはあのピアノと変わってやりたいと強く願った。チャールズを胸に抱き、悲しみを全部肩代わりして涙を拭えたら良いのに。  チャールズはキッチンのほうへ向かった。いつものように、ワインをひと瓶開けるのだろう。ピアノに悲しみは癒せない。アルコールのほうが強く抱いてくれるのだ。イーサンは寒空の下、チャールズが出てくるのを待った。  チャールズは冒険者ギルドに戻った。イーサンは気づかれないよう時間を空けてから、他の冒険者に混じってギルドに入る。  チャールズと一緒に、見慣れた二人が掲示板の前でたむろしていた。赤紫の角兜を被った小柄な冒険者はマグリヤ、青黒い鎖帷子を着たバケツ兜はビアスといったか。チャールズがよく行動を共にしている仲間だ。マグリヤの足元には、たれ耳で金色の毛をした犬のような動物が座り、しっぽを左右に振っている。誰かのペットか使い魔だろうか。 「みなさん、どんな依頼がいいですか。今日は豊作ですぞ。リザードマン退治に、遺跡の地図製作、ハルブバラドまで商人の護衛、少なくとも冒険者の仕事が揃っています」  マグリヤが依頼を吟味する間、チャールズは手持ち無沙汰にうろうろしていた。 「俺は何でもいいよ、何でもいい」しまいには脱いだ手袋でビアスの二の腕を叩いて遊び始めた。ビアスはされるがまま、牛のようにのんびり突っ立っている。 「相棒、まだ~ 俺チャンも何でもい~よん」 「まだ。あんたも選んでよ。チャールズさんとホゥロンちゃんも、これは絶対嫌という条件があれば言ってくれると助かりますな」 「マグリヤが選んだなら絶対問題ないよ。ドブさらいじゃなきゃ、なんでもいい」と、気だるげにビアスへもたれるチャールズ。顔は白いが、酔っているのかもしれない。  ビアスは「問題な~い」とのたまいつつ、壁にもたれた。 「僕は遺跡の地図製作がいいですね」  足元の動物が人間の言葉でしゃべった。子供のような声だ。よく見ると腹側と脚は爬虫類の鱗のようになっており、後頭部に二本の赤い角と長いたてがみが生えている。犬ではないらしい。マグリヤはしゃがんで、動物の頭を撫でた。 「さすがホゥロンちゃん、お目が高い。考古学研究所からの依頼で、確かですぞ」 「んふふ~」  動物――ホゥロンは耳を掻かれて満足そうに目を閉じた。 「決まりでいいんじゃね。ハルブバラドへの護衛も割りが良さそうに見えるが、積み荷は十中八九武器だからな。下手すりゃアグネスの関所でこれよ」指先で首を斬る真似をするビアス。「厄介事は御免だぜ」 「いいよ。このメンバーで十分かな。あと一人くらい誘ってもいいけど……今起きてる連中は新入りばっかりだな」  チャールズはテーブル席を見回したが、入口側にいるイーサンとは目が合わなかった。 「あの人はどうですか。今入ってきた赤いコートの」 「誰のことだ」ビアスは体勢を直し、チャールズをちゃんと立たせた。 「あそこの人ですよ。結構有名な賞金稼ぎだったはずです。呼んできますね」  ホゥロンがとてとてと歩いてくる。イーサンは今気が付いた風を装って、首を傾げた。 「おはようございます。ホゥロンです。イーサン・アルナストさんですよね」 「これはどうも、丁寧に。おっしゃる通りのイーサンですが、何か御用ですか」イーサンはしゃがんで笑いかけた。 「お仕事を一緒にどうかと思いまして。今のところめぼしい賞金首はいないでしょう。とにかくお話だけでもどうですか。キュキュッ」 「ええ、伺いましょう」  ホゥロンはマントをくわえて軽く引っ張った。イーサンは引かれるがままに掲示板の前へ向かう。チャールズは退屈そうに前髪をいじっていたが、イーサンを見るとぎこちなく笑った。 「連れて来ました。イーサンさんです」 「どうも。イーサンです」 「おお、あなたでしたか。以前私の相棒、この人を助けてくれましたね」マグリヤはビアスの背中をはたいた。歓迎されているようだ。兜のバイザーで目は見えないが、口元は笑みを浮かべている。 「ええ。多分、そうでしたかね」 「私はマグリヤですぞ、よろしくお願いします」 「こちらこそ」  マグリヤと籠手越しに握手する。小柄だが戦士らしく、力強い。イーサンはいとこのカーナや、仲間のエラを思い出した。 「へー 旦那が命の恩人か。世話になったのに礼も言えずに悪かったなぁ。ビアスだ。恩に着る、ありがとう」 「どういたしまして。その後体の調子はいかがですか」 「おかげさまで未だに現役張ってるよ」  ビアスはしみじみと答えて、グローブの掌を差し出してきた。イーサンもグローブ越しに握手を返す。こちらはマグリヤと比べ、大男の割にはぬるい握手だった。 「あんただったのか。ありがとう、仲間を助けてくれて。チャールズだ」 「はい、あ、知っています。チャールズ・クラウチ先生、とても有名で……ああ、すみません、俺はイーサンと申します。イーサン・アルナストです」 「そうかい。雑誌や新聞に出てるからな。よろしく、イーサン」 「はい、よろしくお願いします」  チャールズは細い手を差し出してきた。黒い革の手袋をしている。イーサンはグローブを脱ぎ、包み込むように握った。チャールズの手はすっぽりと手首まで収まるほど小さい。冷たくひんやりした肌は、先ほど飲んでいたアルコールの酔いなど微塵も感じさせなかった。 「熱いな」 「えっ」 「あんたの手、熱いなって。羨ましいよ。俺の手は冷たいから」  心臓が喉元まで来ている気がした。耳まで熱くなり、火を噴きそうだ。 「ごめん、変なこと言ったな」チャールズは掌を引き抜いた。 「いえ、そんな……手が冷たいと辛いですね、これからの時期」 「うん、ありがとう。ごつめの手袋を買うよ」  また引き攣ったような笑み。チャールズはずれた手袋を直しながら、恥ずかしそうにマグリヤとビアスの後ろへ引っ込んでいく。イーサンもグローブを着けた。 「では、この五人で仕事をするということで良いですね、イーサンさん。ホゥロンとも握手しますか」 「ええ、お願いします」  まだ仕事の承諾はしていないのだが。話の流れで同行することになったようだ。イーサンは気持ちを切り替え、ホゥロンに合わせてしゃがもうとした。するとホゥロンは回転し、一瞬で動物から人間に変わった。赤い甲冑を身に着け、房毛付きの兜を被った子供の姿へと。 「じゃーん」  変化の術は知っているが、さすがのイーサンも唐突な事に面食らった。 「はい。実は僕なんです。驚いたでしょう、人間のすがたで握手しましょうね」 「ええ、どうも。魔術ですか。驚きました」 「そんなところなんです」  ホゥロンはエメラルドの目を細めた。長い金色の睫毛、顔も体も、全て形が整っている。作りもののような美少女だ。美少年かもしれないが。  握手をするとホゥロンは元の動物に戻って、マグリヤのほうへ駆けて行き、脛当てに脇腹の毛をなすりつけた。 「よし、行きましょうマグリヤちゃん、イーサンさん、ちゃあちゃん。ついでにビアス」 「俺チャンだけついでかよ~」わざとらしくがっくりしてみせるビアス。 「行くよ、ついで」 「相棒まで~」  手慣れたやり取りなのだろう。チャールズはふ、と笑って、ホゥロン、マグリヤとビアスに続いた。  本日の受付はトミーの他にバシリカがいた。バシリカは人間ではなく、オーロラ色の蝶々だ。オーロラの妖精なのだが、人間の手伝いをするのが好きでたまに受付のバイトをしているらしい。 「おはようございます、みなさん。今日はイーサンさんと組んでいるんですか。珍しいですね」  トミーはいつものように清潔なシャツとベストを着ており、愛想良く微笑み返してくる。 「おはようございますトミーさん。この依頼を受けたいのですが」マグリヤは張り紙をトミーに渡した。 「地図製作の依頼ですね。良かった。遺跡の守護者が手ごわいと聞いて、中堅にも勧められなかったんです。みなさんなら安心できますよ。では契約書に名前をご記入ください」  マグリヤをはじめとし、並んで一人ずつ名前を書く。そこへバシリカが飛んで来た。イーサンが手を差し出すと、バシリカは煌めく光の粒子を振りまきながら、ふわりと手の甲にとまった。 「まあイーサン。ホゥロンお姉様と一緒なのね」 「ええ、知り合いですか」 「私のお姉様よ。見た目は違うけれど」 「バシリカは妹なんです」 「へえ」  イーサンは追及しなかった。バシリカの姉であればホゥロンも妖精の類だろうが、人間でない冒険者はこの貿易都市アルヴァでは特に珍しくもなかったので。 「はい、次はイーサンさん」ホゥロンは記入を終えた。  ペンがひとりでに飛んで、イーサンの手元にやってきた。人間の手足がなくても、妖精にとっては物を動かすなどお手の物らしい。  マグノリヤ・エイカー、ビアス・ノイエンドルフ、チャールズ・クラウチ、蓬龍――彼らの下にイーサン・アルナストが加わる。  チャールズの字は本のサインと同じだ。イーサンは未だ乾かぬインクの滲みすら愛おしく感じた。 「おっと、俺様も行くぜ。チュリッ」  頭の上から鳥の鳴き声がする。契約書の上に白い小鳥が飛んできて、書きおわったペンを奪い取った。 「ワータも来てくれるのかい」 「おう、暇だからな」 「いってらっしゃい、ワータお兄様」  白い小鳥はワータというらしい。まんまるな綿毛に黒いくちばし、つぶらな黒い瞳とオレンジのアイシャドウ、ワータもバシリカに兄と呼ばれているのならば、ただの小鳥ではなく妖精の冒険者だろうが、チャールズの肩に乗って愛くるしく動き回る姿に、イーサンはほっこりした。 「これでメンバーが六人揃いましたな」 「よっしゃ、荷物取ってくる」 「俺は待ってるよ」 「僕も待ってますね」 「俺もー」  マグリヤとビアスが荷物を取りに行っている間、チャールズはテーブル席に移動して座った。すかさず膝の上にホゥロンが乗って丸くなり、ワータも肩に乗り直す。  イーサンもチャールズと同じテーブル席に着いた。 「そういえば、この髭のニーチャン誰だ」くりくりと首を動かすワータ。 「イーサンです、初めましてワータさん」 「おう。ワータでいいぜ。綿雪の妖精、ワータだ。こっちはホゥロンな。俺の妹。そんで土いじりが趣味のちゃーりーだ」 「僕たちはもう挨拶済ませたんですよ。ね~」 「ああ、そうだな」  しっぽを振り、気持ちよさそうにたてがみを撫でられるホゥロン。チャールズの手つきは優しい。 「あの、クラウチ先生、突然ですがファンです」 「そうかい、ありがとう。まあ、でも、先生はよせよ。同業者だろ」 「では、クラウチさん」 「チャールズでいいよ」 「ですが、呼び捨ては心苦しいので」 「わかった」チャールズは顔の横で人差し指を立てた。例の、話をきり出したい時の癖だ。「先生以外なら好きに呼んでくれ。それでいいだろ」 「すみません、ではクラウチさんと呼ばせていただきます」 「ああ、いいよ」  チャールズは眉間に皺を寄せ、黙ってしまう。イーサンは胸が締め付けられる思いがした。嫌われただろうか。  しかし、呼び捨てになんてできなかった。チャールズは特別なのだ。イーサンが心から先生と呼びたい、ただ一人の存在なのだから。  ずっと話をしたかったのに、イーサンはそれ以上チャールズに話しかけることができなかった。撫でられて目を閉じるホゥロンと、毛繕いに夢中なワータが口を挟んでこなかったのもあり、マグリヤとビアスが戻ってくるわずかな時間、イーサンにとっては気まずい沈黙が続いた。 「すみませんな、お待たせしました」 「おまたー」 「遅いぞ~ 二人とも」戻って来たマグリヤとビアスのところへ飛んで行くワータ。 「相棒が必要以上にお菓子を詰め込むからなぁ」 「それはあんたでしょ」  仲良く小突き合う二人を見ながら、チャールズはホゥロンを抱えて降ろし、立ち上がって腰を伸ばした。燕尾服の皺を丁寧に撫でつけるのも忘れない。 「やれやれ。行くか」 「は~い」ホゥロンは前脚でたれ耳の毛繕いをし、体全体の毛を犬のようにぶるぶる震わせた。  イーサンは笑みを作り、黙って頷いた。  遺跡のある集落まで馬車で行き、途中からは徒歩での行軍になった。イーサンは乗り心地の悪い馬車に耐えた。セントベルの馬車は魔工技術によって安定しており、馬への負担が少ないために速度も早い。だが、全世界の馬車に実装できるほどの技術ではないし、材料も普及していなかった。  イーサンの祖母や父のような腕の良い技術者は、世界中を見渡しても限られているのだ。  ビアスとマグリヤはクッキーの缶を取り出して食べている。 「はい、ホゥロンちゃん」 「モッ」  マグリヤにクッキーを渡され、口で受け取るホゥロン。 「イーサンチャンもクッキー食べるかい」 「ええ、いただきます」  ビアスがくれたクッキーを一口かじる。甘い味と香りが広がった。 「へえ、おいしいですね、このクッキー」 「マルコフが作ったんだよ。ああ、マルコフってのは俺たちの仲間で――」 「僕の父上です」と、ホゥロン。 「俺の母ちゃん」重ねてワータも答える。 「説明し辛いので、そのうち本人に会って確かめてくだされ」  マグリヤはなんだか申し訳なさそうに首を垂れた。 「なるほど」  父親で母親というのはよくわからないが、妖精に人の常識は通用しない。要するに何でもありなのだろう。イーサンはとりあえず納得した。  マグリヤは水筒から紅茶を出し、イーサンのカップに注いでくれた。 「これはどうも」 「クッキーに合いますぞ」  ビアスはグレートヘルムの口元だけ持ち上げ、器用に食べている。ホゥロンはクッキーを食べるとチャールズのほうへのそのそ歩いて行き、脇腹を上にして丸くなった。  チャールズはクッキーを一枚も食べないで、目を閉じ、馬車の隅っこで横になっている。ホゥロンがやってくると枕代わりに頭の下に敷いた。 「あの、クラウチさんは体調が良くないのでしょうか。乗り物酔いなら、少し止めてもらったほうが」 「チャールズさんなら心配ないですぞ。眠たいだけでしょうし」 「いつものことだな」  マグリヤの答えにビアスが頷く。チャールズは馬車の揺れに合わせて寝返りを打った。いつもに増して無防備な姿だ。何年も観察していたのに、知らないチャールズが次々と見えてくる。 「ところでイーサンチャンて何が得意なんだっけ」  手の上にクッキーの欠片を乗せてワータに啄ませていると、ビアスが切り出してきた。 「そうですね……得意といってよいのかはわかりませんが、得物はこの銃剣を使っています」  イーサンは腰に吊った革の鞘から、銃剣を少し引き抜いて見せた。 「ふーん、魔導具か。珍しいな。俺チャンは弓を使ってるぜ。場合によっちゃ弩や投げナイフも使う。相棒は見ての通り斧槍だな。チャーリーは地術、ホゥロンやワータはよくわからん魔法が得意だぜ」 「ジュリ、上位精霊の俺様に任せとけば問題ないってことだな。あ、でも問題ある時だけ呼んでくれよな。めんどいから」手の上でワータがぴょこっと跳ねた。 「なるほど、わかりました」ふわりと笑うイーサン。  互いに今までこなした仕事や、今回の依頼内容について話をしているうち、目的地の集落へ着いたようだ。山岳に近いのか、あまり舗装されていない道で、周囲には殆ど建物が見えない。未踏の遺跡には相応しい田舎だ。  マグリヤは真っ先に降りて御者にお礼を言い、運賃を支払った。次にビアスが「やれやれケツがいてえ」などと文句を垂れながら降りる。イーサンも荷物を持って続いた。 「ちゃーりー起きろ~」ワータが素早く飛んで行き、チャールズの前髪をくちばしでちょこちょこ摘まむ。 「うん、起きてる。起きてるよ」  髪を後ろに整えながら起き上がるチャールズ。枕代わりになっていたホゥロンが這い出し、あくびをしながら体をうんと伸ばした。  イーサンは馬車から降り、チャールズたちが来るのを待った。  ホゥロンが先に降りてきて、ビアスにタックルする。 「おうっ」  ビアスはホゥロンを両手で受け止めて、丸めながら抱っこする。しかし、ホゥロンは嫌がって腕から抜け出すと、マグリヤの脚へすりすりしに行った。 「ロンチャンつれないの~」 「ビアスは煙草臭いから嫌だもん」 「そっかなー 俺チャン朝から一本しか吸ってないのよ」  ビアスはしょんぼりした。兜で表情が見えないぶん、わざとらしい態度だ。そこへマグリヤがすかさずツッコミを入れる。 「普段から吸いすぎってことじゃないの」 「相棒~」  やり取りを横目にしていると、眠気を覚ましたチャールズが荷台から顔を覗かせた。 「……おはよう」 「おはようございます、クラウチさん。段差がありますよ」 「ああ……うん、ありがとう」  差し出したイーサンの腕を支えにして、馬車の荷台から降り立つチャールズ。でこぼこした地面と馬の糞にハイヒールは似合わない。しかし、歩き辛そうな様子などまるでなく、チャールズは滑るように仲間のもとへ歩いて行く。肩でワータがふっくらしていた。 「へい、チャーリー。村長ん家に行くぜ」ビアスが片手を上げる。 「体は大丈夫ですか、チャールズさん。問題なければ一応村へ挨拶に行きますが」マグリヤは気遣っている。  チャールズは頷いた。 「大丈夫。村へ行こう。あんたもいいだろ」  こちらの反応を伺っているのだと気づき、イーサンも頷いた。 「ええ、こちらは問題ありません」 「よっしゃ行くぜ」 「マグリヤちゃん競争しよ」 「ああ、待ってホゥロンちゃん」  ホゥロンとワータが駆け出し、慌てて後を追うマグリヤ。まるで遊びに来たようだ。イーサンは自然と顔の筋肉が緩むのを感じた。  集落の住人たちは物珍しそうに冒険者を迎え入れた。依頼主が事前に交渉しており、冒険者が訪れるのはわかっていたようだ。  発見した考古学者から聞くまで、近くに遺跡があることも知らなかったという。  イーサンはかっこいい銃剣を目当てにした子供たちに囲まれ、もみくちゃにされた。ホゥロンとワータもかわいがられている。 「何でそんなのかぶってるの、ねえなんでー」 「かっこいいだろ」 「これから仕事ですからな。この兜が必要になる大冒険をしてきますぞ」  ビアスはバケツを自慢し、マグリヤは適当に相手した。チャールズは一応輪に入ろうとしているようだが、引き攣った笑みのせいで子供が寄り付かない。サイン会の時もそうだった。イーサンは胸が締め付けられる気持ちがした。子供たちをうまくかきわけ、チャールズの傍に向かう。 「そろそろ行きましょうか。ではみなさん、俺たちはこれから仕事に行きますので、また帰りに会いましょうね」 「えーっ、もう行くの」 「いってらっしゃい、おじさん」 「はい、行ってきます」  これ以上、チャールズに居心地の悪い思いはさせたくなかった。イーサンがチャールズをかばうようにして子供の群れから抜け出すと、やれ好機とばかりにビアスとマグリヤも続いた。ホゥロンはいつの間にかワータを頭に乗せ、先をトコトコ歩いている。 「……好かれてたな、あんた」  隣を歩くチャールズが、抑揚のない調子で囁くように言った。 「きっと冒険者が珍しいのでしょうね」 「そうかもな。おじさんは、無いと思うけど。お兄さんだろ」  チャールズはモノクル越しに視線を流してくる。イーサンはドキリとした。 「髭のせいでしょうかね」あご髭を指先で撫でつけるイーサン。「気に入ってはいるのですが、子供にはおじさんに見えるでしょうし」 「俺もいいと思うよ、あんたの髭。似合ってる」 「ありがとうございます。クラウチさんもその髪型、綺麗で、あ、その、似合ってます」 「うん、変じゃないならいいよ。ありがとう」  耳までカッと熱くなる。何を言ったのかわからなくなるほど、混乱していた。落ち着かなければ。チャールズに対してはどうしても、冷静に話ができなかった。  遺跡まで数時間の山道が続いたが、イーサンはあまり積極的に会話を試みることはしなかった。普段なら誰にでも無難に会話を投げかけ、友好関係を築くのだが、チャールズにはどうでもいい会話をしてはいけない気がした。  話そうにも、歩く速度が違うのだった。チャールズは山に入った途端、羽が生えたように足取りが軽くなり、我が庭の如く進んでいった。後ろのメンバーを案内するようにホゥロンが続く。  甲冑を着こんでいるはずのマグリヤやビアスも難なく進んでいく。さすがは世界に名の知れた冒険者たち、経験が違う。イーサンは山道にあまり慣れていなかった。同じ速度で着いていくのが精一杯だ。 「イーサンチャン大丈夫か、休憩するなら止まるけど」ビアスが振り返る。 「ええ、結構長い時間歩きましたね。後れを取って申し訳ありません」 「休憩にしましょう。チャールズさんが早すぎるので、私も疲れていたところです」マグリヤの息は上がっていない。イーサンを気遣っているだけだろう。 「俺チャンも疲れたな。一服してえ」  タバコを吸う仕草をして見せるビアスに、マグリヤは「はいはい」と飽きれた声をかけた。 「では、前の三人を呼びましょうかな。ホゥロンちゃーん、チャールズさーん、ワータさーん、休憩にしませんかー」 「おーう、りょーかーい」遠くからワータが答えた。  すぐにホゥロンが戻ってきて、マグリヤの足元をうろうろする。 「この先に開けたところがあるので、そこまでいきましょ。ちゃあちゃんは待ってるって」 「わかりましたぞ」 「行きましょうか」  チャールズが待っている。イーサンは脚に力を込めた。  案内するホゥロンに着いていくと、見晴らしのいい高台に出た。チャールズは座るに程よい大きさの岩へ腰かけ、目を閉じている。イヤリングが揺れるたびに光を反射し、キラキラと光っていた。風の流れを感じているように見えた。 「ちゃあちゃんきたよー キュルル」  ホゥロンがチャールズの足元に飛んで行って、しっぽを振る。チャールズはホゥロンが甘えるように突きだした鼻頭を掴んでもみもみした。 「おかえり」 「チャーリー歩くの早ええんだもんなぁ。鎧着たオジサンを気遣ってくんないかなぁ」ビアスは芝居がかった仕草で疲れを演出した。 「悪かったよ、ビアス。けどあんたはまだ疲れてないだろ」 「まあな。一服してくらぁ」  切り返しの早い男だ。ビアスは懐から小箱を取り出し、風下のほうへ向かった。煙がこちらへ来ないよう配慮しているのだった。  マグリヤは荷物袋から水筒を取り出している。 「我々はお茶にでもしませんか。クッキーもまだ残っているので、よければ召し上がってくだされ」 「ありがとうございます。マグリヤさんはいつも気配ってくださるので助かりますよ」 「いえいえ」  自分のカップを取り出し、水筒を受け取って注ぐ。不思議なことにいつまでたっても熱い紅茶がなみなみと出てくる。魔導具だろうか。 「便利な道具ですね」 「そうでしょう。高価なぶん役立ってますぞ。何しろいつでもあったかいお茶が飲めますからな」  マグリヤの口元に笑みが浮かんでいる。イーサンも微笑み返した。  休憩を終え、再び歩き出す。一度起伏した地形を登って谷へ降りると、川沿いを覆う木々の間から、明らかに人工的に作られた建造物の名残が見えた。目的の遺跡へ到着したようだ。チャールズとホゥロンは既に着いていた。 「ありゃ。こいつぁ中が浸水してなきゃいいけどな」ビアスは後頭部に手を当てた。 「守護者がいるのは入口付近のようですな。金属製のゴーレムだとか」 「んじゃ、浸水はしてねえってことか。金か真銀製でもねえかぎり錆びちまうからな」 「そういうこと」  マグリヤとビアスは慎重に遺跡の入口を伺う。 「よっしゃ、いつも通り俺様が先に行って偵察して来るぜ」ホゥロンのたてがみからぴょこっと顔をのぞかせるワータ。 「頼むよ、ワータ」チャールズが頷く。 「んじゃ俺は罠が無いか調べとく。入口にはねえと思うが、念のためな」 「ええ、お願いします」  ワータが矢のように飛んで行き、ビアスが木々の間を縫うように消えていった。  暫くしてワータが戻って来た。ビアスも続く。 「罠はねえな、来ていいぞ」 「俺も見て来たぜー 入口まではビアスの言う通り何もねえな。入ってすぐは自然洞窟みたいになってる。浸水してねえし、コウモリもいねえ。ちょっと奥に進むと、両開きのでけえ扉があるな。そんで、前に金属製のゴーレムが二体いる。こいつらが守護者だな。ある程度の質量がある生き物が近寄らないと起動しないっぽい」  報告を終えると、ワータはまたホゥロンのたてがみに潜り込んだ。 「キュアッ、ワータ羽が濡れてるじゃない。僕で拭かないで」 「良いところにタオルがあるもんだからよ」 「もー」  ホゥロンは首を振って毛を逆立てる。イーサンはチャールズの服が汚れないか心配した。  浅い川を渡り、遺跡へ侵入する。チャールズは川を渡ったはずなのに、微塵も靴が濡れていなかった。ホゥロンも同じく濡れていない。どういう仕掛けだろうか。 「モキュ」ホゥロンは光球を作って洞窟の中へ飛ばした。カンテラの代わりらしい。  人ひとりが通れる程度の狭い入口を進んでいくと、開けた空間に出た。巨大な両開きの扉の前に、二体のゴーレムが立ちはだかっている。古代の高度な魔工技術で作られたのであろうそれらは、悠久の時を経てなお錆一つ浮いていない。八対の腕にそれぞれ武器を持っており、イーサンの銃剣に似た銃型の魔導具も備えている。 「いますね……おそらくは真銀製でしょう。これは中堅程度の実力では歯が立たないというのも頷けます」 「だろうなぁ」イーサンの見解に、めんどくさそうに同意するビアス。 「なに、動力部を破壊すればよいことですぞ。いつも通り行きましょう。チャールズさんは我々の後ろへ。イーサンさんは自由に動いてもらって結構です」  マグリヤは斧槍を低く構えた。リーチの長い武器は狭い洞窟で不利だが、扉の前は広く問題ないだろう。 「了解」チャールズはその場で待機した。 「僕はマグリヤちゃんを援護します」 「俺は基本的に何もしねーからよろしくー」  ビアスは洞窟の暗がりへ隠れ、ホゥロンはマグリヤの隣へ、ワータはチャールズの肩にとまった。  イーサンはゴーレムを観察する。構造からして動力部は胴体腹部付近にあり、起動部は背中にあるのだろう。狙うとすれば背後。しかし、むざむざと弱点を剥き出しにしているはずはない。 「マグリヤさん、作戦があるのですが――」  マグリヤが扉に近づくと、ゴーレムが起動し襲いかかってきた。  すかさずチャールズが呪文を発動させ、地面から発生した泥の腕で二体の動きを絡め取る。『絡める泥腕』は基本の土術で、脚を攫うだけのはずだが、チャールズの術は敵の足元を底なし沼に変え、半身を沈めてしまう。  ゴーレムは金属のこすれ合うギシギシとした音をたてたが、いかに怪力といえど無限に押し寄せる泥の腕の前では身動きが取れない。ゴーレムは銃器からマグリヤに向かって、嵐のように魔力の弾丸を飛ばしたが、ホゥロンの展開した防御壁に弾かれて一つも当たらなかった。 「はっ」  マグリヤは素早く駆け出し、ゴーレムの腕と胴体の結合部へ刃を入れ、腕ごと銃器を跳ね飛ばした。銃器はどぶんと音をたて、沼の底に沈む。  もう一体のゴーレムがマグリヤへ銃を撃ってくるが、当たらない。突然ゴーレムの腕が爆発した。ビアスが銃器に向かって矢を撃ちこんだのだ。魔導銃は魔力を充電して矢を放つ武器だ。魔力を含んだ矢を充電しきった銃の回路に打ち込むことで、暴発した魔力によって本体へ圧力がかかり、爆発したのだろう。  しかし、正確に回路の位置を把握し、撃ち込むなど人間の技ではない。針の穴を狙って矢を通すようなものだ。 「行けるぜ相棒」 「いいね」  マグリヤは斧槍でバッサリとゴーレム一体の背を切り開く。腕二本の結合部もろとも、起動部が剥き出しになった。真銀――ミスリル製の板をバターのように切るとは、いかなる材質の武器を使っているのだろうか。  ゴーレムは残る五本の腕を振り回し、マグリヤを仕留めようとした。しかしホゥロンが腕三本を凍らせ、その隙に残りの腕を斬り落とされた。  イーサンは起動部に向けて、銃剣の弾丸を撃ちこんだ。ビアスほど正確ではないが、これで一体のゴーレムが動きを止めた。  もう一体のゴーレムは沼から抜け出せないまま、石化していた。チャールズは沼を石に変えたのだ。当然、石化は沼の上で戦う仲間には及ばない。マグリヤの足元だけを石に変え、動きやすくしているのだ。基本の『絡める泥腕』は、沼に変えたり、石化させたりなど細かい調整ができるものではない。いくつもの高度な応用術が使われていた。  同じように起動部を開かれたゴーレムに弾丸を撃ち込んで、機能を停止させる。戦闘開始から一分もかかっていなかった。 「らくしょーじゃん。俺様の出番なしだな」ワータがぽいんと飛んできて、イーサンの肩にとまった。 「ええ、こんなに早く終わるとは」 「効率よく動けましたな」その場で構えを解くマグリヤ。 「依頼は地図製作だからな。本当の仕事はこれからだぜ」  チャールズは戦闘で乱された地を元に戻し、均した。沼にはまって石化したゴーレムは土の上に戻り、周囲に飛び散った泥は土に変わって集まって行く。マグリヤのマントについていた汚れすらもなくなった。 「はい。綺麗にしたところで、先に進みましょうね」ホゥロンは扉のほうへトコトコ歩いていく。「ビアス」 「へいへい。扉を調べるんだろ」ビアスは扉を念入りに調べ、頷いた。異常はなかったらしい。「なーんもねえ」 「感知でも変な術はかけられてませんでしたよ」扉の前にちょこんと座って振り返るホゥロン。 「では進みましょう。ワータが偵察しつつ、私が先頭でよいですな」 「おっけー」  マグリヤが扉を押し開くと、ワータが光球と共に隙間から飛んで行った。 「来ていいぞー」  扉の向こうでワータが呼ぶ。何もないようだ。マグリヤは一歩進み出た。ビアスも続いて周囲を探るが、罠の類は無い。  光球によってかなり先まで見通せるが、人工的な材質で作られた通路が続いている。壁や天井はのっぺりしており、装飾も何もない。 「ゴーレムが動いてたってことは、魔力を供給する装置が作動してるってことだよな。光源が無いのは、正式な手順で入ってないからか……」チャールズはつるりとした壁を観察している。 「そうだなあ」首を回し、天井から壁までに視線を巡らせるビアス。「俺チャンが見たところ、起動する装置みたいなもんはなかったぜ。今んとこな。ま、古いもんだし、全ての機能が生き残ってるわけでもあるめえ」 「何があるか楽しみになってきましたね」  イーサンは本心から言った。チャールズと行動を共にできることだけではなく、この冒険自体を楽しんでいた。 「よっしゃ、どんどん行こうぜ」  ワータがまんまるな体で飛んで行く。  一行は辺りに気を配りつつ、後を追った。

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